10. 墓地公園前の攻防
墓地公園は、王都グラムウェルの中央南にある。その東側は城壁を挟んで一段高台になっており、王侯貴族や裕福層の生活圏だ。当然そちらはきらびやかで格式高い街並みが広がるが、住宅街に近い墓地公園付近は一転してのどかな雰囲気に包まれていた。
見上げるほどに高い城壁の足元にある公園へ辿り着いたディーノたちは、デアレッドの姿を求めてキョロキョロと辺りを見回した。
公園の周りは鉄柵で囲われており、その向こうには王都では珍しい緑の光景が広がっている。
盛土で丘が作られ、その合間を縫うように敷かれた舗道に沿って、鮮やかな緑の樹木が列植されている。夜を照らす街灯には蔓性の植物が巻き付いており、可愛らしい白の花を咲かせていた。
死者を弔うに相応しい清楚さと、静けさを併せ持った墓地だ。そのせいか外からだとこじんまりとした印象を受けるが、実際に中を歩くと、木立による程よい閉塞感や梢から差し込む陽光などが、まるで秘密の園にいるかのような不思議な感覚を与えるのだった。
が、今のところはまだ公園に入る必要はない。
デアレッドが中に入ったかどうかは定かでないのだ。もしかしたら、南北に分かれたどちらかの道に行ったのかもしれない。
「結局追いつきませんでしたね」
「そうね」
「でも、木の精たちが間違えたとも思えないんですよね。だから、きっとすぐ近くにいるはず」
「あいつらがデアレッドを確保してくれればよかったのよ」
「まあまあ。おれらに花を持たせようとしてくれたんですよ。たぶん」
頬を膨らませているフェリスの髪は、木の精たちに引っ張られたせいでボサボサだった。あちこちから金色の髪がはみ出したり、癖がついてしまったりで、もう髪型を解いた方がいいんじゃないかと思ってしまう具合である。
おかげでフェリスはずっとお怒り状態だ。初対面時の人見知りっぷりが目に焼き付いているせいか、全然怖くないのだけど。
それはさておき、ディーノたちはデアレッドを探して歩きはじめた。
住宅街よりもかなり幅広の舗道には、数脚のベンチが設置されている。うたた寝をしているお爺さんだったり、難しい顔で本を広げている学生だったり、一休みする親子だったり。
少し離れた路面魔導車乗り場では、停車中のトラムに乗り込もうとする人が数人集まっていた。
馬のない馬車のような形。車体は臙脂色で、盾と槍を持った人馬、そして太陽――グラムウェルの紋章が、金の象嵌で描かれている。
窓にはガラスなどもなく、風が吹き抜ける構造だ。
ディーノが王都に旅するために乗った辻馬車よりも一回り大きく、初めて見た時は得体の知れないものが人を呑み込んでいるように感じられた。
「あ! あそこ!」
フェリスが弾かれたように腕を上げて、一点を指差した。釣られてその指先を辿ると、示しているのは今までディーノも注目していたもの――トラムだ。
けれども、鳥の姿なんてどこにもない。乗降口に消えていく列にも、やはりみつけられない。
そんな彼の様子がもどかしいのか、フェリスは飛び跳ねるように体を上下に揺すって、
「屋根の上!」
ようやくディーノにも見えた。平べったい屋根の端に置物のように鎮座する、ずんぐりとしたその姿が。
なぜ今まで気付けなかったのか不思議なくらいである。
それほどデアレッドは大きかった。
雄鶏より一回り、いやそれ以上あるだろうか。黒い羽毛。フォルムはニワトリに似ており、真っ赤なトサカもある。ちらりとこちらを捉えた目は金色で、ギンギンに光っていた。
凶悪だ。裏のモノの目だ。さすがはジラルトの宿敵。
ごくりと唾を飲むディーノの隣で、フェリスが盛大に安堵の息をついた。
「ああ、よかった。これで一安心ね!」
「そ、そうですね」
「あ、ほら。さっさと捕まえないと。トラムの停車時間は短いから――」
その時だった。
「ヴォオオエェェエエ」
フェリスはびくっと肩を震わせ、ディーノは思わず目を瞠る。周囲でくつろいでいた人たちもいったい何事かと飛び跳ねるように顔を上げた。
「まさか、これが音に聞く」
「ご明、察……。今のがデアレッドの、産卵の合図……だよ……」
「ってノアさん、また撃沈してる」
背後には、さっき見た光景が繰り返されていた。
しかし、今度は突っ伏したノアを助け起こす猶予がない。
リンリンリン、と街の誰もが知るベルの音が鳴り渡り、デアレッドを乗せたトラムが動き出そうとしていたのだった。
トラムの走行速度は、全力で走れば追いつけないほどではない。だけど、一定の速さで動き続けるトラムに飛び乗って天井によじ登るだけの身体能力は、今のディーノにはない。数体の小型魔物を倒した程度の魔力強化では、一般人に毛が生えたくらいにしかならなかった。まだ鍛えはじめたばかりなのだ。
こうなったら、せめてデアレッドを見失わないよう追いかけるしかない。そのためにはノアを置いていかなければならない。
見捨てないと、さっき約束したばかりなのに。
十分足らずで自分の言葉をひっくり返すのかと、ディーノはノアの顔を見て躊躇う。ノアはその目を真っ直ぐ見返して、強い口調で彼らの背を押した。
「行って、二人とも」
「でも――」
「今一番大事なのは、デアレッドを連れ戻すこと。ただ一人の被害者も出さずに――は、もう遅いけど……大丈夫。まだ、バレてないから」
「…………!」
脳裏をよぎるのは、暗い地下牢の光景。
彼らは簡素な服に着替えさせられ、冷たい石床の上で膝を抱えている。
カビ臭い淀んだ空気。
目の前には錆びかけた鉄の檻。
どこからか、ここから出せと亡者のように陰鬱な声がする。
誰だろう、と思い耳を傾けると――。
聞こえてきたのは、他でもない自分の声だった。
「あわわわわ」
妙にリアルに描かれた妄想に、ディーノは恐れ慄く。その後ろでは、フェリスが青ざめた頬を両手で挟んでいた。
ノアの言う通りだ。ここで彼女を置いていったとしても死ぬわけではない。しかしデアレッドを逃してしまえば、最悪自分たちは牢の中……。――実際そうなるかどうかはともかく、ディーノの中では雷霆騎士団に捕らえられ裁きを受けることが確定しているのだった。
その時、発車を知らせるベルが再度鳴った。先程よりも間隔が短く、急かすようなリズムで。
十秒ほど鳴り響いた後、街の紋章を掲げたトラムがゆっくりと動き出した。最初は度肝を抜かれたその姿も、今は処刑時間を知らせる看守にも等しい。
「くっ……!」
行くしか、ないのか。
――未だ覚悟を決めかねる、その間際。
「みつけたぜぇぇ! チキン野郎!!」
喜悦に満ちた青年の声が、どこか上の方から降ってきた。
なんだなんだ?
ディーノも含めて通行人までもがキョロキョロと探しているが、声の主は見つからず。
母親とベンチに座っていた小さな男の子が、公園の上空を指差して叫んだ。
「あー! おかーさん、木の上に変なのがいるよ!」
「しーっ! 見てはいけません!」
顔を引き攣らせながらもその方角を見やると、一際背の高い木の上に――いた。
おそらくは今、この街で最も陽の光を浴びている男。
龍人族の仲間、ジラルトだ。
「なぜあんなところに……?」
「ナントカと煙は高いところが好きって言うわね」
フェリスが醒めた目で言った。完全にナントカを見るソレである。
ジラルトは一本の槍を手にしている。それを右腕一本でぐるんと回し構えると、穂先にボッと赤い炎が灯った。
固唾を呑むディーノの耳に、ノアの呟きが聞こえてくる。
「意外かもしれないけど、彼も魔法持ちなんだよね」
それを聞いたフェリスは、むむむと眉間に皺を寄せて唸った。
「行くぜ!」
ジラルトが跳ぶ。燃え盛る炎の槍を携えて。その矛先が向くのは――トラムの上のデアレッド。
ディーノとフェリス、ノアがそれぞれ同時に声を上げる。
「ちょ!?」
「ああっ!」
「さすがにそれは……!」
トラムは緩やかにスピードを上げながら走っている。だがジラルトの加速は凄まじく、とても逃げ切れるとは思えない。そもそも、背後の騒動に御者が気づいているかも怪しい。
だが、デアレッドは察知していた。猛禽類のごとき眼光をギラつかせ、すっくと立ち上がる。宿敵ジラルトを迎え撃たんがために。
交差する視線と視線。片や狩る者、片や狩られる者。果たして勝つのはどちらか。
もう時間はない。
――ぶつかる!
「こッの考えなしの馬鹿者がー!!」
一瞬、ディーノはマスターが現れたのかと錯覚した。だが違う。乱入した声は、この二週間ですっかり聞き慣れたアイーダのものだ。
上空では、彼女が眩しい太ももを惜しげもなく晒して、ジラルトを蹴り飛ばしているところだった。
見事に顎へクリーンヒットし、ジラルトは猛烈な勢いで吹き飛んだ。そして先程彼が登っていた木に激突すると、一瞬の間を置いて、ボタッと地面へと落下するのだった。
振動で木全体が震え、葉が舞い落ちる。羽を休ませていた鳥たちが一斉に飛び立ち、カラスが鳴いた。
フェリスがロクスケを吹き飛ばした風魔法とは比べ物にならないほどの威力だ。戦闘本番となれば、手加減なし容赦なしの、まさに暴風のごとくとなる。
ジラルトを仕留めたアイーダは、蹴り飛ばしたついでに奪った槍をくるくると回した。
「アイーダさん、なんでここに……?」
「捕物のついでに見張ってろって、マスターにお目付け役を言いつけられたんだよ。馬鹿なこと仕出かす前に止めろってさ。もちろん、獲物は横取りする気満々でね。それよりも――」
「キャアアアァァァ!!」
アイーダが言い終える前に、今度は絹を裂くような悲鳴がトラムの方から聞こえてきた。
臙脂色の四角い乗り物はまだ視界の範囲にあった。だが、なぜか今は停車している。余程のことがない限り、停留所以外では停まらないはずだが……。
よく見れば、誰かがトラムの前に立ち塞がり、全力で押し留めているのだ。
そんな巫山戯たことをしているのは、銀色の髪をしたやたら顔のいい青年だった。
ジーンは至って真面目な、というより感情の読めない顔をディーノたちに向けて、
「今だ。俺が食い止めている間に、やれ……!」
「アホかあんたはあッ!!」
アイーダがフルスイングした槍の柄が、ジーンの横っ面を張り飛ばした。その瞬間ボキッと鈍い音がしたが、槍が折れたのか骨が折れたのか。
「あんたらには常識ってもんがないの!? まったく、あたしが見てないと馬鹿ばっかするんだから!」
人をいきなり一角タイガーとデスレースさせた彼女が常識を語るのは何かおかしいような気もするが、言っていることは間違っていない。
首根っこを掴まれてどこかへと連れ去られるジーンへ、またしても「キャアアァ」と甲高い声が上がった。
「きゃーっ! ジーン様ー!」
「引き摺られるお姿も格好いい!」
女性たちの黄色い悲鳴だった。
一連の騒動に首を傾げながら、御者は再びトラムを動かす。勝ち誇ったように胸を張るデアレッドを乗せたまま。そして徐々にスピードを上げ、今度こそ曲がり角の向こうへ消えていった。
最初に正気に戻ったのはフェリスだった。
「大変! 追いかけなきゃ!」
「でも、さすがに今からじゃ追いつけるかどうか」
「目的地は分かってるんだから、とにかく走ればいいのよ!」
走ると聞いて思い出されるのは、ノアの体力問題だ。
二人が座り込んだままの彼女に心配そうな視線をやると、ノアは諦めたような溜息をついた。
「仕方ないか。街中ではあまり使いたくないんだけど」
そう呟いてウェストポーチからカードの束を取り出すと、パラパラと捲り、一枚選んで抜き取った。
カードには美麗な絵が描かれていた。
盾の左右に、後ろ足で立つ躍動感溢れる馬の図。クレストにはゴブレットを戴き、周囲を彩るは葡萄の蔦。
「ノアさん、それは……?」
「ふふ。見てて」
人差し指と中指で挟み、指先から魔力を流し込む。すると、紋章に金色の光が走る。
ピンと芯が入ったように伸びた紙を、ノアは掌で地面に押し当てた。紙に描かれているのと同じ紋章が、彼女を中心とした石畳に浮き上がる。
そして。
光の明滅と共に、視界がブレたような気がした。
いや、気のせいではなかったのかもしれない。
一瞬の後、ディーノの眼前にはおおよそ有り得ないものが現れていたのだから。
「う、馬……!? でかっ」
艷やかな黒い毛並み。額に星型の特徴的な模様があり、尾には一筋の白毛が混ざっている。
一通りの馬具を装着していて、ディーノが呆気にとられている間に颯爽とノアが馬に飛び乗った。
「さ、二人とも乗って。あまり長くは保てないから、すぐに追いかけるよ」
「分かったわ!」
と、フェリスは二つ返事で頷くと、やはり軽やかな動作でノアの後ろに跨る。そんな彼女らに引き上げられて、ディーノも馬上の人となった。初めての乗馬である。前後をノアとフェリスに挟まれた形で、なんとなく落ち着かない。
「なんか、あの、周囲の視線が気になるんですけど……」
「だからなるべく街中では使いたくないんだよね。恥ずかしいから」
「わたしは超格好いいと思うわ!」
俯くノアとは対照的に、フェリスはほのかに頬を上気させている。興奮状態にあるおかげで、奇異の眼差しには気づいていないようだ。
このまま、そっとしておいた方がいいだろう。
ノアもそう考えたのか、何も言わずに馬の腹を蹴るのだった。




