13. 一件落着
「デェアレッドォォォ!」
欄干に身を乗り出し、飛び込むような勢いで腕を伸ばす。実際、半ば空へ飛び込んだのだ。柵にギリギリ足を引っかけたが、体のほとんどは何の支えもない空の中だった。
身の危険を顧みずデアレッドを助けることを選んだディーノだったが、死ぬつもりはなかった。
クランの掟、その三。死なぬこと。
最後の賭けのつもりで潜ったグラムウェル迷宮。その2階でアイーダやジーン、フォルスに救われた命をむざむざ投げ捨てたりなんかしたら、きっと死んでもバチが当たる。そもそも、自分まで落ちたらデアレッドを救えない。それくらいは分かっていた。
伸ばした両腕が、デアレッドの翼の両端を掴んだ。やった、と頬が緩んだのも束の間。
「あっ」
体がぐるんと九十度回転して、欄干におでこをぶつけた。
「いでっ」
「ゴッ」
コップの中でシェイクされるような揺れと痺れが、おでこから後頭部へ、肩へ腕へと伝わっていく。それでもデアレッドを手放さなかったのは上出来だ。デアレッドも、よくやったと言わんばかりに「コケ」と鳴いた。
「ははは……」
さて。ここからどう挽回するか。
今、ディーノは両足の甲のみで自分とデアレッドを支えている状態だ。これが結構辛い。足はぷるぷる震えているし、腹は重力に引きちぎられそうだし、まっすぐ伸ばした腕は腱がどうにかなりそうだ。おまけにデアレッド、重い。食肉用か? と問いたくなる重さだが、それを口にしたらたぶんデアレッドに蹴り落とされる。
万事休す。
とりあえずこの鳥を欄干の隙間から放り込んで――としようとしたところで、デアレッドの体が大きすぎて隙間に入らないことに愕然とする。無理やり押し込んでみるが、首をあらぬ方角に曲げたデアレッドが「ぐえ」だの「ぐむ」だの呻くばかり。
「この、この……あれ? 全然入らない」
なおもぎゅうぎゅうとデアレッドの体を変形させていると、下の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。ディーノから見て下ではなく、地上からという意味だ。
あれはフェリスとノアだ。特にフェリスの方が、両腕をばたばたと振り回して騒いでいる。他にも何人か通行人が集まっていて――。
(なんか大変なことになってる……)
大変なのはむしろ彼の方なのだが、騒ぎのど真ん中に自分がいるという事実にディーノは青くなった。
早くなんとかしないとと焦れば焦るほど、デアレッドはなぜか抵抗した。力いっぱい尻を押されるのが嫌なのか、両翼をつっかえ棒のように使って柵を拒み、足を広げて踏ん張る。
「ぐぬ、ぬ……! 入って、よぉ……!」
「グ、ゴゲゲ……!」
全力対全力。
力は拮抗しているかと思われた。
――一際強い突風が吹くまでは。
「あっ」
ぐらり、と体が傾く。体勢を立て直そうとして体を動かしたのが、さらにマズイ方向へと転がった。
「え、あ、ちょっ、うわあああ!?」
「ゴケェェェ!?」
両手でしっかりデアレッドを抱えたまま、ディーノは頭を下にして落ちていく。落ちながら無意識に体を丸め、卵のように縮こまった。
しかし、それだけでは何も解決しない。
このままでは地面にぶつかってペシャンコだ。
なんとかしないと――。
と、考えている時間さえあったかどうか。
なんとかしない『と』と心中で呟き終えた時にはもう、重力は感じなくなっていた。
おおお、とどよめきのような歓声が聞こえる。
ぎゅっと目を閉じていたディーノは、痛みも衝撃も来ず、逆に心地よい風が周囲に漂っているのを感じてそっと目を開く。
まず最初に見えたのは、喜色に染まった数々の顔だ。知らない人だらけ。皆一様にディーノを見て、なにやら笑っている様子。人が落ちたのにひどいと思うと同時に、違和感にも気付く。
――視線が高い。
みんなディーノを見上げていて、逆にディーノはみんなを見下ろしている。
「これはいったい……」
「ディーノ!」
声がした方に顔を動かすと、泣きそうな顔でこちらを見上げるフェリスの姿があった。その隣にはノアもいて、ホッと安堵の表情を浮かべている。対象的な反応の二人。彼女らを見ると、ディーノの胸はほんのり温かくなった。
「待ってね、今降ろすから!」
その言葉でようやく、フェリスに助けられたのだということが理解できた。
彼女には風魔法がある。そして風の魔道士は自在に空を飛ぶという。人を浮かすことだって可能なのだろう。
だけどフェリスは半人前の風魔道士だ。物凄い力を持っていることはディーノも知っているけれど、今にも泣きそうな――いや、すでにちょびっと泣いている彼女が咄嗟に魔法で助けてくれるなんて、思いもしなかったから驚いた。
優しい、だけど臆病な風が、ディーノの周りを取り巻いている。それがフェリスの性格を表しているかのようで、彼は思わず笑った。
地上へ降りると、ノアを含めた三人の周りに、わっと人だかりができた。偶然近くにいた人はそんなに多くないけれど、みんな目の前で起きた急須告げきに興奮している。口々にディーノの無事を喜んだり、フェリスの魔法を称えたりしてはバンバンと肩を叩いてくるので、二人は嬉しく思いながらも困惑した。
「コケ!」
「わっ」
突然、デアレッドがディーノの腕を抜け出して地面に飛び降りる。驚いた人たちが左右に割れると、道ができたのをいいことに「コケッコケッ」と鳴きながら走り出す。
「あっこら、デアレッド!」
「また逃げる気!?」
ディーノとフェリスの制止を無視して、デアレッドはとっとこ走る。とはいえ鳥の歩幅なので、追いつくのは難しくない。
焦ることなく追いかけていたディーノだが、あっと小さく声を上げて足を止めた。
デアレッドの行く手に大きな人影を認めたからだ。
その人は異様な姿をしていた。
纏っているのは真っ赤な甲冑。今時珍しい全身を覆うフルアーマーで、肩には凶悪な棘が角か何かのように伸びている。こんなものを着込んで街中を歩くなんて、尋常な精神力の持ち主ではない。恐怖だの警戒心だの以前に、不審者感マックスで絶対に近寄りたくはない。
ディーノが甲冑の人物にドン引きしていると、甲冑が腰を落としてデアレッドに向けて両腕を広げた。デアレッドも警戒することなく、物騒な腕の中へ飛び込んでいく。ディーノは「え? え?」と目を白黒させた。
「やはりお前だったか、デアレッド。こんなところまで出迎えとは、感心感心! ガッハッハ!」
「お祖父ちゃん!」
「おじいちゃん!?」
ノアの言葉にびっくりして、ディーノは彼女と甲冑の人物を見比べた。
フェイス部分は開いていて、そこから逞しい髭と剛毅な笑顔が覗いている。
どっしりとした山のような存在感。些細な問題など豪快に笑い飛ばしてしまいそうな雰囲気がある。
ノアとは似ても似つかない風貌だ。顔立ち然り、体格然り。
巨躯の老人は彼女に気付くと、快活に目を見開いた。
「おお、ノアではないか! 会いたかったぞ、孫娘よ!」
「抱きつかないで。潰れるから」
甲冑の重さを物ともせず飛びつく老人と、その力いっぱいの抱擁を全力で拒絶するノアに唖然としてから、ディーノはフェリスに目で尋ねた。
――ほんとに?
と。
それに対し、フェリスはゆっくりと大きく頷く。
「そうよ。この方こそ、トラン王国の英雄にして〈千年氷柱〉三強の一人。バルヘルム・ウィングラム様」
「へ、へぇ……」
としか返しようがない。
バルフェルム・ウィングラム。本来なら雲の上の人、一生かかってもお目にかかれないような大物である。あまりの緊張に声も出ない。
田舎からほとんど出たことのなかったディーノでも聞いたことのある超有名人だ。王都に住む人間なら、なおさらその名は衝撃的だった。
「バルヘルム様だ」
「あれが、無傷の……」
「ほ、本物だ……すげぇ」
辺りが騒がしくなってきた。落下騒動があったばかりなので今更だが。今は騒がしいだけでなく、空気がピンと張り詰めている。
これが英雄の存在感なのか。
……嫌がるノアを全力で抱擁しようとする様は、孫好きのおじいちゃんにしか見えないけれど。
ちなみにデアレッドはバルヘルムの兜の上を止り木代わりにして、すっかり大人しくなっていた。
守ってくれる人が現れたから、安心したのだろうか。
そりゃあデアレッドも、駆け出しの新人戦士よりも歴戦の強者の方が何倍も頼もしいと思うだろう。それは当然なのだけど、ディーノは一抹の寂しさを感じた。
未練がましく見つめていると、デアレッドと目が合った。金色の目はふてぶてしくて、一瞬でもディーノに気弱な姿を見せたのが嘘みたいだ。だけどディーノを視界に捉えた時、その目がきらんと輝いたのを彼は見逃さなかった。
彼女はこう言っているようだった。
――せいぜい精進しなさいよ。
と。
勝手にそんな想像をしたディーノは、ふっと笑う。そして、心の中で言い返した。
せいぜい精進しますとも。




