11. 暗躍
突然はじまった大地震と、それによって出来た深い亀裂に飲み込まれ、光匣は誰にも知られることなく地上から姿を消した。
彼を飲み込んだ亀裂は、ただ彼を隠すためだけに存在したのだとでも言うかのように、跡形もなく閉じてしまった。たとえ土砂を掘り返して探そうとしても無駄だ。光匣の姿は、二度と日の下に晒されることはないだろう。
次に彼が眠りの地に選んだのは、深い、深い、幾重にも重なる地層のもっと下。
人間の手が及ぶことのない、時が止まったかのような静かなる墓所。
水球のような美しいドーム状の天井に、青く光る花が咲き誇る神秘的な庭園。
光匣は心なしかくすんだ体を、その青い海に力なく横たえている。
そんな光匣を見上げる、四つの影があった。
塊は大小の差こそあれ、すべて人の形をしている。
男が三人、女が一人。
一人は巨漢。修道士が身につける真っ黒なスカプラリオに、フードを目深に被っている。その下の瞼は固く閉ざされ、口も真っ直ぐに結ばれている。じっと動かないことと相まって、大きな岩か像のようだ。
もう一人は二十代半ばと思しき優男。金色の髪にニコニコと人好きのする笑みを貼り付けているが、それが却って怪しさを漂わせている。見た目だけなら、腹黒さの欠片もない聖人のような男だ。
そして、十五、六歳ほどの少年。目つきが悪く、口も悪そうだ。髪は刈り上げで、くすんだ灰色をしている。南の部族が着る民族衣装のようなものを身に纏っており、剥き出しの肩からのぞく腕には引き締まった筋肉がついている。その割に四人の中では一番背が低い。
そしてただ一人の女は、妖艶と評するのがピッタリの完璧に近い美女だった。布に包んだ体は豊かな曲線を描き、深いスリットから白い足を惜しげもなく晒している。羽つきの扇でも持っていれば様になったことだろうが、今は随分とつまらなそうな顔をしていた。が、それでも彼女の美貌には一点の曇りもない。
「やあやあ、お久しぶりですねぇ。皆さん。まさか人間の世となってからもこうして集まることになろうとは」
優男が手を広げて大袈裟に口を開いた。
両隣にいる目つきの悪い少年と美女が、それをジロリと横目で睨む。
「何人か足んねぇけどな」
「それよ! なんで私がこんな男ばっかでムサ苦しいところに呼び出されなきゃならないのよ。せっかく可愛い娘に会えると思って来たのに……」
少年の一言に美女がくわっと食いついた。少年は面倒くさそうに指で耳をほじくりつつ、
「命令なんだから仕方ねぇだろ。どうせ毎日毎日女漁りしてんだろうが、お前はよ。それに比べたらほんの一瞬じゃねぇか。我慢しろ」
「何言ってるの? 漁りだなんて。私は彼女たちを宝石のように手厚く扱っているわよ」
「あはは、そのうち世界中の女性がキトラの毒牙にかかるかもしれませんね」
「あなたには本当の毒をお見舞いしてやるわよ、クリフ」
「あはは、遠慮します」
そう言って金髪の優男、クリフはひらひらと手を振る。謝罪のポーズにしては綿のように軽い。
周りがぎゃあぎゃあと騒ぐ中、巨漢が無言で掌を合わせる。
「…………」
「おや? トーザもこういう集まりは嫌でしたか?」
「…………」
「ああ、そういうことですか。確かに危険はありましたが、上手く行ったんです、良かったじゃないですか。手筈通りですよ」
「…………」
「そうですか? トーザは気弱――もとい、優しいですねぇ」
「いや、いい加減オメーは口で喋れよ」
少年が呆れたように溜息を漏らした。トーザは答える代わりに分厚い胸板をぐいっと反らす。これが平常運転だ、と言いたいらしい。何万回と繰り返したやりとりなので、少年はもう一度溜息をつくに留めた。
「さ、お喋りはこれくらいにして。キトラ、アルグレン、トーザ。そろそろ我々の仕事をしましょうか」
「一番喋ってたのはあんただけどね」
キトラのツッコミにもめげず、クリフはにこにこと呑気な顔。だが意見には賛成のようで、面倒くさがりながらも光匣に視線を伸ばした。
目つきの悪い少年、アルグレンが一歩前に出て同様に上を向く。
「そうだな。さっさと終わらせて、お前らの見飽きた顔ともおさらばするぜ」
「あんたたち三人とは、あと百年くらいは会わなくていいわね」
「おやおや。百年程度でいいんですか?」
「ええ、クリフが寂しいかと思って」
「…………」
「おっとすみません、トーザ。君の言う通りです」
いいから仕事を始めようとでも急かされたのか。クリフは申し訳無さそうに眉を下げながらも、その実まったく反省していない顔で笑った。
しかし光匣に向き直った瞬間、ただ緩いだけだった表情に変化が表れる。他の三人も同様だ。動から静へ。陽から陰へ。まるで目に見えない世界に半身を浸したようにこちら側の存在感が希薄になり、一方であちら側の気配が膨れ上がる。
「光匣を再稼働させます。フォルス兄上のご命令通りに――」
合図を発した瞬間、光匣が全体的に光を放った。
周囲を埋め尽くす花と同じ、神秘的な青い光を。
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「ご苦労だったな、お前たち。あと、無事に帰ってきて何よりだ」
黒猫を膝に乗せたフォルスが、重いカーテンのかかった薄暗い部屋の椅子の上で小さく笑った。
カーテンの隙間から差し込む僅かな日差しだけでも、夜空のような黒い瞳はちゃんと見えているようだ。
悪戯っぽい笑い方は企みが成功した時の顔。アイーダたちは帰ってきたばかりでまだ何も告げていないのだが、任務の成功を少しも疑っていないらしい。謎だらけちびっこマスターのことだから、早馬のような手段があるのかもしれない。
だがそんなことよりも、アイーダとイオリには言いたいことがあった。さっきから口がムズムズして気持ちが悪いのだ。
「マスター、今のすっごく悪役っぽい」
「何をっ?!」
「いや、だって部屋暗いし。猫撫でてるし。笑い方が黒いし」
イオリもうんうんと頷いている。
「典型だな。見た目も黒いし」
「やっぱりそう思うよねぇ」
「そんなことで人を悪役にするなっ」
フォルスはばんっと机を叩いた。
頷き合っている二人に小さな肩を怒らせて抗議するけれど、全然効いた様子はない。というか聞いていない。なぜだろう。声は小さくないのだが。
悪役っぽいと言われたくらいで顔を真赤にするのも大人げない気がして、フォルスは感情に生えた棘を一本一本へし折りながら、平然を装って咳払いした。
「ごほん。それでだな、任務の件だが」
「どっちのこと?」
「依頼ではない方だ」
「ああ。言われたとおりにやったよ。ちゃんと調査を中止させた」
――依頼の件で呼び出された際、それとは別にフォルスにあることを命じられていた。
なるべく早いうちに、誰にも悟られることなく、光匣の調査を終わらせること。
そのための方策も用意されていた。
というのが、"一旦光匣内に侵入して、飛んできた攻撃を避けること"だった。
そんなことで調査が中止となるのかとか、簡単すぎるとか、調査を妨害する理由も含めて疑問はあったが彼女たちは受け入れた。
実際にやってみると、思ったより命懸けだった。フォルスは詳しいことは説明しなかったので、一瞬で敵を溶かすような強力な攻撃手段があるなんて知らなかったのだ。少しでもミスれば、イオリは光の槍に貫かれ命を落としたことだろう。フォルスの感覚は常人とはちょっと違うため、「これくらい出来るじゃろー」と軽く考えたに違いない。実際出来てしまったわけだが、攻撃を避ける役のイオリも、彼女を投げ飛ばす役のアイーダも内心ではハラハラしていた。
「すまなかったな。依頼主を裏切るようなことをお前たちにさせて」
「いや、何か理由があるんだろうし。それに、依頼内容はちゃんと守ったよ? あちらさんの言う通りにした」
「うむ。よくやった。さすがはお前たちだ」
フォルスは満足げに目を細めた。
そういうのが悪役っぽいんだけど――と言いたい気持ちを抑え、アイーダは疑問に思っていたことを尋ねる。
「命令だからホイホイ言うこと聞いたけどさ、なんで光匣の調査を邪魔する必要があったの? 悪用されると困るから?」
「そういうことではないのだが」
そこで言葉を切ったのは、もしかしたらアイーダたちがこれ以上踏み込まないのではと期待したからだ。
けれど、予想に反して彼女たちはフォルスの返答を待った。
聖遺物の調査隊を護衛せよ、という国からの依頼と。
国の調査を中止させよ、というフォルスの命令。
一見相反する二つの指示。
国の依頼を反故にしないよう働きながらも、フォルスの命令を実際にこなしたのはアイーダたち三人だ。
疑問は当然あっただろう。もしかしたら、顔には出さなかったが気乗りしない案件だったかもしれない。
それでも彼女らは従ってくれた。
ならば、疑問には答えるのが誠実さというものだろう。
「あれには人間が触れてはならぬものが封印されておる。人間だけではない。俺らとて、なるべく関わらんようにしておる。もし封印が解かれたら、この世界にどれほどの影響が出るか分からんからな」
「影響?」
フォルスは聞き返したイオリに瞳を向けた。
「決して良い影響ではない。人間、いやこの世のためになることなど、万に一つもない。絶対だ」
「……何が封印されているのか、聞いてもよろしいだろうか」
「いくらお前たちであっても、ハッキリとしたことは教えられん。が、触りだけなら答えてもよかろう」
そう言ってフォルスは、人差し指で右の瞼をなぞる。どことなく憂いを覗かせたその顔が、ぞっとするほどの寒気を帯びた。
「あれに封印されておるのは、千年級の一部だ」
思いもしなかった返答に、アイーダもイオリも言葉が出なかった。
ただただ驚いた。その上、驚愕よりも困惑が勝っていた。
千年級――記録に残っている五百年級よりも更に上、伝承の、しかも未来に起こるとされる予言の章にしか出てこない、伝説の魔物。
魔物の力が極まった時代に出現し世界を滅ぼすとされているが、もちろん言い伝えに過ぎない。
けれど五百年級は実在するのだ。千年級などという化け物がいずれ生まれても不思議ではないかも、と何となく信じる向きが世の大勢である。
普段から魔物を相手にしている戦士の場合、荒唐無稽と断じるほどではないが、自分の目で見たら信じるという者が多い。半信半疑だ。アイーダたちもその口だった。
だから、フォルスの回答に咄嗟に反応を返せなかった。
普通の人間よりも長生きしていて、普通の人間よりも多くのことを知っている人物――そんな彼が口にしたとあれば、信じるしかないではないか。
千年級。世界を終わらせる怪物の存在を。
そんな大それた話、聞きたくなかった。
正直に言って、聞きたくなかった。
「どうした? 呆けた顔をして」
「ええっと、予想外の答えが返ってきたから、つい……。タケノコだと思って掘り返したらツチノコだった、みたいな」
「なんだその珍妙な例えは」
とぼけた顔で阿呆みたいなことを言い出したアイーダに、じとっとした半眼を向けるフォルス。そんな目で見られる筋合いはないと、アイーダは逆にいきり立つ。
「いやいや、呆けた顔にもなるでしょうよ! いきなりラスボスの存在を突きつけられて、唖然としない人間がいますかっての!」
「はぁ? 終末世界の神話なんぞ子供でも知っておるだろうが」
「半分作り話だと思ってたんだよっ」
「ええぇ、嘘じゃろ?」
「そりゃこっちの反応だっての! 普通の人間にとって神話はおとぎ話も同然なの! 現実的でない話には距離を置くの!」
「実在するのに現実的でないとはどういう意味だ?」
「うわああこのちびっこ、泳いでる魚を見たことがないお貴族様みたいなこと言い出した」
「……それは俺に常識がないと言いたいのか?」
非難の眼差しを向けても無駄だった。こっちを見てすらいない。イオリはイオリで、どこか遠い目をしてアイーダに謝っている。「不用意に尋ねたりしてすまなかった……」とはどういう意味なのか。
「とにかく! 今のは聞かなかったことにする。するからねっ」
「別にいいぞ。その時が来れば分かるしな」
「絶対来るって言ってるようなもんじゃん……」
アイーダはがっくしと項垂れる。彼女らが動揺する理由が分からないフォルスは首を傾げるばかりだ。
千年級が世に出現すれば、抵抗する暇もなく殺されるのだ。うろたえたって無駄ではないか。もちろん、フォルスだって黙って魔物などの好きにさせるつもりはないが。
「……ところで、さっきから俺も聞きたいことがあるのだが」
会話が途切れたところで、フォルスはアイーダとイオリをじっと見やりながら口を開いた。
「なに?」
「ジーンのことなんだがの」
「…………」
「姿が見えんようなんだが」
「…………」
ふいっと目を逸らす二人の様子に何かを察したフォルスは、絶望したように両手で顔を覆った。
「はぐれたのか……!」




