3. フォルスとマグナ
ここは最近発展をはじめた人族の町、ハロリス。
人間最弱である人族は他種族の目を避けるようにひっそりと隠れ住むことが多く、あまり大きな町は持っていなかった。
ところが、このハロリスは五百人ほどの人族が固まって暮らしており、今も着実に増え続けているのだ。目抜き通りは地均しされ、露天には畑で取れた野菜や魚が並び、人々の顔は明るい。評判を聞きつけてやって来た異種族の客たちも、物珍しさに目をキョロキョロさせていた。
その片隅。
カクカクと曲がりくねった細い路地を進んだ先に、他の民家に埋もれるようにして、扉の周囲に古代文字が刻まれた風変わりな家があった。
古代文字は女神やその眷属、龍族などが使う文字で、研究もされていないこの時代、神官以外に理解できる者はまずいない。ただの妙な模様にしか見えないはずだ。
そこにはこう書かれてあった。
『急用の方、お断り』
それを無視して扉を開ける、いや、蹴り破る影がひとつ。
「マグナァーッ! 貴様またわしの寝床に雑草生やしたじゃろ! 何度言ったらやめるんじゃいっ! 毎回毎回敵意高いヤツを茂らせおって、鬱陶しいんじゃ! せめて食えるヤツを寄越さんかい、たわけ!」
額に青筋おっ立てて怒鳴り込んできたのは、黒い髪の少年だった。六、七歳くらいだろうか。まだ親の庇護下にあるのが当然といった年頃。ナリは小さいが、妙な迫力がある。頭の天辺から爪先まで全身で怒りを表しており、今にも爆発しそう……というか、すでに辺り一帯火の海に変えそうな勢いだった。
少年の怒りの矛先は、のんびりとくつろぐ家の主に突きつけられた。
年は同じくらい。明るいオレンジ色のサラサラした髪に、少年と同じ黒い瞳。女の子なのか男の子なのか、ぱっと見では判断つかないくらい可愛らしい顔立ちをしている。
彼――マグナは丸くて膝ほどの高さしかないおかしなテーブルの前に正座し、取っ手のないカップを両手で持ち、ズズズーっと音を立ててゆっくりと啜った。
ほっと一息つくと、今気づいたと言わんばかりにわざとらしく客人を見やり、邪気のない笑みで手を振る。
「あ、フォルスいらっしゃーい。そろそろ来る頃かなって思ってたよ」
「おまえなぁ……! いちいち人を苛立たせねば気が済まんのか!?」
「そんな人を性悪みたいに。僕が怒らせたいのは君だけさ、フォルス」
「なお悪いわ!」
フォルスの怒りはとどまるところを知らない。このまま行くと、血管が切れて血が噴き出しそうである。が、そんなことを気にするマグナではなかった。
「そんなことより、僕からのプレゼント気に入ってくれた? 今回は男の子に大人気、マンドラゴンの苗だよ。成長すると二足歩行のドラゴンになって火を吹くんだ。熱いだろー? 君のしつこくて頑固な氷も溶かせるといいね、っていう僕の願いを込めてみました」
「人を食器の汚れみたく言うな! 貴様の捻じれ曲がったその性格こそ、浄化の炎に灼かれるがいいわ!」
「言うねー。そんな風に怒ってくれると、僕もプレゼントを贈った甲斐があるというものだよ。ありがとうね、相棒よ」
フォルスは無言でちゃぶ台をひっくり返した。
湯呑が綺麗な放物線を描き、マグナの頭に生える。緑のお茶は見事に彼の頭を濡らし、ぼたぼたと髪の先から雫が滴った。
「あーあ。髪も服もずぶ濡れだよ。何するんだよーもー」
「お前がわしにした嫌がらせの、十分の一でも返せればいいのだがな」
「仕方ないじゃん。君を怒らせるの楽しいんだもん」
「お前はいっぺん女神に一から設計し直してもらえ」
割とマジでキレるフォルスに、マグナはやれやれと肩を竦める。
「ふう。この世で唯一対等の存在に対して、随分辛辣じゃないか。僕と君は一心同体。二人で一人。切っても切れぬ運命の、あゴメンナサイ。コレクションだけは壊さないで。もう煽らないので」
窓際に並ぶトーテムポール群に手を翳すフォルスを見て、マグナはころっと態度を変えた。
彼への対抗措置として、人質ならぬモノ質を取る手はかなり有効だ。マグナには誰にも理解できない収集癖がある。気に入ったものは、手当り次第に集めまわって保存するのだ。世界のどこかにある彼の倉庫は、古今東西のガラクタがぎゅうぎゅうに詰め込まれているそうな。もはや病気と言っても過言ではないだろう。
そんなガラクタが壊されるのを、マグナはいたく嫌がる。時にはプライドもかなぐり捨てるほどに。
「じゃあ着替えてくるから待っててよね」
「すぐ乾くじゃろうが。わしは待つつもりなどないぞ。さっさと用件を聞いて帰る」
「その用件を今から準備してくるからさ」
「……早くしろ。一分以内だ」
「ほいほい」
来る前に準備していろよと内心で舌打ちをしつつ、苦々しい顔でマグナを見送る。どれだけ抗議しても糠に釘なのが辛い。
遠い未来、なんであんなのが女神の御使いとか言って持て囃されるんだろうと、本気で頭を悩ませる日が来るとは想像だにしないフォルスであった。
一人になってすぐに、マグナが入っていった扉とは別のアーチから、日差しのように柔らかな金髪の女性がやって来た。
目は緩やかな曲線を描いて閉じられ、口元は慈母のごとき微笑みを湛えている。清潔な白い衣服は腰で絞られ、湖の波紋のようなドレープが広がる。派手さはなく、たおやかで楚々とした美女だ。
「お茶をお持ちしました、フォルス様」
「サーシャか、久しいな。息災だったか」
「はい。お母様からの仕事も一段落したので、のんびりと過ごしておりました」
「あの方は自由気ままと言うか勝手気ままだからな。意向に沿うのはさぞかし大変だったろう」
フォルスは湯呑を取りながら同情の眼差しを送る。
サーシャは口元に手を当てると、小さく肩を揺らした。
「ふふ、そうでもありませんでしたよ。赤子というのは可愛いものです。種族が何であれ」
「そういうもんかの」
「そういうものです」
サーシャの仕事というのは、赤子のおくるみを織ることだ。ただの赤子ではない。女神が祝福を授ける予定の特別な赤子だ。
祝福を授かった子は、常人ではなくなる。身体能力が著しく発達していたり、魔法の才に長けていたり、神に届く声を持っていたりと、特別優れた才能を持って生まれてくる。
共通した特徴は、体の頑強さだ。病には滅多に罹らないし、ちょっとやそっとの怪我はすぐに治る。
人間の間では"神子"と呼ばれているらしい。人間という奴は優れた存在には意味を持たせたがるらしく、「お前は神に選ばれたのだから気張らねばならん」とか理由をつけ、わざわざキツイ試練を課すのだとか。
可哀想に。ただの気まぐれなのに。
バラしたら絶対人間たち怒るだろうな思い、眷属は皆口を噤んでいるのだった。
「……あの、一つよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「マグナお兄様が最近、上の空でいることが多いのです。何かお悩みなのではと心配で」
「あいつがぁ? ないない、絶対にない」
憂いの顔で打ち明けるサーシャだが、フォルスはぶんぶんと頭を振って否定する。
フォルスの知る限り、マグナが真面目に悩んだことなどただの一度もない。本人は真面目のつもりで悩んだことならたくさんあるだろうが、精々「今日は何して遊ぼうか」程度だろう。そうに決まってる。
しかしサーシャは自分の兄のことだから気になるのか、取り下げようとしない。不安の色を隠そうともせず、フォルスに訴える。
「尋ねても教えてくださらないのです。お願いです。フォルス様のお力で、視てはいただけないでしょうか?」
「あいつの過去をか? うーん……」
フォルスは困ったように眉を八の字にした。
マグナの未来視に対して、フォルスには過去視という特異能力がある。他者の魔力を介して過去を見通す力だ。この力を使えば、どこにいようが世界中の出来事を知ることができる。
同格以上――女神やマグナ相手だと、拒まれたらそこまで。それに心の中までは覗けないので、必ずしも全てを把握できるとは限らない。
「うーむ。まあ、サーシャの頼みなら……あ、駄目だな。弾かれる」
あっさりと終了した。
ガックシと肩を落とすサーシャに、フォルスは慰めの声を掛ける。
「そんなに落ち込むな。あいつのことだ。そのうちお前たちにも打ち明けるじゃろ」
「ええ……。ですが……」
「なんだ。まだ何かあるのか?」
マグナが悩むのは珍しい。そのせいでサーシャが心配するのはもっと珍しい。兄のポジティブな性格を最も良く分かっているのは、彼女たち妹だからだ。マグナを深刻にさせるものなんてそうそうないことを知っているのだ。
彼女たちは常にマグナに付き従い、その行動を自分の目で見ている。自由気ままに散らばって暮らしているフォルスの弟妹とは大違いである。
「今までとは様子が違うのです。口数が減りましたし、外出しなくなりました。セラとスクリに余所へ行くよう命じられたのも、関係ないとは思えません」
「ふむ……様子が変わったのはいつからだ?」
「確か、三日ほど前から」
「三日……。腹を下しただけじゃないのか?」
「そんなことありません! 本当に変なのです!」
「わ、分かった分かった。むくれるな。栗鼠みたいだぞ」
「うぅ……」
慌てたフォルスが宥めると、サーシャは涙を堪えながら呻いた。
たった三日様子がおかしいくらいで、ここまで心配されるとは……。
これが自分だったらどうだろうか。本気で心配してくれるのはコトリだけだろうなと、ちょっと想像して悲しくなった。
フォルスは頭を振って悲しい想像を振り払う。
「とは言え、待つことしかできんだろうよ。奴の性格からして、自分で答えを出すまでは誰にも打ち明けん。そして決めるのも一人だ。相談はしない。滅多にな」
「確かに仰るとおりなのですが……」
「そう時間はかからん。今のあいつは、道筋が見えたら猪かってくらい迷わんやつだ」
「今の?」
フォルスはまだ熱いお茶にふーふーと息を吹きかけながら、不思議そうなサーシャに答える。
「昔は違ったのだ。お前たちがまだ生まれる前、いくつかの種の根絶を女神から命じられたことがあった。その時のあいつは目に見えて苦悩しておったよ。しかと息づいた生命を前に、割り切ることができなかったのだな。案外繊細なところもあったのだ、昔は」
「まぁ……」
サーシャは口元に手を当て、目を瞠る。繊細さとは程遠い兄の姿しか知らない彼女には、驚きの昔話だったようだ。
「ま、昔の話だ。今の奴が悩むとしたら、そうじゃなぁ、世界の終わりを予知したとかかな」
「まぁ、ご冗談を」
「うむ、冗談だ」
たとえそうだとしても、今のフォルスにできることはない。
彼とマグナは、とある事情で女神に封印がかけられているのだ。そのため、本来の力がほとんどゼロに近いところまで制限されている。今の状態では、一度か二度力を奮っただけで魔力切れを起こしてしまうだろう。
この封印は、かけた本人である女神にも解けない。
唯一解く方法は、必要な量の魔力を溜めることだ。すると一時的に封印が全解除され、封印段階が一つ下がる。それを何度か繰り返すことで、全ての力を取り戻すことができる。
しかし、解除に必要な魔力がまだ溜まっていない。マグナも似たような状況のはずだ。あと少しなのだが、そこまでの道のりが遠い。
おそらく、次に封印が解けるのは百年は先になるだろう。完全に力を取り戻すには、あと千年以上かかるかもしれない。
とは言え、十全の力が出せなくて困るかと言うと、特にそんなことはない。最近は平和すぎて、魔法を使うのは移動時と、マグナが植えた危険植物を排除する時くらいだ。
強いて問題を挙げるなら、ちっこい姿が気に入らないことくらいだろうか。
クリフは笑うし、アルグレンは嘆くし、トーザには憐れまれるし、キトラに至っては「せめてもう少し女の子寄りだったら……」などと別の意味で悲しまれる。むしろ危ないだろ。態度を変えないのはコトリくらいだ。ラーナは彼女にくっついているだけなので、特に問題ない。
「お兄様、遅いですね」
「そうだな。もう五分過ぎた」
そう呟いて、やっと程よく冷めた茶を口に含む。
茶は思ったより渋かった。だが嫌いではない。マグナの趣味が収集なら、フォルスの趣味は味見だ。コレは飲食の必要ない体だが、味わうことはできる。
人間の食は面白い――そんなことを考えていたところ。
「おまたせーっ! いやー、結構時間かかっちゃった」
「ぶはぁっ!!?」
扉を振り返ったフォルスは、飛び込んできたマグナの姿を見た瞬間、口に含んだ茶を盛大に噴いた。
「なっ、なん……なん……!?」
「えっへっへ。どう? 似合ってる?」
そう言って笑い、マグナはひらひらとその場で回転してみせる。
オレンジ色の髪には同色のウィッグが被せられ、高い位置で二つ結びにされている。動くたびにそれが耳の横でぴょこぴょこと揺れるのが、なんとも薄気味悪い。髪を縛る組紐には赤や黄の小石が散りばめられ、無駄にキラキラして目が痛かった。
服はやたらとフリルが多く、スカートの裾がふわっと広がったスタイル。けばけばしくない程度の赤を基調とし、襟や袖などは白でまとめている。膝上丈のタイツも白。足元は赤いエナメル靴で、ベルト止めに可愛らしい百合の飾りが付いていた。
童とは言え完全に女にしか見えない。レベルの高い女装である。
もともと女顔なので顔はあまり弄っていないようだが、そのせいで間違いなくマグナであると確信が持てる。
馬鹿かこいつ。馬鹿か。馬鹿なのか。
フォルスの脳みそから語彙が滝のように流れていき、目は地平線の彼方まで遠くなった。
「ねえねえ、似合ってるかって聞いてるんだけど? フォルスー? おーい、相棒よー」
放心しすぎて、揺らしても反応がない。
「……もしかして、僕が可愛すぎて昇天しちゃったのかな。ね、サーシャ?」
「ある意味では、そうでしょうね」
「やっぱり! いやはや、なんて罪作りな僕」
「確かに。よくお似合いですわ、お兄様」
「ありがとう! サーシャはいい子だなぁ」
その会話をどこか遠くに聞きながら、フォルスはぱたんと床に倒れた。
……もしかして、今日呼び出されたのはこれを見せられるためだったのか?
この、妙に生き生きした得体の知れないものを?
むちゃくちゃやるせない……。
この世界が創られ――女神に生み出され――原初の時より、事あるごとに顔を突き合わせ。その度に気に入らない、ぶちのめしてやりたいと思ってきたが、それ以外の感情をコイツに抱いたのは初めてだった。
むくっと起き上がったフォルスに、マグナとサーシャの視線が行った。
フォルスの顔からは表情が消え去り、完全に無の境地であった。
声をかけられる前に、彼は静かに口を開く。
「帰る。寝る」
「え、なんで。どうして?」
「寝て目が覚めれば、今日の悪夢を忘れられるかもしれん」
最終戦術、ふて寝。
ピコーンと何やら閃いたマグナは、今日一番の笑顔で言い放つ。
「じゃあ、君が起きる頃を見計らって会いに行くね! この格好で!」
「来るな! 来たら殺す!」
「あっはっは。怒った怒ったー。ま、そんなことよりさ、実はちょっと相談が……」
「知らん! くたばれ!」
「え、あ、ちょっ」
ありったけの本気を込めた捨て台詞を吐くや否や、唖然とするマグナを捨て置き、フォルスは扉を破壊する勢いで走り去った。
そして、棲み家に帰るや否や、宣言通りふて寝を決め込んだのである。
これが双方にとっての大誤算だった。
マグナはフォルスの行動が読めず、またフォルスは、マグナの呼び出しに大事な意味があるとは思いもしなかったのだった……。




