旧校舎の卓さん
「うげっ!?」
ぬちゃり。そんな粘着質な音をたてながら、離した手から糸を引く液体が肩にかかっていた。鼻を近づけて見れば、なんだか肉が腐ったような、それに近い生臭さを感じた。
「んっだよこれ! 途中で何か変なのに肩が引っかかっちまったか!?」
払うようにして液体を落としながら悪態をついた俺は、帰ったらクリーニング出さなきゃなぁと思いつつ、二人に向き直った。
二人は、俺を見ていなかった。香織は目を見開き、口を魚のようにパクパクさせて……俺の、頭上に目を向けている。
「……何? どしたん?」
香織の顔色がより一層、悪くなっているのを見て、俺はさすがに尋常じゃないと気付いた。卓が、指を指す。俺の頭上、二人が目を向けている先を。
俺は、卓の指の先を辿り、上を見上げた。
見なきゃ、よかった。
だって。
「グヒヒ」
ゴワゴワした異様な長さをした黒い髪、顔の上部分の殆どを覆う程の殆ど黒目しかない大きな目、両端が裂けたかのような巨大な口、三日月のように歪められた真っ赤な唇をしたその口から黄色い歯と歯茎が露出されて、そこから粘ついた液体を止めどなく垂れ流している……明らかに人間のそれじゃないとわかる程の長さの白い手足で天井に張り付いた化け物が、そこにいたからだ。
「きゃあああああああああああああああああああああ!!!」
香織が絹を裂いたかのような叫び声をあげた。その顔は恐怖に歪んでいる。卓は驚いて一歩後ろへ下がっただけで、俺は呆然と見上げているだけだった。
「な、なんだよ、こいつ……!?」
一歩二歩、後ろへ下がる。さっきの威勢は消え、俺はただただ、目の前の化け物に慄いていた。
硬直する俺達。そんな俺達の前に、化け物は天井から落ちて来る。
ドスン。重い音をたて、背中から落ちてきた化け物は、俺達にその不気味な黒い目を、ずっと変わらない醜悪な笑みを向けながら、ゴギリ、グギリ、首と背中の骨と肉を回転させ、カクカクした動きで仰向けの状態から四つん這いの状態へと、体を変形させていく。その時初めてわかったけど、強烈な生臭さを放っていると同時に、その音と姿が、さらに吐き気を催して仕方なかった。
ただただ醜い。ただただ気持ち悪い。この世とも思えない、異様な姿。手足があって人としての体の形は成しているようでいて、人の身体からかけ離れた存在だった。
「うあああああああああ!!」
「いやああああああああああ!!」
俺と香織は、この異様な光景に叫ぶしかなかった。ゆっくり近づいてくる化け物。俺は腰が抜け、情けなくそのまま後ろへ下がった。香織は恐怖で硬直している。
化け物が、化け物が俺に迫ってくる。ひどい悪臭が、強くなっていく。やばい。やばい。やばいやばいやばいやばいやばい!!
「た、助けてくれええええええええええええええ!!」
「そこまでだ」
絶叫を上げた俺の前に躍り出たのは、卓だった。そして、俺は思い出した。奴は、寺生まれで有名な卓さんだったんだ!
卓は右手を掲げて、渾身の力で叫ぶ!
「破ぁーーーーーーー!!!」
掲げた右手から、青白い塊のような光が飛び出し、化け物の顔に命中。化け物は悲鳴を上げて倒れ、やがて小さくなって消えていった。
「ふぅ、怨念を吸い取り、それを増幅させるたぁ、厄介な奴だったな」
言って、卓は足元に落ちていた黒い石を拾い上げ、「破ぁ!」と叫ぶ。すると石は一瞬光ったかと思うと、ポシュンと消えていった。
「た、助かった……」
いまだへたり込む俺と、腰が抜けて座り込む香織。そんな俺達の前に卓は立ち、そして笑った。
「さ、ここにはもう用はねぇ。帰ろうぜ」
卓が両手を差し出して、俺達を引っ張り上げた。俺はもう、ただ卓に感謝するしかなくった。
「あ、ありがとう卓……何か、お礼をさせてくれ」
「お礼? ……そうだな」
言って、フッと小さく笑った。
「そんなら、肝試しならぬ腹試しってことで、帰り道で牛丼奢ってもらおうか」
寺生まれはすごい。俺達はそう思った。
完
これ以外にも、射影機持ってたり、陰陽師になったり、大剣と二丁拳銃持ったデビルハンターになったり、仮面〇イダーになったりと、いろんな並行世界の卓がいる。
ところで余談ですが……いつ私が旧校舎“の中に迷い込んだ人たち”の悲劇だと錯覚した?