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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
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容疑者浮上

故水谷一郎儀・葬儀会場

 水谷の葬儀は青山霊園近くの会場で行なわれた。水谷の交友関係を知りたい捜査関係者らは会場のそこかしこに張り込んだ。暴力団などの黒社会とのつながりもあるかもしれない。児玉と丸山も張り込みに当たる。

 水谷の葬儀には財界人らしく経済団体の会長からも弔電が来ていた。そして政治家からも…。与党・民友党の実力者、村田孝一経済産業大臣からの弔電も読み上げられた。さらに芸術家・ファッションデザイナー、俳優などの芸能人が弔問客として訪れていた。繊維最大手、日東繊維社長の姿も見える。さすがは元社長ともなると人脈も華やかなものである。ただ、さすがに暴力団などの影は見られなかった…。

「さすがにすごいですね」と丸山が呟く。

「ああ」と児玉も素直に認める。

「さて、このなかでホシの目星はつくかな」

「さあ、どうでしょう。どれも大物ばかりで自ら手を下すとはちょっと考えられない感じですが…。暴力団などの黒社会とのつながりもなさそうですしね」

「まあ、そこはまだ分からんがな。こういうところに顔を見せに来ないだけなのかもしれん。現に水谷は暴力団の金を借りていたんだし」

「ああ、そうでしたよね」と丸山は言って苦笑う。

「ところで、前の会社の人間は来ているかな?」と児玉が言った。

「う~ん、まあ少ないかもしれませんが…、とにかく当たってみましょう」

 ダイヤスタイルの関係者を教えてくれるという銀座・高級クラブのママは何か用事ができたのか葬儀には来ていなかった。児玉と丸山はしばらく探し回り、やっと一人ダイヤスタイルの関係者と出会うことができた。蓑田修一みのだしゅういち元副社長、63歳。創業以来ずっと水谷と二人三脚でやってきた人物である。蓑田は「今は警備員の仕事をして露命をつないでいる」と話し悲しく笑ってみせた。児玉らは近くに喫茶店を見つけそこに入った。児玉はブレンドコーヒーを3つ頼み、さっそく聞き取りを始める。

「水谷さんに恨みを持っていた人物の心当たりはありませんか?」

「葬儀の日なので故人を偲んで『ない』と言いたいところなのですが…」

「あるんですね?」と児玉は言ってその表情を変える。

「ええ、やはり倒産した会社ともなりますと、最後はいろいろとあこぎなこともいたしまして…、まあ、これは私も同罪なのですが」

「リストラですか?」

「ええ、まあ…」

「ただ、水谷さんは年齢が35歳前後とみられる女性と一緒に殺されていました。その女性と交際していた可能性もあります。ですので今の段階ではリストラを直接的な理由とした殺人とは考えにくいところがあります。実際、水谷さんには愛人と呼べるような人はいましたか?」と児玉は敢えて訊く。

「ええ…、景気が悪くなってからはいません。ただ、景気の良かった頃、つまりバブルの頃はいました」

「ほう、それは誰ですか?」

「社長秘書だった。一条幸恵という女です」

「ユキエ!?」

「ええ」

「年齢は?」

「当時20代前半でしたので、今は40代後半ですかね」

『やはり40代後半か…』と心で呟き児玉はほぞを噛む。

「そうですか…。若く見られるということはなかったですか?」とそれでも児玉は食い下がる気持ちで尋ねた。

「さあ、最近の容姿は分かりませんが、私の知っている限りでは美人でしたよ」

 年齢についてはもう一度鑑識に確認してみようと児玉は思った。

「その一条さんというのはどういう人だったのでしょう?」

「少し表現が古いかもしれませんが、当時の彼女はいわゆる『いけいけギャル』というやつで、社長に気に入られていることもあって非常に高慢な女でしたね」

「では、周りからはあまり好かれていなかった?」

「ええ。はっきり言って周囲から反感を買っていました。社長秘書でしかも愛人であることをいいことに会社を私物化し、その揚句、会社の人事、経理にまで首を突っ込んできました」

「では蓑田さん自身、それで仕事に悪影響が出たということも?」

「ええ。そういう時もありましたが、さすがに副社長の私にまではあまり直接的な影響はありませんでした。一番の被害者は経理課長でしたね。もともと一条とは折り合いが悪くて…、しかも日を追うごとに会社を私物化していた一条はその経理課長に挑むかのように会社のカネを狙うようになっていたんです。ですが実直なその経理課長は頑としてそれを拒みました。一条はそれを不満に思い社長である水谷にあることないこともちかけてついにはその経理課長を左遷させてしまったのです。その課長はその左遷から2年後に会社を辞めました」

「そうですか…、それでその課長さんのお名前は?」

高田宏たかだひろしといいます」

「高田宏…。その高田さんは、今おいくつぐらいなんですか?」

「そうですね。今はもう50代後半だと思いますが」

「その方、今どこにいるか分かりませんか?」

「さあ、私が知っているのは会社を辞めたところまでで…」

「そうですか…。他には何かトラブルはありませんでしたか?」

「他にもちょこちょこありましたが、一条が一番力を発揮したのがその件でした」

「そうでしたか、…ところで伊豆高原の保養所はいつ建てられたものなのでしょう?」

「あれは…、一条が入社して二年目でしたから、たしか1989年ですね」

「何か一条さんと関係があるのですか?」と児玉はここでも敢えて質問をぶつける。

「いやぁ」と蓑田は苦笑いし、

「あれは一条のために建てたようなものでして…。私も詳しくは知りませんが、何でも一条が伊豆高原に別荘が欲しいと言ったのだとか、そう社長から聞かされました。まあ、当時は会社にもカネがありましたから大目に見ることもできたんです」

「そのことは高田さんは?」

「ええ勿論知っていました。経理課長でしたから社内のこと、特にカネの流れはよく知っていました」

「では、高田さんはこの件についても一条に大きな反感を抱いたんですね?」

「そうです。社長に『こんなものは絶対に認められません』と言って高田は強く断りましたが、それでも社長は一条の肩を持ち、強引に保養所建設にゴーサインを出したんです」

「その後、高田さんは左遷、そして退職ですか?」

「そうですね…。思えば可哀そうな男ですよ高田は。真面目に仕事をしていただけなのにね」

「では彼は水谷社長と一条幸恵さんのせいで大きく人生が狂ったんですね?」

「ええ…、結果的にはそうなります」

「他に愛人の話は聞きませんでしたか?」と児玉はなおも敢えて訊く。

「ええ…。実は、水谷には一条幸恵とは別にもう一人愛人がいました」

「もう一人ですか?」と児玉は何も知らないふりをする。

「ええ、ただこれは一条のようなものではなく、うちの、ダイヤスタイルの下請け会社の経営者で、その愛人関係も発注元と下請けという圧倒的な力の差を背景にしたもので、あちらとしても営業の一環としての性格を持っていたのではないかと思われるものです」

「つまりダイヤスタイルとの取引をつなぎとめるための愛人関係だったと?」

「ええ、私はそのように感じました」

「で、肝心の取引は最後まで続いたのですか?」

「いえ、残念ながら最後までは続きませんでした。会社経営に対する水谷の姿勢は非情で冷徹です。利益が思うように上がらない、利用価値の薄い取引先は、ダイヤスタイルの経営が傾き始めるとすぐに切られました。その会社もその一つでした」

「では、カラダを使った枕営業は結果的に失敗したということですか?」

「取引を繋ぎとめられなかったという点からすれば、失敗ですね。その女の会社は程なく倒産に追い込まれています。やはりうちに切られたのが大きかったのだと思います」

「うん…。では、愛人関係まで結んで水谷に尽くし、その揚句に最後には裏切られる結果となってその女はずいぶん水谷を恨んだでしょうね?」

「ええ…、そうだと思います」

「その女性の氏名と会社名を教えていただけますか?」

「はい。彼女の名前は川島葵かわしまあおい。社名はAOIアオイプロデュースといいます」

「今どこにいて何をしているか分かりませんか?」

「いいえ、全く分かりません」

「そのAOIプロデュースはどこにあったのでしょうか?」

「代官山です。代官山のスタービルにありました」

「代官山…そうですか。あと伊豆高原の保養所には川島さんは行ったことはありますか?」

「一条ほどではありませんが、やはりよく行っていました。一碧湖の近くというロケーションの良さもあって彼女も伊豆高原の保養所はずいぶん気に入っていたようです」

「そうですか。それと、川島葵さんと一条幸恵さんとの関係というか仲はどうでしたか?。あっ、そもそも二人は直接の知り合いだったのでしょうか?」

「ええ、仕事上お互い顔見知りの関係でした。しかし、同じ男の愛人同士だったわけですから決して仲が良かったなどということはありません。一条にとって川島は下請けの社長ということになり、川島にとっては、一条はお得意先の社長秘書ということでビジネスライクには口を交わしていました。ただ、当然のことながら一条は恋敵に当たる川島の会社との関係を切りたいと思っていました。一条も勝気な性格でしたから何かとAOIプロデュースの悪口を言っていましたね。また、一条はお得意先の社長秘書ということで川島が常に頭を下げなければならない存在でしたから一条もその立場の強さを利用して、何かと川島に当たってはいちゃもんをつけ、まあ、事あるごとにいびり倒していましたね。川島のいる前で『こんなダサい服、売れるわけないでしょ!』とか平気で言ったりしてね。バブルが弾けて真っ先にAOIプロデュースが取引を切られたのも一条の差し金だと言われていました。私もそういう側面は事実あったかと思います」

「では、川島葵は一条を恨んでいたと言えますね?」

「ええ、恨んだと思います」

「分かりました。色々お話ありがとうございました。再度何かお尋ねすることもあるかもしれませんがその時はまたよろしくお願いいたします」

「ええ、分かりました。捜査には喜んで協力させていただきます」

児玉と丸山は蓑田の連絡先を聞き、礼を言って別れた。児玉は車に戻り無線でこれまでのことを課長に報告する。

「そうか、水谷には少なくとも二人は愛人がいたということは確実だと言っていいな。まったく羨ましい奴だ。いや、じゃ、女性のガイシャが一条幸恵であるという可能性は高くなったな?」

「はい。大いに」

「もし、一条幸恵がガイシャだとすれば、高田宏か川島葵が犯人ということになるのか?」

「ええ、そう言えるとは思いますが、これまでの状況からホシは男の可能性が高いと思われます」

「うん…。それじゃ高田か…」

「ええ。それから、女である川島葵は被害者の可能性もあるかもしれません」

「うん、まあな…。ま、とりあえずここは被害者の身元が割れなければ話にならん。とにかく今はその一条幸恵と川島葵の住所・居所を早急に突き止めてくれ。高田の居所については他の者にやらせる」

「分かりました」


児玉と丸山は、まずは被害者である可能性が一番高い一条からということでその関係先を時に一緒に時に手分けして前にも増して精力的に当たった。その結果、一条幸恵の住所が埼玉県戸田市内にあるということを突き止める。児玉と丸山はすぐに戸田に向かった。


一条幸恵のアパートを訪ねたが建物は古ぼけた廃屋のようであった…。近所の人の話だと、ここのところ部屋の住人を見ていないという。それでも確かに一週間ほど前までは、40代と思われる女性が暮らしていたということだ。

「やはり、殺された女は一条の可能性が高いですね」と丸山が呟くように言う。

「うん」と半ば反射的に児玉もうなずく。

 アパートの住人に最近の一条の様子について尋ねた。しかし、ほとんどの者が周りの人間に関心がなく、一条という名の者が住んでいたという認識さえなかった。そんな中でもある程度一条本人から素性を聞いたという一人の年配の女性から話を聞くことができた。

その者の言うことには一条は現在48歳の独り身で仕事は派遣会社に登録して埼玉県内や東京都内の工場や倉庫を転々としているということだった。有期雇用の非正規派遣社員で生活は不安定で経済的にも苦しいようだったという。

 児玉たちは事件に関係しそうなものがないか部屋の中を捜索した。二人は白手袋を着け部屋を物色する。しばらくすると派遣元の会社との契約書を見つけ、さっそく丸山が確認の電話をその会社に入れる。担当者によれば確かに一条幸恵はその会社に登録しているとのことであった。最後の出勤日は2月2日。つまり事件の4日前である。この日の仕事は埼玉県内の倉庫で1日限りの仕事に就いていたという。それ以来、一条からは連絡が無いということだ。ただ、こういった1日限りの仕事も珍しくない派遣業界で連絡が無いからといって特に不審に思う派遣会社はまずない。この会社でも登録されている派遣社員から突然連絡が来なくなるということはままよくあることなので特に不審に思ったりはしないということだ。

「派遣社員なので社内での人間関係も皆無に近かったのでは」とその担当者は話す。

 ただ、一条幸恵に関してはこれまでかなりコンスタントに週4日から5日勤務していたとのことで、これだけ休むのは彼女がこの会社に登録してから未だかつてないことだとも話した。

 児玉と丸山はほぼ『決まった』と思った。さっそく児玉が松平課長に連絡を入れる。これを受け、伊東にある捜査本部も被害者の女性を一条幸恵とほぼ断定した。


 一条幸恵は伊豆高原で水谷一郎と共に殺害されたと思われる。だが、推測だけで一条が殺されたとは言い切れない。児玉らはいくつかの一条の『モノ』と思われるテレビのリモコンと部屋に落ちていた髪の毛を伊豆東署の捜査本部に持ち帰った。指紋の照合と髪の毛のDNA鑑定をするためである。

 翌日、児玉らはその髪の毛を県警の科学捜査研究所(科捜研)に持っていって鑑定をしてもらった。数日後その鑑定結果が出た。結果は被害者のDNA型と一致した。また先に行なわれた指紋の照合によりテレビのリモコンに付いていた指紋と被害女性の指紋との一致が確認されている。これら二つの一致により捜査本部は正式に事件の女性被害者を一条幸恵と断定し、また同時にマスコミにも発表した。

女性被害者はやはり一条幸恵だった。


児玉ら捜査員は急遽伊東の捜査本部に於いて、これまで集められた一条幸恵に関する情報を確認する。

「本件の女性被害者は、一条幸恵、事件当時48歳。独身。婚姻歴なし。住所、埼玉県戸田市××。職業、非正規派遣社員。主に埼玉県内や東京都内の工場や倉庫にて就労。血液型B型。

経歴その他、新潟県長岡市出身。新潟県内の公立高校を卒業後、東京都内の短期大学に進学。短大を卒業した1988年にアパレル系のダイヤスタイル株式会社に入社。そこで、本件のもう一人の被害者である同社社長の水谷一郎、事件当時64歳と出会い不倫関係に至る。後に本件の事件現場となる同社伊豆高原保養所の建設に社長の水谷とともに中心的な役割を果たし、その際、同社経理課長高田宏と不和となる。後に高田は一条の肩を持ったと見られる水谷の命により左遷され、その2年後に退職に追い込まれる。…と、私どもがこれまで集めた一条に関する情報は以上です。

それと、水谷一郎のもう一人の愛人で今後本件のキーパーソンになる可能性のある取引先社長の川島葵という女と一条幸恵との関係ですが、お互い仕事上の付き合いはあったようなのですが、それでも決して関係が良好だったわけではなくむしろ険悪であったということです。というのも同じ水谷の愛人だった川島葵は当然のことながら一条にとっては恋敵に当たる人物です。事実、彼女は川島の会社の悪口を事あるごとに社長である水谷に吹き込んでいたようです。そして、それが一因となってAOIプロデュースはダイヤスタイルから契約を切られたと当時の副社長が証言しています。と、私からは以上です」と児玉は言って説明を終えた。

「うん、以上のことから、水谷一郎と一条幸恵に深い恨みを持ったと思われる者は高田宏と川島葵、この両名だ。特に高田は伊豆高原の保養所建設には当初から強く反対していた人物である。恨みのある水谷と一条を因縁のある伊豆高原の保養所で殺害する。殺人の動機としては成り立つな…。殺人が男の単独犯だとすれば、この高田宏が実行犯である可能性が一番高い」と最後に刑事課長の松平が締めくくった。

 このことから捜査本部内では急速に高田主犯説が支配的な空気になっていく。そこへ、別動隊から連絡が来た。高田の居場所が分かったというのである。児玉と丸山は松平課長の命を受けすぐにそこへ向かった。


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