第73話 源為義③─明暗─
1
仇討ち、という生きがいを無くした俺は、これからどう生きて行けばいいか、わからなかった。
心の中にぽっかり空いた穴を埋めるように、俺は日々の仕事に力を入れる。そんな暮らしを送っているうちに、8年もの月日が流れていた。
周りの仲間たちは、さも当然かのように蔵人や五位の位に就いていた。
対する俺は、14のときの官位のまま何も変わっていない。
同じくらいの家格を持つ同年代の仲間たちが蔵人になったり、貴族の仲間入りをしたりしているのを見ていて、俺は微妙な気持ちになっていた。
うれしいけれど、どこか妬ましい。
見送る側になって、俺は、
「このまま出世もせず、朽ちていくのかな」
と思った。
自分には忠盛のように院に寄進をする財力もなく、圧倒的な強さがあるのかと言えば、それもない。家貞や常澄、義明のように、誰かの郎党であるわけでもない。
圧倒的に、俺には何もないのだ。
何もない人間には、何もないなりの生き方がどこかにある。そう思うこともあるけれど、棟梁になった自分に、そんな弱音を吐ける相手はどこにもいない。
もし仮に誰かに弱音を吐いてしまったところで、
「一家の主が弱音を吐くもんじゃないよ!」
「何もない? バカ言え。お前は家を継げているじゃないか。それだけでもありがたいことだと思いなさい」
と言われてしまうのがオチだろう。だから、誰かに助けを求めるとか、話を聞いてもらうとか、そういったことがとても怖くてできない。相談した人からどんな罵声を浴びせられるか、考えただけでも恐ろしくて身震いがする。
棟梁であるはずの俺が鬼切丸に選ばれなかったのは、ふさわしい実力が無かったのもある。だが、大きかったのは、こうした弱気ですぐ誰かと比べてしまうところ、そして誰かを信じようとすることができない臆病さ。今になって、そう思うことがよくある。
2
何もない俺と持っている忠盛。それがはっきりとわかる出来事が、23のときの雨の夜に起きた。
この日白河院は、白拍子の愛人祇園女御が住む屋敷へとお通いになられた。
その帰り道、曲がり角を曲がろうとしたときに、笠を被った人物がこちらへ近づいてきた。笠を被っている人物は光っていて、右手には小槌のようなものを持っていた。
「オイ、みんな。あれが噂に聞く鬼じゃないよな? 光ってるし、右手に小槌をもってるし」
人がほとんど通っていない深夜帯に、突如現れた光る笠男に俺は恐怖感を覚えた。
隣にいた家貞は、
「為義殿、源氏の武士が、鬼ごときで怯えるでない。しっかりせい」
と励ますように肩を叩いた。
「忠盛よ」
牛車に乗っていた白河院は、側にいた忠盛に声をかけた。
「院、いかがなさいましたか?」
「あの光っている物怪を射殺せ」
白河院は命令した。
困惑した表情で忠盛は考えたあと、首を横に振って、
「院、冷静になってお考えください。もしかしたら、ただの人間かもしれません。殺したあとにそれがわかったら、どう責任をお取りになるつもりで」
と断った。
帝よりも権力を持っている院。その命に背くということは、大罪に当たる。
何かを考えたあと、白河院は、
「好きにしろ」
と忠盛に全てを任せた。
前に進み出て、忠盛は右手で光るモノの腕をつかみ、左手で首を押さえつけたとき、
「痛い! お命だけはお助けを」
枯れた老人の痛そうな声が響き渡った。
鬼ではない、と判断したのだろう。忠盛は手を放した。
笠を被った光るモノは、こちらを振り向いた。その正体は、ボロボロになった墨染の法衣を着た、70ほどの老僧だった。
「イテテ……そこの若いの、もう少し年寄りをいたわらんか!」
老僧は怒鳴り付けた。
「すいません」
「鬼じゃなくて良かった」
俺は少し、ほっとした。仮に鬼だったら、ここにいるみんなが喰われていた。
鬼切丸があるから切れるじゃないか? と思うかもしれないが、俺はこの大太刀に選ばれなかった。源氏の棟梁であるというのに。
「ほれ、後で殿にしっかり礼を言うのだぞ」
「待て、そこの老爺」
その場を去ろうとしていた老爺を、白河院は引き留めた。
老爺は白河院の方を振り向く。
「はい」
「お主、夜の京に明かりを灯す坊主だな」
「もしかして……、い、院!」
目の前にした老人は、目の前にいる高僧が白河院であることに気づき、慌てて平伏した。
「お前のおかげで、夜の都の平和は保たれている。職務を怠慢することの無いよう」
「お言葉、ありがとうございます!」
感激している老人に、白河院は、早く行け! と一喝した。
治天の君に言葉をかけられたことが嬉しかったのか、老人は軽い足取りで走り、行燈の明かりを灯しに行った。
老人が去ったあと、白河院は、
「忠盛よ、そなたの冷静な判断で、私は殺戒を犯さずに済んだ。礼として、私の愛人祇園女御をやろう」
忠盛の前で頭を下げ、感謝の意を述べた。
突然治天の君に頭を下げられ、困惑する忠盛。
「そんな、恐れ多いことを」
「ただし、条件がある」
「条件とは?」
「祇園女御は私の子供を宿している。生まれてくる子供が女であったなら、私に返してもらいたい。男であったなら、お前にくれてやる。その代わり、立派な武者に育てよ」
「承知いたしました」
その後、白河院は祇園女御を正室として下賜した。だが、お腹の中にいた子が流産してしまった。これでは恩賞の意味がないということで、同じく白河院の皇子を身ごもっていた祇園女御の妹を下賜し、平家に輿入れさせた。
一連の忠盛の慶事を聞いた俺は、心の中で、
「忠盛が白河院から貰い受けた皇子が女子でありますように」
と必死に祈った。
己の意のままに振る舞う白河院。だが、言ったことは絶対に守るので、生まれてくる子が女子だったら、必ず返すように仰せられるだろう。
だが、いつものように、現実は俺に非常であった。忠盛が白河院から下賜した祇園女御の妹が身ごもっていた男の子は、男子だったのだ。
北面の同僚たちは、そんな忠盛へのお祝い一色だった。
表向き、俺は忠盛の慶事を祝っていた。だが、内心では自分の自尊心がズタズタに引き裂かれていた。なぜ同じ家格の家に生まれつきながらも、どうして御仏はここまで忠盛に与えるのか? それを思うと、ただただ悔しくてならなかった。
3
その次の日、俺は院に呼び出された。
「院、このようないち北面の武士お呼びして」
突然の呼び出しの理由を、俺は聞いた。
簾越しに白河院は、淡々とした口調で呼び出しの理由について話す。
「お前は源氏の棟梁だというのに、大した働きもない。もう北面の武士なんて、辞めてしまえ」
「そ、そんな。私は院の御所を必死でお守りしてきました。どうか、罷免だけはお取消し願えませんでしょうか」
突然の罷免に、俺は取り消すように言った。
土下座した俺の姿を見た白河院は、
「このたわけが。そんなこと、誰にだってできる。北面の武士に無能はいらない。八幡太郎義家の孫と聞いて入れたのに大した活躍もないとは。老いて曇った自分の目を信じて損だった」
大きな口を開けて、嘲笑った。
白河院の宣言が受け入れられない俺は、何度も考え直すよう申し上げた。おでこに当たった土に跡ができるほど激しい土下座をしながら。
俺の必死の頼みを、白河院は何も言わずに、足音と衣擦れの音を立てながら去っていく。




