9. 痛恨
踏み込むと同時に、ジーンは両手に握った大剣を力任せに斜め上へ振り抜いた。
何の変哲もないただの魔力が、研ぎ澄まされた見えない刃となって剣を覆う。その結果、触れていないにもかかわらず、ロック・ゴーレムの手足が宙を飛んだ。
真後ろ以外、ほぼ360度の攻撃。
堅いはずのロック・ゴーレムの鎧すら安々と切り裂くそれは、周囲に他の人間がいては放てない。アイーダも、少しでもジーンから離れていたら危なかった。
完全に仕留めたのは四体。さすが岩の化け物、十年級とはいえ頑丈でしぶとい。というより、四体まとめて両断できることが人並み外れているのだが。残る六体にも傷をつけた。正面の敵は全滅だ。
突然、ジーンは背中に衝撃を感じた。重みで体が前につんのめる。たたらを踏む前に耐えたが、なんとなく恨みがましい目を上空に向けた。
「跳ぶなら先に言え」
「失礼、跳ぶよ」
「だから先に言えと」
ジーンの背中を踏み出しにして高く跳び上がったアイーダは、彼を眼下に見ながらスマン、と笑う。
しかし、そんな彼女を轟音が襲う。前に顔を戻すと、地面から大量の岩の塊が噴水のように吹き上がっていた。
逃げ場のない岩のカーテンへ、アイーダは迷うことなく突っ込む。武器の頑丈さに物を言わせ、行く手を阻む岩を砕き進んだ。砕いた破片が手足に小さな切り傷を創る。それでも彼女は止まらない。目を爛々と輝かせ、さらには愉悦さえも滲ませて、目的の大物へ一直線に跳ぶアイーダは、意気揚々と舌なめずりをした。
(やれやれ)
狂戦士の片鱗を見せ始めたアイーダを見送ると、ジーンは軽く頭を振る。勇猛なのはいいが、欲張り過ぎではないかと思うのだ。
人間が魔物から魔力を奪うのは、相手に傷をつけた時だ。より多く、深い傷を負わせた者がそれに見合った量の魔力を吸収する。
チームで戦う場合、横取りだのなんだのといった喧嘩はしないのがルール。手っ取り早く、早い者勝ちである。
だから別にそのことで文句を言うつもりはない。
ただ、さすがに彼女でも、五十年級を同時に二体相手にするは厳しいのではないかと思っただけだ。
(まあ、いざとなればイオリが何とかするか)
妙なところで変わった価値観をもつ彼女は、ギリギリまで手を出さなそうだが。見捨てることはしないはずだ。
(手早く終わらせて観戦でもするか)
イオリがやるなら自分は大人しく見ておこうと思うジーンである。
生き残ったロック・ゴーレムは六体。うち三体は虫の息で、数に入れる必要を感じない。だが、魔法持ちだと面倒なので先に潰しておく。
一番厄介なのは光匣だ。光の槍ではなく、城壁の方。下手すると大剣で傷つけかねないが、マスターからそれだけは絶対にするなと強く言い含められている。
全く面倒な。自分と敵以外いなければいいのに。
そう思いながら、先にやると決めた三体全ての頭を、大雑把な攻撃を掻い潜りつつ落として回った。
(そういえば残っているな)
さっきから、倒した敵が消滅しない。死体が死体のまま残っているのだ。
理由は一つしか思い浮かばない。疑似迷宮の条件が崩れたのだ。原因は大地震だろうか。
何にしろ、これなら敵を殲滅できる。
自分に向かって放たれる攻撃の気配を察知すると同時に、ジーンはその攻撃に剣圧をぶつけて相殺した。
直後、つららを逆さにしたような岩山が、彼を避けるようにしていくつも生える。
それを大剣の横薙ぎでへし折り、粉々に砕いたそれをロック・ゴーレムに向かって吹き飛ばした。
元を辿れば自分の攻撃を食らったロック・ゴーレムは、体のあちこちに穴を穿たれてバランスを欠く。自重で崩れてしまえば、あとはとどめを刺すだけだ。
そう思い、残る二体に目を向けたところ――。
突然、一体のロック・ゴーレムが倒れた仲間を踏み潰した。大量のガラスが割れるような耳障りな音が響き渡り、殺された魔物から殺した魔物へ、黒い靄が濁流のように流れ込む。間髪入れず、そいつは残る一体にも必殺の一撃を食らわせ、魔力を奪い取った。
魔物だからなのか、それとも岩の怪物だからなのか。
仲間を殺すのに、何の迷いもないように見えた。
黒い靄を体に取り込むにつれ、ロック・ゴーレムの輪郭がじわじわと膨らんでいく。
一回りほど大きくなったところで肥大化は止まる。
だが、所詮は十年級三体分だ。悪あがきにも程があるというもの。
ジーンは大剣をガツン、と足元に深く突き立てた。柄を押し込みながら、反時計回りに回転させる。カチリと小さな音が鳴ったところで、一気に引き抜く。
――大剣の中から一振りのロングソードが、すらりと姿を現した。
無駄な装飾の一切ないそれは、鬼火のような青白い光を反射している。まるで剣に囚われた魂が、久方ぶりに空気に触れた喜びに歓声を上げているかのように。
ロック・ゴーレムの咆哮。大地を文字通り揺るがし、地面を海面のように波立たせる。
ジーンは自分の体が沈む前に地を蹴った。足裏に魔力で圧を纏わりつかせ、堅い地面を走るのと変わらないどころか、より速い速度で疾駆する。大剣の重みがなくなった分、体が軽くなったようだ。
彼はそのままロック・ゴーレムの後方まで駆け抜けた。
ひたり、と静寂が訪れる。
剣を振り下ろした姿勢で立ち止まったジーンは、ゆっくりと膝を伸ばして立ち上がる。
ゴトッ、ガンッ、ガン――
崩れ落ちる石の玩具には、一瞥すらもくれない。
彼の背後には、いくつかの魔物の残骸と、大きく波打ったまま固まってしまった丘陵だけが残った。
+++
五十年級という魔物は、通常なら一人で対応するようなものではない。ましてや、二体同時ならなおさらだ。
分が悪いことは自覚していたが、一対一なら倒せるという自信が、より上のステージに進みたいという欲求を押し通した。
だって、こんなチャンスはなかなかないのだ。強敵を二体も同時に相手にする機会なんて。
高さだけなら、ジーンが相手をしているロック・ゴーレムの方が上だ。というのも、現れた五十年級は地面に這いつくばったトカゲのような形をしていたからだ。けれど全長はこちらの方が大きい。セントーアのような馬鹿でかさはないが、人馬が牽く車両二両分くらいはあるだろうか。人が何十人と乗れる大きさだ。
頭が平べったく、胴体は太い。目はぎょろりと飛び出していて、どこを見ているのかいまいち分かりにくい。長い尾は薇のようにぐるぐると巻いていて、見た目はほとんどカメレオン。
ぱっと見で分かる脅威は視界の広さだろうか。左右の目玉を別個に動かせる。それが二体。死角はないと思った方がよさそうだ。他には体色の変化、伸びる舌。だが魔物は全身が凶器になりうる。魔法の有無もまだ分からない。分からないのが一番怖い。
「つーわけで、攻撃あるのみっ」
クラン一の猪突猛進ぶりを発揮し、近い方のカメレオンに突撃をかます。目はその一体しか見ていない。
真正面から立ち向かってくるアイーダに、敵もまた真正面から迎え撃つ。十分引きつけて――目にも留まらぬ速さで、長い舌がアイーダを捉える。
ピッとアイーダの頬に赤い線が走ったが、彼女はちらりと目を動かすだけで一向に止まらなかった。
すぐに戻っていった舌が、再びさっきの速度で繰り出される。
今度はアイーダも大きく避けた。
その瞬間、彼女がいた地点が、爆発するように粉砕される。その中心に一瞬、別の赤黒い舌先が見えた。
一回目の攻撃で彼女が避けないことを確認したカメレオンの魔物が、今度は二体同時に仕掛けてきたのだ。
(様子見とは余裕だね)
アイーダは心の中で皮肉げに呟くと、ハルバードを下から掬い上げるように真横へ振るう。
滑るように空中移動した白銀の刃は、音もなく長い舌の半分から先を切り離した。
カメレオンのまるい目玉がギョッとびくついたのは気のせいだろうか。
だが、怯ませたのは確かだ。
アイーダは渾身の力で敵の頭に得物を振り下ろそうとして――目の前が切り替わるように敵の姿を見失い、刃は何もない地面を砕いた。
目は自然と敵を探す。だが、周囲には何もいない。いや、見えない。
けれど彼女には鬼の角があった。
鬼族にとって鬼の角は第六の感覚器官で、人族とのハーフである彼女にも備わっている。龍人族の龍角が魔力を感知するのに対し、鬼の角は危険というあやふやな気配を感じ取る。二度目の攻撃を避けたのも、角のおかげだ。
背筋をピリピリとした信号が駆け巡り、頼みの角が危険を知らせる。
避けようとした瞬間、視界の端にカメレオンの姿が出現した。
(……っ!?)
ぴりっとした痛みがふくらはぎに走る。突然現れた敵の姿に目が眩み、避ける距離を誤ってしまったのだ。
次は絶対間違えないと気負っていると、また突然視界に入ってきた姿に意識を奪われる。
しかも、姿を見せるのは決まって一体だけ。そういうことが数回重なると、アイーダにも我慢の限界が訪れた。
「あああ、鬱陶しい!」
まずい、と頭のどこかで分かっていたが、一度入ってしまったスイッチは切り替えられなかった。
目に入った一体に絞って突進する彼女の足を、何かが攫おうとした。鬼の角でそれを察知したアイーダは難なくかわしたが、続く攻撃を避けられなかった。
「ぬあっ!?」
武器ごと胴体を、長い舌に巻き取られてしまう。
鬼族の血を引くアイーダが押し負けるほどの力だ。頑丈な体のおかげで耐えているが、ただの人間だったらとうに骨が折れているだろう。
「こ……のっ!」
渾身の力で、舌と体の間を押し広げようとする。わずかな隙間は空いたが、逃げられる程ではない。舌が何重にも巻き付いているせいで、ただ力を込めるだけでは足りなかった。
そこへ、アイーダが舌を切り取った方の魔物がドスンドスンと近づいてくる。二つの目は前を向いておらず、キョロキョロとどこかへ動かしている。それが酷く不気味で腹立たしい。
怒りで血管がブチ切れそうだった。眦は吊り上がり、小さな牙が心なしか伸びている。
じわじわと、しかし確実に拘束する力を押し返しつつあった。
ハルバードの切っ先が微妙に揺れる。
――あと少し。
だが、敵が待つことはない。アイーダの異変を感じ取ったのか、むしろ少し早くなったように見える。
目の前で魔物が大きく口を開いた。
ふと、半月ほど前に、ディーノと訓練で山に篭もったことを思い出す。あの時、一角タイガーに追い詰められたディーノは、今のアイーダのように大きな口で食べられそうになったのだ。戦士になりたての子供と似たような状況に置かれたことが可笑しくて、アイーダはつい笑ってしまった。
突然、魔物の口が弾け飛んだ。口どころか、頭ごと無くなってしまったようだ。
イオリだ。たった、たったの一撃――。
まるで潰れたザクロのように形を失う敵を睨みながら、アイーダは吐き捨てる。
「畜生……っ」
倒せなかった。自分ひとりの力で。
分かってはいたが、今の実力ではまだ届かないものの方が多い。
イオリやジーンの背中を見ているしかない。
「くっそー!」
悔しさを叫びに変えて、アイーダは吠えた。
ぶちぶちと千切れる音がそこかしこで連鎖する。体を縛っていた長い舌からだ。地面に叩きつけようとでもいうのか、魔物は彼女ごと高く掲げる。
だがそれよりも早く、アイーダの右手が自由を取り戻した。
銀閃が縦横無尽に走り回り、一拍遅れて、魔物の舌がバラバラと崩れた。
アイーダはすとんと着地すると、間髪入れず敵の腹下に滑り込む。
そして、逞しい右足で巨体を宙へ蹴り上げた。
一発、二発、三発。
連続して繰り出される力技が、魔物の腹に深く食い込む。四本の足は空中でジタバタと藻掻くが、腹下の人間には届かない。
アイーダのふくらはぎから太腿にかけて、ミミズ腫れのような入れ墨が浮かんでいた。それは服の下を通り、手首や首元にまで到達している。
びゅんっと風が唸る音がしたと思えば、アイーダの顔の横に、伸び切った魔物の尾があった。丸太よりも太いそれは、添えられた掌でピタリと静止している。ただそれだけなのに、全身の筋肉が硬直したように動かなかった。
異常な握力で掴んだまま、アイーダは空中で体を捻る。
カメレオンに似た魔物は大きくスイングし、地面に叩きつけられた。岩の大地に蜂の巣のような亀裂が走った。
しゃりん、とハルバードの刃が煌めく。
オレンジ色に燃え上がった瞳が、ただ一点、無防備に晒された急所を見据える。
一閃。
ズドン、という衝突音がした後、半ば柄を埋め込むような形で喉を貫かれた、魔物の死体がそこにあった。
動かなくなった敵を前に、アイーダは自分の体を見下ろす。入れ墨は消え、目も牙ももとの形に戻っている。
――あの力が最初から出せれば。完全な鬼に生まれたらよかったのに。
何度そう思ったかしれない。考えても仕方のない類の悩みで、価値のある答えは誰も与えてくれない。
いや。一人だけ、いた。生まれてすぐ山に捨てられた彼女を拾って育ててくれた、見た目は若いけど中身は爺のマスターが。
「何も考えずに突っ走れ、か」
そしたら、その先に望むものが得られるのだろうか。
分からない、けど……。
「ま、五十年級、一匹は倒したんだし、今はこれで我慢すっか」
あの人を信じるのは容易いことだ。
自分にとって、神様のような人だから。
(絶対口には出さないけどね)
悔しさと情けなさを残して、アイーダの戦いも終わった。
+++
ゴゴゴ……という低い音が、振動と共に靴の裏にどよめく。
崖上で戦いを見守っていた調査隊の面々は、皆不安そうな面持ちで周囲を見回した。
小石が振動で小刻みに揺れ、ぱらぱらと斜面を斜面を転がり落ちていく。先程の鳴動に比べるとかなり大人しい揺れだが、なぜかさっきより生きた心地がしない。絶えず耳に残る重低音のせいだろうか。
腹の底を無遠慮に掻き回すような不快感。
次は何が起こるのか、恐怖が足を伝って這い上がってきて、せっかくの勝利の余韻も完全に吹き飛んでしまった。だというのに、すぐさま行動に移そうとする人間はいない。パニックにならないだけマシかもしれないが。
その様子を崖下で見ていたアイーダは、ふうと鋭く息を吐く。そして、崖上に向かって大きく声を張り上げた。
「何やってんの! 早くここから脱出するよ! じゃないと全員生き埋めだかんね!」
彼女の警告に、皆はぎょっと言葉を詰まらせた。
生き埋めはごめんだ。全員の顔にそう書いてある。だが、それでもなお光匣と自分の命とを天秤にかけようとする者もいて、アイーダやジーンを呆れさせた。
彼らの考えを改めさせたのは、イオリに背負われて戻ってきたサラの言葉だった。
「逃げましょう。このままここにいても、どうすることもできないわ。もし光匣が無事だったら、戻ってきて調査を再開すればいいのよ」
疲れたような、諦めたような口調だった。口ではそう言いつつも、本当は察していたのだろう。
光匣の調査はここでお終いだと。




