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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
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任意聴取

高田宏は神奈川県の平塚市にいた。高田は現在58歳。派遣社員として自動車工場で働いていた。住所も『ニッタ自動車株式会社平塚寮』となっている。真面目な性格らしく役所に届け出る転居先の住所欄にしっかりとそこの住所が記されていたという。


 児玉が部屋のドアをノックする。すると「はい」という野太い声が響き、小太りの中年男が出てきた。

 児玉は警察の身分証を示しながら、

「静岡県警伊豆東署刑事の児玉といいます。高田宏さんですね?」と言った。

「ええ、そうですが…」

「あなたがかつて勤めていらっしゃったダイヤスタイルの元社長、水谷一郎さんとその社長秘書だった一条幸恵さんが先日殺害されたのですが…」

「ええ、ニュースで知っています」

「そうですか。それで、現在、ダイヤスタイル社の関係者が事件に関わっているのではないかという線で捜査を進めておりまして…」

「なんで私が?」

「いやいやこれは殺害されたお二人を知る関係者の方全員に確認をとっているのです。誰か心当たりはないかと思いましてね」

「いや…、刑事さん見え透いた芝居はやめましょう。内心ここに警察の方がやってくるのではないかとここ最近…、というか、そのニュースを見て以来ずっと思ってましたよ。もうかなり調べてあるんでしょ?。確かに私は水谷社長に左遷されて結果的に会社を辞めました。それからはもう見ての通りのボロボロの人生です。会社を辞めてからは不況の影響もあって正社員になったことはありませんし、妻子にも逃げられました。そして行き着いた先がこの工場です。ここも来月で契約が切れます。契約が更新されなければ私はたちまち路頭に迷う。水谷さんを恨みこそすれ慕う理由などどこにもないのですから殺人犯にはもってこいでしょう?」

「いや、なにもそこまで…。ただそこまで分かっていらっしゃるのならこちらとしても話が早い。では単刀直入にお訊きします。2月5日の夜11時頃から翌日未明の午前1時頃まではどこで何をされていましたか?」

「その日は…、工場での仕事が終わったのが夕方の5時で…そのあと買い物をして夕飯を食べ…、それからテレビを見て寝ましたから…、深夜の11時から1時頃はここで寝てましたね」

「それを証明できる方は誰かいらっしゃいますか?」

「私は、一人暮らしで証明できる人など誰も…」

「そうですか…、では、その日買い物をされたとおっしゃいましたが、その時のレシートはお持ちですか?。あったら見せていただきたいのですが」

「ええ、いいですよ」と高田は言って財布の中をまさぐり無造作に入っていた当該のレシートを探し出し、児玉に手渡した。

児玉は「失礼します」と一言言ってレシートの中身を見る。と、そこにはありふれた食材が並び、日付は2月5日、時刻は18時10分と記されていた。

児玉はそれを認めレシートを高田に返すと「この買い物の後、どちらかに行かれませんでしたか?」と尋ねた。

「いえ、どこにも。まっすぐ家に帰りましたが」

「それは本当ですか?。嘘をつくとためになりませんよ」と今度は児玉の傍、やや後方に控えていた丸山が厳しい表情で、そして少し強い口調で言った。

それを聞いて高田はみるみる顔を紅潮させ「嘘など言っていない!!。嘘だと思うならご自分らで調べたらいいでしょう!!」と言って激昂した。

すると児玉がすかさず「分かりました。そうします。また来るかと思いますのでその時はよろしくお願いいたします。失礼いたしました」と取り繕うように言って、とりあえずその場から立ち去った。

その後、児玉らはその派遣会社の同僚や上司など最近の高田をよく知る人物に事情を聴いて回った。そして、児玉がそれまでのことを伊東の松平課長に報告する。

「課長、とりあえず高田にはアリバイがありません。ただ、夕飯の買い物のレシートが残っていまして、打刻されている時刻が18 時10分でした。つまりこの時間までは平塚にいた可能性が高いと思われます」

「分かった。ただ、平塚に18時10分ぐらいにいたとして、伊豆高原に翌日午前1時ぐらいにいることは十分可能だな?」

「はい、おっしゃる通りです。当然アリバイにはなりません」

「ホシは高田の可能性が高いな?」

「はい、そう言えるかと思います。しかし…、犯行がなぜ今なのでしょうか?」

「そりゃ、今の高田の生活は不安定の極みだ。来月契約が切れるんだって?。なんだかんだ言って高田ももう歳だ。契約の更新は難しいかもしれんな。とすれば『何で俺がこんな目に』とは思うはずだ。将来を悲観した男が凶行に走る、こんなところじゃないのか。実際、過去にも自暴自棄になった派遣社員による通り魔事件があったしな」

「ええ…。それで高田は20数年前の恨みを晴らしたと?」

「そういうことだ。それにしても、高田はやはり伊豆高原に強いこだわりがあったんだな」

「ええ、伊豆高原の保養所は高田が強く反対したにも拘らず強引に建てられたものです。高田にとっては面白くなかった存在です。そこで積年の恨みのある二人を殺害する。確かに動機としては成り立ちます」

「そういうことだな」と松平は言い切った。

 高田には、水谷と一条を伊豆高原で殺害する動機がある。ホシは高田の可能性が高い。児玉と丸山もそう思った。

「あーっ、それから伊東の盗難車が発見された。前に管内で盗難届が出ていたスズキ・アルトだ。伊豆高原の山中で発見されてな、その車の中からなんと血痕が見つかった。そして鑑定の結果ガイシャである水谷一郎のDNA型と一致した。それからその車のタイヤ、殺害現場の駐車場に残されていたタイヤ痕とも一致している。これらのことを受け捜査本部はこの車両をホシが事件で使用したものと断定した。車内から指紋の採取も終わっているが、ただ犯人のものが含まれているかどうかは現時点では不明だ。こちらからは以上だ」と松平が伝えてきた。

「分かりました。そのことも頭に入れて捜査します」と児玉は応えた。


捜査本部全体が主犯・実行犯は高田宏とみてその逮捕に向け動き出していた。

捜査本部の松平刑事課長から指令が届く。「高田を任意聴取するので伊豆東署まで出頭させよ」と。高田は警察から任意出頭を求められ、児玉らに付き添われ伊豆東署まで連行された。

それから…、これは余談になるが、たとえ高田が出頭を拒否しても、捜査本部は逮捕状を取ってでも署に引っ張ってこようとしただろう。とにかくそのくらいの空気というか勢いが捜査本部内にはあった…。


 署に着くと短い休憩を入れてすぐに高田の取り調べが始まった。取り調べは県警本部の捜査一課から派遣されてきた刑事の河合かわい警部補が担当した。一課から派遣された河合は強面こわもての刑事で県警内では少々強引な取り調べで知られている。『一課がおいしい所をかっさらっていこうと動き出した』と署内では囁やく者も出始めた。

 取調室で事情聴取が始まる。

「刑事さんは私を疑っているのでしょうが私は今回の事件には無関係です」と高田はまず容疑を否認した。

「ええ、ですからそれを証明していただくために今回お越しいただいたわけです」と河合は心にもない建前を言う。

「一条幸恵さんをご存知ですね?」

「ええ…」

「一条さんは伊豆高原の保養所の件でだいぶダイヤスタイルのカネを使ったようですな?。それだけじゃない。小さいものを含めれば他にも年間100万円は一条のために使っていたそうじゃないですか。それを快く思わない当事経理課長だったあなたは一条から疎まれ、左遷、そして退職。もちろんそれを後押ししたのは…、一条と愛人関係にあった社長である水谷一郎だ。その結果あなたは妻子にも逃げられ、今は派遣社員で生活も不安定。違いますか?。つまりはだ、あんたには水谷と一条を殺す動機があるってことだ!!。少なくとも恨んでいるよな?。因縁のある伊豆高原の保養所いや、いわば一条の別荘で水谷もろとも一条を殺した。そうだろ!?」

「…」

「証拠がないと言いたげだがな、いずれ証拠は出てくる。時間の問題だ!。追い詰められる前に吐いちまったほうが早く楽になると思うが…。どうだ?」

「私はやってない!!」

「強がれるのも今のうちだ。逃げられると思うなよ!!」と河合は大声で怒鳴り、同時に机を拳で思いっきり叩いた。

 しかし高田は怯まずに言う。「確かに今の生活は不安定だ。しかし将来に絶望しているわけじゃない。それに今の生活が不安定なのも水谷社長や一条だけのせいじゃない。将来自分は税理士の資格を取って独立したいと思っている。そのための勉強もしている。いまの仕事だっていろいろ不満はあるが一生懸命やっているんだ。悔しいが過ぎてしまったことは仕方がない。誰かを恨んでも仕方がないんだ!!」

「ほう、それはご立派ご立派。まあ、せいぜい頑張るんだな。でも言っておくがな、とにかくおまえがブタ箱に入るのは時間の問題だということだ!。少しでも刑が軽くなりたいんだったら早く自白して罪を認めることだぞ!!」と河合は吐き捨てるように高田に言った。

 高田はその後も厳しく追及されたが、決して罪を認めず、やがて嫌疑不十分で署から解放された。


 「う~ん、どうも腑に落ちんな…」

 取調室のマジックミラー越しに取り調べの様子をじっと見ていた児玉は唸りながら言う。当初、犯人は高田宏で決まりだと一旦は思った児玉も後から思い返してみるといろいろと疑問が生まれ、それが解けないでいた。いや、それどころか疑問は深まるばかりだった…。

 これまでの調べで水谷と一条とがダイヤスタイルが倒産してから接触した形跡はない。高田が水谷と一条の居所を突き止めて伊豆高原の別荘に一緒に連れ出す…。そんなことがそもそも可能なのだろうか?。最近の高田は仕事と生活に追われそんなことをする余裕はなさそうである。また犯行時刻が深夜の午前1時頃というのも気になる。高田が平塚を、買い物をした後の午後7時前に出たとすれば午後10時ぐらいには伊豆高原に着くはずである。初めから殺すつもりで向かったのであれば犯行時刻はもっと早くならないか…?。水谷らがその時間にしか来れなかったという可能性もあるが水谷が午後7時頃に東京の会社を出ていることと、もう一方の一条はある程度時間に融通が利く派遣社員であることからそれも考えにくい。それになんと言っても事件現場と事件発生時刻が犯行を行なう加害者側に圧倒的に有利な点から普通には犯人が被害者をあの時間のあの場所に呼び出したと考えるのが妥当だろう。しかし、あの高田が呼び出して、深夜1時頃に水谷らがあんな所に会いに来る…。それもかなり無理のある話だ。立場的にも高田は水谷の下である。少なくても上をいくことはあるまい。そう考えれば高田が深夜に水谷らを呼び出すことなどまず不可能なことだと言っていい。また、犯行に使われた盗難車の線からも矛盾が生じる。軽自動車が奪われたのは事件前々日に当たる2月4日の午後3時頃、その時間、高田は平塚の工場で働いている。共犯者の可能性もあるが、高田から任意で提出してもらった携帯電話の履歴からはそれを疑うようなものはなかった。このことも含め周囲から聞いた高田の普段の孤独な生活ぶりから考えれば共犯者の可能性は限りなくゼロに近いと言わざるを得ない…。

 それに、ここで見た限り、高田という男はかなり前向きな人間だ。苦しい境遇ながらも未来に向かって進んでいる。そんな者が果たしてここで急反転し過去にとらわれて犯行に走るだろうか…?。

 高田が偶然にも水谷の居所を掴んだということも可能性としてはゼロではない…。が、しかしそれでも特に有名人でもない水谷の居場所が偶然でも見つかるとはやはり考えにくい。ましてや職や住所を転々としていた一条となるとなおさらな感がある。関係者から聞いた話では高田がこれまでの生活で自暴自棄になったきらいもない。仮に万が一にも水谷と連絡が取れたとしても、水谷がのこのこそんな所にしかもあんな時間に出ていくだろうか。現場の足跡では、3人が平行して歩いているところがある。つまり短い時間ながらも落ち着いて話をした場面があったということだろう。高田とはまずそれはできないのではないか…。だとしたら犯人は、もっと水谷に近い人物ではないだろうか。そう、まさに寄り添って話せるくらいの近い人間…。しかし高田は水谷が私怨で左遷した人物である。とても寄り添って話せる相手ではあるまい。そのような者に呼び出されて、まず、あの廃屋となった保養所などには来やしない。ということは、水谷らは、彼らにとってかなり信頼できる人物から相当の理由をもって呼び出されたと考えるべきだろう。この時、児玉の考えが、変わった…。

 水谷は妻には今日は遅くなる。もしかしたら泊まるかもしれないとも言っている。ということは以前から伊豆高原での用事が予定されていたことになる。とにかく急に呼び出されるかなにかでそこへ向かったのではないのだ。少なくともその人物(犯人)と会うことが予定されていたと考えるべきだろう。

 会社の人間は、水谷は普段と変わらなかったという。会社としては何か特別な日ではなかったのだ。水谷は、事件前日は午後7時10分に退社している。その後、自分の車で伊豆高原に向かった。何のために?。児玉に疑問が湧く。まさか進んで殺されに行ったわけではあるまい。

 水谷は何をしようとしていたのだろうか…?。児玉なりに推理する。水谷は潰れたとはいえ、会社の元社長である。入社時からは昇進したとはいえ当時の肩書である東京支店長で終わりたくはなかっただろう。やはり水谷の妻、香が言っていた海外進出のことが気になる。仕事に慣れてきてもう少し大きい仕事がしたいと思っていた。確かに自然なことではある。

 水谷はその線で何かでかいことを仕掛けていたのではないか。しかもそれは京都の本店には秘密裏で行なっていた…?。うん、水谷の仕事についてもっと調べる必要がある。児玉はそう思った。

 そして…、高田が伊豆高原に向かった痕跡はついに発見できなかった。平塚から伊豆高原までの全ての駅の防犯ビデオを調べたが映っていなかったし、車を使った形跡もなかった…。

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