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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
31/32

容疑者逮捕

三重県・四日市港管理組合

「2月3日に出港した船ですよね。ええ、これで全部です。その中から見つけるとなるとこりゃ大変ですよ」と対応する係員が資料を示しながら半ば呆れた感じで言った。

それでもめげずに「年配の婦人一人でやって来た人を乗せて出港した船とかっていうのは分かりませんかね?」と児玉が尋ねる。

「え〜!?、ちょっとそういうのは分からないですね~」と苦笑しながらその係員は答えた。

「それで、その人は船は操れるんですか?」

「確たることは分かりませんが、多分操れないと思います。とにかく船舶免許は持っていません」

「そうですか、となると…、あり得るとしたら人を頼んでってことになるな。あとは漁船か釣り船ぐらいしかないかもしれませんね」

「あるんですか?」

「ありますよ。ただ、この辺じゃ磯津いそづまで行かないとないと思いますが」

「磯津?」

「ええ、市内にある磯津漁港です」


磯津漁港(三重県四日市市)

 磯津漁港に着き、二人は手分けして片っ端から漁業関係者に声をかけ、佳子の写真を見せ、その者を見かけなかったか尋ねた。

 その中で、『伊勢丸いせまる』という、たまに釣り船もしているという漁船の船長に話を聞いたとき、「ああ、この人、覚えてる覚えてる。女のひと一人で釣りなんて珍しいと思ったの」とその船長が言った。

すると反射的に児玉は「そうですか、いましたか‼︎」と感嘆の声を上げ、続けて「それでその日、2月3日はどこまで行ったんですか?」と勢いこんで尋ねた。

「え〜と、その日は、そうそう、伊豆半島の伊東港まで」とその船長が思い出して答える。

「え、伊東まで!?」

「そう、伊東まで行って、そこで二泊してまたここへ帰ってくるっていうツアーというかクルージングでね。まあ。たまたま俺が向こうに用事があったんでそのツアーを企画してネットで募集したの。あ、そういえば帰りはその人の友達っていうのが乗ってきたな」

「友達?」

「ええ、男の人の…。いや、ご夫婦ですか?。って訊いたんだけど、違います友達ですって言うからね…」

「あの、もしかしてこの人ですか?」と児玉は慌てて玄太郎の写真を見せた。

「そうそう!、この人この人」

「出てきたな」と言って児玉の目がギラっと光る。

「ええ」と丸山も興奮して応じる。

「よし、これまでの動きを推理も交えて整理してみよう」と児玉が言い、二人はその船長に礼を言って別れ、とりあえず漁師たちの邪魔にならない場所に移動した。


「佳子は2月3日に京都市内でレンタカーを借り、朝方に配送を済ませ、すぐに三重県四日市市内の磯津漁港へ向かってそこで釣り船に乗り込み、その日のうちに伊東港までやって来た。そして翌日の2月4日、佳子は伊東市内で軽自動車を奪い、その車を伊豆高原の恐らく事件現場周辺の山中に隠していた。そして翌々日の2月6日の未明深夜に、やって来た玄太郎と合流する。そして二人は盗んだ車で事件現場となる伊豆高原の元保養所に行き、玄太郎が単独犯行で水谷と陳麗華を殺害した。その後二人はどこかで、恐らく付近の山中に潜み車の中で夜を明かす。その日に行なわれた検問や山狩りにも引っ掛からなかったことから恐らくその場で車を乗り捨てて朝になって徒歩とバスで伊東港までやってきた。そして二人は2月6日にまたその釣り船に乗り込み伊東港を出てその日の夕方には磯津漁港に戻り、その後借りているレンタカーで京都まで帰ってきた。それでレンタカーの返却日が2月6日になっているんだ。以上のことはレンタカー会社に残っている記録やNシステムで判明している状況とも矛盾しない。今までのことで推測できるのはこんなところか?」

「はい。では、玄太郎は事件前日、どうやって伊東まで来たのでしょう…?」

「うん…、そこだよなネックは。自分の車は使っていない。公共交通機関も使っていないとなると…」

「ちょっとお手上げですね…」

「うん…、おっ、そうだ!。この前榊原が静岡ならトラックで荷物を運ぶと言っていたな?」

「ええ、言ってました」

「だとしたら玄太郎は自社の配送網を使って移動したとは考えられないか?」

「ええ!、そうですね。なるほど、配送網ですか、それは盲点でしたね」

「うん、可能性としては十分あり得るよな」

「ええ!、あり得ます。あり得ます」

「よし、小林園の配送委託先を至急洗うんだ!」

「分かりました!」

 丸山はエスの榊原に電話する。数分後、「榊原によれば配送委託先は大阪に本社がある『近畿きんき運輸』だそうです。京都にも支社があるそうです」と丸山が児玉に伝えた。その言を聞き、すぐさま京都に捜査員を差し向ける。今度は田辺の応援に入っていた磯崎が対応した。


近畿運輸京都支社

 磯崎は息せき切って通りを走り、警察の身分証をかざしながらなだれ込むように近畿運輸の京都支社に入った。そして担当者に出てきてもらい、「突然ですみません。警察の者ですが、2月5日の午後6時ごろから伊豆半島・関東方面に向けて出発した車を全てリストアップしてもらいたいのですが」と頼み込む。

 それで待つこと十数分、その担当者はリストアップした資料を磯崎に渡してくれた。そしてその資料をもとに磯崎がいくつかの目星を付け、急いでその配送担当者を回って児玉に報告した。

「児玉さん、当たりです。見つけました!。事件前日の午後6時半に小林園本店を出発した運転手が途中、京都市内で一人の小林園関係者を乗せて伊豆半島の伊東、それも伊豆高原まで行って、その者を降ろしたと証言しました。玄太郎の顔写真を見せたら一発でした」と磯崎が伝えた。

「そうか!、よくやった!!」と児玉は磯崎を大声で褒めて無線を切る。そして、「よし!、これで繋がったな!!」と児玉は興奮して丸山に言った。

「はい!!。で、どうします?。静岡地裁に小林玄太郎の逮捕状を請求しますか!?」と丸山も勢い込んで尋ねる。

「いや…、それはもう少し裏を固めてからだな。物証がまだ何一つない。玄太郎は手強いとみた。そうそう吐くタマじゃないだろう」

「しかし、私の目測ではありますが玄太郎の靴の大きさや歩幅は犯人のそれとほぼ一致しています」と丸山は興奮冷めやらない感じで言う。

「うん…、まあそれだけじゃあな」

「逮捕はともかく、とりあえず重要参考人でしょっ引いてきて取調べで奴を叩けば吐くんじゃないでしょうか⁉︎」と丸山はなおも諦めきれない感じで児玉に食い下がる。

「う~ん…、いや、ここは決定的なモノ。やはり凶器とか返り血を浴びた服なんかの物証が欲しいな」と児玉はあくまで冷静だ。

「う~ん…、そうですねぇ…。盗難車からは被害者の血痕が採取されています。恐らく犯人の衣服などに付いた血液が車に付着したものと考えられます」とようやく丸山もだいぶ落ち着いてきた。

「うん、そうだな。なあ…マルさん、こういう事件の場合、犯人はそういう凶器や証拠品をどこで処分すると思う?」

「う~んそうですね~、やはり人目に付かない海上とかじゃないですかね」

「だろうな。だとすればホシは?」

「釣り船から海に投げ捨てる…?」

「うん、そうだな。よし!、その釣り船を徹底的に調べよう。とりあえずその船舶を押収して伊東の捜査本部から鑑識班を呼ぶんだ」

「はい、分かりました!」


 すぐに当該船舶である伊勢丸が押収された。伊勢丸の船長は押収の話を聞き、出漁できなくなることで初めは戸惑った様子だったが児玉らに「犯人逮捕のためにぜひ御協力を」と懇願され、ならばとむしろ積極的に協力してくれた。そして、翌日の午前中に伊東にある捜査本部からせわしなく鑑識班が到着する。その中にはゲンさんこと源田壮一の姿もあった。

「ゲンさん頼むぞ!」と児玉は快活に声をかける。

「おう任しとけ!、どんな小さな証拠も見逃さねえよ」と源田も気合いを入れて応じる。

 ただちに船内がくまなく捜索された。そして、陽が傾き始めた午後4時を過ぎた頃…「出ました」と捜索に当たっていた鑑識班員の一人から声が発せられ、続いて「船体から血痕を発見しました!。解析の結果、被害男性の血液型と同じA型の血液だということが判明しました!」とそのまだ若い鑑識班員が少し誇らしげな表情で高らかに声を出して報告した。

「よし!。よくやった。すぐに捜査本部の松平課長に報告しろ」と即座に鑑識班長である源田が指示を出す。

 報を受けた松平は、早急にその血液の検体をDNA鑑定にかけるため静岡市内にある科捜研に届けるよう指示した。その命を受けた先程の若い鑑識班員はその検体を持ってすぐに静岡に向かい出発する。そして残った鑑識班員で引き続き船内の現場検証を行なった。その血痕が見つかった周辺から検出された指紋も丁寧にあぶり出して採取していく。後で容疑者と思われる人物の指紋と照合するためである。その作業を一通り終えると、その後は目ぼしい証拠は出ることはなく、源田を除き最後まで残っていた鑑識班全員は捜査本部のある伊東へ戻っていった。とりあえずそこで伊勢丸の押収も解かれた。

 数日後、DNA検査の結果が出た。それによれば、伊勢丸で採取した血液と被害者である水谷一郎の血液のDNA型が一致した。その報を受け、捜査本部はただちに静岡地裁に小林玄太郎並びに共犯者として、玄太郎の妻である小林佳子の逮捕状を請求した。逮捕状は即日発行され明日、数名の捜査員とともに小林玄太郎夫妻のいる京都に着くということであった。


 その頃…、児玉らはまだ四日市市内にいた。念のためDNA検査の結果が出るまでは当該船舶である『伊勢丸』の近くにいる必要があると判断したからだ。何かあればすぐに捜査活動・鑑識活動が再開できるように待機していたのである。そのために鑑識班の班長である源田もこの地に残っていた。泊まっていた海辺の宿で逮捕状請求の報を受けた児玉がふと外の海を見渡すと辺りはすっかり夕陽に照らされていた。その海の夕景は素晴らしく、その景色ははっきりと児玉はもちろん傍にいた丸山、そして源田の目にも焼き付いた。

 丸山が児玉に近づき「ついにここまで来ましたね」と感慨深げに言葉を発した。

「ああ、ついにやったな。これもマルさんのおかげだ」と児玉も万感の思いを抱きながら応じる。

「ゲンさんもよくやってくれた。礼を言うぞ」と、児玉は傍らにいる源田にもねぎらいの言葉をかけた。

「何言ってんだ。礼なんかいらねえよ。俺は自分がやるべきことをしただけよ。ただそれだって完全にはできなかったんだから、まあ褒められたもんじゃないでしょ」

「アハハ、ゲンさんらしいな、伊東に帰ったらまた飲みにいこうぜ」

「おう、そうだな!。行こう行こう!」

「マルさんもな」

「ええ、行きましょ、行きましょ。それからタマさん、田嶋や倉橋さんにも逮捕状請求のことを教えてやりたいのですがいいですか?」と今や児玉が懐かしく感じる名前を丸山が口にする。

「ああ、そうだな。あの人たちにも世話になったしな」と児玉は答えた。

「ええ」


 丸山は夕陽を背に携帯を取り出し電話をかける。静岡日報の田嶋に事件のホシは小林玄太郎夫妻であることを告げ、いま逮捕状の到着を待っていることを伝えた。そして東報新聞の倉橋真理子にも伝えておいてくれと言い添え電話を切る。

 翌日の静岡日報の一面トップには特ダネ記事として『伊豆高原殺人事件 容疑者逮捕へ』の見出しが大きく踊った。そして『京都・小林園社長夫妻に逮捕状請求』のサブタイトルが続く。東報新聞もこれと同じような表現で報道した。児玉と丸山は協力してくれた新聞記者二人に義理を果たしたつもりだった。

 そしてそれらの新聞が報道したその朝、源田は伊東に戻り、児玉と丸山は田辺らとさらに逮捕状を携えた伊東の捜査本部からやって来た捜査員達と京都で合流し、満を持して小林玄太郎らのいる小林園京都本店に乗り込んだ。


小林園京都本店

 本店に着いた捜査員らは受付で用件を告げ、それを受け神妙な面持ちで案内する社員に導かれて社長室に向かった。社内のざわめきが聞こえてきたが、捜査員達の隊列はそれに動じることなく粛々と進んでいく。先頭の児玉が社長室の扉を開け、捜査員達が中に入るとそこには玄太郎らがいた。玄太郎は今朝の東報新聞を読んだらしく社長席に泰然と座りムっとした表情で、入ってきた捜査員らを鋭い目つきでめつける。傍らには妻で副社長の佳子も厳しい顔つきで立っていた。

 捜査員が口を開く前に、怒りをこらえきれずに玄太郎が声を発した。

「何度言ったら分かるんだ。私は伊豆高原なんてここ何十年と行ったことはないし、佳子だって、なあ?」

「ええ、そうですよ。事件当夜は主人と午後10時には床に着きましたから」

「誰かそれを証明できる人はいますか?」と捜査員らの先頭に立つ児玉が訊ねる。

「証明できる人なんて、うちらは二人暮らしだからな」と玄太郎が怒りの表情を隠さずに答えた。

「それでは残念ですがアリバイにはなりませんね。誰か第三者の証言がありませんと。ところで、佳子さん、あなたは2月3日にレンタカーを借りていますね?」

「ええ。以前にも訊かれましたがそれが何か?」

「あなたはその借りた車、軽トラックで三重県四日市市内の磯津漁港へ行った。しかもナンバープレートの偽装までして…」

「な、なにをバカなことを」

「そこから釣り船で伊東まで行かれましたね?」

「なっ!!」佳子は思わず絶句した。

「調べは付いているんですよ!。それから玄太郎さん、あなたも近畿運輸のトラックで伊豆高原に行っていますね?」

「そんなバカな。な、なぜそれを?」と玄太郎は叫ぶ。

「事実ですね?」と児玉は硬い表情でゆっくりと言って確かめる。

「そして帰りは二人仲良くその釣り船に乗って帰ってきている。その釣り船の船長さんがそう証言していますよ!。そして…、その船体から事件の被害者である水谷一郎さんの血液のDNAが検出されました‼︎」

「ああ…」と玄太郎は弱々しく叫んで両手で頭を抱え大きくかぶりを振った。

 児玉はすかさず持っていた逮捕状を突きつけ、

「小林園社長・小林玄太郎並びにその妻で副社長・小林佳子、あなたがたを伊豆高原殺人事件の殺人及び殺人幇助、並びに死体遺棄容疑で逮捕します。逮捕時間午前9時15分」と高らかに宣告した。

 玄太郎は崩落ちるようにその場にへたりこみ、そして絞り出すような声で

「も、元はと言えばみんなあの男が悪いんだ。猟官に燃えるあの化け物が…、村田孝一…、思えばみんなあの男に振り回されてきた犠牲者、いや『生贄』だ…。俺らもそうだが逮捕された国交省道路局長や列島建設の営業部長…と挙げればきりがない。それからあんたら警察の人間だってそうだろう。危うくあいつの野望の嵐に飲み込まれそうになったしな…。

 まあ、それはそうと、一番忌々しいのが義弟おとうとの水谷一郎だ。あいつ…、妹の夫だと思って情をかけてやれば、あの野郎、仕事に少し慣れてきたと思ったら今度は俺の会社を乗っ取ろうとしやがる。しかも我が社の社風や伝統を全く無視して…、茶に対する情熱や思い入れなど微塵もなく、ただ儲かれば、大きくなれば、出世できればそれでいいという衝動で突き動いている。うちの会社はそういう生業、稼業ではないんだ‼︎。お茶に対する職人・社員の思い入れが300年に亙る小林園の歴史をつむいできた。それを壊されるのは小林園300年に対する挑戦であり、小林家ひいては茶を愛してきた歴代の職人達への冒涜であって絶対に、そう絶対に許すことができない‼︎」と玄太郎はひとしきり一気にそう喋ると、今度は佳子と抱き合い嗚咽した。その声は部屋中に響き渡り、長い間止むことはなかった…。


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