対立と尊重。
途切れ途切れの呼吸の中、必死に絳樺の後を走る。
影は静かに、でも確かに追っている。
冷たく不快な冷たい汗が、現実だと感じさせる。
「っ~!…こっちに!!!」
「!?え、浅葱!?」
諦める様子がなく、このままではキリがない。
痺れを切らした浅葱は、
絳樺の手を強く引き進行方向を強引に変えた。
思ってもない方向からの力に
絳樺の体はあっさり引き寄せられた。
後ろに居た紅珠と朱洸は驚いたものの、
すぐに体勢を変え対応する。
「絳樺様に手荒な真似してんじゃねぇぞガキ…!」
「ふっ。朱洸、素が出ておるぞ?。」
紅珠はいつにも増して機嫌が良く、
反する様に朱洸はすこぶる不機嫌。
朱洸の殺意の方が危ない気がしつつ、細い路地を抜ける。
そこで浅葱は絳樺の手を離し、
勢いのまま突き放した。
紅珠と朱洸が素早く反応し、
紅珠は突き飛ばされた絳樺を先回りして受け止めた。
朱洸は不服そうに舌打ちをしながら上に飛ぶ。
「っ!?あさ…」
「絳樺はこちらじゃ。」
紅珠は絳樺を抱えたまま、後ろに下がる。
浅葱は迎え撃つ様に、立ち止まった。
手元にあるのは短剣のみ。秘策もない。
けれど、惨めに折れる為に立ち止まった訳じゃない。
「っ無駄だ!」
「…。」
"それ"は一瞬、顔をしかめたがそのまま浅葱に切りかかる。
間一髪のところを、短剣で受け流した。
一撃で分かる、圧倒的な力量。
指先から腕にかけて電流の様に痛みが走る。
その間にも容赦なく、次の一手が襲いかかる。
何度も受け流せる攻撃ではない。
すぐに浅葱の手は追い付かなくなる。
「…!」
「っ…!逃がすかっ!!」
浅葱が引き付けている間、
朱洸は死角である背後に回り込んでいた。
大きく飛び、振りかぶりながら斬り掛かる。
「待って朱洸っ、浅葱が…!」
朱洸は浅葱を気にかける素振りもなく、
力の限り斬りつけた。
浅葱は避けられない様に必死に身体を掴み、動きを止める。
もろとも斬られる事は、覚悟出来ていた。
朱洸も浅葱がそのつもりで居た事を
理解していたが、何となく不服だった。
浅葱の案に乗る事自体が、嫌ならしい。
考える時間もない今、
最も簡単で即実行に移せる作戦がこれだった。
「だめ!ねぇ、!!止まっ、……」
朱洸の重い一撃は、振り下ろされた。
しかし浅葱の抵抗虚しく、"それ"は腕を振り切り
間一髪身体を投げ出し避けてしまった。
避けられた事に気付いたが止まれず、
さすがの朱洸も渋い顔をする。
覚悟していたとはいえ、
こうも正面から受けるとは予想していなかった。
傷は癒えるが、痛覚はある。
「っっっっ~~!!!!かはっっ……!」
「〜っ!くそっ!!」
首から胸元にかけて通った朱洸の攻撃。
あまりの激痛に浅葱は口から血を吐いた。
朱洸も慌てて手を引いたが、手遅れは明らか。
大量の血を流しながら倒れ込む。
"それ"は身体を投げ出したにも関わらず綺麗に着地し、
すぐに臨戦態勢をとった。
だが重傷の浅葱を見て何を思ったか、襲って来ない。
「浅葱っ!!」
「ま、っ汚れ、ぇ…」
「絳樺、血が着く。」
「離して紅珠!!
そんな事言ってる場合じゃないでしょっ!??」
浅葱に駆け寄ろうとする絳樺は、
紅珠の腕を振り払う。
紅珠はいくら絳樺が喚こうと、
浅葱に近寄る事を許さなかった。
すると突然、浅葱の身体から蒸気が発生し始める。
流れ出る血液が、蒸発を始めた。
異様な光景に、絳樺も言葉を失う。
「…いいモノを見た。」
「っ!おい、待て!!」
"それ"は静かに呟くと、姿を消した。
朱洸は手を伸ばしたが、
速すぎる動きには届かず逃げられてしまった。
浅葱はただひたすら、激痛に耐える。
何度経験しても、痛みに慣れる事はない。
傷が修復される間も、激痛は続く。
歯を食いしばる事も難しく、口元は震えるだけ。
黙ったまま痛みにただ耐える浅葱の姿を、
見つめる事しか出来ない。
溢れる涙で浅葱の姿が歪んで見えない。
「あさ、浅葱っ、ごめ、なさっ、」
声がうわずり、上手く話せない。
紅珠の腕の中で、しがみつきながら泣くだけ。
人体から発生しているとは思えない様な蒸気が、
浅葱の身体を包んでいく。
浅葱の姿は蒸気で見えなくなり、音だけが辺りに響く。
朱洸も紅珠も静かに見つめた。
紅珠は無表情だったが、朱洸は顔を歪めていた。
少しずつ蒸気が減り浅葱の姿が見えた時、
思わず息を呑む。大きな傷が、すっかり消えている。
衣服は破れたままの為、重傷だった事は確か。
だが血液ひとつ、残っていない。
浅葱は蒸気が落ち着くと、自分の身体を確認する。
衣服にすら、血液は付着していない。
ふと気付いて顔を上げると、絳樺と目が合う。
「絳樺っ!大丈夫!?」
「…。」
浅葱だけが重傷だった。それなのにこの人は。
絳樺はどうしようもない気持ちでいっぱいになり、
声もなく涙が溢れる。
時間が、社会が、彼をこうさせてしまった。
自覚の足りなかった自身を殴りたい。
浅葱は絳樺の考えなど知る由もなく、
怪我の有無を確認してほっとした表情を見せる。
「わらわが居たんじゃ。怪我などさせる訳なかろう。」
「うん、本当に良かった。」
「〜〜〜っ!」
やってはいけない、そのやり方は間違っている。
ちゃんと言葉で伝えなくてはと。
理解していて、それでも身体は勝手に動いていた。
絳樺は言葉にならない痛みをその手に込めて、
浅葱の頬を叩いた。
3人とも絳樺の突然の行動に、声も出ず驚く。
しかし朱洸はすぐに絳樺の心情に気付き、
まずいと思う。気持ちの揺らぎに気付いた紅珠は
ちらりと朱洸を見る。
「……どうして、」
「こ、絳樺?あの、」
「どうしてっ、こんなやり方を選んだっ!?
自分が、っ浅葱が怪我するやり方なんてっ!」
珍しく声を荒らげる絳樺に、呆気にとられる浅葱。
朱洸は後ろめたさから、視線をそらした。
少し考えれば、分かる事だった。
絳樺はこんなやり方を、絶対に認めない。
「僕は、死なないから…」
「そんな事を聞きたいんじゃない。」
「っ、じゃあ、他にどんな方法があった?
君や、朱洸や紅珠が怪我をするって
分かってる方法を選ぶ?わざわざ?
僕だけなら、誰も傷つかずに済むだろっ!?」
「誰もっ!怪我せずに済む方法を、」
「そんな事考えてる暇があったっ!?
その間に誰かが命を落としても、同じ事が言えっ…」
「おい貴様、言葉を選べ。絳樺は貴様を
思っての言葉と、分からぬ頭ではなかろう。」
黙って聞いていた紅珠は刃先を浅葱の首にかける。
突然の紅珠の行動に驚き、
絳樺は慌てて刃を下げさせる。
「紅珠、気持ちは嬉しいよ。
けどすぐに刃を向けるのはやめて。
…朱洸は、分かっていて協力したの?」
「……はい。」
絳樺は静かに表情を歪める。
昔から絳樺の事を一番に考え行動してくれた。
誰より何より信頼していて、理解してくれる。
だからこそ、命を粗末にする選択が悲しかった。
「私の、言いたい事は分かるね?」
「不本意ながら、今回の件について、
趣旨を理解した上で同意し協力しました。
しかしこの際言ってしまうが、
俺が絳樺様の命以上に優先するものは無い。」
「"俺"じゃなく、我らだろう朱洸。」
「あぁ、そうだ紅珠。
絳樺さえ守れるのなら、何だって良い。
俺や紅珠、浅葱貴様の命など
天秤にかけるまでもない。」
「っ!……」
その場に重くのしかかる空気。
浅葱は特に驚きもない。普段の態度といい、
2人の絳樺を想う気持ちは理解していた。
むしろ好都合だとすら、思っていた。
そうすれば今回の様に自身が盾になる事で、
怪我をさせずに守れるから。
その為尚更、絳樺の怒る理由が分からない。
「………ごめん、1人にして欲しい。」
3人の顔を見て、俯く。
さっきの事もあり1人にするのは危険と拒否。
しかし絳樺の見える位置で距離を取る案で、
紅珠と朱洸は了承した。
3人の間に流れる空気は、決していいものではない。
元々一緒に行動する事を反対した紅珠と朱洸。
浅葱自身を良く思っていないのは理解している。
遠くに1人座り頭を抱えている絳樺の背中。
何を考えて、どんな表情かは分からない。
ただ、悲しげに映るのは気のせいではない。
「…理解出来ないとは貴様、本当に人間か?」
「え?」
まさか紅珠が話し始めるとは思わず、
驚いて声が先に出た。
紅珠はいつも興味無さげで
絳樺以外眼中に無い。
機嫌が良いのか、笑みを浮かべて浅葱を見る。
「人間…なのか、分からない。
人間には死という幕引きがあるでしょ。
僕にはないものだ。」
「人間でない我らでも、
絳樺の感情は理解出来るぞ。
死なぬ身を引き換えに、貴様は何を差し出した?」
「差し出すって…僕は望んで死ななくなった訳じゃ、」
「貴様の記憶は果たして本当に正しいものか。
人間でないなら、貴様は何だ?」
「……。」
紅珠の質問に、答えられなかった。
どうして今まで考えもしなかったのか、分からない。
"貴様は何だ。"
紅珠の言葉がぐるぐると頭を巡る。
紅珠は満足したのか、それ以上何も言わない。
少しして辺りが薄暗くなり、宿へ移動する事になった。
道中や宿に着いてからも皆、言葉を交わさなかった。
各々寝る準備まで済ませた所で、
沈黙を破ったのは絳樺だった。
「どれだけ考えても、納得出来ない。
命を粗末にする行動も、
浅葱が盾になる事を当たり前だって言うのも。
もちろん全員怪我をしない、生きてる事が大前提。
ぬるい考えだって言われても構わない。」
「…。」
「2人が私を一番に思ってくれてるのも分かってる。
でも、だからこそ、私は、"私だけ"はっ!
"みんな"の命を、一番に考えたい。
みんなが私を優先する様に、私はみんなを優先する。」
「!、絳樺っ、その…」
「守られてるだけは嫌、譲らないよ。
各々の意思は尊重したい。
矛盾してていい。これが私の答え。」
「ハハッ!流石我らが主、絳樺。
わらわや朱洸の性格を良く理解しておる。
良い案じゃ、我らは絳樺が最優先事項。
浅葱は肉壁で、絳樺は全て。
強欲な主、だから我らはここにある。」
「…はぁ。」
ご機嫌で饒舌な紅珠の隣で
ため息をつく朱洸。
紅珠は気が済んだのか寝る時の姿に変わり、
絳樺に寄り添う形ですやすや寝始めた。
「本当に、不本意だが今回は私にも非がある。
絳樺様、私の…」
「いい。謝罪は受け取らない。
私にある様に、朱洸にも譲れないものがあるでしょう。
だから謝罪はいらない。」
「…分かりました。」
朱洸も姿を変え、寄り添い寝る体勢になった。
絳樺は優しく2人の頭を撫でる。
初対面の時の2人の印象は、
絳樺に対して盲目的なのかと思っていた。
実際はずっと絳樺の事を考えていて、
絳樺も2人を1個人として尊重する。
絳樺が慕われる理由が、分かった気がした。