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とある魔物討伐クランの活動記録  作者: 良田めま
第一話 少年戦士の水晶花
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4. 覚悟

 気づけば、雨が降り出しそうな灰色の空。さっきまで綺麗な青空だったのに。

 なんとタイミングの悪いことか。まるで、自分の心を映しているみたいじゃないか。よく磨かれた鏡のように。


「泣ける」


 乾いた頬に、ひゅうと風が吹きつける。

 言葉とは裏腹に、涙は一向に出てこない。

 涙どころか、感情が動かない。

 悲しくも辛くもないのだ。

 空っぽ。

 終わったとはこういう状態を言うのだと、ディーノは改めて思い知った。


 そう。「終わった」のは今回が初めてではない。


 6歳くらいの時だろうか。幼かったので、よく覚えていないが。

 住んでいた村の近くに魔物が出て、ディーノはそいつに殺されそうになった。

 その時、生まれて初めて「終わった」と感じたのだと思う。

 幸い、当時村に滞在していた魔物狩りの少女が、ピンチに颯爽と現れて助けてくれた。偶然の出来事だと思っていたが、おそらく少女を含めた魔物狩りの人たちは、村の依頼を受けて退治に来ていたのだろう。

 記憶の中にある少女は、今の自分と同じくらいの年だ。小さな背中がとても大きく見えて――格好いいと、心底憧れた。その時から、魔物と戦う戦士となる夢は自分の中に朧気にあった。


 その次に「終わった」のは、もっと後になる。具体的には六年後。今から三年前。数え年で12の時。

 大好きな母と姉が、腐敗した代官の息子に連れ去られたのだ。


 先代の領主は立派とは言えないまでも、そこそこ平穏な政治を敷いていた。裕福ではないけれど、家族四人が食べる分には不足ない。僅かながら貯蓄を増やすこともでき、その時に貯めた金はディーノが王都に上京するための資金にもなった。


 生活が変わったのは、領主が息子に代替わりしてから。

 以前から、あまりいい噂は聞かない男だった。どこどこで無辜の民を鞭で打っただの、誰それの嫁を無理やり奪っただの、金遣いが荒いだの。先代領主も自分の息子に対しては甘かったらしく、悪癖が矯正されないまま大人になり、線路を走るトラムのように、必然的に悪徳領主と陰口を叩かれる存在となった。

 そんな領主が遣わした代官一家もまた、腐っていた。

 悲しいほどに。


 母と姉は、決して器量良しではなかった。村の中では整っている方だけど、貴族ならば母たちに拘らずとも女に不自由しなかったはずだ。

 それなのに、一目で奴は二人を気に入った。

 使用人として雇うという名目で二人を拐っていく貴族に、父と自分は必死で抗った。けれど身分の前にはどうすることもできず、村から追い出すぞと脅されれば、悔しげな顔で去っていく母と姉の背中を見送ることしかできなかった。

 それが二度目。


 三度目は、ほんの二ヶ月くらい前。父が死に、助けてくれる人もなく、家を出ようと決意した時。


 去年のことだ。王都から来た監査官という人が、代官の腐敗を暴いた。法に触れる罪をいくつも重ねていたらしく、代官はあっさりお縄になり、残された一家は別の土地へ移っていった。

 これで二人が戻ってくる、と期待に胸を膨らませたのは一瞬のこと。

 母は既に死に、姉は代官の息子の知人というどこかの男に嫁がされた後だったのだ。その男の名は分からないまま。監査官も、一村人のためにそこまで調べてはくれない。


 母たちが連れ去られてからというもの、何度も代官屋敷の門を叩き、二人を返してくれと泣き縋り、あまりにしつこいと剣で脅され、時には本当に斬られそうになった。

 それも無駄だったのだろうか。その時にはもう、彼女たちは門の向こうにいなかったのかもしれない。であっても不思議ではない。

 生きてさえいれば、またどこかで会えるかもしれない。だからいつか探しに行くよ、と告げたディーノに、父はゆっくりと頭を振った。


「シィナのことは死んだと思いなさい」


 行方の知れない姉を探して人生を棒に振るわぬよう、あえて厳しいことを言ったのだろう。

 その時は大人しく頷いたが、姉のことは今でも胸に引っかかっている。


 不幸には不幸が重なるもので、二人の顛末を知った後すぐ、父が倒れた。

 病ではなく、怪我だ。山に入った時、イノシシに襲われたのだ。イノシシからは逃れたが、不運にも崖から転落し、片足が岩と岩の間に挟まって潰れてしまった。

 その時はなんとか一命を取り留めたものの、随分後になって衰弱死した。弱り始めてからはあっという間だった。


 父が死ぬ前、金をくれた。平和だった頃貯めた分と、ギリギリまで食い詰めて少しずつ蓄えた分。遺産として自分に残すつもりだったと、今際の際に教えてくれた。

 嬉しくなんかなかった。

 金を残されるより、生きていてほしかった。

 そう叫べたら、どんなに良かっただろう。

 中途半端に大人になっていたディーノには、死にそうな人間に己の気持ちをぶつけるのが正しいのか、父の気持ちを汲んで黙って頷くのが正しいのか分からなかった。結局どちらも選べずに、唇を噛んで流れる涙を無視した。

 そんな息子を見て、父は穏やかに微笑んでいた。


 腐敗した代官は捕まったが、領主の息子は捕まっていない。やり方が巧妙なのか、意外と小心者なのか、罪に問われるような悪事には手を染めていなかったのだ。

 いくらかはマシになったが、税も生活も厳しいまま。一度落ちた暮らしを元の水準に戻すのは苦しく、他の家も自分たちのことで手一杯で、ディーノを助ける余裕はない。

 村を出ようと考えるようになったのは、自然の流れだったかもしれない。いや、村に残る方法はあった。

 けれど、選んだのは王都へ向かう道だった。


 黒ひげは故郷に帰りなと言ってくれたが、ディーノには帰る故郷などもうないのだ。今の彼はトラン王国民であるだけの、ただの放浪者。


「故郷は棄てた……家なんかない」


 唇を噛み、空を睨む。今にも泣き出しそうな空を。


 あの時。

 ディーノを殺そうとする魔物から守ってくれた小さな背中が、今でも光り輝いて見える。

 当時の記憶は曖昧で、少女の顔すらよく覚えていないのに、後ろ姿だけははっきりと脳裏に焼き付いているのだ。

 だから何もかも失った時、あの少女を目指そうとした。

 彼女の光り輝く後ろ姿が、ディーノが今生きている証。戦士の証だ。


「そうだ。誰からも認めてもらえなくたって、おれは戦士になる。強くなるために、戦うんだ」


 その結果死んでも、本望だ。

 何度も終わったと思った。けれど、なんとかここまでやって来た。本当の終わりは、『死』なんだ。


 まずは迷宮一階踏破。これをクリアしなければ、話にならない。グラムウェル迷宮は難易度が高いとか、関係ない。他の町に移動する金はないのだから。


「そうだ。迷宮案内所。あそこで立ち回りの基礎的な手解きを受けられたよね。あれをもう一回申し込んで、薬と包帯を補充して、地図はあるから、魔物の情報をもう一度確認して……」


 全財産を指折り確認したところ、収入がゼロでもなんとかなる限界は一週間程度。もちろん、宿も食事も必要最低限だ。


「一週間。七日かぁ……」


 思わず溜息が漏れた。

 生きるだけなら、他にいくらでもやりようはある。

 でも、もうやると決めたのだ。

 最後だなんだと理由づけて、逃げるのを後回しにするのはやめよう。

 もう逃げない。死ぬまで戦う。


「どうせ、もうなんも残ってないんだから」


 それは悲しいことだと思っていた。身も心も貧しいことだと。でも今は少し違う。肩の重荷が消え、晴れ晴れとした気分だ。


 中央へ向かって颯爽と歩く彼の姿は、死地に赴く戦士というよりも、死にに往く者のようだった。


 +++


 グラムウェル迷宮にかかわらず、全ての迷宮は地下へ向かって伸びるものだ。

 なぜこんなものが存在するのかは分かっていない。

 しかし、どうやって現れるのかは分かっている。地震や土砂崩れのように、ある時突然発生するのだ。地上にあるもの全てを飲み込んで。


 グラムウェル迷宮が出現したのは、三百年ほど前のこと。当時の人はさぞ驚いたことだろう。街の中心に、ぽっかりと巨大な穴が空いたのだから。今でこそ巨大なドーム状の建物で囲われているが、以前は剥き出しの状態だった。誤って転落する者もいただろう。

 しかも迷宮発生時には、周辺に大量の魔物も生まれる。それもまた理由は分かっていない。

 血と悲鳴と混乱の後に残るのは、昏く深い縦穴。そして、それを囲むようにして迷宮が形成される。

 放っておけば再び魔物が溢れてくる。別の国の出来事だが、放置した迷宮から大量の魔物が溢れ出し、近隣の町村を尽く滅ぼした伝承は有名だ。


 迷宮が発生した時点で、人類は戦いを強いられるのである。旨味もあるので、戦いと同時に豊かさをもたらすものでもあるのだが。

 『無窮の泉』も旨味のひとつ。浅い階層に存在するこの泉は、枯れることなく滾々と水を吐き出し続けている。それをポンプで吸い上げ、地下水と同じように活用している。


 空洞の内側の壁に沿って続く階段を下りながら、ディーノは暗闇に沈む穴の底へと眼差しを落とす。手すりはあるけど、やはり怖い。落ちたら一巻の終わりなのだ。どうしても想像してしまう。

 しかし、ディーノはもう止まらない。考えうる限りの準備はした。少しでも成果を持ち帰り、明日に繋げるのだ。


 キラリと暗闇の向こうに一瞬光ったのは、10階ごとに設置される魔導昇降機エレベータの煌めきか。自分がそこに辿り着けるのはいつだろうかと、小さく溜息を漏らす。


 階段で下りることができるのは、迷宮1階の入り口まで。そこまでは大した距離じゃない。2階への階段は、1階のどこかに存在する。どこかと言っても、地図があるので迷うことはないはず。


(まあ、前はそこに辿り着く前に引き返したんだけど)


 逃げ帰ったとも言える。

 その時行けたのは、1階入り口から2階への階段までの半分くらい。どのフロアもドーナツ状になっているのは同じだが、通路の形や階段の位置はバラバラだ。

 通路は壊すことができる――と言っても、生半な力ではびくともしない――が、これをやってバレると重い罰金を課せられる。壊した壁は勝手に再生するのだが、再生前と再生後では道が変わってしまうのだ。すると地図を作り直さなければならなくなり、面倒だ。なので禁止されている。


「よし。い、行くぞ」


 地図をポケットに仕舞い、ぐっと拳を握る。

 睨む先には、固い土壁に空けられた大きな横穴。上部には魔物が出てこないようにするための結界装置が取り付けられている。見た目は大きな宝石のようだ。案内所で渡された通行証に反応してそれが光り、見えない障壁が消えて空気が動く気配がした。

 通路は結構広く、長い武器でも振り回すのに困難はないほど。

 ディーノはごくりと唾を飲み、土から岩へ変わる地面を踏んだ。

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