3
「ん…」
肌寒さに、創樹は目を覚ます。
目を開けてから、しばらくぼーっとする。
なんだか、体中がだるい。
のそっと、ゆっくり、ゆっくり創樹は体を起こした。
外で寝ていた自分に気付き、創樹は地面に座ったまま、ゆるりと周囲を見回した。
まるで秋のように、枯れ落ちた木々。
「あ…」
創樹は、ようやく己がここにいる理由を思い出した。
「さいが…砕牙…」
その名を、創樹は呼んだ。
すると、とくんと、自分の鼓動が一つ高鳴る。
「あ…」
創樹はふふっと笑みを浮かべた。
見知った気配が、己の中にあるのに、気づいたのだ。
創樹はそっとそれを感じる。
まだ少しある違和感。
これがなくなって、自分にすっかりなじんだら、また砕牙に出てきてもらえるのだと、創樹は本能で悟った。
これからは、会えるのだ。いつだって。
創樹はふふっと、空を見上げた。
あぁ、空気が、変わった。
もう少ししたら、夜が明けはじめると、創樹は思う。
おそらくこれは、自分じゃなくて、砕牙が感じていること。
見つかる前に、ベッドに戻らなくては。
創樹はだるい体を持ち上げ、ゆっくりと、歩き出した。
昨日まで帰りは、いつの間にか砕牙が送ってくれていたけど、今日は無理だ。
何だかそれまでもが、創樹には嬉しく感じられ、ゆっくりと草むらを分けて進み始めた。
壁みたいなところをくぐろうと、グイッといつものように体を突っ込むと、その瞬間、パンッと音を立てて壁が弾けた。
ぽかーんと、創樹はあたりを見回す。
とくんと、鼓動が鳴る。
あぁ、おそらく、あの壁は砕牙が作ったもので、砕牙を宿して創樹が外に出るから、もういらないものになってしまったのだと、創樹も悟る。
ふふっと、創樹はまた、笑みを漏らした。
いつものように、森の中を歩き出す。
誰かが道を示してくれるように、風が背中を押してくれるように、創樹は森の中を歩く。
体が重くてたまらなくて、ずっしり何かを抱えて、熱くてたまらなかったけど、心だけは軽かった。
森を抜け、最後の力を振り絞り、創樹はキャンプ場の中を歩き、そっと、誰にも見つからないように、元のログハウスに。
そして、誰にも見つからないようにそっと、自分のベッドに横たわると、ぷつりと、意識が切れた。
気が付けば、部屋のベッドで寝ていた。
少しだけ喉が渇いたので、そっとベッドからおりれば、部屋の中にペットボトルとコップが置いてあるのに気付いた。創樹はそれでいいや、と、水を飲む。
よくわからないが、体は軽いものの、少しけだるい。
窓辺へ行き外を見れば、あたりは日が落ち、暗い。時計を見れば、7時を少し過ぎたところ示している。
ベッドに腰掛け、創樹は直前の記憶をたどる。
白金色の美しい毛並みの、大きな虎。頭の中を占めるのは、その存在だけ。
「砕牙…」
創樹がぽつりと呟けば、ぶわっと目の前にその虎が現れた。
「!」
創樹は目をみはり、砕牙に飛びつく。
ぐりぐりとその首筋の毛並みに顔を埋めると、虎が小さく唸った。
そっと創樹は手を放し、虎の顔をのぞき込む。
砕牙にぺろりと頬を舐められ、創樹は笑みを浮かべた。
砕牙の力が、安定している。
もう、砕牙は己と共に生きることができるのだと、創樹は知っている。
砕牙と額を合わせ、どんなに嬉しいか伝える。砕牙は目を細め、まるで笑っているようだ。砕牙が喜んでくれていることもわかる。
砕牙の耳がピクリと動いて、扉を見た。
階下で物音がし、人の話し声がする。
砕牙はそっと唸り、創樹は頷く。
ふっと砕牙が消えた。
創樹はベッドに腰掛け、自分の中の温もりを感じる。
階段を登る音がし、部屋のドアが開かれた。
ノックなしで開けられることは今までなかったので、不思議に思い創樹は扉を見遣る。
「…っ、創樹」
ベッドに座っている創樹を見た瞬間、驚いた顔をした兄の咲也が、一瞬で自分の前まで来た。
手が伸びてきて、ビクッと創樹は身を竦める。
咲也の手が額に触れ、離れていった。
はぁっと、咲也が大きく息をつく。それから水のペットボトルの脇にあった体温計を取り出し、創樹に渡す。
「熱を測りなさい」
咲也に言われ、創樹はそっとその体温計を受け取り、脇に挟んだ。
「自分がどうなったか、覚えているか?」
咲也に問われ、首を横に振る。
「家族でキャンプに行ったのは覚えているかい?」
その言葉に、瞬きし、あれがキャンプだと言うのならそうなのだろうと、創樹は頷く。
「帰る日の朝、お前は高熱を出したんだ」
「熱…?」
「ああ。お前を連れて帰って病院に連れて行っても、熱以外の異常はないし…」
「いじょう…?」
「あぁ…熱以外に、お前の体におかしいところはなかった、って意味だ」
兄の言葉に、理解した、と、創樹は頷く。
「あれからもう、一週間だ」
咲也の言葉に、創樹は瞬きする。
「一週間、お前は熱にうなされていたんだよ。水を飲ませるために起こしても、目の焦点はあってないし…。熱出してた間のこと、覚えてるか?」
今度は首を横に振った。
「だろうな…。痛いところや、苦しいところはあるか?」
咲也の言葉に、創樹はぱちぱちと瞬きをし、首を横に振る。
その時、ピピピピッと音がして、創樹は体温計を取り出す。
その手から、咲也がすっと体温計を奪い、確認した。
「…もう、大丈夫そうだな」
やれやれ、という様子で息をつく兄。
「……ログハウスを借りたとはいえ、お前にはまだ早かったのかもな、キャンプなんて…」
体温計を片づける咲也の言葉に、創樹は首を横に振った。
「ん?」
「…キャンプ、好き」
創樹の言葉に、咲也は手を止めた。
「す、き…?」
驚いたような咲也の呟きに、創樹は頷く。
「森の中で遊ぶの、楽しかった」
創樹は砕牙と過ごしたあの時間を思い出し、笑みを浮かべる。
今度こそ、咲也が息を呑んで驚いた。
己の中の砕牙が、あの綺麗な金の瞳を細め、笑っているのを感じ、創樹は兄の視線にも気付かずふふっと笑った。
咲也は驚愕する。
生まれた時から、少し変わっていた自分の妹が、こんな風に笑っているのを初めて見たのだ。何を言われても、どんな会話でも、この幼さにしてほとんど表情を変えず、無口。
自ら意思を伝えることなど、まったくなかった妹に、好きなものがあること自体が驚きだった。そして、その表情も。
「……そうか。キャンプに行けてよかったな」
咲也はふっと笑い、反射的に身を竦める妹の頭を撫でた。
「ご飯を持ってくるから、ここにいなさい」
咲也はそう告げて、一旦部屋を出て行った。
しばらくして、おかゆを持ってきた咲也。創樹は食べられるだけおかゆを食べた。
いつもながらに少ない量に、兄が眉根を寄せている。
「もう一口だけ、食べなさい」
言われ、仕方なく創樹はもう一口。
「歯磨きして、今日も念のため、もう休みなさい」
おかゆを片づける咲也に言われ、創樹は頷いて部屋を出る。
ベッドに創樹が入ったのを確認して、咲也は部屋の電気を消し、出て行った。
完全に兄が行ってしまうと、
「砕牙」
創樹はそっと、その名を呼ぶ。
途端、現れた砕牙に創樹は笑みを浮かべ、自分のベッドの上を示す。ふわりと舞った砕牙が、ベッドに寝そべると、創樹はふかふかの毛皮に抱き付く。
やがて幸せそうに寝息を立て始めた創樹を優しい瞳で虎は見つめると、尻尾をひょいっと動かして、ずり落ちていたタオルケットを、そっと創樹に掛ける。
砕牙も、己の前脚に顎を乗せると、ちらりともう一度自分に抱き付く創樹を見てから、目を閉じた。
砕牙と創樹の出逢い編、これでおしまいです。