ここから。
とある港街、よく晴れた日の出来事。
街は人に溢れ、あちらこちらに声が響く。
「は、…はぁ、」
「おい、向こうだ!」
栄える人の流れに逆らって、走る少年。
ミルクティー色のマントを纏う少年は、
そのフードを深く被る。
しかし向かい風によりフードが舞い、
グレーの髪があらわになった。
顔はスカーフでしっかりと覆われ、
確認出来るのは白い肌に長い前髪から覗く、
スカイブルーに輝く瞳。
少年は慌ててフードを被り直し、路地裏に逃げ込む。
土地勘の無い街において、それは命取り。
「っ!?まずい…」
「おいっっ!居たぞ!!」
行き止まり、すぐ後ろには追手。
レンガ調の壁に手をかけれそうな場所はなく、
登るのは困難。すぐに捕まってしまう。
振り替えると近付く追手が見える。
少年は腰に差してある短剣に手をかける。
焦りと迷いから、手には汗が滲む。
覚悟を決め、短剣を抜こうとしたその時。
「避けてっ!」
「!!?」
頭上から声がし、咄嗟に後ずさった。
壁に背中を勢いよくぶつけながら上を見ると、
太陽に照らされたワインレッドが目を惹く。
壁に囲われたはずのこの場所に、少女が降って来た。
“降って来た”少女は、
少年と似た様なマントを身に纏っている。
華麗に着地してみせると、躊躇なく追手に向かって行った。
少女より遥かに大きな男たちに怯む事なく、
手にしていた短剣1つで瞬く間に倒してしまう。
小柄な少女のその動きはまるで、可憐に舞う蝶の様。
少年は驚きのあまり、その場に座り込んでいた。
少女は短剣を仕舞い、呆然としている少年の前に立つ。
目に入ってきたワインレッドは、
肩ほどまである髪の色だった。
血液の様な色をした“ふたつめ”が、少年を見る。
少女はスカーフを顎下に押さえながら、
少年に手を差し出す。
固まっていた少年は、恐る恐る手を掴む。
手が重なると勢いよく引き寄せられ、少年は立ち上がる。
少女と少年の距離は、数センチとない。
慣れない異性との近距離に、
少年の白い肌が少し赤みがかる。
少女はじっと少年の顔を見た後、数歩下がった。
「ごめん、近かったね。大丈夫?」
「あ、えっと…」
「大丈夫なら悪いけど、移動しよう。」
少女はちらりと倒れている男たちに目をやる。
唸る男たちは、いつ目を覚ますか分からない。
少女は男たちの急所を狙い、気絶させていた。
少女は少年の手を取る。
「しっかり、ついて来てね。」
「え、ちょっ!?」
少女は笑うと少年の手を引きながら、
勢いよく壁を駆け上った。
人並外れた、桁違いの運動能力。
もちろん、少年にそんな運動能力はない。
「う、うわあああああ!!!!」
「あははっ、大丈夫だよっ!」
何を根拠に言うのか、少女は笑っている。
すごい力で上に引き寄せられた少年の身体が宙を舞う。
足を必死に動かすのがやっとで、今どうして自身が
壁を駆け上がれているのかも分からない。
壁を駆け上がった勢いで空高く跳び、
屋根の上に華麗に着地する少女。
「あ、ごめん…。着地までは考えてなかった。」
「いったぁ…。あ、いや大丈夫です、すみません。」
少年は重力のまま、屋根の上に投げ出されていた。
思わず声に出した事を後悔する少年。
せっかく助けてもらったのに、文句を言うなんて。
少女は倒れている少年の前にしゃがみ込む。
「あれ、おかしいな。
さっきまでここ、切れてなかった?」
「…!?」
少女が左の頰を指差し首を傾げると、
反射的にその手を振り払った。
逃げている時か、少年は身に覚えがない。
少年がその指摘に、焦ったのには理由がある。
少女はそんな少年の表情を見て、思い当たる。
少女がもう1度、少年の頰に手を伸ばした時。
「やぁっと、見つけた。」
「目ぇ離すと、こうなる。」
一瞬煙が少女の周りに出現したかと思うと、
其処に現れたのは人間の形をした“怪異”だった。
見た限り、少女の“連れ”である事は確か。
一方は透き通る程白く底につきそうな程長い髪。
少年から見て右側の顔横の1束が、
少女の目色によく似た紐と編み込まれている。
後は髪同色の獣耳が頭に2つ。
和服を纏う身体から、髪と同色の尻尾が9本。
もう一方も似た容姿をしていたが、肌色と髪型が異なった。
先程の者は消えそうな程白い肌なのに対し、
薄らと焼けている。髪は同色だが腰上程までで、
少女の目色によく似た紐で1本にまとめられている。
髪色のせいか。その2つの紐は、妙に輝いていた。
両者伏せ目がちで、白く長い睫毛が強調されている。
和服も少し仕様が珍しく、上半身は白く袴は黒い。
和服の紐は髪の長い方が金色、束ている方は銀色。
「紅珠、朱洸。」
「怪我はないか?本当に絳樺はお転婆で困る。」
「絳樺様、我らから離れないでくださいと、
何度言ったら…。」
「あ〜、ごめんごめん。
気付いたら、身体が先に動いてたんだ。」
問い詰める両者の頬を自身の顔に引き寄せ、
撫でながら呆れ笑うの少女。
少女の名は絳樺。
髪の長い方が紅珠、
束ねている方が朱洸という名らしい。
絳樺の使い魔の様だが、少年の身体は震える。
使い魔から発せられている、力の強さ。
少年の目は3者に釘付けになり、動けなくなった。
通常使い魔を付ける場合。人間1人に対し、1体。
2体ともなると相当の体力を消耗すると共に、
それらを操れるだけの力量と精神力が求められる。
そう易々と、成せるものではない。
それに加えて、この力の強さ。
先程の絳樺の運動神経もそう。
見た目は少年と変わらぬか、下にすら見える。
そんな子に仕える様な、怪異のレベルではない。
大の大人に仕えていて、おかしくないレベル。
怪異の力は、従える者の力と比例する。
従える者が強くなれば、怪異もまた強くなる。
少年は目には見えない、絳樺の“強さ”に、
本能が警報を鳴らしていた。
「それが、其奴か。」
「まぁまぁ、怪我もなかったんだし…。」
「紅珠、口の聞き方には気を付けろ。
何度言わせたら分かる。
そして絳樺様。お言葉だが、それは結果論。
怪我をせぬ様、動かない様にと申したのです。
まだ前の傷も癒えておらぬのに。」
ぎろり。透き通るレモンイエローの目が、少年を映す。
紅珠は黙ったまま、少年を睨む。
朱洸に至っては少年を見もしない。
口調を咎められた紅珠は嫌そうな顔で、
縮こまりながら絳樺の腕にしがみ付く。
怪異は両者とも背が高く、2メートル近くはある。
絳樺は背が高い方ではない。
より一層、紅珠と朱洸が大きく見えた。
しかし両者とも痩せ型で、慣れればそれ程の威圧感はない。
力の強さの圧は、別格だが。
「も〜、ちょっと待って。
彼を置いてけぼりにしないで。」
両者の顔を押し退け、少年に歩み寄る絳樺。
少年より遥かに身長の低い絳樺は、
少年の顔を覗き込む様にして顔を見上げる。
近い距離に思わず頬が染まってしまう。
「話の途中だったね、君のその傷の癒え方。
いつかの本で、読んだ事がある。」
「!…何が、言いたい。」
「あれ、言っていいの?」
妖しく笑う絳樺に、恐怖を感じた。
思わず後退り、距離を取る。
しかし逃げようにもここは屋根。
都合良くはしごがある訳なく、少年に降りる術はない。
飛び降りて仕舞えば早い話だが、骨折で済めば良い方。
「…あ、ごめんなさい。
怖がらせたい訳じゃなくてね。
その、あまり人と関わる機会がなかったから。
加減が分からなくて。」
「…?」
「んんっ。初めまして。
私は絳樺、訳あって旅をしてるの。
君の、名前を教えて。」
「…浅葱だ。」
「浅葱?素敵な名前。」
絳樺は笑って、浅葱の手を取る。
こうして、2人は出会った。