5. おかしなご近所
そんなこんなで、ロジェを除く三人は周辺の聞き込みからはじめることにした。
ロジェはやはり一緒に来ないそうだ。街中を歩くのは苦手らしく、足を引っ張るだろうとのことだった。その代わり、ある方法を使って協力してくれるらしい。ある方法とは何かと尋ねると、含み笑いと共に秘密だとの答えが返ってきた。まあ、その時が来れば分かるだろう。
三人がまず向かったのは、近くの小さな剣術道場だ。数人の門徒が住み込みで修行しており、朝早くから自主パトロールを兼ねた走り込みなどしている。なので、逃げたデアレッドを目撃している可能性は大いにある。
道場の門徒たちは職業戦士ではないものの、グラムウェル迷宮を40階まで踏破した猛者たちだ。
グラムウェル迷宮には10階ごとに魔導昇降機が設置されているが、利用できるのは本人が到達した階層までだ。実力以上の危険を冒させないためである。つまり、ここの門徒たちは40階相当の実力者たちというわけだ。今のディーノが束になっても敵わない。
細い格子状の独特の玄関扉をノックすると、しばらくしてガラリと勢いよくスライドした。
現れたのは、壁のように大柄な男。トラン王国のではない異国の着物に身を包んでおり、腰には滑らかな光沢を放つ木刀を差している。モミアゲから顎まで真っ黒な剛毛が繋がって生えており、目つきはまるで狼のような鋭さだった。
途端にディーノとフェリスは身を竦めた。ディーノに比べればフェリスはまだ少しマシな方だが、誰かの影に隠れたいのを懸命に堪えているのが強張った顔から丸分かりだ。
が、彼らには頼もしい味方がついていた。
ノアが自ら進んで二人の前に出る。
「朝早くから申し訳ありません。少々お尋ねしたいことがあって――」
「む!? 見覚えがあるぞ。貴様、〈千年氷柱〉の小娘だな!?」
唾が飛んできそうな喋り方をする男だ。実際ちょっと飛んできた。おまけに敵意を隠そうともしていない。フェリスは嫌そうな顔をしたが、ノアはまだ冷静だった。
「ええ、そうです。私、ノアと言います。それでですね、今日はお尋ねしたいことが――」
「やはりそうか! おのれ、何用だ!? つまらん用なら叩き斬るぞ!」
「はい。あのですね、うちで飼っている鳥が――」
「そうか! さては道場破りだな!? 我が道場の名声に釣られ、遂にのこのこと出向いて来おったか! 馬鹿め、貴様らなどこの九堂禄助が返り討ちにしてくれるわ!」
男が腰の木刀に手をかける。
まずい、そう察したディーノが前に出ようとしたその時、横から突風が吹いて男の体を壁へと叩きつけた。
表札やら植木鉢やらを巻き込んで、耳を塞ぎたくなるような盛大な物音が鳴り響く。歪な演奏の最後には、背中から壁に激突した男の頭に、倒れた箒がカンっと落ちた。
驚いて振り向いたディーノの目に映ったのは、両手を前に突き出したフェリスの姿。険しい顔で男を睨めつけている。
「ノアに何するのよ! このヒゲモジャ!」
「ぬ、ぬぅ……小娘、め……面妖な技を……」
「面妖じゃないわよ、失礼ね。これは魔法よ!」
フェリスは腰に手を当て、息巻いた。
「魔法……」
ディーノはほうっと息を吐く。
ただの突風が人一人の体を吹き飛ばすなど尋常ではないが、魔力の起こした奇跡なら不思議ではない。
魔術と違って触媒も詠唱も必要ない上に、下級の技でも数体の魔物を一掃するくらいの威力がある。戦士としての魔道士は、初心者を飛び越して中堅扱いされると聞いたこともある。それが目の前で放たれたのだ。
初めて見る魔法に感動していたディーノだが、ふとあることに気が付いて内心首を傾げた。
(あれ? でも、それにしては今の……)
「わたしの友達に手を出したら、ぜ、絶対に許さないんだからっ!」
「落ち着いて、フェリス。私なら大丈夫だから」
「で、でもぉ……!」
いきり立つフェリスを、ノアがどうどうと宥めすかしている。危なかったのは守られた方なのに、なぜ守った方が泣きそうな顔をしているのか。
一方、壁に叩きつけられた男は、ぐるぐると目を回していた。
「こ、このくらい、どうってことは、なぁいっ! ないのらぁ!」
なおも強がりを口にしているのがすごい。ふにゃふにゃと締まりのない口調だが。
これはどう収拾をつけたらいいのかと途方に暮れていると、いつの間にか男の脇にヨボヨボのお爺さんが立っており、ディーノはぎょっとした。
髪の毛とヒゲはないが、色の抜けた眉毛がもっさりと瞼を覆い隠している。なんとなくロジェの木の葉マントを連想した。
老人はぷるぷると震えながら腰をかがめ、男の頭に手を伸ばした。そして、倒れた際に男の髪に引っかかっていた葉っぱを取ると、おもむろにそれを口に含んだ。
「えっ」
困惑するディーノの目の前で、老人はむしゃむしゃと口を動かしている。
これは一体なんなんだろう……。
気付けば、ノアとフェリスもぽかんとした顔で老人の奇行を見守っている。三人とも、何と声をかけたらいいのか分からなかった。
とそこへ、玄関の奥から一人の若い女性が小走りで現れた。袖の広い服を肘まで捲くって紐で縛り、頭には白い布を被せている。
少女は老人の姿を見つけると、「あ!」と怒ったように目を釣り上げた。
「もー、おじいちゃんそれ私のトリカブト! 食べちゃダメでしょ!」
「ごくん……もう遅いもんね。食べちゃった」
「もー! せっかく大事に育ててたのに!」
そう言って少女はプンスカと憤慨する。
年は15、6歳といったところ。顔だけだと、もっと幼く見える。黒髪を後頭部で結っているが、中途半端な長さのため、毛先が項にもかかっていない。それが却って可愛らしく、ボーイッシュに見せていた。
老人共々、どこかで見た覚えがある。けれども、ハッキリとは思い出せなかった。
奇妙な空気の流れる中、おずおずとフェリスが口を開いた。
「あ、あの……ごめんなさい。その植木鉢、駄目にしちゃったのはわたしなの」
「どうせ禄助が何か言ったかしたんでしょ? この状況を見れば分かるよ。それに、私のトリカブト食べたのはおじいちゃん! 私はおじいちゃんに怒ってるの! すぐ人が育てたものを盗み食いするんだから!」
「ひょっひょっひょ。油断しとるお前が悪い。悔しかったらお母の腹からやり直せい」
「なんでそうなるのよ!」
少女はむきーっと歯を剥き出した。
随分と賑やかになってしまったが、あまり悠長にはしていられない。
彼女らにデアレッドのことを尋ねると、まだ少しフラついているロクスケという男から情報があった。
「あのニワトリもどきなら、墓地公園の方へ歩いていくのをちらっと見たぞ。三十分ほど前だったか」
「墓地公園……」
ここから東にまっすぐ向かった先にある、大きな公園だ。近くにはトラム乗り場があり、街の中央と繋がっている。
「目撃したのはどの辺りでしたか?」
「パン屋の前だ。トリオなんちゃら言う」
最初に食って掛かったのが嘘みたいに、すらすらと答えてくれる。少女と老人がいるからだろうか。
ともかくディーノは、覚束ない記憶を頼りに頭の中に地図を描いた。
〈千年氷柱〉の拠点――パン屋――剣術道場――墓地公園と、順に道が繋がる。剣術道場と墓地公園が結構離れているが。
デアレッドはだんだん東へ向かっているようだ。
「ロクスケさんが見たデアレッドは、脱走した直後だったってことでしょうか」
「かもしれないね。さっそく乗り場に向かおう」
最後にものすごい唸り声を聞かなかったかどうかを確認して、聞かなかったとの返答を得ると三人は道場を後にした。
独特の様式をした平屋の建物を振り返り、ディーノは言う。
「それにしても、なんだかおかしな人たちでしたね」
「そう? ただの失礼なヤツじゃない」
「それはロクスケって人だけだと思いますけど……。でも悪い人じゃないんじゃないですか? 結局色々教えてくれたのはあの人でしたし」
「ふんっ。わたしはキライ!」
フェリスはつんと鼻を上げてそっぽを向いた。その態度の理由は、ロクスケがノアを殴ろうとしたことにあるのだろうけれど……。こちらの言い分を聞かず、かつ友達を傷つけられようとしたら、やっぱりフェリスのように怒るのが普通だろう。
「フェリスさんって結構友達思いなんですね」
「呼び捨て!」
「あ、はい」
返事はしたものの言い直すことはせず、ディーノは口を噤む。同年代とすらまともに会話をした経験が少ない彼にとって、年上の、それも貴族を呼び捨てにするのはなかなかにハードルが高いのだ。
しかし、なぜこうも呼び捨てに拘るのだろうか。ただ単に「さん」付けが嫌なだけなのか。
気になっていると、ノアが思い出すように視線を上へ向けながら言った。
「四年くらい前かなぁ。あの人たち、突然あそこに住みはじめたんだよね。前の家が取り壊されて、今の家が建つのもあっという間で。本当、気付いたら居たって感じだった」
「ノアも知らないの?」
「うん、知らない」
その会話に、ディーノは疑問を挟んだ。
「ノアさんがクランに入ったのは去年ですよね?」
「そうだよ。でもちょっとした関係で、小さい頃からホームには割と頻繁に出入りしてたの」
「ちょっとした関係?」
「ノアのお祖父様も〈千年氷柱〉のメンバーなのよ」
「え」
ディーノは驚いてノアの顔を見る。
彼女は少し得意げな様子で、ニコっと口角を上げた。
「バルヘルム・ウィングラム。〈千年氷柱〉三強の一人なんだよ」