第75話 源為義⑤─源義朝─
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藤原摂関家に仕えてから、俺は生まれ変わったように働いた。
門や太閤殿下のお出かけの警護、そして屋敷の掃除といった雑事まで、必死に頑張った。地道な努力のおかげもあってか、摂関家の推挙もあって検非違使の役職に就くことができた。もちろん、持ち前の強さと家柄の良さで新院にお仕えするようになった忠正には出遅れてしまったが。
そして義朝、嫡男であった義賢が生まれた。
貧しくとも後継者にも恵まれ、コツコツと生活をする。人生で一番人間らしい生活をこのときしていたのだ。
俺には多くの息子がいるが、義朝だけはどうしても好きになれなかった。小柄なところは父親である俺に、顔立ちがいいところは母親に似ている。これだけだったら、俺はかわいい息子の一人として愛せた。だが、義朝の性質は、祖父に似てしまった。
それがよくわかったのは、義朝が5つのときのこと。
俺は剣術の稽古をつけていた。
30になったばかりのオジサンと5歳の幼児。力加減や体の大きさ、知恵や経験からして、誰がどう見ても30になったばかりのオジサンが勝つことは目に見えている。それゆえ、俺は気絶しない程度に、痛くない程度に、打ち込んでいった。手加減をしていたのだ。
普通、互角に打ち合うか俺が勝つであろう。だが義朝は、器用に俺の剣をよけて、俺の喉元に木刀の切っ先を突き付けてきたのだ。
「参ったか」
幼児とは思えないほど強い気迫で、義朝は首元で木刀の切っ先を寸止めした。
「参りました!」
俺は降参した。だが、やられてばっかりでは、父親としての体面が保てない。
「それじゃあ、次はもっと強くやっていくぞ」
俺と義朝は、再び木刀を持って、構えた。
次は少し強めに義朝に撃ちかかった。
力強い一撃を全力で受け止めようとする義朝。先ほどよりも強く打ち込んだせいか、手が震えている。
だが、2合もせずに、義朝は俺の首元を右袈裟に打ち付けた。
「強いな、源太」
だが、不満そうな表情で義朝は、
「父上、これだけでは足りない。もっと本気を出せないでしょうか?」
と言った。
心の奥底では好きになれなくても、源氏の血を、しかも俺の血を引く一人息子。怪我をしてもらってほしくない。
「源太。大人をあまりからかうものじゃないぞ」
「俺は本気です」
このときの義朝の目は本気だった。こういう生意気な餓鬼にはお灸を据えてやる必要があると感じた俺は、全力で義朝に撃ちかかった。
受け止めきれない、と感じたのか、義朝はそれを紙一重でよける。
「速い」
先ほどまで汗をかいていなかった義朝は、額に汗を浮かべながらつぶやいた。
子ども相手に大人げないが、俺は、勝てる、と直感した。勢いに乗って、激しく打ち込んでゆく。
追い詰められてゆく義朝。先ほどの自信に満ちた表情とは裏腹に、どこか不安や焦りのようなものが見える。
「もうこれで生意気な口をきけなくしてやる!」
築地まで追い詰めた俺は、とどめを刺そうとした。
何を思ったのか義朝は、俺の脇腹を目がけて思いっきり打ちかかったのだ。脇腹に義朝が放った重たい幼児とは思えない一撃が走る。立っているのも限界だ。
「5歳の餓鬼に、もう先を越されるとはな……」
そうつぶやき、俺は倒れた。
極めつけは、義朝が9歳のときの兄弟げんかでのこと。些細なことで喧嘩になって、弟の義賢を半殺しにしたのだ。
「源太。どうして源二にこんなことを?」
顔は痣だらけで、頭からは血を流し倒れこむ義賢。
「どうしてって──。決まってるじゃないか。俺を怒らせたから、わからせようとしたんだよ」
義朝の言動に狂気を感じた俺は、
「源太、お前はもう俺の子じゃない。出ていけ!」
と強い口調で言ってやった。そして寝ているときにこっそりと捨ててきた。
だが、平家に保護され、源太を捨てたことを家貞に咎められた挙句、検非違使に報告までされたのだ。
義朝の恐ろしさを知っている俺は、母親の生家で育てることに決めた。
公家の家で育てれば、あの野獣のような性は多少抑え込めるかもしれない。もう義朝と暮らしたくない。あの祖父と暮らしているようでならない。
だが、母親の生家の家長は、義朝の資質を見込み、我が源氏の惣領家に猶子に出してしまったのだ。
惣領やその郎党たちから教えを乞い、どんどん強くなってゆく義朝。
義朝の話を妻から聞いていると、強くなりすぎて、いつか弱すぎる父親である俺を殺してしまうんじゃないか、という不安が俺の心の中にうっすらと芽生え始めた。その不安は年を追うごとにどんどん強くなってゆく。
2
義朝が15になったときに事件は起きた。
郎党たちが揉め事を起こした責任を負わされ、検非違使と摂関家の仕事を謹慎していた俺は、一人酒を飲んでいた。
「何で俺ばかりこんな目に遭わなきゃいけないんだ。みんな郎党共の責任だろうに」
理不尽だ。俺がやったことじゃないのに、全て俺のせい。責任なら事件を起こした郎党に全て負わせればいいのに。
むしゃくしゃしていた俺は、荒れた庭に向かって瓶子を思いっきり投げつけた。
徳利は放物線を描き、庭で遊んでいた小姓の頭に当たって豪快な音を立てて割れた。
小姓の頭からは血が流れ、そのまま倒れた。
次の酒を飲もうとしていたとき、帰ってきていた義朝が出てきて、小さな声で、
「親父がそういう目に遭わなきゃいけないのは、こうやって毎日酒ばかり飲んで、ろくに仕事もせず、文句ばかり垂れてるからだろうよ。そりゃあ、郎党たちだって、心が離れていくよ」
とつぶやいた。
痛いところを突かれた俺は、襟裾を強くつかんで、
「よくもガキの分際で偉そうなことを言うな!」
庭へと投げ飛ばした。
義朝は受け身を取って立ち上がる。
「俺は道理に叶ったことを言っただけだ」
「例えお前が言っていることが道理に叶っていようが、俺とお前は親子。どちらの言っていることが正しいか、お前にはわかるだろう? わからないなら、ここで死ね!」
俺は背中に背負っていた鬼切丸の大太刀を抜いた。
久しぶりに抜いた鬼切丸。その刀身には赤茶色の錆がたくさんついていて、家督を継いだ少年のときのような輝きを失っていた。刃こぼれも目立つ。以前の姿を知っている者であれば、本当に鬼の首魁を斬った刀なのか? と首をかしげてしまうだろう。
「わかったよ。なら、この場で死んでやる」
仁王立ちをして、義朝は俺の前に立った。
「鬼切丸の錆となれ!」
酔いに任せた俺は鬼切丸を大上段に構え、義朝に斬りかかろうとした。
「父上、落ち着いて!」
たまたま通りかかった義賢は、俺を押さえつけた。
「おい義賢、何をする?」
「こんなことしても、源氏は変わらない」
「だから何なんだ? 道理に叶っていれば、俺の言っていることは、無視していいのかよ?」
俺はわめき散らした。
義朝は倒れた小姓の頬を触った。
小姓の頬は青白く、冷たくなっている。
「かわいそうに……」
死んだ童子に手を合わせ、義朝は俺の方を向いて言う。
「俺はこの家を出る」
「おい兄貴、これ以上父上を刺激するなって」
「おう、義朝、お前は俺の子じゃない、勘当だ!」
「望むところだ」
義朝は三歩進み出た後、頭に血が上った俺を止める義賢に向かって言った。
「命助けてくれて、ありがとな」
「おい、兄貴も頭冷やせよ」
「今生の別れだ、じゃあな」
手を振って、義朝は家を飛び出していった。
風の噂で聞く限りでは、義朝は関東に下り、かつて俺の郎党であった広常や義明、そして叔父の兄弟の子息である新田や足利家を配下に置いたと聞いている。
かつて、青年だった俺の目の前から姿を消したものは、全て義朝のものになっていた。




