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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
21/32

反撃

 翌朝、静岡日報・朝刊社会面に【伊豆高原殺人事件で新事実判明】の見出しで記事が大きく載った。記事の内容を要約する。

【伊豆高原殺人事件を捜査中の静岡県警捜査員は事件で殺害された水谷一郎氏が事件前日に写っていた東京都内にあるコンビニエンスストアの防犯カメラ映像を解析し、会話の内容を解読することに成功した。それによれば会話の相手は小林園社長の小林玄太郎氏であると判明。その会話の内容は事件当夜に伊豆高原で二人が会うことを約束しているものであった】とある。

 言うまでもなく静岡日報は地方紙で当然のことながらそれは静岡県内に配られ他県ではほとんど購読されていない。関係機関でいち早くその情報に接したのは24時間体制の伊豆東署の捜査本部だった。その記事に気付いた捜査本部は蜂の巣をつついたようになった。それはそうである。何も情報が寄せられていなくていきなりビッグニュースが飛び込んで来たのだから。

 そして…、すぐに東京方面で捜査している児玉に松平課長の怒りの電話が入った。松平は児玉がやったとしか思えない先入観ともいえる確信があった。『マスコミに抜かれた(スクープされた)ということで、まあそんなには問題にならないだろう』と内心甘く考えていた児玉らの読みはこの時早くも潰え去ろうとしていた。


「おまえら一体何やってんだ!?」松平課長は開口一番児玉を怒鳴りつける。寝込みを衝かれた児玉は一体何のことだか分からない。

「何のことですか?」と児玉は寝ぼけ目で訊き返す。

「とぼけるな!。今朝の静岡日報見てみろ」

「え?、しずおかにっ…」と児玉が言いかけたところで松平の怒鳴り声がそれを遮る。

「事件前日、水谷一郎と小林玄太郎が電話で伊豆高原で会うことを約束したっていうあれだよ‼︎」と松平が怒りを露わにして言った。

「ああ、あれ、新聞にバレちゃいましたか~」と児玉が言い訳に走ろうとするのを容赦なく松平の怒声が覆う。

「バレちゃいましたかじゃねー!!。そこには丸山もいるな!?。貴様らそういう情報を手に入れたんだったら、なぜすぐに捜査本部に知らせねぇんだ!?」と松平の雷が容赦なく落ちる。

「…」児玉は思わず返答に窮した。

「電話じゃ埒が明かん。とにかく一回戻ってこい!!。丸山もだぞ!!。昼には戻ってこい!!。いいな!!!」と松平は怒り心頭に言い放ち一方的に電話を切った。

「あ~あ、課長怒らせちゃったな~」と児玉は少しおどけながら言った。

「大丈夫ですかね?」と、その児玉とは対照的に不安な顔で丸山が尋ねる。

「一発でバレちゃったな。もうちょっと言い訳が言えるかと思ったけど…まあ、なるようになるさ。覚悟はできてる…」と児玉は一転して真顔になり、その心の内とは裏腹にこの時点で出来うる限りの強がりを言ってみせた。

「ええ…。でも、田嶋の言った通りちゃんと記事が載ったってことは…」と気を取り直すように丸山が言うと、児玉がすかさず

「ああ!、計画通りコトは順調に進んでるってことだ」と言いニッと笑って親指を立ててみせた。

「そうですよね」と言って丸山も同調しパァっと顔を明るくさせて満面の笑顔を作った。

だが、「あとは、特捜がうまくやってくれるかどうかだ」と児玉が言うと一転して二人の表情は厳しいものになった…。


 東報新聞の倉橋真理子は朝6時に起きて自身の持つタブレットから静岡日報のホームページにアクセスした。今日の記事という項目から例の記事が載っていないか調べる。

 「あった!」【伊豆高原殺人事件で新事実判明】という見出しで【水谷一郎氏が事件当夜に殺害現場となった伊豆高原で小林園社長の小林玄太郎氏と会う約束をしていた】という事実を報じている。


 すべてが動き出していた。『今日にでも特捜部のガサ入れがあるかもしれない。いや、きっとあるはずだ。ここは一刻も早く出社しなくては』、真理子は焦る気持ちに抗うことができず朝食もそこそこに手早く身支度を整えると風のように品川の自宅を出て行った。

有楽町の本社には7時半ちょっと前に着いた。そこで後追い報道の原稿を書き始める。伊豆高原殺人事件の背景として、水谷と小林の間に村田孝一経産相がいたことを匂わせる記事である。いつもなら政権サイドからの圧力・制裁を恐れてボツになる原稿なのだが、今日はその『常識』がひっくり返るかもしれない、いやきっとそうなるはずだという確信のもとに原稿を書き続ける。


 真理子は一度上川に連絡をとりたかったがその衝動をグッとこらえた。恐らく上川ら特捜部員にとってはガサ入れ前の今が一番大事な時で特にマスコミ関係者との接触は厳に慎まなければならない時だと思えるからだ。

 じきに分かる。その時を待とうと心に決める。真理子は後追い報道の土台となる原稿を手早く書き終え、その時をひたすら待った。


 警視庁の青田も早朝、霞ヶ関にある喫茶店でスマホを手に持ち静岡日報のホームページをチェックしていた。例の記事を見た青田は人知れずほくそ笑む。

「よし!」と小声で叫び、勇躍して警視庁に向け歩き出す。青田も今日これから事件に関連して組織犯罪対策部による強制捜査に参加するのだ。そう思うと青田の足は自然と踊った。


 そして…、その頃、最も厳しい顔つきでその記事に接している一団があった。そこは静岡県警察本部本部長室。そこのぬしである本部長の山岡は今朝の静岡日報を握りながら怒りに震えていた。

「どうなっているんだ?。こんな情報何も上がっていないぞ。伊東の捜査本部はこのことを知っていたのか!?」

「はっ、現時点ではなんとも…」とバツが悪そうに側近の山谷刑事部長が答える。

「すぐに確認しろ!」

「はっ、ただいま」と言って山谷は慌てて部屋を出て行く。

「こんなことが官邸に知れたら俺はどうなるんだ?」山岡の脳裏を悪夢がよぎる。

しばらくして山谷が戻ってきた。

「本部長、やはり捜査本部はそのことを把握していませんでした」

「くそ!、やっぱりそうか」

「捜査本部も混乱の極に達しています。それで、さしあたって記事についてのマスコミ対応はどのようにしたらいいのかと逆に質問が来ていますが」

「まったく!。でもそうだな…、ここは否定的に伝えるしかないのだが…、と言って事実を否定したとなれば大変なことになるし…、と、とにかく警察の公的組織は今回の件には何も関わっていないんだな?」

「はい、そうです」

「よし、ここはその捜査員の個人的見解としろ。県警の組織としては一切関知していない。その上で現在、事実関係を確認中だと、捜査本部にはそう発表するように伝えるんだ」

「分かりました。あと、捜査本部の松平という所轄の刑事課長によれば新聞に情報をリークしたのは児玉とかいう部下の刑事だということです」

「なんだと!!。まったく、所轄の刑事がうろちょろと。すぐにそいつを捜査本部に呼び戻して懲戒にかけろ!!。警察にいられなくしてやれ。とりあえずは即刻この捜査から外させるんだ!。児玉と意を通じていたり行動を共にしていた奴も分かり次第この捜査から外させろ‼︎」

「はっ、分かりました。で、では、すぐに手はずを」と言って山谷は本部長室を飛び出していく。


日比谷公園駐車場 午前8時50分

「とりあえず戻るか…」と児玉は隣にいる丸山に力なく声をかける。

「あまり気は進みませんがね。怒られに行くんですから…。たぶん、懲戒もんですよ」と丸山も気落ちして言う。

「ああ…。まあそうだとしても仕方あるまい。上司様のご命令だ。きっと神様が助けてくれるよ」と児玉は事ここに至ってもなお、せめてもの強がりを言ってみせた。

「神様ね。じゃあ、せいぜいお祈りでもしますか」

「そうだな。信じる者は救われるってな」と児玉は言って無理矢理笑ってみせた…。

「じゃ、行きますか」と丸山は言い、気が進まないまま気だるそうにエンジンをかける。シフトギアをドライブに合わせサイドブレーキを倒し、そしてブレーキペダルを踏んでいた足を離してゆっくり車を発進させる。

 二人は奈落の底へ向かって落ちていく、そんな気分になっていた。車内には沈鬱な空気が澱んでいる。伊東の捜査本部に着くまでに何事も起きなければ二人とも十中八九、懲戒の身だ。ゆくゆくは警察にもいられなくなるかもしれない。いやきっとそうなるだろう…。そんな深い不安が二人の胸中に渦巻く。今の児玉と丸山は本当に神に祈るしかなかった。


午前9時

 東京地検特捜部の捜査員は整然とした隊列で粛々とそして毅然として村田孝一経産相の議員会館事務所に捜索に入った!。それと時を同じくして特別に捜査二課の青田を加えた警視庁組織犯罪対策部も特捜部の要請に基づき新宿の暴力団本部事務所に潮のごとくなだれ込み強制捜査に入った。かくして東京地検特捜部と警視庁組織犯罪対策部は合同で村田経産相関係先に対し一斉家宅捜索に入ったのだった。ついにこの時が来たのである。時代が変わる。あの栄華を誇った村田王朝が崩れる時がついに到来したのだった。


 テレビ画面には一斉にニュース速報のテロップが流れ出し、続いて『東京地検特捜部と警視庁組織犯罪対策部が村田経産相関係先に談合等の疑いで一斉家宅捜索』の文言が流れた。ラジオでもニュースが流れ始める。車内のラジオをNHKに合わせていた児玉らにもその報がもたらされた。

「10時のNHKニュースです。今朝、午前9時をもって東京地検特捜部は北海道・遠東自動車道建設工事に絡む談合事件において村田孝一経済産業大臣の関与が強まったとして官製談合防止法違反並びに政治資金規正法違反等の容疑で同氏の議員会館や地元の議員事務所を、また、独占禁止法違反等の容疑で談合に関わったとされるゼネコン各社など、関係先35ヵ所に対し一斉家宅捜索に入りました。特捜部では村田大臣がこの談合事件の中心的な役割を果たしていたと見ており、現在、事実関係の解明に全力を挙げています。

 また、村田大臣に関しては暴力団等の反社会的勢力と結託した違法な株価操作、インサイダー取引等の容疑も浮上しており、かねてよりこの方面を捜査していた警視庁組織犯罪対策部も同地検の要請を受け、今回の特捜部による強制捜査に呼応する形でこちらも午前9時をもって関係先である東京・新宿区内の広域指定暴力団、東○会東京本部事務所へ強制家宅捜索に入りました。

 また、政府の反応といたしまして杉山官房長官が報道陣のインタビューに答え、『現職閣僚の中からこのような事態を招いたことは大変遺憾であり驚いている。政府としては当面、検事総長に対する指揮権発動などということは考えておらず、今後の司直による厳正な捜査の行方を注視していきたい』として今後の成り行きを注意深く見守る構えだということです。

 さらにこの事態を受け、野党各党は一斉に反発を強めており、最大野党の憲政党は『宮坂首相の任命責任は極めて重大であり、内閣不信任に値する大事件だ』として、今後、国会論戦等を通じて政府を厳しく追及していく方針です」と、要点を捉えて手短かに報じた。

 これを聞いて、思わず二人は目を合わせ、感激の声を上げた。急いで戻っても結果はだいたい予測できるし、昼までに戻ってこいとのことでもあったのでとりあえず道路沿いにあるレストランに入り遅めの朝食をとることにした。

その席で「やりましたね」と丸山が朗らかに言い放つ。

「ああ、特捜部と警視庁がやってくれたな」と児玉がしみじみと言って、何回か頷く。

「で、これからどうなりますかね?」

「う〜ん、分からん。それこそ神のみぞ知るだな。だが、形勢は変わりつつある。俺達を押さえつけていた一番の大元が崩れ去れば状況も違ってくるってもんだ」

「ええ、そうですよね。そこに期待しましょう」


東京地検特捜部と警視庁組織犯罪対策部の一斉家宅捜索の報せは各方面に衝撃を与えた。


静岡県警察本部

「どうなってるんだ⁉︎。これは⁉︎」と言った本部長の山岡は目の前で起こっていることが理解できずにいた。

「私も何がなんだか…」と側近の山谷刑事部長も動揺を隠せない。

「まっ、とにかく潮目が変わったということか」と山岡は言い、一転不敵な笑みを見せた。当初は事件の背景を知らされなかった山岡も自身の持つネットワークを駆使して既にこの時には村田経産相のことなど事件の大体の背景は理解していた。

「とりあえず、今回の新聞報道と特捜部・警視庁の強制捜査、この一連の動きは気になるな。偶然が重なったというにはうまく出来過ぎている。まさかとは思うが児玉とかいった刑事と特捜や警視庁の連中が連携している可能性もある…?。とにかく今は様子見だ。何が何だか訳が分からん。伊東の捜査本部に戻ってくる児玉とかいう刑事、そいつの処分はとりあえず保留にしておけ。だが捜査からは外させるんだ。あとのことは状況を見て判断する」

「はっ、分かりました」と言って山谷は本部長室をせわしなく出ていく。


 残った山岡は本部長室で一人思案をめぐらせた。

『あとは…、上級庁である警察庁がどう判断するかだな。村田を見限るのかそれとも救うのか…。もっともそれは政権次第かとも思う。総理の宮坂がどう判断するかそれにかかっている。しかし、宮坂政権の命運も今後の展開次第ではどうなるか分かったものではない…。

 とりあえず村田の経産相辞任は避けられんだろう。そうなれば政権としては表向きだけでも村田とは距離を置かざるを得ない。もしかしたら村田は離党に追い込まれるかもしれん…。いや恐らくそうなるだろう。そうなれば奴は権力の中枢からは遠く離れる。その時の世論はどうか…。村田討つべしの声が高まれば我々静岡県警も相応の動きをせねばなるまい。その時、特捜部と連携しているかもしれない児玉をどう処するかは思案のしどころだ…』

 そう考え、とりあえず…『今は静観』これが山岡の答えだった。

 その頃、警察庁長官の太田も事態を理解できずに当面『静観』することを決めた。


最高検察庁

 東京地検特捜部による現役経済産業相に対する強制捜査、この報に接して一番面食らったのは実はここだったのかもしれない。東京地検と同じ建物にいながら強制捜査の報せが事前に何も知らされていなかったからだ。検事総長の田上たがみは急いで東京地検の笹田特捜部長を呼びつける。


「笹田、これはどういうことだ?」と田上が開口一番、厳しい表情で詰問した。声音には怒りがこもる。

「はっ、村田孝一経産大臣に対しほぼ容疑が固まりましたので、本日、強制捜査に踏み切った次第です」

「ほぼ?。うん、まあいい…。それにしてもだ、事前に私に一言もないというのはどういうことだ?」

「はっ、大変恐縮ではありますが、今回はあくまで特捜部長の私の判断でやらせていただきました。やるのは今しかないと」

「フフ、どうしたんだ?。君らしくもない。今さら君の歳と地位で反権力というわけでもあるまい」と苦笑いしながら田上は言った。

「お言葉ですが総長、もはやそういう次元ではなくなりました。マスコミも徐々に嗅ぎつけていますし、それに、我々のライバルである警視庁がこの村田のヤマで動く気配を見せておりました。そして今朝の静岡日報による伊豆高原殺人事件での新事実の報道が奴らの捜査の起爆剤になることは十分考えられることでした。事ここに至り、ここで我々特捜部が起ち、村田を討たなければ世論が黙っていません。伊豆高原殺人事件、これは総長もご存知かと思いますが、事件の背後には村田が絡んでいます。この事件が解明されていけば次々に村田の悪事が白日のもとに晒されていくでしょう。そうなれば、検察は、特捜は今まで何をやっていたんだと非難の集中砲火を浴びてしまいます。そんな事態になってしまったら『眠れる検察』という言葉がはしなくも証明されてしまうことになり、我々特捜部は窮地に陥ります。私はそうなっては断じてならないという決意を抱き、確実に村田を仕留められるこのタイミングを逃さず強制捜査に乗り出したものです」

「うん…。ところでマスコミが嗅ぎつけたと言ったが、今日、伊豆高原殺人事件の記事を載せた静岡日報とかいう田舎新聞が事件のこれほど大きな背景を理解しているというのか?」

「そこまでは、正直まだ分かりませんが、しかしこれまでの静岡県警の捜査方針を覆す新事実をスクープしたのですからその可能性はありますし、いずれにしろ徐々に解明されていくのは時間の問題かと思われます。とにかく、ここでやらなければ特捜部は立ち行きません!」

「うむ…。ところで笹田、その静岡日報とかいうのに何かつてがあったのか?。今日その記事が載るということが分かっていたからガサに入ったんだろ?」

「はい、部内の者でその情報を知らせてきた者がおりまして、それで…」

「そうか、まあ、そういう人間は大事にせんとな」と言い、一呼吸置いて

「それにしても今回はずいぶん派手にやってくれたなぁ。総長としても悪徳政治家を検挙できるなら鼻が高い…。まあ、それはあくまで表向きのコメントだがな。笹田、とにかくどういうことか事の次第を説明してくれ。まずは、捜査容疑は何だ?」と微かに笑みをたたえながらも端々に不満と、そしてまだ残る僅かな怒りを滲ませながら田上は尋ねた。

「はっ、容疑は村田大臣を頂点とする談合容疑であります。村田大臣が地元代議士として着工に尽力した東北海道総合開発計画、通称、道東プロジェクトの中の一つである遠東自動車道建設工事に係る指名競争入札において大臣自らが談合を画策し公正な入札を妨害しました。その結果、建設業界最大手の列島建設に便宜を図りそれを落札させた疑いです。本件の落札率(予定価格に対する落札額の割合。落札率が95%を超えると談合の疑いが極めて強いといわれている)は99%を超えています。その際、工事予定価格が落札した列島建設に洩れてたことがこれまでの調べで判明しております。。それらのことから現在、主として官製談合防止法違反容疑を念頭に捜査しているところであります。さらに列島建設が落札した過程には村田大臣による口利き、いわゆる『天の声』を発したという情報があり、その見返りとして多額の現金が列島建設から村田大臣側に渡ったということであります。これは贈収賄事件にも発展する可能性がある事案だと考えております。少なくとも政治資金規正法違反には問えるかと…」

「うん、まあ…、とにかくやるからには確実に立件して公判に耐えられるようにしてくれ」と田上は言い、もはや捜査を止めるのは諦め、次善の策として特捜部に『確実な仕事』を求めた。

「はっ、捜査には自信をもっております」と笹田ははっきりした声で答えた。

「うん、それは結構だ。大山鳴動して鼠一匹では特捜部の名折れだからな。ただ、くれぐれも無理はせんように…な。それと先輩検事として言っておくが贈収賄事件の立件は大変難しいものがある。村田経産大臣を収賄罪で立件するというのはどのような構成要件があると考えているのか説明してくれ」

「はっ、村田は現在、経済産業大臣でありますが、それ以前は与党・民友党の国土交通部会長をしておりました。そして現在でも建設行政には大きな影響力を有しています。さらに財務省主計局長だった経歴もあって彼は予算配分でも優遇されています。そのような実力者ですから特捜部では村田経産大臣が職務権限に準じるものを有していたと解釈しております。そういった者に利害関係者から多額の現金が寄せられたわけでありますから収賄罪は成立するかと…」

「う~ん。残念だが、笹田、それでは公判は持たんぞ。日本の裁判は疑わしきは罰せず、被告人の利益にだ。公判では被告の職務権限は厳しく問われる。村田は実態はどうあれ公的には経済産業大臣にすぎん。その公の職務権限外にある行為は私の記憶するところ裁判では全て私的なものと解されている。その判例に従えば、今回の道東プロジェクトにおける村田の働きかけも全て私的なものとみなされ職務権限とは認められないと考えたほうがいい。よって収賄罪の構成要件は成立しない…。うん、民友党というのはズルイところでな、本来であれば建設行政なら国土交通省で決めるべきなのだが、現在のシステムでは政策のほとんど全てが単なる私的機関に過ぎない党の部会で決められている。このことから民友党の各部会が実質的な国家の最高意思決定機関になっているのだ。だから、そこの部会長である者がその政策の実質的な最高意思決定者と言っていいだろう。が、しかしだ、表向きにはあくまで私的なものに過ぎんとなっている。なぜそんなまどろこっしいことをするのか、答えは簡単、合法的に賄賂を受け取るためだ。実質的な最高権力者であっても公的な立場ではないから職務権限は無いとみなされる。そこへ請託を伴う賄賂をいくら渡しても贈収賄罪は成立しない。だから部会関係者、一般に『族議員』と呼ばれる輩だが、彼らに公的な職務権限は無いからそこへ政治資金規正法が許す範囲ならカネを贈ったもん勝ち、もらったもん勝ちのやりたい放題が成立するというわけだ。もちろんカネを渡す際にいくら請託を付けても構わない。そして規正法の縛りを受けない政治家でないならもらえる額に制限もない。分かるかな?。笹田、その辺をよく考えて逮捕なり起訴するようにしろよ。もちろんこの収賄容疑以外でも…な、うん、今回の捜査容疑になっている官製談合防止法違反なんかにしても立件するならもう一度よくその辺を、つまり村田の職務権限を確認したほうがいい。でないと後でとんでもないことになるぞ。老婆心ながら先輩検事として忠告しておく」

「はっ、ご忠告ありがとうございます。その辺は今後よく確認いたします」

 笹田は検事総長に言われ、さっきまでの堂々とした態度は鳴りを潜め、すぐにいつもの弱気の虫がうずき出す。笹田は早くも自身の贈収賄罪での立件という考えを捨て去ろうとしていた。特捜部長とはいえ、宮仕えの者が上から言われて『正義の検察官』としての矜持を持ち続けるのは難しい。ただ、自身の情けなさに忸怩たる思いを抱きながらも笹田はそれでもなんとか政治資金規正法違反では村田をパクれるだろうとという思いは抱いていた。だが、それも事件の本筋からは外れた『小粒な別件』であるという印象は拭えないと感じた…。


「ところで、特捜部では記者会見の予定はあるのか?」と田上は話題を変えてきた。

「はい、とりあえず簡単な記者会見を予定しておりますが」

「そうか…、とにかく会見は慎重にな。あまり大きなことは言わんように」

「はっ、承知いたしました」

「それと、情報が入ったら逐一上に上げてくれ。これだけは徹底するように」

「はっ、かしこまりました」

「そして、表向き検事総長としては捜査を見守るとしか言わんからそのつもりで。基本的に捜査は君に任せた」

「はっ、ありがとうございます」

「うん、もう賽は投げられたんだ。ならば致し方ない。やるなら徹底的にだ。こうなったら検察の総力を挙げて村田を潰すまで。よし、いけ笹田。必ず村田孝一を仕留めるんだ!」

「はっ、必ず村田を挙げてみせます!」と笹田はそれまでに無い大きな声で言った。


 特捜部に戻った笹田はすぐに上川を呼びつける。

「上川、おまえ、強制捜査はいいが、捜査容疑の官製談合防止法違反は大丈夫なんだろうな?。村田の職務権限あれはウラがとれているのか?」

「犯罪構成要件が成立するかということですか?」

「そうだ。ただ、民友党の国交部会長というのは使えんぞ。あれは私的なものだと検事総長から今、クギを刺された」

「そうですか…、でも大丈夫です。奴はプロジェクトを推進した地元の国会議員で、この高速道路の建設計画を審議した国幹会議(国土開発幹線自動車道建設会議)のメンバーも務めていましたので今回の件には深く関与しています。また入札当時は衆院の国土交通委員会の委員も務めていました。ですから、裁判でも職務権限に基づく影響力はあったと解されるはずです」

「うん。そうか、それなら大丈夫そうだな」と言って、とりあえず笹田は胸をなでおろす。

「はい、また、それについては捜査の進展によっては斡旋収賄罪や斡旋利得処罰罪にも問えるかもしれません。また、昨年の衆院国土交通委員会で村田は大手建設会社に有利な質問を行なっておりまして、それが契機となってこのプロジェクトでは大手企業に有利でしかも談合がしやすい指名競争入札が導入されたという経緯があります。その裏には建設最大手の列島建設から村田大臣にその質問をするよう依頼(請託)があり、結果、村田は莫大な現金を列島建設から受け取ったという情報もあります。これを証明できれば村田を受託収賄罪で立件できます!」

「そうか、よし!」と笹田は鼻息荒く頷く。

「ですから、まずは官製談合防止法違反での確実な立件を目指し、何としても国交省道路局長の島田政男しまだまさおと村田の公設第一秘書である岡村重義を落とさなければなりません。その上で列島建設第一営業部長の高橋直樹たかはしなおき、これも落として受託収賄罪を成立させる」

「うん…、将を射んとすれば馬からか」

「そういうことです」


検察庁記者会見

 特捜部の強制捜査を受け東報新聞社内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。取るものも取りあえず検察庁にある記者クラブに記者達が殺到する。その中には倉橋真理子もいた。検察の記者会見は午前10時半からということだった。記者会見の時間が近づき記者達が会見場に集まり始めた。真理子もそこの記者席に着く。

 午前10時半、定刻通りに笹田特捜部長はじめ検察幹部ら数名が現れる。初めに笹田が声を上げた。

「本日、午前9時をもちまして東京地検特捜部は東北海道総合開発計画、通称『道東プロジェクト』の一つである遠東自動車道建設工事に係る指名競争入札において村田孝一経済産業大臣が談合を画策し、その落札企業から収賄に当たると考えられる金銭を受け取り巨利を得た疑いが強まったことから今回、官製談合防止法違反並びに政治資金規正法違反、また、その談合に絡んで株式のインサイダー取引等による金融商品取引法違反等の各容疑で東京及び北海道の村田経済産業大臣の代議士事務所などを、そして独占禁止法違反等の容疑で談合に関わったと見られるゼネコン各社など関係先35ヵ所に対し一斉家宅捜索を行ないました。特捜部は目下のところ、談合に伴う贈収賄容疑及び、その他の不正献金による更なる政治資金規正法違反等の余罪も視野に鋭意捜査に当たっております。なお関係先には暴力団事務所も含まれており、そちらはかねてよりその方面を捜査していた警視庁に協力を依頼し捜査を行なっているところであります。以上です」

「質問を受け付けます」と隣に座っていた係官が笹田からマイクを引き継いで言った。

 記者席から無数の手がバッと挙がる。その一つを笹田が適当に見繕って指差す。

報道新報ほうどうしんぽう藤池ふじいけです。今回の事件の詳細をお聞かせください」

「本件はまだ捜査中の段階でありますので詳しくはお話できませんが、先ほども申し上げました通り違法な談合事件と違法献金、それとインサイダー取引等が疑われており、それらの容疑についての捜査です」

「今回の強制捜査は村田経産大臣の逮捕ということを視野に入れてのことなのでしょうか?」

「その件につきましてはまだ捜査中の段階でありますので予断をもってお答えすることは控えさせていただきます。ただ、一般論として、現職大臣といえども容疑が固まりましたら立件するのは当然のことと考えております」

「村田大臣は談合事件とインサイダーそのどちらにも関わったと特捜部は見ているのでしょうか?」

「その件につきましてもまだ捜査中の段階でございますのでコメントは差し控えさせていただきます。現在事実関係を精査しているところであります」

「特捜部ではいろいろと証拠は掴んでいるのですか?」

「ある程度は掴んでいます。今は詰めの段階の捜査という位置づけです」

「それはどのような証拠なのでしょうか?」

「それにつきましては今の段階では申し上げられません」

質問が次の記者に移る。

「NBCテレビの川田かわだです。村田大臣に事情聴取の要請はしているのでしょうか?」

「はい、しております」

「大臣は受けると?」

「いえ、まだ回答は頂いておりません」

「では仮に大臣が事情聴取を受けた場合、そこでの逮捕ということもあり得ますか?」

「その件につきましても予断を与えるものであり、仮のお話にはお答えできません」

真理子も質問する。

「東報新聞の倉橋です。静岡の地方新聞である静岡日報の本日の朝刊に伊豆高原殺人事件での新事実が掲載されたのですが、それと今回の強制捜査とは関係があるのでしょうか?」

「うん…?。おっしゃっている意味がよく分からないのですが」と笹田はとぼけた。

「何を言ってるんだ?」と場内もざわつく。

「つまり、今回の強制捜査と村田大臣の古い友人であった水谷一郎氏が殺害された事件とは何か関係があるのでしょうかとお尋ねしているんです。こちらが得ている情報では特捜部は村田氏周辺をかなり以前から内偵をしていて、次回の民友党総裁選に村田氏が出馬する意向を固めてからは彼の総裁選資金の出所を特捜部が精査していたと聞いております。そこで村田氏が最近になって水谷氏と接触するようになり、特捜部が資金獲得活動の一環かと疑うようになって、こちらの方にも内偵の手を伸ばしていた…。そういう状況で水谷氏が殺害され、これは村田氏に絡んだ事件だと特捜部は思うようになったんじゃありませんか?。でも、しかしながら伊東の現地捜査本部は過去の怨恨の線で捜査を進め埒が明かなかった。そこへ来て今回の新事実。今回の強制捜査はこれがきっかけではないんですか?」

「うん…、はっきり申し上げておきますが、『それは違います』。今回の強制捜査はあくまで特捜部が独自に捜査した結果であって他の事件が影響したということは一切ありません。仮に伊豆高原での事件が村田氏と関係したものであったとしてもそれは現地の捜査機関が解明すべきものであり、我々はただひたすら当該事件を捜査するまでです」

「では、仮に伊豆高原での事件が村田氏と関係があるものであったとしたら、現地捜査機関、つまり静岡県警と捜査協力する可能性はあるのでしょうか?」

「仮のお話にはお答えできません。もしそのような状況になったらその時に判断いたします」

「そうですか…、ありがとうございました」と真理子はこれ以上の追求は無意味だと判断し力なく礼を言って質問を終えた。

 すると、すかさず隣の席にいた全国紙トップの中央新聞ちゅうおうしんぶんの記者が小声で真理子に囁く。

「東報さん、なんかかなり掴んでるみたいね。ウチにも少しお裾分けしてもらいたいな」

「天下の中央さんが何言ってるの、本当はうちよりいっぱい掴んでるんじゃないの?」と真理子は一転語気強く言って煙に巻き、記者会見が終わるとさっさと会見場を後にした。真理子は霞ヶ関にある東京地検を出て、停めてあった社用車に乗り込み急いで有楽町にある東報新聞本社に戻った。


 真理子は社会部のデスク室を勢いよくノックし中に入る。

「デスク、私にこの事件、書かせてください。伊豆高原の事件と絡めて今日の夕刊でいきます!」

「おいおい、ちょっと待てよ。伊豆高原の事件と絡めてだと、大丈夫なのか?。検察は関係ありと認めたのか?」

「いえ、検察はとぼけています。しかし関連があるのは明白です。その辺はオブラートに包んでうまくやります」

「うまくねえ~。まあいいか。書くだけ書いてみろ。できたら俺が見てやるから」

「ありがとうございます」

「まっ、くれぐれもうまくやってくれよ~。でないと最悪うちが記者クラブ出入り禁止になっちゃうから。検察の記者クラブ厳しいんだから。変なこと書いたらすぐ特オチとか制裁が待ってる。その辺のこともよ~く考えてよ」

「はい、重々に」と真理子は言って深く腰を折り曲げた。


 掲載予定の記事の見出しは、【東京地検特捜部等 村田経産相関係先を一斉家宅捜索】とし続いて『関係先35ヵ所を急襲』、『村田経産相逮捕視野に捜索か』、『警視庁も呼応、関係疑われる暴力団事務所を強制捜査』の文言。さらに続けて『村田経産相旧友の水谷氏殺害事件で静岡日報が新事実を報道』として静岡日報の記事を後追い報道する。そして村田氏の公開されている一連の動きを報じ、その中で民友党総裁選に出馬の意向を固めてから村田氏の動きが急で伊豆高原で殺害された水谷一郎氏との接触もこの選挙資金獲得のためであることを臭わせた。

 真理子が書いた原稿の一部を抜粋する。【次期総裁選に絡んでいると見られる村田経産相の一連の動きの中で今回の談合疑惑、インサイダー取引疑惑が出てきた。そして、村田氏は次期総裁選への出馬の意向を固めてから先月伊豆高原で殺害された水谷一郎氏(当時の肩書は小林園東京支店長)にも接触し始めていた。関係者の証言によれば小林園社内で水谷氏を社長に就かせようという動きがあり、その動きを敏感に察知した村田氏が支援を申し出たという情報もある。かつて水谷氏は村田氏の熱烈な支持者で水谷氏が会社を経営していた頃は村田氏に対し会社ぐるみで多額の資金援助を行なっていた。そのことから社長就任の暁には村田氏への資金援助を約束していた可能性もある。さらに村田氏は社長就任のサポート役として同氏の女性秘書を水谷氏の元に差し向けており、主に小林園役員の説得、買収に手を貸していた模様で強力に支援を行なっていたという証言を同社関係者から得た。またその関係者の話によれば小林園経営陣もその動きを察知し警戒していたという。そういった動きの中で伊豆高原殺人事件が発生し水谷氏は殺害された。もう一人の被害者は現地捜査本部では過去に水谷氏の愛人だった女性と断定しているが、それも今では怪しいというのが一部捜査関係者の見方である。その捜査関係者によると被害者の女性は前出した水谷氏のサポート役として派遣された村田経産相の元女性秘書ではないかと語っている。しかもこの女性秘書については中国公安当局から汚職や株式の不正取引の容疑で指名手配されている密入国者ではないかという疑いも持っているということだ。そういった中で静岡県の地方新聞である静岡日報が今朝の紙面で伊豆高原殺人事件の新事実を報じている。それによると被害者である水谷氏が事件前日の2月5日に義兄に当たる小林園社長の小林玄太郎氏に東京都内の公衆電話から電話をかけており、その模様を映した映像を静岡県警の捜査関係者が入手し解析した結果、水谷氏と小林氏が伊豆高原で事件当夜に会うことを約束していたことが判明したという。ただ、これに関して捜査本部からはまだ公式な発表はない。この点も含め現在の状況について静岡県警の捜査幹部に問い合わせたところ、『小林園も含めた事件の関係先への捜査は従前からしっかり行なっており、今後も地道な捜査を続けていく方針に変わりはない。なお問い合わせの記事の内容については捜査本部ではまだこの情報に接しておらず、現在事実関係を確認中である』という回答を得た。もし、記事の内容が事実だとすれば捜査は今後、重大な転換を迫られることになりそうだ。小林園関係者がこの事件に絡んでいるとすれば、村田氏が支援したという水谷氏社長就任工作も事件の背景としてあったことが十分考えられる。いずれにしろ殺人事件や談合事件などの一連の事件は村田氏が総裁選に備える過程で発生しているとも見られ、今回の強制捜査を機に伊豆高原殺人事件も大きな進展を見せる可能性がある。両事件の今後の各捜査機関による徹底した捜査・解明が求められる】とした。

 真理子は少し書き過ぎかなとは思ったがそれでも記事を書き終わるとすぐにデスクの所に持っていった。夕刊の入稿締切は基本的に正午までである。すぐに記事原稿を関係部署に回さなければならない。デスクが一通り読み終わると意外とあっさりOKが出た。さっきまでの慎重ぶりが嘘のようである。それは真理子が原稿を書いている間、デスクの松尾もすっかり世の雰囲気に呑まれていたからであった。テレビではずっと村田悪玉説が流れ、いくつかの局では伊豆高原の事件との関連を指摘し始めるところも出てきた。ネット上でも村田批判の『炎上』が凄まじい。世論の大勢は『村田討つべし』の熱気で息巻いている。多少のことを書いても今なら大丈夫、いやむしろ少し書き過ぎくらいの方がいいという風に松尾自身の考えが変わってきていたのであった。しかも伊豆高原の事件との関連をこれだけ掴んでいるのは全国紙ではウチぐらいのものだろう。『よし、いけ!』これが今の松尾の偽らざる気持ちであった。

 さらに松尾は真理子に取材出動を命じる。

「よし、倉橋、今から民友党本部に行ってこい。記者会見があるかもしれんからな。それと、帰りに議員会館の村田事務所も忘れるなよ」

「分かりました!。すぐ行きます‼︎」と言って真理子は疾風のごとく社を飛び出していった。


永田町・民友党本部

「どうします、幹事長?」と副幹事長が問う。

「どうもこうも、何も分からんのだから対処のしようがない」と幹事長の稲尾いなおはお手上げという感じで軽く両手を挙げながら言い、「で、宮坂総理は?」と逆に尋ねた。

「官邸に引きこもったままです」

「うん…。まあそれはそれでいいのかもしれん。いま下手に出て来られたら記者達にもみくちゃにされる。党としては、幹事長である私が対応しよう。何も知らず存ぜずで通すしかない。当の村田大臣はどこにいる?」

「分かりません。連絡がつきません」

「ちっ、こんな時に。まぁいいか、下手に出てきてボロが出るよりましか…」

「記者達が会見を要求していますが」

「う~ん。やるしかないよな。いま12時か、よし1時間後の午後1時から会見を開く。いいかそれまでに村田のコメントをとっておけ。『自分は潔白だ』というな」

「はっ、分かりました」


都内某ホテル

 そのころ村田孝一は秘書の岡村と都内のホテルに潜伏していた。

「何がどうなってるんだ?」と村田が毒つく。

「私も何がなんだか」と秘書の岡村もお手上げという感じだ。

「特捜というか、全ての捜査機関は押えたんじゃないのか?」

「のはずなんですがね。おかしいな…」と岡村がぼやく。

「でも先生、今はそんなことを言っていてもしょうがないので、とにかくこれからのことを考えましょう。とりあえずマスコミへの対応はどうしますか?。まあ、先生は表立って出ない方がいいとは思いますが」

「うん…、そうだな。対応か…、まあ今はとにかく知らぬ、存ぜぬ、自分は潔白だということで押し通すしかないだろう」

「そうですね。それでマスコミには誰を当たらせます?」

「うん…。ヤメ検弁護士の山内やまうち先生にお願いするか」

「ええ、私もそれがよろしいかと」

「よし、すぐに手配してくれ」

「かしこまりました」と岡村は言って、その場で自らの携帯から電話する。

「それにしても忌々しい。特捜の野郎が裏切りやがって」と村田が憤る。

「まったくです。検察や法務省のために財務省に掛け合って予算を振り向けてやった先生のご恩を何だと思っているのでしょうか。うん、しかし先生、ここはとにかく立件されないことを第一に考えましょう。それで生き残った際にはうんと仕返ししてやりましょうよ。その時は先生の怖さを思い知らせるいい機会になるかもしれませんよ」

「フ、そうだな」と村田は言い、不適にも笑ってみせた。


財務省

「村田さんがやられたな」と事務次官の杉浦すぎうらが呟いた。

「ええ、残念です」と側近が答える。

「うん。あの人も少し調子に乗りすぎたか…」

「はあ」

「これまでいろいろと目をかけてきてやったが、こんなことになるとなかなか救うのも難しい…」

「では、財務省としては村田先生を見放すおつもりで…?」

「うん、まあ…、そう簡単にはいかんが世論次第というところはある。今はとにかく推移を見守るしかない…な。ただ…、とにかく村田先生は今までこの財務省に義理を果たされてきたお人だ。そう無碍むげにもできん。ここで見放せば今後に障るかもしれんしな…」

「そうですね…。しかし村田先生にはこれから大いに働いていただこうと思っていた矢先だっただけに…、残念です」

「うん…。消費税増税や財政再建を控え、社会保障費の削減等これから政治家の皆さんには財政規律の維持を目指す我が財務省のために頑張ってもらわなければならない。そして頑張っていただいた政治家の方には褒美を用意する。予算というご褒美をな。幸い、村田先生の地元は北海道東部地区。日本でも一番開発が遅れていると言われる地域の一つだ。そういう所だと我々財務省としても様々な口実が付けられ…、結果として予算を付けやすい。そこの出の村田先生はまた都合のいいことに政界で力があり、しかも与党第2派閥を率いる領袖だ。これから早急に取り組まなければならない後期高齢者医療費の自己負担の引き上げ等、これら社会保障費の削減には医師会等の激しい抵抗が予想される。それに加え野党はもちろん国民世論の反発も強まっていくだろう…。そんな中で関連法案を通すのは至難の業だ。こういう時に大いに頼りになるのが本省出身で財務省の立場をよくご理解頂き、また各界との利害調整等の折衝にも長けた『政界のモンスター』と畏敬の念を持って呼ばれる村田先生のお力なのだ。だというのに、その大事な時に…、まったく検察のバカどもがとんでもないことを‼︎」

「ええ、次官のおっしゃる通りです。検察・特捜部はバカなことをしてくれました。それで、我らが村田先生に弓引いた検察にはどのように対処いたしましょう?。予算配分で制裁を科しますか?」

「うん、『江戸の敵を長崎で討つ』か…」

「はい」

「う~む、まあとりあえず今はまずい。やるならほとぼりが冷めてからだ。今は静観が第一。とにかく熱が冷めるまでは何も動くな。当の村田先生とも接触してはならんぞ。それは省内でも徹底させろ。でなければ経産省や国交省のようにうちにも特捜のガサが入るぞ!」

「はっ、わ、分かりました」と側近は思わず狼狽して答えた。


経済産業省

 午前9時過ぎ、東京地検特捜部の家宅捜索を受け省内は騒然としていた。

「我が省にガサ入れか…、やられたな」楠田くすだ事務次官はそう言ってほぞを噛む。

「ええ、それで我々上層部に火の粉が飛ぶようなことは…」と側近が不安がった。

「ない。絶対にあってはならん!」

「はい。しかし…、今回の捜査対象からは外れておりますが、これまで我々経産省が大口の天下り先である電力会社等に様々な便宜を図ってきたことは事実としてあります。それで賄賂をもらった者もいるかもしれません。いや、きっといるでしょう。特捜部は余罪も視野にということも言っておりますので、もしやということも…」

「うん…。うちも叩けば埃が…というやつか。だが、とにかく今は検察に対してひたすら静かなることを旨とし、決して反抗的な態度をとってはならん!。嵐は過ぎ去るのを待つしかないのだ」

「はい…」


国土交通省

 ここも経産省と同じく、東京地検特捜部の家宅捜索を受けていた。談合事件の本丸と見られているだけに捜査は徹底的に行なわれた。

「まずいな」と言って山下やました事務次官は焦燥を隠せない。

「はい…」と側近も素直に認める。

「なんでうちにガサが入るんだ?」

「マスコミによれば村田経産大臣が『天の声』を発し、我が省発注の工事の談合を仕切ったということで強制捜査に入ったと報じています。今やられているのが主に道路局です。島田道路局長が特捜部から任意聴取を求められたとのことで、これからどのような展開を見せるのか全く見通せない状況です」

「う~ん。道東プロジェクトだな…。あれは村田さんのためにやっているようなものだからな。高速道路を敷いて、空港まで建設する…。航空局もやられるかもしれんな」

「はい…」

「うちの職員でその談合に関わっている者はいるのか?」

「しかとは分かりませんが、皆無とは言い難いものがあります。島田道路局長始め何人かは逮捕者が出るかもしれません…」

「ちっ、俺の命運もこれまでか…。ところで福山ふくやま国交大臣はどうだ無事なのか?」

「はい、今のところ大丈夫です。民友党は国交大臣が一番危ないということで比較的清廉な人間、といっても世襲議員ですが、あまり欲もなく野心もない人物を充てておりますので何とかもつかと…」

「そうだな…、まあ国交省の政策なんてのは所詮は与党の部会、民友党の国土交通部会でほとんどが決まる。そういう状況では国交大臣なんてのは実質ただの飾りにすぎん」

「はい」

「とにかく今は静観だ。捜査がどの辺まで進むのか…。うん、俺と検事総長とは同じ王京大の出で旧知の仲だ。今度それとなく訊いておこう」

「はい、よろしくお願いいたします」


警視庁捜査

 東京地検特捜部の協力要請に基づき警視庁組織犯罪対策部は新宿・歌舞伎町にある広域指定暴力団・東○会の東京本部事務所に強制家宅捜索に入っていた。陳麗華の密入国、並びに様々な違法な株価操作、インサイダー取引疑惑が持ち上がっている。すでに証取委から情報提供を受けていた捜査員達は『ついにこの時が来た』とばかりに勇躍して暴力団事務所に乗り込んでいた。次々と資料等の証拠品を押収し、関係者から事情を聴いていく。この際に暴力団を見限り警察に協力する者も少なくない。重要な供述が次々にとられていく。さらに事務所から銃や麻薬も見つかり、銃刀法違反や麻薬取締法違反のいわゆる別件でも暴力団員を次々と逮捕し、近くの新宿署に連行していく。さらにそこでも事情聴取が行なわれる。

 東京地検特捜部と警視庁組織犯罪対策部による急襲で何も捜査の対策をとれていなかった関係先はことごとく重要な証拠を押収されていった。村田孝一らによる悪事はほぼ白日のもとに晒されることになり、栄華を誇った村田王朝は早くも崩壊の色を濃くしていた。     

街中では大型ビジョンが強制捜査のニュースを繰り返し伝え、その前の路上では新聞の号外が配られる。新聞・テレビ等のマスコミ各社はこぞって村田批判のボルテージを上げていく。もはや村田の大臣辞任は不可避の情勢となっていた。


民友党本部記者会見場 午後1時

 東報新聞の倉橋真理子はこの記者会見場にいた。

 幹事長の稲尾が出てきた。

「会見を始めます」と傍らの係官が告げ、稲尾が口を開く。

「えー、本日は、誠に遺憾なことではございますが我が党所属の村田孝一経済産業大臣が談合等の容疑により強制捜査を受けております。また、これに関連し村田大臣の関係先などにも東京地検特捜部等による強制家宅捜索が行なわれております。このような事態を受け我が党といたしましては現在全力を挙げて事実関係の確認に努めているところであります。大臣の容疑への関与はまだどこからも証明されてはおりませんが、まずは我が党に所属する政治家がこのように世間をお騒がせしましたことを深くお詫びいたします。誠に申し訳ありません。

 えー、とにかく我が党といたしましてはこの事態を厳粛に受け止め、捜査には全面的に協力するとともに事実関係の把握に努め、もって今事案の説明責任を果たしていく所存でございます。なお、村田大臣は捜査容疑に対し身の潔白を主張しており、我々としては今はその主張を信じたい気持ちであります。以上です」

「質問を受け付けます」と係官が告げる。すると勢いよく無数の手が挙がり、稲尾が適当に見繕ってその一つを指さす。

「中央新聞の谷川たにがわです。村田大臣は今どこにおられるのでしょうか?」

「私どもも把握しておりません。大臣のコメントは電話でお聞きしました」

「もはや、村田大臣の辞任は不可避だと思われますがいかがですか?」

「それにつきましては、本人や総理の意向でございますので私からは何とも言いようがありません」

「民友党に火の粉が飛んでくる可能性はないのでしょうか?」

「それは無いと確信しております」

「特捜部は余罪も視野に捜査すると言っています。捜査が御党に及ぶ可能性は非常に高いと思うのですが」

「それにつきましては現在捜査中の事案であり、予断をもって語ることは差し控えさせていただきます」

「総理の任命責任はどうお考えですか?」

「そのことにつきましても捜査中でもあり、コメントは差し控えさせて頂きます」

続いて真理子が指名された。

「東報新聞の倉橋です。村田大臣は暴力団との関係も取りざたされています。かなり以前から付き合いがあったとも聞きます。党としてはどの程度把握されていたのでしょうか?」

「党といたしましてはそのような事実は全く把握しておりません」

「暴力団から紹介された人物、しかも中国からの密入国者が村田氏の秘書として活動していたという情報もあります。この点は党としてどうお考えですか?」

「初めてお聞きすることですが、そういったことも含めまして現在事実関係を確認中であります。もしそのことが事実だとすれば全く遺憾なことであるとは思います」

「では党としては、その事実は今まで把握していなかったと?」

「ええ、全く把握しておりませんでした」

「党としてどのような管理体制なのでしょうか?」

「現在、我が党としても管理体制を見直しておりまして、鋭意改善に努力してまいる所存です」

「幹事長を始め党三役の責任問題に発展することはないのでしょうか?」

「状況に応じ、今後検討してまいります」

「捜査容疑になっていることは村田大臣の強引な資金集めに原因があると思うのですが、村田大臣の総裁選出馬が取りざたされていました。民友党の総裁選挙にお金がかかりすぎるからこういうことが起きるという批判があります。それについてはどう思われますか?」

「各候補者が、総裁選にどの程度お金をかけているのかということは党としては基本的に把握しておりません。ただ、党としてもなるべくお金のかからない選挙を目指しております」と、幹事長とのやりとりは全てが万事こんな調子で全く埒が明かなかった。

 真理子は帰りに議員会館にも寄ってみたが、村田大臣は不在ということで、また、マスコミ関係者は村田事務所側が取材を拒否するということで会館内に入ることもできなかった。

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