15. 厨房は戦場
捕物事件から一夜明けて、翌日。
この日、マカロフは朝から大忙しだった。
夜が明ける頃にデアレッドと格闘して卵を奪い、南の市場に足を運んで新鮮な野菜を買い込み、帰りに知り合いの店に寄って宴で使うパンを予約注文した。
自分で焼いてもいいが、トリオールブレッドのパンが天下一品なのはマカロフも認めるところだ。それに、焼き立てを食卓に並べるには竈が足りない。〈千年氷柱〉の厨房はそこらの食堂と比べても引けを取らない設備を整えているが、今日は全ての竈をフル稼働する予定なのだ。パンを焼いている余裕がない。
そんなわけで店主のトリオールと世間話を交えながら配達までの予約を済ませると、マカロフは屋敷へ戻って今夜の下拵えをはじめた。
「ボクたちもてつだうのーっ」
「てつだってやるんだぜっ。仕方なくな!」
「おてつだいしましゅー!」
「なんじゃい、お前ら。ロジェの命令か?」
庭で野菜を洗っていると、きゃいきゃいと騒ぎながら小人たちがやってきた。とにかくうるさいコイツらだが、見た目に反して役に立つ。特に、植物に関することなら。
小人たちは三人で円陣を組み、何やら怪しげな踊りをはじめた。すると、中央にぽんっと軽い音を立てて小さな葉が芽吹いた。かと思えば肥大化し、螺旋を描きながら上空へ伸び、あっという間に濃い緑が覆い茂る大木へと成長する。
太い枝から更に細い小枝が伸び、花を咲かせる。花弁はすぐにハラリと落ち、青い実をつけ、すくすくと大きくなっていった。
リンゴにレモンに杏にベリー類、アーモンドにクルミに無花果、カシス。
季節も気候も遺伝子さえも無視した、めちゃくちゃな力技だ。
「ふーっ。一生分の魔力を使い切ったのー」
小人たちはやりきった感たっぷりに額の汗を拭うと、満面の笑みのまま、しゅわーっと消えていった。
彼らが自分で言ったように、一生分の魔力を使い終わったのだ。木の精である彼らは、原動力の魔力が尽きれば実体を失う。実体を失えば、現世にはもういられない。
死ぬのだ。
その代わり、新しい木の精が大木からぽこぽこ生まれた。
「爆誕なのー!」
「つぎの悪はどこだ!? せいばいしてやるーっ」
「おてつだいしましゅるるー!」
「やかましいわい、ちっとは黙れ!」
大量の果実を前にやや途方に暮れていたマカロフは、相変わらずうるさい小人たちに怒鳴り返すのだった。
そうこうしながら着々と準備を進めていき、いつの間にか空は赤づきはじめていた。
カラスがカーと鳴く。鍋はグツグツと音を立てる。スパパパンと野菜を断つ快音が響く。
厨房内で一番大きな竈で煮られているのは、軽く二十人分はあるシチューだ。鍋の縁では三人の小人が身の丈よりも大きなおたまを手に、「ぐーるぐーる」と楽しそうに掻き回している。ただ混ぜているだけなのだが、やり方に個性が出ていた。ちゃんと仕事をしてくれるなら良いと思うマカロフである。
ボウルに積んだジャガイモを四、五個いっぺんに放り投げ、両手に持った包丁をギュルルっと高速回転させる。
スパパパン。
一瞬で薄切りジャガイモの出来上がり。
それを何度か繰り返すと、一つのボウルに山盛りになった。
水気を拭き取り、カップケーキ型に少しずつずらしながら花びらのように並べていく。
そうして出来たジャガイモのカップに、シチューを作る前に取り分けておいたベシャメルソースをとろんと注ぎ、角切りにしたベーコンをぽとぽと落とす。さらに慣れた手付きで卵を一つ一つ割り入れていき、ヤギの乳で作ったチーズをおろし金で擦って蓋とする。
あとは窯でカリカリに焼けば、女子供に大人気、ジャガカップグラタンの出来上がりだ。
マカロフは軽快な足取りで通用口から中庭に出た。
中庭は長方形の敷地のやや南側に位置している。中庭自体はそんなに広くなく、ちょっとした花壇と菜園、デアレッドの小屋がある程度だ。それと、小人たちが育てた大木。おそらく明日には消えているだろうが、邪魔なことこの上ない。
ちなみに中央を突っ切る小道の先には薄い木立が並んでおり、その向こうにロジェが住処にしている小さなとんがり屋根の家が見えていた。
中庭にはもう一つ、勝手口のすぐ側に石窯が鎮座している。
中では、すでに丸々一羽の鴨が香ばしく焼き上がっていた。こんがりとした焼き目がつき、透明の肉汁が鉄板に滴り落ちている。それを素手で触っても大丈夫な小人たちに取り出させ、マカロフは厨房に戻った。
続いての獲物は、ラスール湖で釣り上げた女帝イカだ。といってもさすがに巨大すぎるので、全部は使わない。足一本だけ残して、残りは昨日の内に調理してご近所さんに配ってしまった。
巨大な足をぶつ切りにして皮を剥き、さらに小さく切る。それを鍋にぶち込み、野菜と香草、香辛料で味付けして、水を加えてぐつぐつ煮込む。時間になったら、別に煮た米でとろみをつける。
それまでに手早くサラダ、数種類のドレッシングとソースを作っていく。
ラディッシュ、アーティチョーク、ビーツにトマト、とうもろこし。瑞々しいレタスに載せると、森の王様の王冠のようにキラキラと輝いた。
シチューを掻き回していた小人に用事を頼むと、マカロフは程よく冷めたロースト鴨にナイフを入れた。
先刻届いたパンにも切込みを入れ、鴨と香草を挟んでたっぷりの特製グレイビーソースをかける。それを大皿に山盛り並べ、赤いラディッシュで飾り付けると、別の小人に頼んで宴の会場へと運んでもらう。
鱈のパイ包み焼き、ハムのスフレ、小人の果物をふんだんに使ったフルーツタルト。とにかく出来上がったものから次々に運び出してもらった。
目玉料理の一つは、ボムエッグをふんだんに使ったオムレツだ。
黄金色に光り輝くその姿はまるで太陽、いや生命そのもの。
手塩にかけて育てたデアレッドの血と涙と汗の結晶は、マカロフにとっても我が子のような存在なのだ。
そんなものを調理するのかって?
もちろんですとも。
最高の食材として生まれたからには、最高の料理にしてやるのが人情というもの。
そんな信念のもとに完成したボムエッグオムレツは、今まで作ってきた中でも最高レベルに色艶がよく、ふわふわと良い香りが漂っていた。
ふと、中庭に続く戸口に佇む小さな影に気がついた。ずっと前から屋敷に居着いている子猫だ。名前は知らないが、フォルスが可愛がっているのをたまに見かける。
目が合うと期待の眼差しでキラキラとこちらをみつめてきたので、仕方なく焼く前の塊肉を少量切り取って投げてやった。子猫は短い足でジャンプすると、なんとも器用に空中キャッチする。
そのままダッシュで走り去る後ろ姿を見送りながら、マカロフは昨日のことを思い出した。
昨日――つまりデアレッド脱走騒動があった日のことだが、夜、あの子猫がなぜか満身創痍で帰ってきたのだ。路面魔導車にでも撥ねられたのか、それとも他の猫と喧嘩でもしたのか、立っているのが不思議なくらいの大怪我だった。幸い、任務から戻っていたクロムが治療術を施したおかげで、たった一晩で完治したが。昨夜は夏だと言うのに氷の中にいるような冷たさで、怪我人、いや怪我猫には辛かったのではないかと思う。
まあそれはいいとして。
もう一つのメインディッシュ、赤月オーロックスのドでかい肉を前に、マカロフは不敵に包丁を構えた。
既に部位ごとに切り分けており、あとマカロフのやることは、食べやすくかつ満足感の得られるサイズにすることだけだ。
凝った料理にはしない。
焼く。焼いて焼いてただひたすらに焼きまくる。それだけである。
シンプル、最強。
「行くぞ、赤月オーロックス! 覚悟ォォ!!」
鬼神のごとき裂帛の気合が、マカロフの全身にみなぎった。