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とある魔物討伐クランの活動記録  作者: 良田めま
追憶編 鳥よ、鳥よ、いずこへ墜ちる
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11. 選び取る未来

 激しく燃え盛るハロリスの町。あちこちで火の手があがり、逃げ惑う人々の悲鳴や喚き声が飛び交う。はぐれた家族を探す者、逃げ延びようと他の住人を押しのける者、わけが分からずに動けなくなる者。

 そんな人間たちに、ドラゴンは容赦なく第二、第三波のブレスを打ち込む。直撃した人間は影だけを地面に焼き付けて死に、火の粉を浴びた者は生きながらにして燃え苦しんだ。

 建物が崩壊し、黒煙が闇を食い尽くさんと膨れ上がる。それに比例して、悲鳴は次第に少なくなっていく。

 月のない空が、煌々と燃え上がる炎に照らされていた。




 一方、コトリとマグナもまた、自分の何倍も大きさの生き物に囲まれていた。

 四体のドラゴンだった。二人を中心に十字を描くように陣取っている。それぞれ薄く開いた口から、ゆらゆらと炎が漏れ出ている。一定以上近づいてこないが、明らかに敵意があった。


「マグナ様っ、ここ、これって、本物ですか?」

「いや、こいつらはドラゴンの姿や能力を真似ているだけだよ。本物じゃない。まあ、本物じゃないって言っても……」


 ドラゴンたちはコオッと空気を吸い込むと、町を刺したのと同じ火柱が四条同時に、二人のいる場所へ放たれた。

 眩しくて目を開けていられないほどの炎が、丘全体を包み込む。文字通りの火の海だ。逃げ場などない。――普通の人間なら。


 一瞬、火先ほさきがろうそくのように揺らめく。かと思うと、まるで息を吹きかけたみたいに、ふっと炎が消え去った。

 焼け焦げた大地に立っているのは、二人の眷属。彼らには煤一つ付いていない。元の姿のままだ。

 マグナは立てた人差し指を軽く振りながら、呑気な口調で言った。


「本物と同じか、それ以上の実力を備えていてるみたいだね。ほらコトリ、魔法の練習しよう」

「れっ、練習!?」

「大丈夫大丈夫。さっきも言ったでしょ。君は力の使い方を知らないんじゃない。忘れているだけだ。僕を見て、よーく思い出して」

「お、思い出す――」


 グォォォォ――!!


 コトリの声に被せ、ドラゴンたちが一斉に嘶いた。

 オレンジ色の炎がドラゴンの体を包んだかと思うと、鎧のように硬質な輝きを伴って各部に纏わりつく。

 ドラゴンの得意技の一つ、"炎の鎧(フレイムシェイル)"――鋼を弾き、触れた者を一瞬で灰と変える魔法の鎧だ。


 一体が、大地を削る勢いでコトリたちに向かって駆け出した。遅れて、他の三体も同様に猛進する。

 四方から凶器の塊が迫り来る中、地面の振動で体が飛び跳ねそうになりながら、コトリは慌てて魔力を掻き集める。

 咄嗟にイメージしたのは大樹の庭でマグナが見せた力ではなく、数千年の昔、世界の半分を凍りつかせた兄の影だった。

 確かに、あの時のことは今思い出しても恐ろしい。一瞬で数千の命を消し去る力を、軽々と振るう後ろ姿。迷いなどない。手加減も慈悲も。滅ぼす――という純粋で強い意志の前に抗えるものなどないのだと、背中で語っているように思えた。

 怖かった。しかし同時に、強く美しくもあった。


「えいっ!」


 滅びろと意志を込めて、両腕を地面に叩きつけるように振り下ろす。

 目いっぱいに集めた魔力が放射状に広がると、真っ白な霧の中から氷の蔦が現れた。

 針のように飛び出したそれは一直線にドラゴンの足を絡め取り、ドラゴンは突進する勢いのまま顎から地面に激突する。

 ズゥゥン……と土煙を上げて這いつくばったドラゴンたちの背中には――。

 ――錐のように尖った氷蔦の束が、どす黒い血に塗れて生えていた。

 魔法は全ての心臓を正確に貫いており、四体とも既に息絶えている。


「で、できた……」


 緊張の糸が緩み、ほっと肩から力が抜ける。そこへ、パチパチと呑気な拍手が響いた。


「上出来、上出来。上手く自分を律したね。君の場合、感情の波と魔力のコントロールが互いに干渉しあってるんだ。加えて、二千年以上のブランク。きちんと力の使い方を思い出すまで、大きな魔力を使ってはいけないよ。いいね?」

「は、はい……」


 コトリは半ば呆然と頷きつつ、今のは本当に自分の力だったのかと疑っていた。

 紛れもなく彼女の技だ。けれど、あまりにイメージ通りに行きすぎて信じられない。

 大樹の庭では、プーケたちを襲った生き物に対して、余すことなく怒りと憎しみを向けていた。だから暴走しなかったのだ。失敗はしたけれど。


(感情のコントロール……憎むべき敵……)


 コトリははっと我に返って、西の方角を振り向いた。

 ハロリスの町は、すでに全体に火が回っている。建物の多くは崩れ、大量の火の粉が舞い、黒い炎がもくもくと空へ立ち上っていくところだった。


「マグナ様、町が……」

「助けてどうなる?」

「…………!」


 はっと息を呑む音が、ケモノの足音に紛れて耳に届く。信じられない顔で固まっていると、黒い瞳が彼女を見返した。


「君は非情だと思うだろうが、助けたところで仕方がないんだ。無駄に力を消費するだけ。君はともかく、僕は力の大半を封印されているからね。使い所は選ばなければならない」

「生き残った人たちを助けるためには、使えないと……?」

「そういうこと」


 コトリはぎゅっと唇を噛む。

 マグナが言うなら、きっと正しいのだ。結論は出ている。自分が口を挟む問題ではない――。そう分かっているけれど、溢れ出る悔しさを止められなかった。

 マグナに救えなくても、自分には余裕がある。しかし力をうまくコントロールできない自分では、救うべき人を傷つけてしまうかもしれない。


「でも……分かっていたんじゃ、ないですか? マグナ様の力で……この未来を避けることが、できたんじゃないですか?」


 けれど彼はそうしなかった。助けられるのに助けなかったのは、町の人たちを見殺しにしたも同然だ。ハロリスの成長を願っていた彼がどうして、と、コトリは信じられない気持ちで問い質した。

 質問に対する答えは、どこか自嘲するような微笑みだった。


「残念だが、僕の未来視に奴らの姿は映らなかった。何かが町を滅ぼすことは知っていたが、それがドラゴンの姿をしたものだとは分からなかった。分かったのはついさっき、君と同時さ」

「…………!」


 コトリは言葉を失ってマグナを凝視する。嘘や冗談を言っている様子ではない。だが、到底信じられなかった。


 未来視は、対象の魔力を通して未来を視る力だ。相手が魔力さえ持っていれば、そのものが見聞きした情報を得ることができる。

 この世界で魔力を身に宿しているのは、女神と眷属の他には人間だけ。ただし、世界中の至るところに魔力が血管のように張り巡らされており、マグナやフォルスはそれを特異能力に利用している。この世界で視えないものはほとんどないのだ。

 例外は、自分と同格かそれ以上の相手――つまり、マグナならフォルスと女神だ。彼らの未来を視るには、相手の許しがなければならない。

 マグナの未来視にドラゴンやケモノの姿が映らなかったということは、彼と同格以上の存在であるということ。それを察して、コトリは絶句したのだった。


「不安になる必要はない。僕も最初は同じことを考えたが、実際にこの目で見ると全くの見当違いだったことが分かる。アレは単なるドラゴンの模倣。まあ、魔力で元の種より強化されてるようだけど。いずれにしろ、女神の格に敵うものではない」

「そ、そうなんですね。よかった……」

「よくはない。僕の推測が正しければ……まあそれはいい。今は君に知ってほしいんだ。これから起きる"現実"を。……ああ、少し違うか。既に起きている"現実"を、だった。この流れは、もはや誰にも止められない。気付くのが遅すぎた」


 コトリは再びどきりとする。

 未来を視るマグナをして「遅すぎた」と言わしめる何か。その正体を全世界に轟かせるかのように、地響きが地面の下から噴き上がってくる。

 マグナがコトリの腕を掴み、瞬時に空中へ飛んだ。


「マグナ様っ!」


 悲鳴のような呼び声は轟音にかき消される。

 二度目の噴火とともに、黒い塊がいくつも空に噴き上げられる。

 吹き飛ばされた山の表面だと思い、最初は気にしなかった。

 しかし塊が近づいてくるにつれ、コトリの目は見開かれ、体が小さく震えはじめる。


「マグナ様……あ、あれは……」

「気付いたかい。アレはドラゴンや君の友達を殺したのと同じ種。禍々しい魔力をまとい、女神の領域を侵すもの。未来の人間はこう呼ぶ。"魔物"と」


 多くが獣に似た姿をしている。中には先程のドラゴンと同じく、とうに滅びた種もいる。いくつかの生き物が混ざったものもあった。

 あり得ないことに、それらの全てが魔力を宿している。女神の光り輝く魔力とは正反対の、黒く重苦しい魔力だった。

 生理的嫌悪感とでも言うのか、肌の下がぞくりと泡立つような感覚がする。どんな形をしていても、アレの根本は同じだ。自分とは決して相容れない存在――そんな表現がしっくりくる。


 塊は放物線を描き、次々に大地に突き刺さった。しかしそれで死ぬことはなく、手足を開放すると方方へ走り出す。その目的が何なのかは、今までのことを考えれば自ずと知れた。

 その数、数千。いや、下手すると万を超えるだろう。


「止めなくちゃ……みんな、死んじゃう……」


 ふらふらと動き出したコトリの腕を、マグナは強く引き戻す。非難の眼差しを真っ向から受け止め、彼は口を開いた。


「言ったよね。助けても無駄だって。理由を教えてあげようか。ここで彼らを助けたとしても、別のどこかで死ぬからさ」

「…………!」

「生き延びたのはおそらく多くても数十人程度だ。ハロリスの住人は全滅。そう言って差し支えない数字でしょ。手を伸ばしたところで今更だ」

「でもっ! わたしたちなら守れるはずです! 兄様とマグナ様の争いだって切り抜けたんだもん! 眷属のみんなが協力すれば、できます!」

「この先何十年も何百年も、それどころか永遠に魔物は生まれ続けるよ? 眷属だって疲れるし、魔力は無限じゃない。こっちも永遠を捧げる覚悟をしないと。みんな自分を犠牲にしてそこまでやるかな? 僕らは人間に仕える神様じゃないんだよ。それよりも、全部壊して一からやり直す方が早い。そう思わないかい? ――そのための眷属ぼくたちでしょ?」

「っ!!」


 コトリはぐっと言葉を詰まらせ、拳を握った。

 言い返そうにも、太刀打ちできない力の壁がある。マグナは決して意思を変えない。彼がやらないなら、自分がやるしかない。けれど、彼は掴む手に力を込め、離そうとしなかった。


「諦めなさい。この世界はもう、次の時代に進んだんだ。人間絶滅の前段階にね。時を戻すことは、神だろうと眷属だろうと出来やしない」

「…………」

「とは言え、このまま手をこまねいているつもりはないさ。さっきは怖がらせるようなことを言ったけれど、女神はプライドを潰されて黙っていられる性格じゃない。星を壊すのは最終手段。今、対抗策を育てているところだ」

「だから安心しろと?」


 今度はマグナが言葉を呑み込む番だった。彼の最も恐れていたもの――決然とした意志が、水色の瞳に宿っているのを見たから。

 彼の顔から表情が消えた。


「手を、離してください」

「……どこに行くつもりだい?」

「友達のところへ」

「駄目だ。行ってはいけない」


 瞬間、コトリの目に涙が溢れた。マグナの言う意味が分からない彼女ではない。

 それでも、北へ飛び立とうとする気持ちを抑えることはできなかった。

 ゴノムにガーツ。巨人族と獣人族のみんな。

 スピカ。妖精族の生き残り。

 最後の友人たち。


「約束したんです。必ず会いに行くって。守らなくちゃ。約束を」


 マグナは強く奥歯を噛みしめる。背後では真っ黒な噴煙があがり、絶えず岩石と魔物が降り注ぐ。赤い溶岩が暗闇に飛び跳ね、生き物のように産声を上げる。異様な光景が広がっていた。


 ぽたぽたと、コトリの頬から涙が落ちる。はるか下方の大地へ、吸い込まれるように消えていく。下では黒い怪物が蠢いていた。まるで彼女たちが下りてくるのを待っているかのように。


「兄様が言っていました。マグナ様は未来を視、迷える者を導いてくれる存在だと。……だけど、最後に何を選ぶか決めるのは自分だって」


 平和な日常から哀しみのどん底に突き落とされて、これ以上どこへ落ちるというのか。這い上がる道などありはしないと言うのなら、地の底で最後まで友といたい。

 しばらくすると、コトリの腕を掴んでいた手から力が抜け、するすると解けた。

 コトリは濡れた顔でニコリと微笑む。


「ありがとうございます。ずっと、わたしを引き止めてくれていたんですよね?」

「無駄だったけどね」

「えっと……ごめんなさい」

「いいよ。分かっていたから」


 ということは、北に向かわない選択は存在しなかったのだ。

 コトリはぽろりと零れる涙を感じながら、必死に笑っていた。


「じゃあ、もう行きます」

「うん。――コトリ。僕が言ったこと、決して忘れないで」


 最後の言葉は、風に紛れて聞こえなかった。

 その時にはもう小鳥に姿を変え、大空へ強く羽ばたいていたからだ。

 北の大地では、きっと辛いことが待っている。

 でも大丈夫だ。だって女神の眷属なのだから。今まで怖い思いもしたけど、乗り越えてきたのだから。

 だから大丈夫。


 ――自分は強いと思わなければ、前へ進むことができなかった。

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