16. 宴のはじまりと新たな決意
時を告げる鐘が街に鳴り響いた。
日は沈みかけ、空は赤。最後のひと仕事とばかりに眩く輝く太陽を西の城壁越しに見ながら、王都市民は家路へ着く。
細長い棒の先に火を灯した少年が、何かの儀式のように街中を歩き回っている。彼らが歩いた後には、街灯に古めかしい炎の明かりが揺らめいた。
街の至るところに飾られた美しいハンギングバスケット。カラカラに干からびる前に取り替えるのは、主に老婆や少女の役目だ。
そもそも街路に花を飾る風習は、何代か前の王妃を慰めるために街の女たちがはじめたのがきっかけだった。二人の王子たちを次々に病気で失った花好きの彼女のため、国王のため、そして王子たちの慰霊のため、市民の間にあっという間に広まったという。それが今日まで続いているのは、豊かな王都だからこそだろう。花を育て、飾るゆとりがあるというのは、豊かさの証明に他ならない。
風が吹き、花びらが舞う。その中を子供たちが駆け、住宅街に笑い声がこだまする。そろそろ店仕舞をするところもポツポツ現れ、絵を描いていた芸術家志望の若者はキャンパスを畳んで立ち上がる。家に帰ったら晩ごはんを食べて、寝る支度をしようと考えはじめたところで。
「コケコッコーっ!!」
ニワトリ(?)の元気な鳴き声が、とある宴のはじまりを告げるのだった。
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蓄魔器式のランプで明るく照らされた、屋敷前のロータリー。中央にある青い花の咲いた円形花壇を囲むように、屋敷から運び出された長テーブルが設置されている。
レースで縁取った白いテーブルクロス。
卓上を彩るのはもちろん、マカロフの手になる料理の数々だ。この日のためにグリモロジェが育てた花たちも、見た目の演出に一役買っている。
が、最も目を引くのは、花壇の中央にどかーんと突き刺さった氷のオブジェだろう。
ディーノは見たことのない生き物だが、それはそれは見事なカジキが氷の中に閉じ込められているのだった。
(あれは誰の……いや、マスターの仕業だろうな。言うまでもなく……)
そんな異様な光景にも慣れた頃、玄関の扉が開いて、両手と頭に肉を盛った皿を載せたマカロフが現れた。
「ほれ、持ってきたぞ! これが最後の皿だ。遠慮なくたーんと食べい!」
「ひゃっはー肉だー!」
「早いもの勝ちー!」
マカロフが持ってきた新しい生肉の山に、ジラルトとアイーダが我先にと飛びつく。レンガを積んで作った即席の竈に金網を渡し、その場で焼いて食べるのだ。ディーノは山籠りの前にアイーダと一緒に串焼き肉を買って食べたが、それとはまた違う趣きがあってとても美味しい。マカロフ特製のソースがこれまた良いアクセントをつけている。
ちなみにデアレッド捕獲の賞品だった赤月オーロックス肉最高級部位だが、肉の調達係であるクロムとシャムス、協力して任務を達成したディーノ、フェリス、ノアが自分の取り分を貰った後は、残りの肉を賭けてアイーダとジラルトの壮絶な闘いが始まったのだった。
そんな中、ちゃっかり自分の分を確保するジーンとバルヘルムはさすがと言うべきか。残量が減っていることに気付かず、アイーダとジラルトが足の引っ張り合いを繰り広げる姿はちょっと、いやかなり面白かった。
肉は野生のものとは思えないほど柔らかくて、美味しかった。自分が食べているのは肉ではなく、別の何かなんじゃないかと思ったほどだ。
ボムエッグを使ったオムレツも、今まで味わったことのないまろやかさが口の中に広がり、思わず笑顔が浮かんだ。貴族のノアやフェリスですら虜にするのも納得だった。
「そういえば、二人は家に帰らなくて大丈夫なんですか? 門限とか」
近くにいたフェリスとノアに尋ねると、ノアが口をもぐもぐさせながら何度も頷いた。
どうやら大丈夫らしい。彼女の場合、祖父であるバルヘルムが一緒だから不思議はないのか。
「フェリスさ――フェリスは」
「わたしも平気よ。今晩はノアの家にお世話になるって言ってあるから。んふふー」
蕩けるような笑顔でオムレツを頬張るフェリス。幸せそうだな、と微笑ましい気持ちになる一方で、貴族って結構緩いんだなと意外に思うディーノである。
従者の一人でもつきそうなものだが、フェリスは家の馬車すら使わない。貴族たちの住む上街から南西地区まで、自分の足で歩いてくるのだ。平民の自分にも呼び捨てを強いるだけのことはある。別に褒めているわけではないが。
「ふふっ」
「な、なんですか? ノ、ア」
突然笑い出したノアから半身引いて尋ねる。
「いやぁ、呼び方、まだまだ慣れないなぁと思って」
ニヤニヤしながら彼女が言い出したのは、今朝から変えた二人に対する呼び方の件だった。
フェリスの希望通り、さん付けを止めて呼び捨てすることにしたのだ。フェリスだけでなくノアも呼び捨てなのは、一人より二人同時の方が思い切りがつくと考えたからである。
頑張ってはいるが、やはり違和感というか、恥ずかしさはある。
「だって、いきなりは難しいですよ。それにおれ、今まで呼び捨てし合うような友達いたことないですし」
「さらっと悲しいこと言わないで」
「あはは……」
ディーノは小さい頃魔物に襲われ、名も知らない戦士に助けられた。それもあって彼は戦士になることを決意したのだが、魔物と戦い、その力を自分に取り込む戦士を穢れとする考えが未だに信じられている地方もある。不幸なことに、ディーノの故郷がそうだった。
その考えの根底にあるのは、人々を魔物化から守ることだ。
魔物の力を浄化できるのは、世界にたった五つしかない神器のみ。浄化のためには、わざわざ神器が安置されている場所まで赴かなければならない。地方に暮らす人々にとっては、かなりの負担だ。
ダスティ・スライムのように、子供でも倒せる弱い魔物はどこにでも出現するため、誤って力を取り込み、浄化できないまま数年後、数十年後に魔物化してしまうケースは後を絶たない。周囲の人間は、家族や知り合いが何の前触れもなく魔物に変化してしまったと感じる。
そうならないために魔物と名の付くものを徹底的に避ける慣習が生まれたのだが、ディーノの故郷のような一部の地域では、もともとの意味が忘れ去られ、遠ざける必要のないもの――戦士や襲われただけの被害者――まで忌避するといった悪習に繋がっているのだった。
人々の意識を矯正するには、何らかの大きな改革か長い時間か、あるいはその両方が必要だろう。
何はともあれ、今この場で考えなければならないことではない。
ディーノは、不用意なことを言っちゃったなと反省しつつ、焼けた肉を口に含んだ。
旨味の乗った肉汁が口の中に溢れ、言葉にならない感動で胸がいっぱいになる。
夢見心地とはこのことか。まさに天国……。
「おいしいねー」
「おいしいねぇ」
フェリスとノアはそれ以外喋らなくなってしまった。
平和だ。
「おいこらジラルト。あたしの皿から肉を奪うんじゃないよ、肉を」
「うるへー。テーブルに置いてあったんだから誰のでもねーハズだろ。第一お前、飲んでるじゃねーかよ。酒か肉かどっちかにしろ、贅沢者め!」
「贅沢して何が悪い! じゃなくて、人の皿から取るなって言ってんの!」
「取ったもん勝ちだ」
「ほほーう? なるほど。そう来るか」
「な、なんだよ……?」
「後悔してももう遅いよ! 取ったもん勝ちだからねー!」
「ああああっ!?」
……平和だ。少なくとも死人は出ない。
圧倒的な実力差の前に皿ごと肉を奪われるジラルトを尻目に、三人は黙々と幸せを噛みしめる。
空には一番星が輝いていて、ディーノはもぐもぐしながら、なんとなく星を見上げていた。
何もかも変わったな、と思う。
良い方向にでも、悪い方向にでもない。
人生にはいくつもの山や谷があって、そのうちの一つを通り過ぎたに過ぎない。
家族を失ったことは人生で最悪な出来事だったと断言できるけど、この先もそれに匹敵する辛いことが起きないとは限らない。
いや、いつか必ず訪れるだろう。突然の不幸を経験したディーノには分かる。不幸というやつは、全く空気が読めないのだ。そして容赦もしない。打ちひしがれる背中に、喜んでナイフを突きつける。
それが運命だ。
もしもそんな日がやってきた時、今と同じ自分のままだったらどうなるか。迷宮に一人飛び込んだ時のように、我が身も顧みずやけっぱちになって、今度は誰の助けも得られずに寂しく朽ち果てる……。
そんな想像をしようとして、無理なことに気が付いた。
色んな顔が浮かぶのだ。
アイーダにジーン、フォルスに、ノアとフェリス。ジラルトやグリモロジェ、バルヘルム。クロムとシャムス。
彼らのことは、ほとんど何も知らないに等しい。
逆に言えば、みんなもディーノのことを知らない。
ここからさらに変わっていくのだ。
良い方向にも、悪い方向にも。
どちらに転ぶかは自分次第。
強くなれるか、なれないか。
みんなと肩を並べられる仲間になれるか、なれないか。
――強くなりたい。この人達と同等になりたい。
そう意識すると同時、暗いモヤモヤが少し薄れていくのを感じた。しかし、そうすると今度は、また別の不安が頭をもたげてくるのだった。
「どうしたの? ディーノ」
思いつめた顔でもしていたのだろうか、フェリスが顔色を窺うように尋ねてくる。その表情に、初対面時に見せた怯えはもうない。
少しは気を許してくれたのだろう。彼女は人一倍人見知りなだけで、人間不信というわけではないのだ。たった数時間一緒に行動しただけだが、フェリスやノアが善良な人間であることはもう疑いようがない。
「……すみません」
「え、え? なんで謝るのよ?」
「……おれ、大っ嫌いなんです。貴族が」
少し迷ってから打ち明けたディーノに、フェリスは言葉を失い、彼をみつめた。
その顔にもう引き返せないと思いながら、ディーノは思い切って話し続ける。
「村を取り仕切ってた貴族に酷い目に合わされて、家族を奪われたんだ。だから、一時期は本当に貴族が憎かった。あんな奴ばかりじゃないって頭では理解していても、貴族には二度と関わりたくないって思ってた。……昨日、初めて二人と会った時も、本当はどう向き合えばいいのか分からなかった」
「それは、今も?」
ディーノははにかみつつ頭を振った。フェリスは明らかにほっとした様子で、表情を緩める。
「だからね、二人に謝らないとと思って。ごめん。勝手に偏見を持ってた。もしそのことに気付かないままだったら、いつか自分が傷つきたくないばかりに二人を傷つけることになっていたかもしれない。そう思ったら、すごく怖くなった」
傷つけたくないと思うくらいには、二人に親しみを感じていた。こうして心情を吐き出して間も、嫌われたくないと思っているのだ。気恥ずかしいし、やっぱり言わなければよかったかもと正直ちょっと後悔しているけど。
二人はなんて答えるだろう。
怒るか。それとも蔑むか。
「貴族嫌いとか、そんなの言われなきゃ気付かなかったわよ。わたしは」
「私はなんとなく気付いてた。実は」
身構えるディーノの予想とは裏腹に、フェリスとノアの反応はあっさりとしたものだった。逆に、吐露した本人の方が拍子抜けしてしまう。
「というか、貴族なんか好きにならなくていいわよ。嫌な奴の方がずぅぅっと多いんだから!」
「それはフェリスがおくびょ……ナイーブだからそう感じるだけじゃないかなぁ」
「……ノア。今、なんて言いかけたの?」
「え? なんのこと?」
「怒らないから言って」
真顔で迫るフェリスに、ノアはちょっと考えてから、バカにするみたいに両手を頬の横でヒラヒラさせて、
「やーい、フェリスの臆病者ー。へっぴり腰ー」
「ノーアー!」
「ちょ、ちょっと二人とも」
慌てて二人を止めようとすると、背後から豪快な笑い声が飛んできた。