1. サルージュ島の悲劇
【あらすじ】
トラン王国の南西に浮かぶ小島、サルージュ島。そこでは最近、強力な海の魔物による被害が多発していた。
依頼を受けた〈千年氷柱〉所属の戦士クロムとシャムスは、必ず魔物を討伐し、島の平穏を取り戻すことを村人たちに誓うのだった。
第二話 小さな海の討伐記録
勇世歴1000年 7月
フロギア大陸の南西に浮かぶ小さな島、サルージュ島。豊かな森がこんもりと茂るこの島はトラン王国の領土であり、天気が良い日は大陸南西に伸びる赤月岬からもその姿を望むことができる。
サルージュ島に住む民は、小さな島に似合う穏やかな気性の持ち主たちだ。
もとは赤月岬に暮らしていた先住民族の末裔で、その昔トラン王国の支配が及びかけた際、戦わずしてサルージュ島に逃げ込んだのだとか。結局王国の支配からは逃れられなかったが、圧倒的な武力差のおかげか却って平和的に事は進んだ。以来、彼らはサルージュ島に根付いた。
この島周辺で採れる貴重な鉱物、海星石や染め物の材料を巡っていくつかの貴族が睨み合っていたりもするが、当の島民たちは雲の上のいざこざなど露知らず、呑気にココナツを獲ったり海に潜ったりして暮らす毎日だ。
しかし、そんな楽天家たちの島を突然の悲劇が見舞った。
魔物である。
ある日、人間の何倍もある蛇のような魔物が平和な村を襲ったのだ。陸地は削られ、建物は破壊され、多くの島民が負傷した。数人の行方不明者も出た。死体は上がっていないこと、そして目撃証言から、魔物によって海に引き摺りこまれたと考えられる。
魔物は人間を襲うが、目的は捕食ではない。人族や鬼族、森人族といった人間は、戦士でなくとも生まれつき多少の魔力を持つ。それらを殺して魔力を吸い取るのが目的だ。それが魔物にとっての食事と言えなくもない。
だが時に、残虐な殺しを愉しむ悪魔のような魔物が現れる。そういった個体には大抵二つ名がつく。今回はまだ名付けはないが、かなり凶悪な魔物だとして領主を通して魔物討伐を生業とする戦士に依頼が出された。国軍や領主の私兵が動くこともあるが、専門家に頼んだ方が早く確実なのだ。
そんなわけで、とある専門クランに討伐の依頼が舞い込んだのだった。
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サルージュ島唯一の集落、ココル村。白い砂浜が美しい海辺の村である。
緩やかに湾曲した浜が遠くまで続き、ゴツゴツした岩のちょっとした崖が浜と内陸との堺にある。だが今は一部が崩れ、無残な姿を水平線に晒していた。
崖の上には、馬鞍のような形の屋根をした高床式の住居群があった。建物はすべて回廊で繋がり、一見すると雑多な下町のようである。中央付近には住民たちが集まる広場や、共用の炊事場のような施設も見える。
いつもなら家事をする主婦や内職に精を出す者たちが集まり、他愛ないおしゃべりなどするのだろう。しかし、今そこを占拠しているのは足や腕、頭などに包帯を巻かれた怪我人たちだ。魔物に襲われた島民たちである。何軒かの家は破壊され、木片が岩場や砂浜にまで散らばっていた。
さながら戦場の様相。
人も気候も穏やかなココル村が、たった半月足らずで存亡の危機に陥った。
幸い、怪我人たちはみな軽傷だった。命に関わる重傷者はこの場にはいない。
――この場には。
「お願いします、戦士さま……! どうか、夫の仇を、どうか!」
「ううっ。おとうしゃぁん……」
桟橋から船を降りたところの砂浜。
多くの島民が集まる中心に、その母子はいた。生成りのワンピースを着たふくよかな女性と、日に焼けた肌に黒髪を馬のしっぽのように結った小さな女の子。
両目に涙を溜めた女が縋るのは、たった今ココル村に降り立った戦士たちだった。
一人は堂々たる佇まいの男。裾の閉まったズボンに、長い白衣を羽織っている。白衣の下には黒いタンクトップを着ており、厚い胸板が覗いている。
年は30を越えた辺りか。
暗闇のような髪はざんばらで、あちこちに飛び跳ねており、錆色の双眸は凄みがあり、彼を目にした村人は思わず息を飲んだほどだった。
もう一人は、男のやや後ろで秘書かメイドのように佇む黒髪の女。襟の立った白いシャツに黒い胴衣を合わせ、胸を強調したスタイルだ。銀の刺繍を施した濃緑のスカートは膝下丈で、その下には黒タイツを穿いている。ベルトに奇妙な形の木彫りの小物をいくつかと、蒼い綺麗な水晶の花をぶら下げている。
年齢は20代にも見えるし、少し大人びた10代のようにも見えた。
凛とした印象の美女である。
肩で切り揃えた髪が、顎を動かした際にさらりと揺れる。村長の方へ視線をやったのだ。村長は加齢で窪んだ目を下に落とし、ゆるゆると首を振った。
「ドゥザは、妻と子を逃すため犠牲となったのです。普段はだらしのない酒飲みなのに……。最後の最後で勇敢な男でした」
海に引き摺り込まれた者たちの死亡は、まだ確認されていない。だからと言ってまだ生きていると主張する人間は、ここにはいない。
魔物でなくとも、嵐で人命が失われることもある。毒虫に刺されたり、疫病にかかったり、あるいは出産でも。死がすぐ隣とは行かないまでも、二寸先、三寸先にあるような世界だ。魔物という明確な敵が存在するだけ、言い方は悪いが、憎む対象ができて気は紛れるかもしれない。
「お願いします。戦士様方。敵討ちもそうですが、このままでは我々島民は安心して生活することも、島を出ることもできません。どうか、あの海の魔物を退治してください」
「もちろんです、村長」
無言の男に代わり、うっすらと笑みを浮かべた美女が胸に手を当て、凛然とした眼差しを向けた。
「わたくし共にお任せください。〈千年氷柱〉のクロムとシャムスが、皆様方の不安を必ずや取り除いてご覧に入れましょう」
そう言って一礼する。両手をへその上で軽く組み、上半身を折り曲げる優雅な仕草に、一同の目がはっと開く。
村長がぷるぷると震えはじめた。俯いた顔は見えないが、杖を持つ手が前後左右に大きく揺れている。そのまま倒れてしまうんじゃないかと周囲が心配になってきた頃、村長はガバッと顔を跳ね上げて大きく息を吸い込んだ。
「皆の者ォ! 戦士様がこう仰っておる! だからもう安心じゃあ! 魔物は戦士様方にお任せして、我々は宴の準備をするぞォ! 勝利の酒盛りじゃああ!!」
「うおおおおおッ!!」
無傷の人も怪我人も、動ける者は天に拳を突き上げて叫ぶ。戦士があげる雄叫びのような力強さはないが、勢いの点では負けていない。
謎の一体感。
その勢いのまま、村人たちは住居へ向かってゾロゾロと移動をはじめた。
村長はとびきりの笑顔で戦士たちに向き直る。
「では戦士様方、わしは一旦失礼しますじゃ」
「え、ええ」
村長はヨロヨロと体を揺らしながら、しかししっかりとした足取りで去っていった。
「仲間を失った悲壮感はどこへ行ったんです?」
「……さあ?」
困ったようなシャムスの疑問に、クロムは気圧されたまま首をかしげた。
「落ち込んでても仕方ないってのは理解できる。残された人たちは生きなきゃならないんだし。敢えて明るく振る舞ってるんだよ」
「そうなのですか?」
「……たぶん」
シャムスはふむふむと頷いている。その顔は真面目というか、どこか興味深そうだ。
ふと、クロムの目が浜に残っている人たちに留まった。先ほど彼に縋って泣いていた親子だ。
母親が無言で娘を抱きしめている。女の子は涙を堪らえようとぎゅっと目を瞑っているが、その端からはポロポロと大粒のしずくが頬を伝い落ちていた。
クロムがそちらへ近づいてゆく。大股に歩く足がギュッギュと浜を踏みしめる音が聞こえると、まず母親が顔を上げた。
「戦士様……」
クロムは何も言わず、しゃくり上げる女の子の頭に、自分の手のひらを載せた。頭頂部を覆ってしまえるほど大きな手だ。重みか、それとも温かさのおかげか、女の子は泣くのを止め、真っ直ぐな目でクロムを見上げる。
「せんししゃま?」
「すぐに終わらせる。家に戻って、母さんと一緒に待っていなさい」
「……あい」
こっくり頷く女の子の瞳から、残った涙がポロリと落ちた。
住居群へ去っていく親子をみつめるクロムの背後へ、シャムスがそっと歩み寄り囁く。
「今の、ちょっとお父さんっぽかったですよ」
「え、あ、そう?」
「すぐに終わらせる、ですか。奥様が聞いたら、きっと吹き出しますね。似合わなーい、激しく似合わなーい、って。お腹を抱えて笑い転げる姿が目に浮かぶようでございます」
「……シャムス、きみ、うちの奥さんと知り合いだったっけ?」
含むような言い方に思わずじとっとした視線を向ける。するとシャムスは誤魔化すように拳を握って、あからさまに話をそらした。
「戦いなんてすぐに終わらせましょうね、センセイ! あなたにかかればどんな魔物も一撃必勝ですよ! ファイトっ」
「無駄にプレッシャーかけないでくれる!?」
クロムは悲痛に声を張り上げた。そしてがっくりと肩を落とす。影のある後ろ姿が物寂しい。
今までの堂々たる振る舞いはどこへやら。こちらが素なのか、相方は驚いた風もない。
気を紛らわそうと、青い海に目をやる。だが、気が晴れるどころかもっと憂鬱になるだけだった。
「そもそもさぁ、なんで俺なのさ? 俺、治療術士なんだけど。サポート員よ? なんで狩りにメイン戦闘員で駆り出されてるんだ? 『大丈夫、お前ならやれるっ!』って無責任に言いやがって、おちびマスターめ! はあー。ほんっと憂鬱……」
「〈千年氷柱〉でそのような文句を申されましても」
「ですよね。分かってる」
完全に非戦闘員のコックとして雇ったマカロフでさえ、今や立派な戦士なのだ。あくまでコックの仕事しかしていないが。しかし、確実にそこらの迷宮に潜っている戦士よりは強い。
なぜ、いつからそうなったのかはもはや記憶にない。気づいたら勝手に船をも沈める女帝イカを獲ってきて調理していた。しかも手際がめちゃくちゃよかった……。あれは狩りに慣れた熟練の技だ。もしかして以前は漁師か何かだったのだろうか。
自分は違う。
クランに入った当初も今も変わらず治療術士だ。
治療術とは、薬や包帯など医療用品を使った際、補正がかかるというものだ。たとえば同じ傷薬でも、治療術士と普通の人間が使った時とでは治りの早さが違ったり、酷い傷でも痕が残らなかったりする。
地味だとか邪魔だ引っ込んでろとか、これでもう少し戦えたらなぁとか言われたりするが、成長した治療術士が一人いると戦いが楽になるので、どのクランでもそれなりに必要とされる部類である。嫌味を言われるのは、治療術士の戦闘力が概して低いからだ。他の戦士が戦闘に割く分を治療術に充てているのだから当然なのに。
回復魔法持ちならもう少し大事にされるのだろうが……なんにしろ、それらは普通のチームだったらの話である。
幸か不幸か、〈千年氷柱〉は一般的なクランとはちょっと違っていた。
「つーかさ、俺ってクランに必要ないよね……。だってみんなあんまり怪我しないし。しても唾つけとけば治るからって断られたりさ。バルさんなんて腹噛み千切られて周り血の海なのに、一晩休んだら本当に治ってたからね。なんで? 唾ってそんな効果あるの? そのあと気になって夜も眠れなかった……」
「あ、村長戻ってきました」
クロムはさっと背筋を伸ばし、なんとなく厳つそうな表情を作った。
そこへ、シャムスが告げたとおり村長がニコニコ笑顔でやってくる。
「戦士様方、部屋の準備ができましたぞ。長旅でお疲れでしょう。魔物の見張りは若い衆にやらせますゆえ、どうぞ今はお休みください」
「お気遣い感謝します、村長。ですが、見張りはわたくし共にお任せください。既に準備はしておりますので。お部屋はありがたく使わせていただきますわ」
「おお、さすがは戦士様。頼もしい限りですぞ。では、申し訳ないがお願いします。本当のところ、怯えて外に出たがらない者が大半でして」
無理もない。サルージュの人たちは争いが苦手だと聞く。いや、彼らでなくとも生活圏内に魔物がいたら怖がるのが普通だ。本当なら本土へ避難している頃なのだが、ある理由によりできなかった。
その後いくつか言葉を交わし、村長は再び村民の下へ戻っていった。その姿が完全に遠くなってから、クロムは詰めていた息を吐き出す。
「はー。格好つけるの疲れる」
「つけなければよろしいのに」
「だって強そうに見えた方があの人たちも安心するでしょ。こんな自信なくて頼りなげなオッサンよりもさ」
その言葉にシャムスはわずかに目を瞠った。そして、くすりと微笑する。
「まったく、あなたという人は」
「はいはい。見栄っ張りだって言うんでしょ。どうせ見掛け倒しの男ですよ、俺は」
そうは思いませんけど、との言葉をシャムスは飲み込む。自分が言うべきことではないと思ったからだ。
クロムは体格が良い。しかし内面は気弱という他なく、〈千年氷柱〉の他の面々ほど我が強くない。悪く言えば周りに流されやすい。良く言えば、優しいのだ。そんな彼がシャムスは嫌いではなかった。
「せめて島民が避難できればよかったんだけどなぁ」
「仕方ありません。島の集落はここだけですし、島を出ようとする船は魔物に沈められるという話ですから」
領主館で聞いた話だ。
最初に魔物の襲撃があったのは二週間前。その時犠牲となったのは三人。いずれも異変に気づいて見回りに出た男性だった。
魔物の出現を察知した村人たちは、翌朝本土に報告するため船を出した。その際、女子供を数名一緒に乗せたらしい。
だが、彼らが対岸へ辿り着くことはなかった。見送る島民たちの目の前で、巨大な怪物が船を巨大な尾で叩き潰したのだ。もちろん、船に乗っていた人間ごと。
その後は船を出す勇気のある者はおらず、狼煙と信号を使ってなんとか外部と連絡を取ったのだと言う。
以降、断続的に襲撃が続き、犠牲者は全部で十四名。怪我人を含めるともっと多い。
反対に、クロムたちは無事に島へ渡ることができた。警戒していたのに拍子抜けだったくらいだ。敵からすれば、獲物が増える分には構わないということだろうか。
「いたぶって殺すのを好むタイプか。手強そうだなぁ」
「とは言え、本能に任せて殺すタイプなら今頃サルージュ島は壊滅しているでしょう。むしろ好都合かと」
「強い人はいいよなぁ。あっさりそういうこと言えて」
「わたくしはそれほど強くありません。センセイだってご存知でしょうに」
口を尖らせて言うと、クロムはごめんごめんと笑って誤魔化した。
クロムにしろ、シャムスにしろ、基準は同じクランの面々だ。自己評価が厳しくなるのは仕方がない。
しかし、それでも。
「ま、なんとかするしかないねぇ。……なんとかなるかなぁ?」
「なるでしょう」
「うーん。じゃ、シャムスを信じてみるか」
いつ戦闘になってもおかしくないこの状況で、気負った様子は欠片もなかった。




