3. 45度目の正直
気を取り直さなければならなかったのは、ディーノの方だ。
一騎当千とか最強とか不穏な言葉が聞こえたような気がするが、もちろん空耳に違いない。〈黄金の果実〉の黒ひげ面接官は、ディーノにも入団の奇跡があるクランとして紹介してくれたのだ。そんなクランが最強であろうはずがない。
それに、最強を自称するクランは結構多い。序列が決められていたり最強王座決定戦のようなものがあるわけではないので、主張するだけなら自由なのだ。
ディーノが最初に門を叩いたクランもそうだった。その時はリストが規模の大きい順に並んでいるとは知らなかったため、あまりの人の多さに倒れそうになったものだが。
大丈夫、大丈夫。まだ終わってない。むしろこれから。
「ねぇ。キミ、ブランデーと焼酎どっちがいい?」
「水でお願いします」
「あ、そっか。子供だったね。失敬」
大丈夫だろうかこの人は。
アイーダは「たはは」と笑いながら、部屋の隅に置かれている水屋からグラスを取り出し、水差しの中の物を注いだ。
ちなみに、王都では水に困らない。迷宮内にある『無窮の泉』と呼ばれる湧泉から、常にきれいな水が汲み上げられているのだ。
「ごめんねー。マカじいが健在ならお茶を出すんだけど。あたし淹れるの下手なんだよね。そっちのソファに座ってて」
「は、はい」
もともとそうだったのか、クランの拠点となってから改築したのか、玄関の向こうはホールではなく落ち着いたスペースが広がっている。床は板張りで、右手奥の一画にはふかふかの絨毯が敷かれている。アイーダが示したのはその一画だ。
飴色に輝く四角テーブルを挟んで、二人がけのソファが設えられている。ディーノは緊張した面持ちで、端っこに浅く腰掛けた。
アイーダがガチャガチャと何かを漁っている間、ぎこちない仕草で部屋の中を見回す。
クリーム色の壁紙。りんどうの形をしたガラスの燭台。今は明るいので、火は灯っていない。
玄関の対面の壁に二枚の大きな扉、左右にも扉が一箇所ずつ付いている。
上は二階が吹き抜けになっていて、今いる部屋から階段で繋がっている。アイーダがいるのはその下辺りだ。階段の隣がカウンターのような細長い机で仕切られていて、水屋もその内側にある。まるで酒場のカウンター席みたいだ。ストールも四脚置かれているし、蛇口を取り付けた酒樽みたいなものがあって、本当にそれっぽい……というか、まさに酒場の空気である。
「あの、ここ応接室とかじゃないんですか?」
「応接室兼みんなの憩いのスペースだよ。うちは訳あって一般の依頼者があんまいないんだ。たまに評判を聞いて来る人もいるけど。だから応接室なんて飾りみたいなもんなんだよ。立派なのは既にあるしね。そっちもほぼ使ってないけど。あ、あったー! イカ煎餅、最後の一瓶っ」
床に這いつくばって、ようやく目当てのブツをみつけたようである。
満面の笑みで向かいのソファにやってきたアイーダは、どっかりと腰を下ろしてさっそく本題に入った。
「自己紹介まだだったね。あたしはアイーダ。〈千年氷柱〉の戦士だよ」
「あ、おれはディーノです。その……田舎から上京してきました」
付け加えた一言に、アイーダは渋い顔をする。そして、今更のようにディーノの傍らに立てかけた剣に気づいた。
「ということは、もしかして依頼じゃなくて入団希望だったり?」
「は……はい。その……」
「あー。そっかー。それじゃあ駄目だな」
心臓が凍りついたみたいに、ディーノは動きを止めた。さぁっと血の気が引き、息をしているのかしていないのか、自分でも分からなくなる。困ったように腕を組むアイーダの姿が遠くなり、目の前が真っ暗になった。倒れずにいられたのは、ソファに座っていたおかげだ。
終わった。
唐突に。あっさりと。面接担当への取次さえもなく。
必死の思いで掴んでいた糸が、ぷっつりと途切れた。いつ切れてもおかしくなかった。駄目で元々、限りなくゼロに近い可能性だった。それこそ叶ったら奇跡と呼べるような。
だから覚悟はできているはずだった。しかし、よくよく振り返ってみれば、ディーノは考えるのを止めていただけだ。覚悟できたと思ったのは錯覚だった。単に、可能性が僅かでもあるから、そんな理由だけで〈千年氷柱〉を訪れたのだ。道化が操る傀儡人形のように。操っていたのは他でもない、自分だ。
駄目だって分かっていたのに。自分で自分を振り回して、落胆して。なんて馬鹿で惨めなんだろう。
やっぱり、自分には向いてないのか。諦めるしかないのか。
「じゃ、ちょっとマスター呼んでくるね」
「……え?」
「うちさ、入団させるもさせないもマスターの意思ひとつなんだわ。だからキミが合格か不合格か、あたしには決めらんないの」
そもそも募集してないし、と無慈悲な追加情報が入ってくる。
それでどうやってクラン員を増やしているのか不明だが、マスターの匙加減ということは増える場合もあるということだ。黒ひげが言っていた「可能性はなくもない」とは、そういう意味だったのだ。
――もしかして、本当にもしかする?
立ち上がってこちらに背を向けるアイーダに、ディーノは期待の眼差しを送る。彼女は奥の扉を通り過ぎ、階段へ向かおうとしている。
いや、待て。期待はするな。可能性が極小なことに変わりはないのだから。今までが谷のどん底だったから、ちょっとの上昇でも気持ちがいいだけだ。
そんな風に自制しようとするけれど、一度回りだした期待の歯車は止まらなかった。凍りついたように冷たかったのが嘘みたいに体が熱い。頬が紅潮しているのが自分でも分かる。
全力だ。
全力で熱意を伝える。実力も経歴もない自分には、それしかない。出し切るものがないなら絞り出すまで。
これが本当に最後の最後。
ゴクリ、と我知らず喉が鳴る。
手すりに手を置くアイーダをみつめる。タン、タンと小気味よく登っていく。そして階段の中程――直角に曲がった踊り場に辿り着いたその時、状況を一変させる出来事が起きた。
「そこまでだ! 話は聞かせてもらった!」
バターンと大きな音を立て、奥の扉が勢いよく開く。ご丁寧にも、両開きの板を左右同時に。
ディーノもアイーダもびっくりしてそちらを振り返った。
そこにいたのは、ディーノよりも若い、というか小さな男の子。黒い髪に黒い目。着ているものも黒を基調としており、全身ほぼ黒の怪しい格好。だが、割りと似合っている。
見た目は可愛らしい少年だ。
両手に大きな骨付き肉を持っていなければ。
(誰だ、この子?)
戦士という年齢ではない。魔道士、あるいは魔術師だろうか。天才に括られる人たちは、幼くとも現場に立つことがあるという。そういった人間の一人なのかもしれない。
「あ、マスター。また摘み食い? マカじいに怒られるよ?」
「マスター!?」
驚きに目を見開くと、黒髪の少年は胡乱な目でこちらをチラ見しただけで、むしゃむしゃと肉を齧る。
仔羊の足だろうか。
(い、いやいや! そうじゃなくて!)
アイーダは何と言った?
マスター?
この子供が?
子供なのに?
「言いたいことは分かるぞ、少年」
「えっと、君も少年では……」
「だから俺も言いたいことを言うっ!」
くわっと目と口を大きく開いて、少年――〈千年氷柱〉のクランマスターは、キッパリハッキリ宣言した。
「不合格じゃあっ! 貴様なんぞにうちの看板は背負えんっ! 帰れー!」
「…………!」
がーーーん。
と形容するのがぴったりなくらい、ディーノは真っ白に石化した。
ガラガラと崩れ、その場にぺたりと両手両膝を突く。
(あ……上げてから落とされた……)
こうなっては涙も出ない。
精も根も尽き果てたディーノは、その後何を聞かれても上の空で、どうやってトラムに乗ったかも覚えていないのだった。
「大丈夫かなぁ、あの子」
ディーノがふらふらした足取りで出て行った後、アイーダはいか煎餅を砕きながら、心配な顔で玄関扉をみつめていた。
こちらの呼びかけに応える声には生気が宿っておらず、どう見ても大丈夫とは思えなかった。しかし、送っていくと言っても頑なに辞退するのだ。かなりショックを受けていたし、放って置いてほしいのだろうと思い見送ったが……。
「ちゃんと泊まるとこに戻れるといいけど。詳しい話を聞かなかったのは失敗だったなぁ。ねぇ、マスター?」
振り返ると、マスターはカウンター席に腰掛けてむしゃむしゃと肉を齧っている。その横顔は無心。というより、どこか放心した様子。平生から目つきがいいとは言えない彼だが、今日はやけに眠そうに見える。
アイーダはちょっと眉をひそめた。
「マスター?」
「…………」
無言。埒が明かないと判断し、隣まで歩いていって横から顔を覗き込む。
「マスター。ちょい、マスター?」
「…………」
「もしかして酔ってる?」
「…………」
咀嚼音が止まった。無視するかと思いきや、ぶんぶんと頭を左右に振る。
「酔っとらん! わしはぜぇんぜん、酔っとらんぞぉ!」
「――おい」
胡乱を通り越してぐるぐる目を回しているマスターに、思わずドスの利いた声がを出すアイーダだった。