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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
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傍流捜査

児玉は納得しがたいものを抱えながらも、それでも与えられた使命を全うすべく、まずはダイヤスタイル関係を捜査しているグループと合流し、捜査情報を提供してもらおうと思った。この件で先行捜査している磯崎・田中の両刑事は青山周辺の聞き込みを終わり、次の段階に進もうとしていた。


 児玉らは磯崎刑事から情報提供を受けた。

「AOIプロデュースの元従業員と接触することができました。川島葵率いるAOIプロデュースは1985年設立のアパレル企業で、実質的にはファッションデザイナー川島葵のプロデュースした商品を前面に出したAOIブランドを売るための会社でした。バブル経済とデザイナーズブランドブームの波に乗って、設立以来増収増益を続けていきます。特にダイヤスタイル社と組んだ、タイアップブランド『トップスタイル』のヒットが寄与しておりまして、そのタイアップ事業を通じて川島と水谷との仲も親密になっていったものと考えられます。その『トップスタイル』が売り出されたのが1989年、奇しくも伊豆高原の保養所ができた年です。実際、水谷は川島を何度かこの伊豆高原の保養所に連れて行っています。ですから川島は伊豆高原にある程度の土地勘を有していた可能性があったと言えます。

 川島葵と一条幸恵との関係はやはりダイヤスタイルの元副社長が証言していた通りかなり険悪なものだったようです。そのAOIプロデュースの元従業員が同様の趣旨のことを言っています。

 あと、AOIプロデュースの資金繰りですが、バブルの頃は順調でしたが、バブルが弾けてデザイナーズブランドブームにも陰りが見え始めると一気に財務内容は悪化していきます。そして、凋落がはっきりしてくると愛人関係を結んでいたにも拘らず水谷のダイヤスタイルから容赦なく取引を切られてしまいます。そしてそれを機に水谷との愛人関係も終わったと考えられます。そのあたり、つまりビジネスに絡むことは水谷一郎という男はこれも元副社長の証言通り非常に冷徹であったようです。それから、これもまた、その元副社長の証言通りですが、一条幸恵の川島葵に対する執拗とも言える讒言ざんげんもその取引中止に少なからず影響を与えたものと思われます。

そして、その取引打ち切りから程なくして川島の会社は倒産に追い込まれます。それで、住んでいた成城の家土地も売り払ってその債務に当て、逃げるように表舞台から消えていったということです。

 現在、我々も川島の所在について調べていますが、出身が長崎ということくらいでその行方はようとして分かりません。住基ネットを駆使しても見つからないことから、海外にいるか、もしかしたら死亡している可能性もあるかもしれません…。以上、我々の調べは現在こんなところです」

「よし、分かった。よく調べてくれた。とにかく俺たちは川島の行方を知りたい。川島が当時住んでいた成城を中心として周辺自治体、特に隣接する神奈川方面を当たって会社倒産後に川島が移り住んだ形跡がないか調べよう。川島の元の住所は世田谷区成城、世田谷区から始めて徐々に範囲を西に広げていく。ローラー作戦だ」

「はい!」と一同は大きな声で応じる。

 そのローラー作戦は、いち早く神奈川県川崎市でヒットした。川島葵は、川崎に住んでいた時期があった。


川崎市役所住民課

「警察の者です。以前住民だった川島葵さんの川崎での暮らしぶりについて知りたいのですが」

「そうですか、でしたら…えーと、あ、この方は生活保護を受けていますね。だったら住んでいた多摩区の福祉事務所にお問い合わせください。何か資料が残っているかもしれません」

「分かりました」

 児玉らは早速、多摩区役所内にある福祉事務所に向かった。

「これが川島さんの川崎での記録です。5年間の保存期間はとうに過ぎていますが幼い子どもがいたことから特別にとってあったみたいです。この川崎で女の子を出産していますね」

「え!?」と捜査員一同は一様に驚き、そして、同時に父親は誰なのかという疑問を持った。そこに父親の記載はなかった…。未婚の母として川島はここ川崎で過ごしたということである。父親はこれまでのいきさつを考えれば、やはり水谷一郎ということになるのだろうか…。

「それから、生活が苦しかったのでしょうね。小さい娘さんを抱えて思うように働けなかったみたいで、川崎に来てわりとすぐに生活保護を申請しています。そのケース記録から当時の暮らしぶりがいくらか分かるかと思います」とその福祉事務所の職員が言った。

 児玉らはその記録を一通り読み、そして当時、川島葵を担当したという女性のケースワーカーから話を聞くことができた。

「静岡県警伊豆東署の児玉といいます。さっそくですが、川島さんの暮らしぶりや人柄についてお聴きしたいのですが」

「分かりました。川島さんは、それはもう娘さんのことをかわいがっていました」

「そうですか、ところで父親が誰だったかということは聞きませんでしたか?」

「いえ、何も…。その話になると硬く口を閉ざしてしまって、その時はちょっと痛々しい感じもしました」

「そうですか…」

「それと生活保護を受けるようになったことを大変恥じておられましたね…。やはりかつては会社の社長さんで羽振りが良かっただけに現在の境遇が悔しかったのだと思います。ただ、いつもどこか凛とした人でしたね。いつかはまた自分の時代を築いてみせるってそんな気概を感じました。それで川島さんはよく『この子が乳離れして保育園に通えるようになったら、早く働きたい』っておしゃっていました。またファッションの仕事がしたいと。生活保護中でもいろいろ服のアイデアは練っていたみたいで、私によく『こんなのはどう?』って訊いてました」

「では、将来についてはかなり前向きであったと?」

「そうですね、初めこそ落ち込んでいたようでしたが、割合すぐに気を取り直して前向きに、意気軒昂そうに私には見えました」

「そうですか、でも…、まあ、あ、あの、こんなことを言うと不謹慎に聞こえるかもしれませんが、そもそも彼女が子どもを生んだのはなぜっだのでしょう?。自分の会社が潰れてこれから生活が苦しくなるのは目に見えているのに敢えて子どもを生んだのはどうしてだったのでしょうか?。父親もいない状況では残酷なようですが中絶という選択も十分あり得たと思うのですが…」

「ええ…、それについては、彼女はこんなことを言っていました。『この子を堕ろして、手放してしまえば私の人生は失うことばかりの人生になってしまう。だから、私はこの子を手に入れて、この子と一緒に幸せを掴んでいきたい。とにかく私はいま独りになったら動けなくなる。確かにこの子がいることで障害になることもあるかもしれないけれど、この子がいてくれるから頑張れる、生きていけるって感じられることも絶対にあると思う。そして、そっちのほうが遥かに尊く、有り難く、また産まれてくるこの子は自分がこれからの人生を生きていく上で必ず大きな支えになってくれるはずだ』と仰って」

「そうですか。では子どもが彼女にとっての生きがいであり希望だったのですね」

「ええ、そうだったと思います」

「それでも誰かを恨んでいる風には見えませんでしたか?」

「誰かとおっしゃいますと?」

「例えば、娘さんの父親とか…」

「う~ん、先程もお話しましたがここでの保護期間中、その話はタブーといった感じで、彼女は何も話してくれませんでした。父親というか川島さんにとっては夫ということになるのでしょうがその人に対してあまりいい感情は抱いてなかったとは思いますが、かといっていつまでも恨んでいるという感じは受けませんでした。今思えば、その人のことは早く忘れようとしていた、そんな感じだったと思います」

「そうですか…、分かりました。ところで我々警察は彼女の所在を調べているのですが、川崎での保護期間は約2年で終わっていますね。で、その後は…?」

「ええ、郷里の長崎で暮らしたいと言って引っ越されていきました。やはり、あちらのほうに友人・知人の方が多くいらっしゃるみたいであっちだと寂しくないと仰って」

「そうですか、で、彼女の長崎での住所は分かりますか?」

「ええ、控えてあります。住所は、え〜、長崎市××です。生活保護は継続中でしたので長崎市のほうにも保護に関する記録があるかもしれません。ただ、5年の保存期間はとうに終わっていますので期待はしないでくださいね」

「分かりました。色々ありがとうございました」

 児玉ら捜査員たちはその福祉事務所を後にした。

「とにかく長崎の福祉事務所に連絡して川島葵に関する記録があるかどうか尋ねてみよう」と児玉が言った。そして、丸山が素早くスマホで電話番号を調べて長崎市役所内にある福祉事務所の担当部署に電話を入れた。幸いにも記録はあるという。どうも訳あり案件らしい。そのせいだろう事情は電話では詳しく話せないということだった。

「よし、長崎に行ってみよう」児玉は即断して言った。

「では、私たちも」と磯崎らも言う。

「うん、課長に頼んでみる」

 さっそく児玉は捜査本部の松平課長に連絡する。

「課長、川島葵は川崎にいた時期がありました。そこで娘を産んでいます。おそらく水谷との間にできた子どもです。AOIプロデュースが倒産したのが1997年9月で、1997年11月から、2001年2月まで川崎で暮らしています。といってもその大半が生活保護を受けながらの生活です。その後は郷里の長崎に移っていますがその長崎でも生活保護を受けていたようです。そこで課長、長崎に行っていろいろ調べたいのですが」

「長崎か…、まあ、いいだろう。分かった。行ってきてくれ」

「ありがとうございます。それで、あの…、磯崎らも連れて行きたいのですが…」

「うん…?。磯崎と田中か…。う〜ん、まあ、いいだろう。構わん、一緒に行ってきてくれ」と松平は意外にあっさり了承した。

 児玉は一癖ある課長の物分りのよさに少し薄気味悪さを感じながらも「ありがとうございます」ととりあえず松平に感謝の言葉を述べるのだった。


 ともかく児玉ら4人は長崎に向かった。まず訪れたのは長崎市役所だった。市役所内にある福祉事務所の中の生活保護を担当する生活福祉課に向かう。そこで当時担当していた女性のケースワーカに話を聞くことができた。

「川崎市から継続保護の川島葵さんですね?」

「そうです」

「あの方、一応実家の方に引き取られたのですが、すぐにそこを飛び出しちゃったみたいで、それ以来行方知れずになってしまったんですよ。ですので電話ではちょっと…、すみません」

「いえ、いいんです。そうだったのですか…、では現在のことは?」

「ええ、残念ですが全く分かりません」

「なぜ、実家を出たのかお分かりになりますか?」

「うん…、これはあくまで私の想像ですが、やはり、そこにいずらかったんだと思いますよ。長崎といってもけっこう田舎の体質もありますから、未婚の母とその子どもが家にいることは相当抵抗があったんじゃないかと思います…」

「つまり、実家の人たちが寛容的でなかったと?」

「ええ…、おそらく…」

「ところで、生活保護はずっと続いていたのですか?」

「いえ、実家の方で扶養するということになりまして、生活保護はすぐに打ち切られました。ですが実家で暮らし始めて半年ほどでそこを出て行ってしまったんです」

「まだ小さい娘さんと一緒に?」

「ええ、そうです」

「どこへ行ったか分かりませんか?」

「いえ、全く…」

「実家から捜索願は?」

「それが出ていないんです。おそらくもう関わりたくないと思っているみたいで、ただ、こちらとしては子どものことがありましたので、一応児童相談所には連絡しています」

「児童相談所はなんと?」

児相じそう(児童相談所)も調べているようですが、まだ行方は分かっていません」

「最悪の事態も考えられるケースですか?」

「ええ…、母親の状態が不安定だと思いますので、そういうことも考えられるかとは思います…」

「そうですか…。とにかく、我々は実家の方に行ってみたいと思います」

「分かりました。住所はご存知ですか?」

「こちらでいいですか?」

「あ、えーと、そこは一番最初に住んだ所ですね。実家の住所はえ〜、あ、こちらになります」

「ありがとうございます。では行ってまいります」

「ええ、お気をつけて。何か分かりましたらこちらにもご連絡ください」

「分かりました」


 児玉らは福祉事務所を後にし、タクシーで川島葵の実家に向かう。

「ここはなんとしても家族から、捜索願を出させなきゃならんな」と走るタクシーの中で児玉は隣に座る丸山に意を決して言った。

「ええ、そうですね。喫緊の課題として子どものことがありますし、また、そうすれば川島葵の捜査も一段と進められます」と丸山が応じた。


 川島葵の実家に着いた。そこは特に変哲のない中流家庭の家そのものだった。呼び鈴を押して家人を呼ぶ。すると一人の女性が出てきた。葵の兄の妻良子りょうこであった。葵の両親はすでに亡く、兄の亮一りょういちが実家を継いでいた。

 亮一の妻良子は、捜査員を居間に招き入れ、お茶を差し出した。間もなく2階にいた亮一も降りてきて居間のソファに遠慮がちにそれでいて少し迷惑そうに座った。警察の捜査を嫌がっていることは言うまでもない。その日、たまたま亮一は休みだった。

「お休みのところすみません。静岡県警伊豆東署の児玉といいます。川島葵さんのことをお聴きしたくてお邪魔いたしました」と切り出した。

「葵のことですか?、あいつが何かやらかしましたか?」と諦めたような表情で亮一は尋ねる。

「いえ、葵さんが何かをしたかということではなく、伊豆高原で起きた殺人事件について何か事情を知っているのではと思い行方を捜しているのです」と児玉は言い、彼女が容疑者の候補に上がっていることを口にするのは辛うじて避けた。

「せっかくお越しいただいたのに申し訳ありませんが、私たちも葵の行方は分からないのです」

「捜索願を出していないとお聞きしましたが…」

「ええ、あいつももういい大人ですから、責任を持って生きていけるだろうと思いましてね。それにお恥ずかしい話、私達はあいつが子どもを抱えて帰ってきても、ろくに面倒を見てやることができませんでした。不倫の子を産んだということであいつ自身負い目を感じていたところがありましたし、周囲の目も気になったと思います。私たちが捜して連れ戻しても傷つくだけではないかと…、それから正直に言えば私の子どもたちへの影響も心配しました。葵のような…、うん…、いわば奔放な人間がいると、子どもたちが悪い影響を受け、さらによくない噂が立って、いじめにつながったり、進路にも影響するのではないかと心配しまして…」

「そうですか…。では妹さんには正直あまりここにはいて欲しくなかったと?」

「え、えぇ…」と亮一は苦悶の表情を浮かべ、絞り出すような声を出して頷いた。

「事情は分かりました。ただ、ことは二人の人間が殺された重大事件です。ここは捜査に協力していただけないでしょうか?」と児玉は言い真剣な眼差しを亮一に向ける。

「と言いいますと?」と亮一は逆に問うた。

「ぜひ、妹さんの捜索願を出していただきたいのです」

 暫しその空間に重い沈黙の時間が流れる。やがて沈思黙考していた亮一が意を決して口を開いた。

「分かりました。事件解決の為ならば捜索願を出しましょう」

「ありがとうございます。あと二、三お訊きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」

「はい、私で答えられることでしたら…」

「そもそも妹さんはなぜこちらに帰ってきたのでしょう?。失礼ですがああいった状況では周囲から疎まれることはある程度想像ができたと思うのですが」

「あいつは帰ってきてもあまり多くは語りませんでしたが、私が感じるに川崎での生活保護の生活に耐えきれなかったのだと思います。小さいながらも会社を経営していたあいつにとっては保護下での生活は大変な屈辱の日々だったと思います。それでも、それに辛うじて耐えられたのは娘の裕美ひろみの存在が大きかったと思います。この子のためにも何とかしなきゃって…。実際、生活保護下で何もしない生活よりも何かキャリアを積み上げていきたい。そう考えたと言っていました。長崎に来ればいろいろ知り合いもいますし、何か運が開けるとでも思ったのでしょう」

「しかし、葵さんは生活保護を継続してここに来ていますよね?」

「まあ、私たちに遠慮したんでしょう。面と向かって扶養してくれとは言いにくかったんだと思います。ただ生活保護を受けながらでも長崎には知り合いが多くいますからそのつてを頼って仕事が決まってくれば自然と生活保護から抜け出せると考えたと思います。確かにほとんど知り合いがいない川崎にいるよりは可能性はあったのではないかと思いますよ」

「なるほど。それでここに来たらうまい具合に生活保護を外せる状況になったとそういうことですか?」と児玉はそれが事実ではないと知りつつも自然な話の流れからついそのように質問した。

案の定、亮一はすぐに否定に回り「いえ…、そうではなく私が彼女らを扶養すると申し出たんです。すぐ近くで実の妹が生活保護を受けている。そんなことが兄として許せなかったのです。かつてはあいつの実家でもあったここから再起を期せばいいと私が言ったのです。妻は多少戸惑っていましたが、最後はやはり困っている義理の妹の力になりたいと言ってくれました」と言った。

「そうだったんですか…。それで、葵さんはここにどれくらいいたのでしょうか?」

「半年ほどですね。『お世話になりました』という置手紙を置いて娘の裕美を連れ風のように出ていきました」

「半年間彼女はここで何をしていたのですか?」

「またファッションの仕事がしたかったようで、その手の仕事を探していました。ただ、いかんせんここは地方都市の長崎ですからね…、職の絶対数が少なくて…。しかもバブルが弾けて日本中が不景気になっていた頃でただでさえ職探しが難しいところに、ファッション関係は当時物凄い不況業種でハローワークや求人誌、求人サイト等でもその手の仕事はほとんどなくて…、たまにあっても物凄い倍率で…。応募しても何処もけんもほろろに落とされました。いくつかコネを頼って受けたところもありましたがそれもダメでした。最後の手段とも言える頼みの綱のコネを使ってもダメだということで…葵はすっかり自信をなくし、やる気をなくして自宅に引き籠るようになってしまったんです。それからです。葵に対する世間の目が厳しくなったというか風当たりが強くなったと感じるようになったのは。周りにもだんだん事情が知られるようになっていましたので…。葵も可哀想なんですが、我々ではどうしてやることもできなくて…。子どもたちにも悪い影響が出るんじゃないかと心配し始めたのもこの頃です」

「それで、彼女はここにいずらくなったと?」

「えぇ…、そうだと思います」と亮一は言い厳しい表情で頷いた。

「それで、彼女はどこへ行ったのでしょうか?。どこか心当たりはありませんか?」

「それは分かりませんが…、ただ首都圏のNPOやNGOなんかと連絡をとっていたようです。そういったチラシやパンフレットが部屋に残されていましたから。宗教団体絡みのやつもありました。おそらく、職のない地方に見切りをつけて本腰を入れて何でもやる覚悟で首都圏で頑張ろうと思ったのだと思います」

「しかし、葵さんはずいぶん落ち込んでいたのでしょ?。よく頑張ろうという気持ちになりましたね」

「そこはやはり、母は強しというやつですね。子どもの笑顔を見てこの子のためにも頑張らなきゃという気持ちになったんだと思います」

「そうですか。では、あなたが思うに妹さんは首都圏にいると思っているわけですね?」

「ええ、おそらく…」

「妹さんの部屋にあったという団体のチラシやパンフレットはまだありますか?。あったらぜひ見せていただきたいのですが」

「ええ、まだあったと思います。ちょっと待っていてください。今持ってきますので」と言って亮一はソファから立ち上がり、2階に消えていった。しばらくして幾つかのチラシやパンフレットを持ってきて、「これが、そのチラシやパンフレットです」と言って児玉に手渡す。

「ありがとうございます」と言って児玉は受け取り、「それから、これらは、こちらで預からせていただいてよろしいでしょうか?」と尋ねた。

「ええ、構いませんが」と亮一は言って了承する。

「ありがとうございます。あと、他には何か葵さんが言っていたことはありませんでしたか?」

「最後の方は少し疎遠になっていましたので…、特に何も言わずに出て行きました」

「そうですか、分かりました。長い時間本当にご協力ありがとうございました」と児玉は礼を言い、捜査員4人は川島家を後にした。

 亮一は約束どおりその日のうちに長崎県警に川島葵の捜索願を出した。


 児玉らは伊東の捜査本部に戻ることにし、空路で羽田を目指すべく、長崎空港に向かった。その途中、松平課長に報告を入れる。

「川島葵は長崎で半年ほど過ごした後、また首都圏に戻ったようです。葵の兄がそのように言っています。仕事を見つけようと長崎に帰ってきたのですが、結局見つけられず、また首都圏に舞い戻ったというのが実情らしいです。引き続き磯崎らと川島の行方を追いたいと思うのですが、私は川島葵は今回の事件のガイシャかもしれないとも思っています。彼女が手にしたと言うチラシやパンフレットを入手いたしましたのでここについているであろう川島葵の指紋と女のガイシャの指紋とを照合したいと思います。ですからここはいったん捜査本部に戻ろうと思います。それで戻った際に他の捜査状況も確認してまた出直そうと思うのですが…」

「そうか…。うん、分かった。じゃいったん捜査本部に戻ってこい」と松平は言った。松平は大木に言われたこともあり、内心児玉らを捜査本部に来させたくはなかった。が、しかし自然な流れから承諾せざるを得なかった。不自然なことをすればかえって児玉らの疑念を増幅させてしまう。と、そう思ったからだ。

「分かりました。それで一条幸恵の方はどうですか?。何か分かりましたか?」

「いや、まだ特には出てきていないな…」と松平はバツが悪そうに話す。

「小林玄太郎もですか?」

「あぁ…」

「捜査一課が調べてるんですよね?」

「そうだ…。まあ捜査のエキスパートの一課でも苦戦してるんだろう。捜査は水ものだ。時にはそういうこともある…」

「はぁ…」児玉には敏腕捜査員が集う県警本部の捜査一課が出張っていて何も出てこないというのは信じられない感があった。

 児玉も川島葵が捜査の本筋から外れた傍流であることは初めから強く感じている。一条幸恵が事件の前々日から姿を消していることから、彼女が事件に何らかの形で関わっていることはまず間違いない。だが、一条がガイシャでないことはこれまでの調べでついている。よって彼女は実質的に殺された女の身代わり役になっていることから殺されずに生きていれば今回の事件で加害者側と結託し共謀している可能性もあるのだ。一条から事情を聴けば捜査は大きく前進する。その点、川島葵は事件に関わっているかもしれないというだけで全く関わっていない可能性もあるのだ…。どちらの捜査を優先すべきかは明らかである。それだけに本来なら捜査一課はその功名心も相俟って目の色を変えて一条幸恵について捜査するはずである。それが全く進展がない…。それに現時点で証拠がない、正確には乏しいと言っても小林玄太郎が一条幸恵の失踪に関わっている可能性はそれ自体あることはあるのだ。その点からも玄太郎周辺の捜査も強力に進めていけばいろいろ分かりそうなものである。それが全く進展がない。『捜査一課はやる気がないのか?。何かおかしい…』児玉はそう感じ始めた。


 4人は伊豆東署に戻り、まず鑑識に川島葵が見たとされるチラシとパンフレットを渡してガイシャとの指紋の照合を依頼した。結果はすぐに分かった。照合の結果、指紋はガイシャのそれとは一致せず女性被害者と川島葵とは別人と分かった。そして、3階にある捜査本部に赴き刑事課長の松平に挨拶し、まず先程行なった指紋の照合結果を伝え、それから現在の自分らの捜査状況を報告した。そして、捜査一課等の他のそれを確認する。それによると依然として本流であるはずの一条幸恵の行方は一向に分からないないということであった。というよりもそういうことにされているのではないかとさえ児玉なんかは勘ぐった。県内の優秀捜査員が集う県警捜査一課が乗り出しているにも拘らず一向に捜査の進展がないからだ。

 『やはりおかしい』児玉は改めてそう思った。情報が遮断されている。そうとも感じる…。児玉は松平に迫った。

「課長、一条幸恵の捜査が全く進展していないというのは俄かには信じられません。捜査一課は我々所轄に何か情報を隠しているのではありませんか?」

 児玉の唐突で単刀直入なその問いに少々面食らいながら振り返った松平はみるみる顔を紅潮させ、

「あぁ⁉︎、なんだって⁉︎。滅多なことを言うなよ!!。何を根拠にそんなことを言うんだ!?。進展がないというものを疑ってもしょうがないだろ!!。我々警察官はな仲間を信じるしかないんだよ。仲間をな。しのごの言う前におまえらはまず与えられた職務に全力を尽くせ!!。だいたいおまえら川島葵の居所が分かったのか?。あぁ、どうなんだ!?」と言い逆に怒りをぶつけた。

「いえ…、まだ…」と児玉は口ごもる。

「そういうことはな自分がしっかり仕事をしてから言え!!」

「あ、はい、すみません…。それでも課長、優秀捜査員の集まりである捜査一課が出張っていて何も進展がないというのは少しおかしいとは思いませんか?」

「うん…、まあ、本来ならもう少し出てきてもいいとは思うがな…。まあ、そこはお偉いさんが考えることだ。高度に政治的な判断というものも働いているのかもしれんな」

「高度に政治的な判断⁉︎。何ですかそれは?」

「いや、それはだな…、た、単なる俺の想像だ。お偉いさんが考えることは時々分からんという、まあ一般論だ」

「はぁ…」

「とにかく、俺たち所轄は一条幸恵と小林玄太郎以外の捜査をしっかりするということだ」

「ええ…。あっ、で、その小林玄太郎の方はどうなんですか?。それもまだ進展なしですか?」

「ああ…、残念ながらまだ進展はないようだ」

「そうですか…。我々の掴んだ捜査情報はしっかり伝わっているんですよね?」

「ああ、もちろんだ。ただ、まだ、これといったことは何も発表されてはいないな…」

「そうですか…。それも捜査のプロ中のプロを自認する捜査一課が何も進展がないとは意外ですね」

「そうだな…。だがもちろん彼らも必死で捜査をやっているだろう。まっ、とにかくおまえらは他のところはいいから与えられた任務を忠実に遂行していればいいんだ。忠実にな」

と煙に巻くように最後の『忠実』の言葉を強調して松平は凄んでみせた。

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