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傘叢話(かさそうわ)  作者: 六代目
2/3

2本目「傘整理」

 ニ.傘整理


 マコトは雨が嫌いだった。同じくらい、死んだ父が嫌いだった。

 雨が降れば必ず傘を見るし、傘を見れば必ず死んだ父のことを思いだす。

 他人には「雨が嫌い」と言っているマコトが本当に嫌いなのは、傘の方だった。


「なんだよ、それ」

 母親に、マコトは苦々しい表情を向けた。

「でもほら、お母さんパソコンとかよく分からないし……」

「俺だってこんなもんの調べ方なんて分かんねえよ」

 マコトの前に置かれているのは大きなダンボール。蓋に太い赤マジックで『取り扱い注意』と書かれているのが見える。

「それでもお母さんよりは、ね? あ、お母さんパートの時間だから。お願いね?」

「あーもう、はいはい、行って来い行って来い」

 バタバタと足音を立てて廊下を走る母親を投げやりな返事で見送って、もう一度その箱を見る。ごく普通のダンボールのはずだったが、なぜか言い知れぬ威圧感をそれから感じてマコトは唾を飲みこんだ。


 二階の自分の部屋に箱を持って上がる。中に入っている物のことは聞いていたが、それにしてはずいぶんと細々(こまごま)としたものが入っているように、階段を上がる度にそれはガラガラと音を立てた。

 パソコンの電源を入れて起動を待つしばしの間に、マコトは床に置いた箱の蓋を開け、中を覗き込む。

「んー……っと、いや、これほとんど傘じゃねえじゃん」

 母親の話ではその箱の中には、父親が死ぬ前に集めていた『傘のコレクション』が入っているはずだった。

 確かにところどころに傘の意匠が入ったものはあったが傘そのものは見当たらず、統一性のないガラクタの山にマコトは悪態をついたが、反面少しほっとしていた。


『傘が嫌い』と言っても、さすがに見るだけで気分が悪いとか手に持てないとかそういったわけではないし、母から頼まれたのはその箱の中に何か価値のある、ぶっちゃけて言えば高く売れるようななものがないかネットで調べて欲しいということだったから、例えそこに高級傘がぎっしり詰まっていてもどうということはない。ないのだが、やはり胸につかえる物は少ないに越したことはなかった。


「っても……こんなもんに価値ねえだろ……。いやまあ、一概にそうとも言い切れねぇんだよな。物好きって意外となんにでもいるらしいからなぁ……」

 以前にテレビか何かで見た珍品コレクターの話題を思い出しながら箱の中のガラクタをいくつか手にとり、放り投げようとして思い留まる。雑に扱って傷がつき、それによって価値の下がる類のものだったら困る。確かそういう珍品はとにかく「保存状態」と言うものにうるさかったはずだ。箱の有無だの、パーツが残っているだの傷があるだのシールが剥がれているだの、そんなことで万の単位で価格が変わることも()()だったはずだ。

 そう考えると自分のこづかいのみならず、現在の我が家の財政にまで考えが至り、手にした物はそっと箱へ戻された。


 もし、マコトの父が一般的なルートを経て『あれ』になったのであれば、相応の収入や資産、貯金が遺されていて然るべきだった。しかしそんなものは今このタノウエ家にはありはしない。

 マコトの父は、短いながらもこの国の首相を務めた人間であった。



 父、ミツオが死んだ日からこの国の政治は大混乱に陥った。

 現役の首相が死亡したからではない。影響がなかったとは言わないが、そういう事態に対して発動すべきシステムくらいは備えられているのが国家というものだ。

 混乱の元は、彼が首相だった時には一切触れられなかった問題が何故か堰を切ったように次々と顕在化したことにあった。

 諸外国は外交上の摩擦を声高に訴え出し、景気は急速に後退し、自然環境の汚染が進んだ。

 彼の在任時は、それらの問題が全てこの国を避けて通っているかのようになにもなかったのだ。時の総理、タノウエミツオがのらりくらりとかわし続けていたわけでは決してない。奇妙で異常なことではあったが、本当に何も無かっただけである。

 しかし、野党やマスコミはそれを 「問題を先送りにしてその場しのぎの政治を行った前首相の責任」として叩いた。

 存命時に行った国会答弁の録画映像からくだらない言葉尻をとられ、就任前に起こった問題ですら責任者のように報じられ、当時は革命的とまで言われた政策は世紀の愚策として貶められた。

 マコトは、そんなものをずっと見ながら多感な時期を過ごした。

 家族は連日つきまとうマスコミから逃げるように、もともと住んでいた郊外の家へと戻り、出来る限りひっそりと暮らした。


 しがないサラリーマンから突然政治家になり、短期間で魔法のように首相になった父は、それゆえ選挙資金や諸費用をほぼ借金で賄っていた。在任中の収入はもちろん高額ではあったが、その借金の返済とまだ買ったばかりだった家のローンに大半が消え、彼が亡くなったあとはどこからともなく現れた、関係性すら有耶無耶な人々によってむしり取られ、残ったのは家そのものだけとなっていた。

 ミツオの死後十年が経った今では、母のパートがなければ家計は炎上し、その家すらも手放す事になりかねなかった。


『私は、この国の傘となる』

 父のキャッチコピーとして使われていたこの言葉と、十六歳になる現在までにテレビや雑誌や新聞が流し続けた彼への批難が、マコトが父親と傘を嫌うことになった主な原因である。


『傘ってものは都合の悪い、まあ一般的には雨をですね。一時的に弾いて自分の周りに落としてるんですよね。その場所から一歩でも動けば自分が弾いた水が足元をびしゃびしゃに濡らしている。今この国はその足元に無数に出来た水溜りに足を踏み入れた状態なんです」

 いつだったか、テレビでコメンテーターが父の政策を評して言っていた言葉にマコトは大いに頷き、傘が嫌いな理由の主軸となった。

「傘なんてのは一次凌ぎの卑怯な道具だ」

 傘の話題では必ずそう言うようになり、以来マコトは雨の日にも傘を差さなくなった。主にカッパを着ることが多く、夏場はそれすらもなしに濡れるに任せていることが多かった。

 母は何度も咎めたが、その度に先程の台詞を言っては彼女を困らせるのだった。


「傘なんてのは……」

 そう呟きながら、マコトはあらためて父の遺品である傘コレクション、いや「傘グッズ」がつまった箱をかきまわす。

 とりあえずその中から一番手ごたえのないものを選んで手に取ると、それはシールの台紙だった。何枚か使われた跡のある傘の絵が描かれたシール。元々は何十シートかで一袋だったのだろうか、スカスカのビニールの中に一枚だけ入ったそれを持ったまま安物のパソコンチェアにどっかりと腰掛けモニタに向かう。

「こんなもんの価値をどうやって調べろってんだよなあ」

 愚痴りつつキーボードを叩くと、検索窓にキーワードが表示された。

『傘 シール 価値』、『傘 貴重 シール』、『傘 シール コレクション』

 ……何度か試みた上で、期待していなかったとはいえ深くため息をつく。特にそういったものを集めている人の情報も出てこなかったし、画像検索で表示されるのも似ても似つかない画像ばかりで、手に持ったそのシールの詳細がわかることはなかった。


「まあ、そんなもんだろうさ……」

 ため息混じりにつぶやいて足元のダンボールに視線を落とすと、その隣に読みっぱなしで放り投げておいた週刊誌が目に入った。表紙には父亡き後解体となった「日傘の党」に代わり政治を主導してきた現在の政権与党の、新しい党首候補の写真が写っていた。

 報道によれば今の党首は高齢でもうすぐ引退するため、写真の彼が新党首、ひいてはこの国の次の総理大臣になることがほぼ確実なのだという。

 マコトは何気なくその雑誌を手に取り、もう一方の手に持ったシールから一枚をはがす。

 小さな丸型のシールはどこかのスーパーのポイントシールのようで安っぽく、改めて見てみると調べるまでもなく価値などなさそうに見えた。

 マコトはそれを、なんとなく雑誌の表紙でドヤ顔を決めている男の顔に貼った。ちょうど目が隠れ、眼帯をしているかのようになったその顔をマコトは鼻で笑い、再び雑誌を床に投げ捨てた。ついでにとばかりにシールの台紙も丸めてゴミ箱へと投げ込んでしまった。それだけのことで随分と心が軽くなった気がして、下らなさに自嘲しながら呟く。

「どうせ全部ガラクタだ、とっとと終わらせちまおう」


 次にマコトが箱から取りだしたのは防犯ブザーのようなものだった。ボタンの部分に線の太いくっきりとしたタッチで傘のイラストが描かれていて、子供用かなとマコトは思う。

 すぐさま先ほど同様簡単にパソコンで検索をかけ、また同じように何も情報など見つからないことを確認した後、少しだけ考える間を空けてマコトはそれを押してみた。


 ビゴーーーーーーッ!


 どこにスピーカーがついているかも分からないような手のひらサイズのブザーから、最大音量のオーディオもかくやというほどの爆音が鳴り響きマコトは家と視界が同時に揺れるのを感じた。

「わっ、わわわわ!」

 半ばパニックに陥ったマコトがそれを放り投げる。部屋の壁に当たりガシャンという音を立ててそれが床に落ちると、何事もなかったかのような静寂が部屋に戻った。

 マコトはしばらく部屋の中を見回してから恐る恐るブザーを拾い上げた。何気なく振ってみると、プラスチックのケースの中でカチャカチャと部品が揺れるような軽い音がしたので、壊してしまったのだろうと判断して先程のシールと同じようにゴミ箱へと放り込んだ。


「あー、耳いてぇ。なんだこれ。いくらなんでもデカ過ぎんだろ……」

 心臓の鼓動が緩やかになると、そういえば近所から苦情が来はしないだろうかと心配になり窓の外を覗く。せっかくマスコミの取材も下火になり平穏に暮らせるようになったのに、ご近所トラブルなどに巻き込まれるのは御免被りたかった。

 二階の窓から見下ろした景色、郊外の駅からさらに15分は歩く住宅街ベッドタウンの細い道には何だか慌てたように走り去っていく男の後姿がひとつだけ。特に憤怒の表情で出てくる近隣住民の姿が見えたりはしなかったのでほっと胸を撫で下ろす。

「近く歩いてる人を脅かしちまったかな。あの様子だと怒鳴り込んではこないだろうけど……悪いことしたか」

 言葉とは裏腹にあまり申し訳ないような様子も見せずマコトはダンボールに手を突っ込む。

 指に当たったものを掴んでみると思ったよりも重量があったので、改めて両手で取り出すとそれは奇妙な箱だった。サイズ的には両手に収まる程度であまり大きくないが、やはり重い。金でも入っているのではと期待してみたが、フタのような場所はなく、よくよく見回してもてもネジや釘が使われていないので分解は困難だろうと思えた。素材はおそらく金属だが、触った感じでは何とも言えない。つまり、マコトにはそれが何か判断できなかった。

「オルゴールかなんかか?」

 特徴的な点といえば、小さなパラボラアンテナのような物がついており、その下に解りやすい押しボタンがいくつかついていた。ラジオと言われればラジオに見えるし、子供向けの学習教材といわれればそう見える。

「もしかしてこれが『傘』なのかねぇ」

 アンテナをつんつんとしながら奇妙な箱についてネットで調べようとするが、そもそもこの形状を検索ワードにすることは難しく、画像を漁ろうにも箱とかアンテナとかではヒットするわけがなかった。

 早々に特定を諦め、マコトは再び箱を観察する。スピーカーのような穴もなく、電池を入れる場所もない。

「この形状でさっきみたいな音が出るって事はないと思うけど……」

 そう言いながらも念のために近くに毛布をスタンバイする。この重さであれば先程のように壁に投げつけるわけにもいかず、もし大音声が響いたときにはそれで包んで事態の収束を待とうという構えである。


 そんな覚悟をしながらボタンに手を伸ばすと、スイッチは思いの外重く、グッと押し込むとカチッという手応えと共に元には戻らなくなった。

 恐れていた騒音の代わりにはただ一瞬、ブウンという、モーターの回転音のようなものが聞こえて、しばらくするとそれも止んでまた静かになってしまった。

「……なんだこれ?」

 結局それ以降その謎の物体は別のボタンを押そうともアンテナを引っ張ろうとも、叩けど振れどウンともスンとも言わなくなり、マコトはそれを元から壊れていた何かの機械だと判断して床に放り出した。

 ドスンという音とともにそれは床に転がって、さっき投げた雑誌の横に鎮座した。



 その後もマコトは次々とダンボールからガラクタを取りだし続けた。

 もはやその価値を調べるという当初の目的も忘れて、ボタンがあれば押し、レバーがあれば倒し、記録媒体ならとりあえず読み込んでみた。薬の類は流石に飲まなかったが、化粧水のようなものは試しに顔につけてみた。

 そして結論として、そのどれもがろくに役に立ちそうではなく(化粧水は意外と肌にしっとりと馴染んだが)面白い挙動をすることもなかったが、ひとつ、またひとつとそのガラクタを手に取るうちにマコトの表情は穏やかなものになっていった。

「あのオヤジが、こんなガラクタを後生大事に抱え込んでたのかねえ」

 マコトが知る父の姿というものはほとんどがメディアに流れる映像であり、執務中の姿であった。自身の記憶は幼さのせいかほとんど残っておらず、自分の目で見た父の顔というものがいまいち思い出せない。優しい父だったと母は言うが、それすらもテレビに映る 「政治家タノウエミツオ」印象に塗りつぶされて久しい。


 在任中はそれほど激しい批判に晒されていたわけでもないのに、急進的な政策を断行していたプレッシャーからだろうか、テレビの中の父親はいつも何かに怯えるような顔をしている気がした。

 マコトは父が、一人の部屋で足元のガラクタ達ををいじりながらにやけている姿を想像して、少し笑った。

「っと、次で最後か」

 箱の底を覆うように置かれていた、傘の絵が描かれた団扇を取り出すと、その下に隠れていた最後のガラクタが見える。手に取った団扇で顔を適当に扇ぐと、マコトはそれを見つめて固まった。

「あれ、これ、なんだっけ……」

 無いと思っていたが、一本だけあった。

 それは唯一本物の傘、柄がまるっこいネコの頭になっている子供用の折りたたみ傘だった。

 当然ながら、プレミアの付くような高級品には見えない。

「たしか……そうだ、これ確か」

 マコトの脳裏に浮かぶ光景があった。それは幼い頃の自分が、その傘を持ってこの家の狭い庭を走り回っている姿。

 そして、それを眺めて微笑んでいる父親の笑顔。国会中継では一度も見たことがない、タノウエミツオの穏やかな笑顔だ。

「そうだ。これ、あの時の傘だ」

 その傘はマコトが三歳になった誕生日、父からプレゼントされたものだった。

 かわいい傘が嬉しくて、マコトは雨が降るたびにそれを持って庭へ飛び出した。幼稚園に通い、友人から女の子っぽいデザインをバカにされて以来、どこかにしまい込んで忘れ去っていたのを、どうやら父か母が回収したのだろう。

「オヤジ……」

 ふいに思いだされた父親の笑顔にマコトは戸惑い、さらに連鎖的に脳裏に聞こえてきた言葉に狼狽した。


『なるよ……俺。せめて、お前達だけでも入れる傘に』


「え?」

 本当に聞こえたような気がして周りを見回すが、もちろん誰もいない。

 ただ、それは確かに父親の声だった。

「でも、そんな台詞って」

 マコトはその言葉をいつ聞いたのか、必死に頭の中を探る。しかし、父親のあらゆる言葉を報じてきたはずのテレビやラジオや新聞やネットの中でそれに触れた事は一度もない。

 ならば、実際に父から聞いた言葉なのだろうか。

 だとしたらいつ、どこで、どんなシチュエーションで……

 そこまで思い至ると、突然マコトは胸を押さえた。もうひとつ、記憶の奥底から沸きあがる映像があった。

「あの時、オヤジが、俺達を……かばって死んだあの時の!」


 マコトはずっと、メディアが寄ってたかって作り上げた父の生き様を見てきた。だから父の死に関しても『旅行先で土砂崩れに巻き込まれ死亡』とだけ認識していたし、改めてその事を母親や姉に尋ねる事もなかった。マスコミは美談を嫌い、彼が家族をかばって死んでいた事を報じることは無かったし、改めて母や姉がそのことについてマコトに説くこともなかったので、彼は『親父は一人で事故に遭った』と思いこんでいた。


 しかし今、唐突に思い出した。心の中に差した傘が取り払われ、記憶の雨がマコトを打ち据えるように、あの日の事が、それよりも前の事が、生まれてから父に愛されていた事が我先にと脳裏に押し寄せた。

 マコトは号泣した。

 庭ではしゃぐ自分を見守る父親の笑顔と、死の際に立ってなお、自分に向けられていた優しい笑顔を思いだして一人きりの部屋で声が枯れるまで泣き続けた。

 涙は何物にも弾かれることなく、手に取った小さな雨傘の上にポタポタと落ちた。



 夜になり母親がパートから帰ってくると、マコトにおかしなことを聞いた。

「大丈夫? ヘンな人来なかった?」

 質問の意味がわからずマコトが問い返すと、母はそれを肯定と受け取った上で説明した。

 どうやらパート先のスーパー近くで指名手配中の強盗殺人犯が捕まり、その男がこのあたりの住宅街を下調べしたメモを所持していたというのだ。残虐な男で、留守を狙うのではなくあえて一人でいる家を狙い、家人を傷つけて金品の在り処を吐かせた上で殺すのだという。

 カップラーメンを食べようとしていたマコトはこの辺ではあまり聞かないショッキングな事件に思わず電子ケトルのお湯をこぼし、盛大に手にかけて大いに焦った。だが、運が良かったのか火傷はおろか手は赤くなることすらなく、マコトは胸をなでおろした。




 その日から、マコトの住むこの国には少しの間不思議な事が続いた。

 まるで父親の在任中のように、政治的な問題が突如霧散したり、矛先が他国へ移ったり、政府や国民にかかるいろいろな負担が少しだけ軽減された。

 テレビではコメンテーターが、

「あまりに問題を抱えるこの国を見かねて、タノウエ総理の霊が帰ってきたのかもしれないですね」

 などと笑っていたが、スタジオでは特に誰の賛同も得られずに黙りこんでしまった。


 リビングでソファに寝転がりながらそれを見ていたマコトは、また父親の言葉を思い出していた。

『傘ひとつで変わる人生ってのもあるんだよなあ』

 多分、庭で遊んでいる自分に向けられた言葉だったのではないかとマコトは思う。


 父のコレクションを整理したあの日からマコトは図書館に通っては父親の記事が載っている新聞や書籍のうち、できるだけ中立的な書き方のものを探して読んだ。少しずつ自分の頭で考えて、父親のやってきたことを見つめ直すようになっていた。まだ肯定的にには見れなかったが、それが目的ではないので気にしなかった。

 ただ、人から言われた言葉だけで自分の父親のことを評価していた事は、今からすれば恥ずかしい事だったと、そう思うようにはなっていた。

「まあ、何がきっかけで人生変わるかなんて分かんないしな、それがたまたま傘ってことも……あるかもしれねえよな」

 ソファに頬杖をつきながらそんな事を呟くと、ポーンという音とともにワイドショーの画面の上部にニュース速報が流れ、次期総理大臣は確実と言われていた政治家が与党内での総裁戦でまさかの敗北を喫した事が報じられていた。

 生放送だったスタジオは突然の事にざわめき、すぐさま報道フロアの映像に切り替わった。









***


 地球から遥か遥か上空。宇宙空間に、一隻の宇宙船が漂っていた。

 それは遠く離れた外宇宙からやってきた知的生命体の侵略船であり、内部には軍服を纏った多数の宇宙人がひしめいていたが、科学技術の圧倒的な差によって地球上のどのレーダーもその姿を捕捉する事はできていなかった。

 高度な文明を持ち、数々の星を侵略して更なる発展を繰り返してきた彼らにとって、この星は資源に溢れているくせに生息している生物が皆未だ野蛮人の域を出ない

『いいカモ』

 であった。

「艦長、主砲発射準備整いました」

「よし、この星の下等生物どもに目覚めの一発を撃ち込んでやれ」

「了解!」

 上官の言葉に敬礼を返し、宇宙人の一人が主砲の発射ボタンを押すと、宇宙船の前方に突き出たアンテナのような部分に光が収束していく。それは程なくしてアンテナの中心に凝縮したかと思うと、一瞬の間をおいてそこから伸びる凄まじい光の帯となって、マコトの住む青い星に突き進んだ。

「ハッハッハ、さて、何分の一が死ぬかな!」

 頭から触覚を生やした上官のサディスティックな笑い声は数秒後、呆然と狼狽のうめき声へと変わった。

「な、なぜだ!」

 光の帯は、その星へと到達する直前に何かに弾かれるように逸れて、彼方の暗黒へと飲みこまれて消えたのだ。

「艦長、バリアです! こちらの主砲による惑星へのダメージ、確認できず!」

「バカな! ゾルグレスト粒子の異常加速によるブガストマビーム理論兵器だぞ! この星の文化レベルでは少なくともあと一万年は到達する領域ではない! ましてやそれを弾くバリアだと! ありえん! 我がバズマグリト星に於いても、これを防ぐ理論はいまだ確立されていない代物だ! だからこその絶対兵器であり、それを有するからこそ! この艦が我がバズマグリト絶対艦隊の旗艦なのではなかったのか!」

「お、仰る通りです! しかし、事実としてその絶対兵器が完全にバリアに弾かれました!つまり……」

「つまりどういうことだ! 言ってみろ!」

「この星は我々を超える、超々高度文明を有しながら、それを偽装しているのでは……」

「バカな……いや……しかし……」

「艦長、どうなさいますか!」

「くっ、再調査の必要がある! 撤退だ!」

 上官が悔しげに怒鳴ると艦内には一瞬の動揺が走ったが、流石に完璧に訓練された軍人らしく、その命令に対する動作もまた完璧であった。

 程なくして水と緑に彩られた星から去り行く宇宙船を、月だけが見ていた。


***


「そう言えばマコト、あのお父さんのコレクション、売れそうなものってあったの?」

 しばらくしたある日、あまりにも今更な質問を母親はマコトにぶつけた。どうやらあの日は強盗犯の話で頭がいっぱいで忘れていたらしい。

「あー、ダメダメ、ガラクタばっかりだったわ」

「でもひとつくらいは……」

「いやー、ないわー。ほんっと、ゴミにしかなんねえよあんなの」

「じゃあ、どうしようかねえ」

 残念そうな母に、目を合わせないようにしながらマコトは提案する。

「まあ、使えそうなもんは使えばいいから俺がもらっとくよ。あとは、まあ捨てとくか……また押入れにでも入れとけば?」

 傘嫌いを公言する息子が、傘に関連したコレクションを一部でももらうと言ったことに母はひどく驚いて熱でもあるのではと尋ねたが、マコトはうざったそうに母の手を振り払ってそれを否定した。

「まあほらよ、ほとんど傘じゃなかったし、あの中身」

「ふぅん……アンタ、もしかしてあの中にすごいお宝があって独り占め、ってんじゃないわよね」

「ねーよ、バカ!」

 訝しげな母の顔を見ていられずにマコトはそそくさと自分の部屋に戻る。

「ったく……うわあぶねっ!」

 部屋に入るなり、何かを踏んで足を滑らせ、体勢を崩す。

 なんとか転ばずに踏みとどまり足の下を見ると、まだ捨てていなかった週刊誌がそこにあった。その表紙に写る政治家を見て、ふと思い出して机に向かう。

「そうだそうだ、なんであれだけ鉄板だって言われてて負けたんだ?」

 キーボードを叩いていくつかのニュースサイトを表示し、奇跡的な負け方で総理の座を逃した例の政治家についてのニュースを読み散らした。

 しばらくして 「全く理由は不明」というある意味一致した見解だけを確認してモニタから目を逸らすと、視界の隅に小さなアンテナのついた謎の箱が入った。


 結局用途はわからなかったが、なんだかオブジェとして気に入ってしまい、あの日以来それはマコトの机に飾られていた。

 母親の言葉を思いだす。

『もしかしてあの中にすごいお宝があって独り占め、ってんじゃないわよね』

 椅子から降りて、つかつかと部屋の壁に据え付けられたクローゼットに向かう。ゆっくりと開き、ハンガーと一緒にかけてある、柄が猫の顔になっている子供用の傘を手に取って、小さく笑い、呟く。


「所詮傘だぜ? そんなすげえもんなんかあるわけねえじゃんかよなあ?」


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