焼き付く。
「雨月くんは気配だけで、呼んでも反応はなくて。
どれだけ待っても雪雫くんが来る事もなかった。」
「…絳樺が旅をしてる理由って、」
「うん。私は、私の家族を、仲間の命を。
奪っていった奴を、探してる。」
あっさりと告げられた事実が、浅葱の心臓に鈍く響く。
”復讐”
絳樺が目的を果たした時、誰かが死ぬ。
優しい彼女の手で、終わる命がある。
「気遣ってくれたのか、何も聞かれなかった。
私は連日、泣く事しか出来なかった。
雪雫くんにもう会えない現実が受け入れられない。
3日経ってやっと、意識がはっきりしてきて思考がまわり始めた。」
唐突に奪われてしまった日常の代償は、計り知れない。
当時の絳樺は何を言っても反応がなく、ただ泣くだけだった。
紅珠と朱洸もどうすればいいのか分からず、
ただ寄り添って一緒に泣いた。
「頭が回る様になって、すぐに戻ろうとした。
けど家から出すのは危険だって…そりゃそうだよね。
行き先なんて分かり切ったものだし、尚更ね。
ご夫婦には本当に迷惑をかけちゃった、今だからそう思える。
引き止めるご主人に全力で抵抗して、酷い言葉も沢山言った。
必死過ぎて記憶が曖昧だけど、悲しい顔だった事は覚えてる。」
「…無理も、ないと思うよ。
ご夫婦だって、分かってくれてるんじゃないかな。」
「ふふ、優しいね浅葱は。
いいんだよ、酷い事をしたのは事実だから。
それに、結果を言うと私は戻ったから。」
「…戻れたの?」
「道は曖昧だったけど、2人が覚えてくれてた。
いざとなれば鼻も効くし。
夜、隙を見て窓から抜け出した。」
もちろん靴なんてなく、裸足のまま走り出した。
初めは記憶を頼りに、走り続けた。
しかしあの時は雪雫や雨月の力があって走り続けられた。
実際子どもの体力など底が知れている。
息を切らし、すぐに立ち止まってしまった。
それに何も考えず飛び出して来た為、辺りは灯り1つない暗闇。
どこまでも続く深い闇に、身体ごと飲み込まれそうな感覚に陥る。
まだ幼い子どもで、心も身体もボロボロな状態。
「どうしようもなく胸が苦しくて、泣き叫びたくなった。
そうすればもしかしたら、来てくれるんじゃないかって。
私を呼んで、どうしたのって笑って、強く抱き締めて欲しかった。」
壁の一点を見つめる絳樺の瞳が、大きく揺れた。
無意識に、紅珠と朱洸の手を握り締める。
2人は不安げな絳樺を安心させるかの様に、
更に絳樺に身を寄せる。
「そしたら急に、腕にある雨月のアザが痛み始めた。
気配だけで何ともなかったのに、熱を持って腫れたの。」
突然の事に驚いた絳樺は泣きそうだった事も忘れ、
慌てて腕を確認する。
狐姿だった2人も絳樺の慌て様に驚き、
人の姿に代わり絳樺を囲んだ。
腕にある白蛇は熱を持ち、痛々しい色に変わっている。
遠くにあったはずの気配は濃さを増し、
絳樺の心は不安と恐怖に染まる。手が、足が、震える。
「けどすぐに、冷静さを取り戻せた。
行く先へ風が吹いて、はっとした。」
『私は、何に怖気付いてるんだ。』
冷たい風が腕を撫でて、絳樺はまた走り出そうとする。
すると後ろから腕を引かれる。
『お待ち下さい、絳樺様。』
朱洸はそう言うと、九尾に姿を変えた。
紅珠が手を取り、背中に乗る。
絳樺の身体を案じての事だった。
絳樺が振り落とされない様、紅珠が後ろから抱き締める。
絳樺の身体に負担の少ない、出来る限りの速さで走る。
人の足よりずっと早いがやはり距離はある。
出発時間が遅かったのもあり、到着したのは真夜中だった。
月明かりのみ、辺りは真っ暗。
辺りを探そうと1歩中へ進むと、絳樺は膝から崩れ落ちた。
「涙どころか、声も出なかった。」
確かにあったはずの家も、みんなも、何も無かった。
文字通り、何も無かった。ただの平地が、無言で佇んでいた。
すると絳樺を囲う様に煙が現れ、雨月が出て来た。
雨月は無言のまま3人に目もくれず、辺りをうろつき始める。
紅珠と朱洸は放心状態の絳樺の代わりに辺りを探したが、
やはり何ひとつ残っていなかった。
『襲撃して来た奴がわざわざ、
ここまで跡形もなく痕跡を消す意味はなんだ。』
『家の破片どころか、血痕ひとつ残っておらんの。』
朱洸は手を口元に当て、渋い顔をする。
紅珠は不気味な現場にため息をつき、雑に頭をかいた。
腰が抜け立ち上がれなかった絳樺を優しく抱き上げる紅珠。
見ていないところと言えば、最後に雪雫と別れた場所。
雨月にも一応声をかけたが返事はなく、
3人で移動する事にした。
絳樺は抱きかかえられた状態で、
紅珠の首元にしがみつく。
嫌な霧が、絳樺の思考を覆った。そしてそれは、的中する。
『……………これ、って、』
『絳樺様っ、あまり目視しない方が…』
慌てて朱洸が絳樺の視界を遮るが、もう遅い。
こびり付くように記憶に残って消えない、赤。
どくん、心臓の音が嫌に耳に響く。
「大きな血溜まり、乾いて少し黒くて生々しかった。
雪雫くんは居ないんだって、現実だった。」
両目いっぱいに涙が溢れ、すぐにその光景も見えなくなった。
息の吸い方が分からなくなり、頭も痛い。
パニックになり過呼吸を起こした絳樺を1度地面に下ろし、
2人で背中をさすって口元を抑えるがなかなか治まらない。
苦しむ絳樺にどうすればいいのか分からず、
焦る気持ちばかりで2人も半パニック状態に陥る。
紅珠は涙目で朱洸に助けを求める。
背中に冷や汗を感じ、必死に思考を巡らせる朱洸。
『……落ち着け。』
「知らないうちにそばに来てた雨月くんが、
私の鼻と口を塞いでくれて何とか治まった。」
気力のない声に、辺りを探し回っていた為少し汚れた手。
元々体温の低い雨月の手は、いつもよりずっと冷たい。
その手はすぐに離れて、絳樺は咳き込んだ。
驚いて動きが止まっていた2人もすぐに背中をさする。
「その後雨月くんは何も言わずに引っ込んじゃって、
以降姿を見てない。うっすら気配だけはあるけど、返事もない。
最初は心配で何度も声をかけたけど、
私なんかと話したくない訳ないって、気付いてすぐにやめた。」
「話したくないって、そんな事…」
「あるんだよ。他でもない私が居たせいで、
雨月くんは、雪雫くんと離れちゃった。
私のせいで、1番大切な人を失ったんだ。」
「絳樺様、それ以上は聞き逃せません。
自分を卑下するのは…」
突然2人が起きたかと思うと言葉を遮る朱洸。
紅珠は何も言わず、絳樺の手に顔をすり合わせた。
獣姿のまま絳樺を見上げる朱洸に、
絳樺はただ黙って苦笑いをした。
話しているうちに随分遅い時間になってしまった。
明日は早くにここを発つ。
浅葱のベットサイドの灯りだけつけたまま、
それぞれベットに横になった。
浅葱は暗闇が少し苦手で、灯りがないと落ち着かない。
絳樺に話すと、小さな灯りを快諾してくれた。
暗闇に居ると暗い気分になり、
そのまま飲み込まれる様な感覚になる。
目を閉じて、絳樺の話を思い出す。
浅葱の知っている絳樺は心優しく笑う女の子。
だがそんな過去を背負った彼女に、自分が出来る事。
絳樺は弱くない、メンタル的にも能力的にも。
それでも力になれる事があるのなら…。
そんなことを考えながら、いつの間にか眠っていた。
窓から差し込む太陽の光で、目が覚めた。
「おはよ、ご飯用意出来てるからおいでだって。」
「おはよう。分かった、ありがとう。」
着替えを済ませ、リビングに顔を出した。
ご主人は先に席に着いていて、奥さんは朝ごはんを並べていた。
みんなが席に着いたところで、手を合わせる。
他愛もない話をしながら、朝ごはんを済ませた。
夫婦は笑って浅葱たちを見送った。
「千草さんのご家族は、
銀製品を扱ったお店を営んでるんだよね?」
「そうだね。でもそれ以外情報がない。
聞き込みして手当り次第当たるしかないかな…」
「いいじゃん、やろう!情報は多くて困らないからね。」
大人数は動きにくい為、紅珠と朱洸は内側に戻る。
2人で色んな人に聞き込みをして回った。
銀製品と言えば手入れも大変で、日常生活ではあまり使われない。
その為店も少ない様で、そもそも関連する情報が出てこない。
1つ情報が出てくれば展開は大きく変わりそうだが、
そう上手くはいかない。
街を変えようかと思った、その時だった。
「銀製品ねぇ、1店だけ知ってるが…」
「ほ、本当ですかっ!?」
何気なく寄った店に居た客は、住所と簡単な地図を描いてくれた。
やっと得た情報だが、千草の家族かは分からない。
ここから少し遠く、行くまでも時間が掛かるだろう。
「行こう!違ったとしても銀製品を扱うお店なら
何か分かるかもしれない!」
「あぁ、他に情報もないし。…行って損はない。
けど絳樺は、いいの?」
「うん?」
一緒に来たところで、絳樺にメリットはない。
一緒に居ると決めたものの、
自分だけの為について来て貰うのも気が引けた。
浅葱の思考に気付いた絳樺は、にっこりと笑う。
「な〜に言ってんのっ!行くに決まってるじゃん!
私の件は聞き込みをしたところで、情報がある訳じゃない。
だから出来るだけ多く、色んなところに足を運ぶしかない。
もしかしたら私を見つけて襲って来るかも。
1番手っ取り早くて助かるけど、まぁそう簡単にはいかないし。
浅葱こそ、私と居る事は危険に晒されてるんだよ。
分かってるの??」
「ははっ。なら、今さらだね。
僕はこれからも、命を常に狙われ続けるんだから。」
お互い顔を見合わせて、笑う。早速目的地に向かって歩き始めた。
まだ見えぬ未来に、不安がない訳じゃない。
それでも以前の様に、隠れてやり過ごそうとは思わなくなった。
急激に強くはなれないし、狙われなくなる事もない。
ただ、良いんじゃないかと思った。
今まで目を逸らしてきたものは、どれも綺麗である事を知った。
絳樺の隣なら、もっと沢山。
「…生きてるなら。」
「ん?何か言った?」
「ううん、何でもない。」
街から少し離れ人気も少なくなってくると、
紅珠と朱洸が獣姿で出て来た。
寝る時は小さい獣姿だが、今は大型犬よりずっと大きい獣姿。
紅珠は絳樺のすぐそばを歩くが、
朱洸はみんなの少し前を歩いている。
少し気が立っている様で、周りを警戒しているらしい。
「この時は何言っても聞いてくれないから、
好きにさせてとくのが得策だね。
警戒してくれるのは悪い事じゃないし。」
「なるほど、扱いに慣れてるね。」
「ふふ、昔はこうもいかなかったよ。
何度も頬や手に怪我させられたし、喧嘩もした。
2人とも元気過ぎて、手に負えなかったもん。」
笑って話す絳樺だが、2人は知らん顔している。
絳樺が折れずに寄り添ったから、今の信頼関係がある。
相変わらず2人には嫌われているが、やり取りひとつが微笑ましい。
休憩を挟みながら草原を歩いて行くと、次第に太陽が傾き始める。
野宿を覚悟していたが、太陽が沈み切る少し前に街に着いた。
だがすぐ夜になってしまった為、
探すのは明日にして、泊まる宿を探す。
安価な宿はすぐ見つかり、早々に身体を休める事が出来た。
「たくさん歩いたから疲れたね〜!!
早く寝て、明日また聞き込みからだね!」
「そうだね、今はゆっくり休もう。」
近くの店で夕食を済ませ、部屋で各々自由時間を過ごす。
絳樺は机に向かい、書きながら何か考え事をしている。
浅葱は特にする事なく、
部屋に置いてあった本片手にベッドでくつろいだ。
託されたものはいつか、考えなかった訳じゃない。
ずっと胸に引っかかっていた。
だがその場その場が精一杯で、結局行動に移せずに居た。
…現実から逃げているだけの、言い訳かもしれないが。
絳樺と出会ってから随分、物事の見え方が変わった。
人の優しさに触れた。数分後ですら、どうなるか分からない。
不安は変わらない、でも前よりずっと息がしやすい。
こんなに心穏やかな夜は、初めてだった。
翌朝すぐ宿を後にして、街に出た。
街はとても賑やかで、多くの人が行き交っている。
あちらこちらで客引きの声がする。
周りのものや人に視線を奪われながら、聞き込みをして回った。
「銀製品?友人が家族でやってる店なら知ってるよ。」
「本当ですかっ!??」
昼休憩に寄った軽食店のマスターは、
親切にお店の場所を書いた紙をくれた。
ようやく、そう思うと心なしか手が震えた。
家族でやっているのならより、可能性は高い。
「緊張してる?」
「…少し。」
現実味を帯びてくると、途端に緊張が増してくる。
嫌な冷や汗が背中を流れる。青ざめる浅葱を気遣い、
絳樺は明るく接するがその声も耳に入っていない。
場所はそう遠くなく、道も単純ですぐに着いた。
しかしお店の前まで来て、人気のない事に気付く。
近付くと扉に張り紙を見つけた。
「出店?で広場に居るみたいだね。すれ違いになっちゃったかな。」
今日はイベントが広場で行われているらしく、
広場にて出店をやっているらしい。
ここに来るまでに1度通り、様々な屋台を見かけていた。
道を戻り、沢山の屋台の中からそれらしき人を探す。
思ったより人が多く、賑わう広場。
辺りを見渡していた時、喉の奥でヒュっと呼吸音が鳴った。
焼き付くほどに見慣れた、あのピアス。
その子の笑顔に、彼の面影が重なる。
鼻の奥がツンと痛み、無性に泣きたくなった。
「…え、絳樺っ!?」
見つけたと声を出す前に、強く腕を引かれる。
絳樺はそのまま逆方向に走り出した。
小声で紅珠と朱洸を呼ぶと、
小さい獣姿で現れ人混みに紛れながら散って行った。
「ごめん、緊急事態。
早くここを離れなきゃ周りの人が危ない、!」
「…あ。」
振り返る絳樺の目線を追うと、
黒い影が人混みをかき分けて向かって来る姿が視界に映る。
それが何なのか、すぐに分かった。
浅葱は1度しか会っていないが、確信出来る。
何故このタイミングで…。
後ろ髪を引かれる思いの中、絳樺の後を黙って走った。
攻撃を仕掛けて来るが、紅珠と朱洸が上手く弾いている。
振り向き遠く見えるあの子に再会を誓いながら、前に向き直る。
今はとにかく、ここを離れる事が最優先。
周りの人に何かあれば、それこそ顔向け出来ない。
千草の顔に、泥を塗るような真似をしたくない。
大切な、唯一の友人。…今まで散々逃げて来た。
彼の死からも、自分の体質からも。
ちゃんと向き合いたい、会って話したい。
千草の生きてた時間を、見ていたものを全部。
知ってる限りを伝える事が、今出来る最大の償いだから。
「…待ってて、千草。」
逃げてごめん、けれどやっと決心出来たんだ。
もう一度、向き合わせて。