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とある魔物討伐クランの活動記録  作者: 良田めま
追憶編 鳥よ、鳥よ、いずこへ墜ちる
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15. 戻れない場所

 ぴちゃん、ぴちゃんと、水の滴る音が響く。何も見えないほど暗い洞窟の奥に。奥と言っても、最奥ではない。偶然見つけたこの洞窟の底は深く、蟻の巣のようにいくつも枝分かれしていて、どこが最奥だか分からない。でもそんなことはどうでもよかった。こんな地下深くまで訪れる者なんて、誰もいない。誰も来ないところにいたいのだ、自分は。


 ……あれから一体何年経っただろう。

 ここは光がなく、闇と静寂が時間の感覚を狂わせる。地上から染み込んだ雨水が岩盤の裂け目を通って滴る音だけが、時を刻む唯一の方法だ。

 コトリの時は止まってしまった。

 あの日、自らの手で友人を殺した瞬間から。


 +++


 神のように地上を睥睨するあの魔物は、ドラゴンなどよりも遥かに巨体で、まさに化け物と呼ぶに相応しい姿をしていた。さらには、雷を自在に操る能力。魔法以外にありえないだろう。

 そんなものに襲われたら、巨人族と言えど一溜まりもないのではない。実際、コトリが駆けつけた時にはもうほとんど手遅れで、生き残っているのはゴノムただ一人だった。しかも、立っているのがやっとといった満身創痍のていで。


 安堵したらいいのか、悲しんだらいいのか、複雑な感情の最中、コトリは見た。

 膨大な魔力が、彼に向かって振り下ろされようとするのを。


 助けなければ!

 その一心が、全てを決した。

 あれほどマグナに注意されたのに。本気で心配してくれたのに。

 まずいと思った時には手遅れで、激しい感情と魔力が混じり合って渦を巻き、螺旋状に天へと昇っていった。

 コトリはもう見ているだけだ。

 暴走した魔力は一瞬にして雷雲を吹き飛ばし、空をも凍りつかせていく。

 大地も、魔物も、そして巨人たちも。


 魔力の嵐が過ぎ去った後、愕然とするコトリの目の前に広がっていたのは、薄青に閉ざされた氷の世界だった。

 かつて岩山の中央だった場所には、天と地を繋ぐ氷の柱がそびえ、一本足のテーブルのように空を支えている。そして柱の先には、六本の不気味な脚を持つ山ほどに巨大な化け物が空ごと氷漬けにされるという、奇妙な絵が描かれていた。


 コトリは辛うじて息の残っているゴノムを助けようと、泣きじゃくりながら必死で治癒魔法をかけた。しかし、自身が放った氷の魔力が邪魔をして、魔法を弾いてしまう。何度も繰り返したけれど結果は同じで、コトリはただただ泣き叫んだ。


「死なないで!」


 そう口走った気もする。

 何を言うか。自分がやったのだ。自分がゴノムを殺したのだ。


「お願いだから……!」


 誰に、何を?

 自分で決めて、ここへ来たのだ。止めようとしてくれたマグナの手を振り払って。


 全部、全部自分が悪い。

 力も満足に扱えないのに一人前の気になって、覚悟もできていないのに全てを受け止めるつもりでいて。

 こんなことになるなんて、想像もしていなかった。

 世界を滅ぼしうる恐ろしい力が、自分の中にもあることは知っていたのに。その力を制御もせず振るえばどうなるか、分かっていなければならなかったのに。


「う……うぁああああああ!!」


 言葉にならない絶叫が口を衝いて、割れんばかりに響き渡る。


「ごめんなさい、ごめんなさい。わたしのせいで、ごめんなさい……」


 決して許されないことをした。誰よりも、自分が自分を許さない。何よりも、自分で自分が恐ろしい――。

 視界は光に溢れているのに、目の前は真っ黒に塗りつぶされた。

 どこまでも堕ちていくような感覚が、足に、手に絡みつく。

 胸が張り裂けるように痛い。しかし、そんな痛みでは足りない。もっともっと罪深いものだと、苦痛に叫ぶ一方で別の自分が責めたてる。


「コ……トリ…………」


(ごめんなさい。ごめんなさい。わたしが殺した。あなたを殺したのはわたしなの)


「力を…………い、で……。きっと…………」


(もういやだ。もうむりだ。何もかも。こんな世界で、わたしは、わたしは――)


「だから……。大好きだよ、コトリ――」


 頭を抱え、いやいやをするように左右に振っていたコトリは、はっと目を見開いた。

 顔を上げると、キラキラと反射する光に照らされて、ゴノムが安らかに微笑んでいた。その体は氷の檻に閉じ込められ、もう二度と動くことがない。


 しん、とした時が流れる。


 ぺたり、とゴノムの頬に触れてみた。だが、そこにいつもの弾力はなく、ただ固さと冷たさを伝えてくるのみ。


「っ、~~~……!」


 コトリは人形の氷に額を付けたまま、声を出さずに肩を震わせていた。いつまでも、いつまでも――。



 +++



 あの日以来、コトリは一度も声を発していない。笑うことも怒ることもなく、ただひたすら暗い洞窟で膝を抱えている。

 人間はもちろん、同族もここへは来ない。来ようとしたことはあった。しかし、誰もが途中で引き返す。彼女の強い拒絶の意志を感じ取るからだ。そのせいか、ネズミ一匹この洞窟には棲みつかないでいる。


 そして二十年。コトリに時間の感覚はなかったが、外ではそれだけの月日が流れた。眷属にとっては、一眠りした程度の長さだ。

 しかしコトリには、何百年も、何千年も経過したように感じられる。

 終わりのない責め苦が彼女を苛み続けていた。

 苛むのは彼女自身。

 力から逃げたのは、マグナの手を振り切ったのは、友人を殺したのは――自分。

 だけど罰を受けようにも、どんな罰を自分に科せばいいのか分からない。こうして囚人のような日々を送っているものの、それすらも自分を守る檻なのではないかと自虐的に考えてしまう。


 キリキリと胸が痛む。

 苦しい……。

 辛い……。

 ここは暗くて、空がない。

 太陽が恋しい――。


 ………………。


 ……。


 ヒュウゥゥ、と、唐突に細い風が吹いた。誰かの口笛のような懐かしい音に、コトリはふと顔を上げる。

 目の前に、背の高い影が立っているのが辛うじて見えた。夜目が利くとは言え、長年自分の掌すらも見ることがなかったせいか、人の形というものに疎くなっている。


(兄様……?)


 洞窟に満ちる拒絶の意志を突破して来るなんて、フォルス以外に考えられない。

 ようやく目を覚ましたのか。それともずっと前から起きていて、今日初めて会いに来てくれたのか。

 どちらにしても嬉しいけれど、どんな顔をして会えばいいのか分からない。笑えないし、泣けないし。

 俯きがちに黙っていると、先に人影が口を開いた。


「久しぶりね、コトリ」


 高めの女の声。しかも聞き覚えがある。

 ――女神エルプトラ。コトリの母でもある、その人だ。

 正体が分かると同時に、鮮明な姿が暗闇の中から浮かび上がる。長い金髪に、美しくしなやかな肢体。こんな暗く湿った場所でも輝きを損なわないのは流石女神といったところ。

 懐かしいには違いない。しかし……。


(……兄様じゃなかった)


 コトリの胸に失望感が広がった。

 考えてみれば、当然だ。フォルスは力を封じられ、今は子供の姿をしている。長身の人影が彼であるはずがない。普段なら一目で気づくはずが見間違えてしまったのは、それだけ世間と隔絶して過ごした時間が長かったからだろうか。

 エルプトラはコトリの失意に気づいているのかいないのか、つんと澄まして白い頭を見下ろす。


「あなた、いつまでこんな所に引き篭もってるつもり? 外はお空がキレイよ。また前みたいに飛んでみたら? あなた、飛ぶのだけは上手かったじゃない」

「……いい。放っといて」

「何よ、せっかく様子を見に来てあげたっていうのに、生意気ね! 前はもっと素直な子じゃなかったかしら。だと思うんだけど。あら? そうでもなかったっけ?」

「……放っといて」


 一人で首を左右にかしげる女神に同じ言葉を繰り返し言い捨て、コトリは再び膝を抱える。そのつっけんどんな態度にむっと唇を曲げたエルプトラは、却って余計ムキになった。


「心配してるのが分からないのかしら!? 二十年前、何があったのか詳しいことは知らないけれど、何があろうとあなたはあたしの眷属モノなのよ! 命令して無理やり引き摺り出しても構わないところを、わざわざこうして出向いてやってるの! ちょっとは感謝なさい!」

「……感謝?」


 ぴくりとコトリが反応する。

 モヤモヤとした感情が一気に弾け飛び、カッと頭に血がのぼる。

 女神が苛ついているのは分かっていた。こういう時の彼女に歯向かえば碌なことにならないのも、過去の出来事から学んでいた。

 しかし、簡単に激情を制御できたら、コトリは魔力の暴走などに困りはしない。


 がばっと顔を上げたコトリの目に入ったのは、驚いて目を丸くしたエルプトラの姿。そんな彼女の様子など見えていないかのように、コトリは熱くなった頭で、ありったけの感情をぶちまける。


「何が感謝? ここに呼びに来たこと? 力をくれたこと? 創ったこと? わたし、生まれたくなんかなかった……! こんな思いするくらいなら、最初から存在なんかしたくなかった! 永遠なんかなくていい。役目なんかほしくない。空なんか飛べなくていい! 何もかもいらない! いらないいらないいらない! 一人でいいの。一人にして!」


 気が昂ぶったせいか、ボロボロと涙がこぼれる。怒りのあまり泣いてしまうなんて初めてだ。泣き顔を見られたくなくて、顔を膝の間にぐっと押しつける。

 だからコトリは、女神が表情を変えたことに気づけなかった。


 傍若無人で横柄なエルプトラだが、コトリを心配する気持ちは紛れもなく本心だった。

 捻くれた言い方をしてしまったが、怒らせたかったのではない。元気になってほしかったのだ。

 言葉が足りないせいで相手に気持ちが伝わらないのは、往々にしてあることだ。謝り方が分からないことも、ままある。

 エルプトラの場合、彼女の性格を考慮して周りが合わせてくれるから、自分の言い方で悩んだことがない。

 今、生まれて初めて、かける言葉に困っていた。


「コ、コトリ、あのね……」


 意を決して、歩み寄りの一歩を踏み出す。

 しかし――その足を止めたのは、コトリが喉の奥から絞り出した言葉だった。


「もうやだ、こんな世界。消えてしまいたい……」

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