7. 飛躍
翌日も快晴だった。
現場につくと、新たな崩落や土砂崩れなどは起きていなかったので、調査員達は胸を撫で下ろした。皆平然と動いているので忘れがちになるが、一つ間違えば命に関わる危険な現場だ。いつ何時だって気は抜けないのだが、彼女たちは仕事熱心である。
「よかったー! 光匣は無事だわ! 埋もれてやいないかと一晩中ヒヤヒヤして眠れなかったのよね」
「ちゃんと寝てくださいよ、班長。倒れたらどうするんですか」
「朝食は食べたから大丈夫よ」
「そういう問題じゃないでしょう……」
逞しい彼らの後に続いて崖上に立ちながら、アイーダはうげっと半眼になる。今日も光匣に群がる黒いハエどもは元気だった。
「うわぁ。今日もいるよ。うじゃうじゃと」
「本当だ。完璧に囲っているな」
「見事だ」
何が見事なのかと胡乱げにジーンを振り返るが、彼はじっと動かずに魔物たちを見下ろしている。邪悪な黒山を一掃する算段でもつけているのだろうか。大量の魔物を前にしたら、プチプチ潰したくなる気持ちはよく分かる。
しかし残念ながら、それは無理な相談だ。いかに彼が優れた殲滅力を有する戦士でも、迷宮の魔物を壊滅させることは不可能なのだ。それを果たすには、迷宮そのものを本当の意味で破壊しなければならない。そんなことができる人間がいたとは、古今東西聞いたことがない。
そういうわけで、彼らの仕事は今日も調査員たちの護衛と露払いだった。
「アイーダさん、左の敵を退かして! 二つ目の石柱ら辺――ありがと! リコリス行くわよ!」
駆け出したサラとリコリスの背後で、黒い塊がヌゥっと地面から浮かび上がる――と思った次の瞬間には、塊は形を成す前にイオリの射撃で吹き飛ばされた。
調査班を中心とした円の中に、一匹たりとも魔物を入れない。それが護衛の際に決めたルールだ。
ここにいる魔物たちは、基本的には光匣に群がっている。崖上くらい離れていれば人間には興味を示さないが、攻撃された場合は別だった。普通の魔物と同じように襲ってくる。
アイーダたちはヨルや他の騎士たちと協力しつつ、魔物を屠ることに専念した。
小粒の魔物は脅威ではない。軽く薙げば、それだけで消し飛ぶ。疑似迷宮の特殊効果で死体はすぐに大地に還るため、血や臓物の生臭さも残らない。
ただ、体力と精神力が試され続けた。
三体、五体が同時に飛びかかってくるのは当たり前。背後で守る調査員たちは普通の人間で、たった一撃が致命傷になりかねない。だから、一体たりとも通すわけにはいかない。イオリが崖上から全体を見通してくれているので、滅多なことはないだろうが。
二、三時間もすると体力と神経を擦り減らした騎士が何名か脱落し、安全な円の中へ運ばれたりもしたが、概ね予定通りに事は運んだ。
「実入りが少ない」
そんなこんなで午前が終わりに差し掛かろうという時、突然サラがぼそりと零した。さも不満げに。そして、魔物の群れに武器を振るうアイーダへ呼びかける。
「ねえ、〈千年氷柱〉さん。あなたたちの力で、私だけでもあそこに連れて行ってくれないかしら?」
「へあ?」
アイーダは玉のような汗を飛ばし、そんなこと言うサラを振り返った。近くにいた騎士に持ち場を託して、足早に彼女のもとへ駆け寄る。
「どこだって?」
依頼主の要望なら、少しくらい無茶だろうが考える必要がある。そして、少しくらいの無茶ならばやり遂げる自信が彼女らにはあった。
「あそこ。光匣の頭部よ」
頭部。イオリが「頭部のように」と言ったのと全く同じ表現で、城門の真向かいにある胸壁に囲まれた塔の最上部をそう呼ぶ。
壁の外側からでも見えるくらい大きなそれを、アイーダはハルバードを肩に担いだ格好で眺めた。そこからなぜか視線をもっと上、首を曲げるくらいの上空へ移しながら、
「あっこかー。まあ行けそうかな」
「ほんと!? じゃあお願いできる?」
「いいよいいよ。他の二人も呼ぶけど」
「ええ、頼んだわ!」
三人を一箇所に集めるということは、防御が手薄になるということでもある。その分ヨルや騎士の負担が大きくなる。
だが、サラは満面の笑みで許可した。
それなら……とアイーダは二人を呼ぶ。手短に依頼者の要望を伝えれば、二人とも自分のやることが分かったようで、二つ返事に頷いた。
「ではこっちに来てくれ、サラ殿」
「うん?」
ホイホイと手招きするイオリに、サラは意味が分からず小首を傾げる。最奥の塔へ行くには、城壁をぐるっと回り込まなければならない。しかし、イオリがいるのは城門の真正面――進行方向とは逆だったのだ。
戸惑いながらも言われた通りにするサラに、もっと困惑する事態が襲いかかった。
「失礼」
「きゃあ!?」
可愛らしい悲鳴を上げる。何事かと見ていた調査員や騎士も、ぎょっと目を瞠った。
イオリがサラを横抱きに抱え上げたのだ。旅続きの賜物か意外にもしっかりした肉付きの背に手を回し、もう片方の手で腿を固定し、地面についた片膝にサラの尻を載せる。まるで王子様に抱かれる姫のような心地に――なるはずもなく。
周囲が、こんな時に何を? と思ったのも無理はない。
身を固くして縮こまるサラに心の中で謝りながら、アイーダはジーンにサインを送る。
ジーンが大剣を大地に突き立てた。サラを抱えたイオリの踵から少し離れたところに、斜めに刃を滑り込ませる。熊が何回蹴ってもビクともしなさそうな岩盤が、溶けたバターみたいに容易く裂かれた段階になって、サラや周囲の人間はハッと我に返った。
「な、何を――!?」
「口を閉じていろ」
ボコッ――と、泥水が空気を吐くような音がサラの耳に届いた。何らかの圧のようなものが、真下に走ったのを感じる。と同時に、未だ嘗て味わったことのない浮遊感が全身を襲った。
「きっ……」
反射的に悲鳴を上げかけたが、辛うじて耳に残っていたジーンの忠告が口を噤ませる。
サラは自分の目が信じられなかった。
体が浮いている。それも少し跳躍した程度ではなく、鳥が飛ぶような高さだった。
なぜイオリが平然としていられるのか理解できない。
サラは思わず下を見て、すぐさま後悔する。
光匣の城門がはるか真下にあった。
ここからどうする? どうなる?
まさか――。
「そんじゃあ一気にふっ飛ばすよ! 舌ぁ噛まないように気をつけな!」
イオリたちを乗せた岩盤を追いかけて、アイーダがいつの間にか背後に並んでいた。
嘘でしょ、という言葉を喉の奥に呑み込む。
アイーダは空中で器用に体を捻り、ハルバードを大きく振りかぶった。横顔から覗くオレンジ色の瞳が鋭く、目標を見据える。
「ふっ――」
爆発に巻き込まれたかのような衝撃が体に加わる。サラはぎゅっと目を閉じてイオリの胸にしがみついたが、全身がバラバラになりそうな加速に耐えるのが精一杯だった。
城壁を跨いだ瞬間、言い知れぬ悪寒――敵意――が肌を撫でる。
刹那、真っ白な光が岩盤を貫いた。岩の塊に大きな穴が空き、その向こうに真っ青な空が覗く。
必殺の一撃。
だが、すでに彼女たちの姿はそこにない。敵意を察すると同時に、イオリは瞬間移動のような素早さで光匣の胸壁に着地していたのだった。
とっ、と軽い靴音を立てて、黒いポニーテールを靡かせながら、イオリは城門《来た道》を振り返った。
彼女を途中まで乗せていた岩盤が砕け散り、パラパラと落下していくところだった。
「上手く行ったな。さすがにここへは光の槍も飛んでこないようだ」
足から床に降ろされたが、サラはへなへなと座り込んでしまった。足も手も唇も、冬の湖に落ちたようにブルブルと震えている。
イオリに抱えられ、ジーンに土台ごと放り出され、アイーダに彗星のごとくかっ飛ばされるまでは比較的平気だった。せいぜい顔が真っ青になるくらいで。
しかしその後、光匣の敵意が脳を揺さぶった瞬間、本能が終わりを悟った。
死ぬのだと思った。いや、今も半分死んでいるのだと思う。片足を棺桶に突っ込んだまま、戻ろうか寝そべろうか迷っている段階だ。
無茶苦茶だった。
戦士と呼ばれる者たちに関して、サラはそれほど詳しくない。個人的な護衛として雇っているヨルは、時折人外のような動きを見せる。だが長い鍛錬の軌跡のようなものも垣間見えて、納得の行くレベルだった。人並み外れているけど、人なのだと。
だが、〈千年氷柱〉からやって来た三人は人並みの度が外れていた。強いということは、単に強敵と戦えるというだけではない。採れる手段が増えるということだ。
たとえば山のように巨大な生物が行路を塞いでいたとして、普通なら迂回するところだが、彼らは即席のトンネルでも掘って進むのだろう。
そのことを体で理解したのだった。




