構築
東京地検特捜部
上川は興奮した面持ちで特捜部長のいる部屋をノックした。
「上川です。入ります」
「ん?」と部長の笹田はデスクのパソコンに向け落としていた顔をぬっと上げる。
「部長、たった今入った情報ですが、伊豆高原殺人事件において静岡県警が重大な証拠を入手したとのことです」
「なに!?」と笹田の顔つきが一気に変わる。
「小林家サイドに捜査が移るようなか?」
「ええ、そうです。静岡県警の捜査員が小林玄太郎と水谷一郎が伊豆高原で落ち合う約束をした決定的証拠を押さえました」
「静岡県警が…、やってくれたな」と笹田は言い、さらに険しい表情になる。
「部長、ことここに至ってはぐずぐずしてはおれません。伊豆高原の事件、ホシは小林玄太郎です。県警の捜査が玄太郎に及べば、背後に蠢く村田があぶり出されることは目に見えています。下手をすればそれこそいいところを全部静岡県警にもっていかれて特捜部は何やっているんだと激しく非難されてしまいます。さらにこの件は一部マスコミ、具体的には静岡の地方新聞である静岡日報にも伝わっていて明日の朝刊にこの証拠の件が載ることになっているとの報せが入りました。これは確かな筋の情報です。もっと言えばこの新しい証拠のことは警視庁にも伝わっているらしくそこの捜査二課がこれを機に村田に対して本格捜査に入る構えを見せているとのことです。すでに警視庁は、伊豆高原のもう一人のガイシャである陳麗華についてもかなり調べがついているようです」
「う〜ん」と笹田が厳しい表情で唸り声を上げる。
そこへ、別の検察官が慌てて部屋に入ってきて、「部長、大変です。警視庁捜査二課が伊豆高原殺人事件において新事実を掴んだらしく、それをきっかけにかねてより内偵していた村田経産大臣関係先に近く強制捜査に入る動きを見せています。いま地検に警視庁の担当刑事が来ていて捜査方針について相談しております」と告げた。
「なんだと⁉︎、本当に警視庁が動くというのか⁉︎」と驚き笹田はさらに険しく厳しい顔つきになっていく。
その話を聞いた上川の脳裏に青田の顔がよぎる。そして、
「部長、ここは特捜が特捜であるために村田をやるしかないんじゃありませんか?」と上川は意を決した表情で笹田に言った。
「うん…、特捜が特捜であるためにか…」と笹田は瞑目し、かみ締めるように呟く。
「ところでその情報どこから手に入れた?。伊東の捜査本部か?」と笹田は目を瞑りながら上川に尋ねた。
「守秘義務の関係上しかとは申し上げられません。しかし、信頼できる筋から情報は手に入れました」
「そうか…。うん、分かった。ことは閣僚に及ぶ一大事だ。事実関係の確認と今後の捜査方針について上級庁と協議を行なう」
「部長!、もはや事ここに至ってはもうそんな悠長なことは言っていられないと思います。警視庁が今にも動くかもしれないんですよ。それからマスコミが伊豆高原の事件と村田の件との関係に気付くのももはや時間の問題です。それでもし我々の捜査がマスコミに抜かれてしまえば、スクープされてしまったらこのヤマは終わりです。部長!、腹をくくるのは今です‼︎。あなたが天と仰ぎ、神と怖れるその人は明日になれば地に堕ち糾弾される人に変わるんです。それに付き合っていたらあなたも一緒に堕ちてしまいます。もう時代は変わったんです。部長!、ここは我々特捜が新時代の歴史をつくりましょう‼︎」
「うん…、新時代の歴史をつくるか…、いい響きだ。よし!、上川、ガサ入れはすぐにでもできるんだな?」
「はい、それはもう準備万端整っています!」
「よし‼︎、俺も腹をくくった。敵は永田町にありだ。上川、今から東京地裁に行ってガサ状(捜索差押許可状)をもらってこい。村田の関係先を一斉家宅捜索だ!!」
「わ、分かりました!!」と上川は弾かれたように言い、すぐに部屋を飛び出した。思わず笑顔になる。そしてその笑顔に自然と涙が溢れてくる。東京地裁に向かう上川は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらいつしか全力で走っていた。
そして、その日のうちに東京地裁から強制捜査の許可状であるガサ状こと捜索差押許可状が下りた。
夕刻、一堂に会する特捜部員たちを前に東京地検特捜部長の笹田清はついにその重大発表を行なおうとしていた。笹田の口が開く。
「いよいよ明日、午前9時をもって我々東京地検特捜部は道東プロジェクトの一角である遠東自動車道建設工事に係る指名競争入札において談合行為を行なった疑いによる独占禁止法違反並びに官製談合防止法違反及びその談合の元締め役だったと目される村田孝一経済産業大臣が本件落札企業である列島建設株式会社から違法な政治献金を受け取った疑いによる政治資金規正法違反、そして、落札企業である列島建設株に関しインサイダー取引を行なった疑いによる金融商品取引法違反等の各容疑で村田孝一経済産業大臣の関係先である議員会館並びに北海道遠東市内の村田孝一代議士事務所、村田建設本社並びに東京支社、経済産業省、国土交通省、列島建設本社、瑞穂建設本社、大日建設本社、東亜建設本社、大洋建設本社、広域指定暴力団・東○会東京本部事務所等関係先35ヵ所に対し一斉家宅捜索を行なう。その際、公正取引委員会、警視庁、証券取引等監視委員会、東京入国管理局等にも捜査協力を要請する方針である。各捜査員にあっては談合に伴う贈収賄、別件での不正政治献金による更なる政治資金規正法違反等の余罪も視野に早急に準備を整え万全の態勢をもって明日の捜索に臨むよう命ずる。最後に、全特捜部員は国民の負託に応え、今こそ起って、この日本を蝕む巨悪を討て!!。以上!」と笹田特捜部長は高らかに居並ぶ部員らに対し命令を言い渡した。それは特捜が特捜たる瞬間でもあった。特捜部内は大物政治家への強制捜査を明日に控えかつてない高揚感に覆い尽くされる。
現在の談合は、公取による課徴金減免制度の導入等で格段にやりにくさを増していた。今回の談合はそういったものを背景に疑心暗鬼が裏切りが裏切りを呼び談合組織は綻びを見せていた。ただ、もっとも今まではそういう綻びが出ても簡単に繕うことができた。なぜなら、政界の実力者たる村田孝一が公取や検察に圧力をかけ、その捜査そのものを潰していたからだ。
しかし、そんな時代は終わった!。
これまで力で押さえられてきた特捜部は、いまや刃を引き抜きまさに村田本陣に襲いかかろうとしていた。それは関が原の戦いにおいて松尾山に陣を敷く小早川秀秋の軍勢のようなものであった。この小早川秀秋の裏切りによりそれまで優勢に戦いを進めていた石田三成率いる西軍が一瞬のうちに瓦解し、徳川家康率いる東軍に大勝利をもたらして歴史の一大転換点となって新時代の幕開けとなったのである。
不当な圧力を払いのけた検察を『裏切り者』呼ばわりは適当でないが、当の村田本人から見れば今回の強制捜査は検察の『裏切り』以外の何物でもないだろう。村田にとっては今の検察が小早川秀秋に見えても決しておかしくはなかった。
また、別の表現を借りれば、『賽は投げられた』であろうか。これはローマ時代の皇帝ユリウス・カエサルが当時のイタリア本土の入口に当たるルビコン川をこれまでの禁制を破り軍勢を率いて渡る際に放った言葉だが、『もう後戻りはできない。断行あるのみ』といった意味で使われる。それに倣えば今まさに東京地検特捜部はこの言葉を高らかに宣し総力を挙げてルビコン川を押し渡ろうとしていた。
警視庁
「総監、大変です!。東京地検特捜部から村田経産大臣絡みで捜査応援の依頼が入りました‼︎」と側近が慌てた様子で告げた。
「なんだって!?」と言って警視総監の橋本は突然の報に驚愕する。
「先方は捜査二課の青田刑事に話してくれれば分かるはずだと言っておりますが…」
「アオタ?」
「あ、はい、二課に配属以来、村田経産大臣を追っている来年に定年を控えた警部補の刑事で、まあ命知らずな男でして二課の課長も手を焼いています。時々『執念の刑事』とか言われたりしていますが…」
「まったく…!。そんな化石みたいな奴がまだこの警視庁にいたのか…」と橋本は言って顔をしかめる。
「で、その青田がどうしたんだ⁉︎」
「はい、本日、その青田刑事が東京地検を訪ねて今後の村田大臣の捜査について相談をしたらしいのですが、その際警視庁二課としてガサ入れを行ないたい旨申し出たらしいのです」
「なんだと!?。二課の課長はそのことを承知しているのか?」
「私が先程二課の沢田課長に確認しましたところ、そのようなことは、青田が村田大臣を内偵していたことを含め、自分は承知していないと申しておりまして…」
「じゃあ、上司の許可もなく青田は単独で地検に行ったというのか?」
「はい、そのようです…」
「ったく、青田の奴、余計なことをしてくれる。それにしても青田もなっとらんが、そこの上司もなっとらん。部下の掌握ができて初めて上司と言えるのに。だいたい、庁内では村田先生には手を出すなということになっていたはずだろ!」
「はい、まったくもってけしからんことで。しかし事ここに至ってはいかんともし難く…。さしあたって特捜部の応援要請にはどのように対処いたしましょう?」
「まあ、特捜部も腹をくくったということか、特捜が動くということは証拠がそろって村田先生を逮捕できる自信があるということだな?」
「はい、そのように思われます」
「うん…。まあ、他ならぬ天下の特捜部からの依頼だ。受けぬわけにはいくまい…よ。だがその前に青田から話を聞いておきたい。それもサシでな。今すぐ青田をここに呼べ!」
「はっ、かしこまりました」
約10分後、総監室をノックする音が聞こえ、「捜査二課の青田警部補をお連れいたしました」と係官が告げた。
「入れ」と橋本は硬い声で言う。
緊張した面持ちで係官と青田が入ってくる。橋本は係官を退室させ、青田と対峙する。
「総監がお呼びということで参りました。捜査二課の刑事、警部補の青田善助であります」
「うん、ご苦労。まあ、かけてくれ」と橋本は言って青田に席を勧める。総監室には応接セットが設えられており、室内には上等なソファが横たわっていた。
「失礼します」と青田は言って、そのソファに腰かけた。
「警視総監の橋本だ。まあ今さら自己紹介することもないとは思うが、君とは実質的に初対面だからな。それでだ、ことは急を要する。いきなり本題に入らせてもらうが、君は村田経産大臣について捜査を行なっていたみたいだね。それも上司の許可もとらず、単独で…、うん?。課長の沢田君がそう言っていたと聞いたよ」と橋本は怒りを端々に滲ませながら青田を詰問する。
「いや、そのことについては、私が村田を追っているということは庁内では有名な話でして課長もご存知だったはずですが…」
「口を慎め!、青田‼︎。庁内と言ったが俺はそんなこと知らんぞ‼︎。おまえの上司である沢田課長もそう言っているんだ。それが全てだ。だいたい閣僚はもちろん国会議員より上には手を出すなというのがこの警視庁の不文律、伝統だ。おまえも長いことここにいるんだったらそれくらいのことは知ってるだろう‼︎」と橋本は早くも怒りを爆発させる。
「お言葉ですが、総監!、現職大臣といえども村田は明らかに法を犯しております。政権中枢にいるからと言って、いやだからこそなおさら見逃すわけにはまいりません‼︎。それにいろいろと黒い噂が絶えない灰色議員の村田をやれば世間は拍手喝采、警視庁の名声も上がると思いますが」
「そんなことは分かっている!。それができれば何も苦労はしないんだ‼︎。この際、青臭い、子どもじみた正義論はどうでもいい。政権・与党に楯突くということがどういうことだか分かるか?。うん?」
「…」
「分からんか?。それはな、俺達の人事権、予算権を握る権力者に楯突くということだ。特におまえがパクろうとしている村田先生はな財務省からの信頼も厚く国家の予算権限を実質的に握っておられるお方だ。そんな方に弓引くなんて…、あぁ考えただけでも恐ろしいわ。それに警察と検察との捜査上での棲み分けの問題もある」
「総監、お言葉を返すようですが、検察、特に特捜とは長年のライバルです。やる時もあればやられる時もあります。そこはお互いさまなんじゃないでしょうか。それと総監が心配されている一つの予算の件ですが、我が東京都は不交付自治体で、近年国からの地方交付税交付金はもらっておりません。ですから予算面についてこの東京都に関しては当面心配はないと思われますが…」
「まったく小賢しいことを…。確かに特捜とうちの二課とは長年のライバルだ。お互いさまというところはあるだろう。しかしな、今回ばかりは事案が大きい。現職閣僚だぞ!。しかも超実力者の。その点をもう少し考えろ!。それに将来にわたっての問題として検察と関係がこじれたら後々厄介だということもある…。あと、それから予算についてだが、おまえはいいよ、東京だけのことを考えていればな。政権内にいる人間から見れば警視庁は警察の代表だ。現に警視庁トップである警視総監の私は地方公務員ではなく国家公務員だ。つまり警察庁の人間だ。確かに当面は東京都だけを見れば予算面ではそれほど心配はないかもしれないが、あいにく我が警視庁も国庫からの補助を受けている。もしそれが減らされたら…やはり困る。また、警察庁は警察の代表格である警視庁に対する監督不行き届きを責められ、結果、警察庁の予算が減らされるかもしれない…。政権・与党、それから財務省を敵に回したら怖いぞ~。『朝敵』の汚名を着せられ、ぎりぎり真綿で首を絞められる…。そうなったら私の立場もなくなりこれまでのキャリアが全て無になりかねん。
おまえは悪者を捕まえる警察官がこの世で一番偉いなんて思っているのかもしれんが、警察なんて言ったって所詮は法を施行する行政機関の一つにすぎん。警視庁の場合、多くの予算を都知事と都議会が決め、一部の予算を財務省が編成し内閣と国会の承認を経て支給されている。人事については、警視以下が基本的に警視総監である私が決め、そして上層部は実質的に内閣が握っている。そして、その都議会・都知事、そして国会・内閣も全て…村田先生が属しておられる巨大与党、民友党が握っているのだ。おまえのやっていることは飼い犬が飼い主に噛みつくようなものだ。そして、厄介なのはその飼い主が一人ではないということだ。一人や二人の飼い主を倒したところでいつか別の飼い主から罰を受ける。別の言い方をすれば『江戸の敵を長崎で討たれる』ようなものだ。つまりはだ、その時は格好よくヒーローとなって崇められても長い目で見れば将来の左遷候補に登録されてしまい、ほとぼりが冷めれば懲罰人事が降りてくる…。おまえは村田捜査に当たってその覚悟がある…、ってあるわけないか…、来年定年らしいな?」
「はい…」
「再就職先は?」
「ありません…」
「だろうな。いや失敬、じゃ、まあ、最後に死に花を咲かせようということか?」
「いや、そのようなものではありません!。総監!、私は捜査二課に配属以来ずっと公人でありながら私利私欲にふけり暴力団などの反社会的勢力ともつながって、平然と法を犯し続けている村田孝一という人間を許すことができず、ずっと奴を追いかけてきました。そして今回は殺人事件をもみ消せという…。そんなことは絶対に許すことができません!。そんな村田は絶対に検挙しなければならんのです。総監、そのことをどうかご理解ください。どうか目をお覚ましください!!」
「フハハ!、警視総監の私が初対面の警部補に説教されるとはな、まあいい、いい度胸してるよあんた。まあ実を言うとな、これまではただの私の愚痴だ。上司である私の意向を無視して正義を貫いた者への嫉妬だ。これまで言ったことは全て忘れてくれ。失礼は謝罪する!。
もう賽は投げられたのだ。じたばたしたって俺たちは明日、東京地検特捜部とともにルビコン川を渡る。これからが話の本題だ。捜査の実際について知りたい。ズバリ訊くが、特捜部は村田を逮捕できそうか?」
「はい、絶対できます!。特捜部は証拠や関係者の証言をそろえています」
「うん、でなければならんな。いいか青田、これはやるかやられるかの戦いだ。仕損じればそれは即こちらの死を意味する。村田先生に刃を向けるんだ。であるからには必ず相手の息の根を止めなければならない。それも二度と立ち上がれぬよう完膚なきまでにな…。どうだ特捜部とともにそれができるか⁉︎」
「はい!、できます‼︎。お任せください。特捜部と組めば鬼に金棒です」
「よし!、ではおまえのその捜査に対する執念と私に対する度胸を買って、警視庁の…いや全警察の運命、おまえに託す‼︎」
「はっ!、ありがとうございます!!」
「それで、あんたはこれまでどう動いていたんだ?。詳しく説明してくれ」
「分かりました」と言って、青田は捜査の説明を始め、これまで得た情報を橋本に伝えた。そして最近の状況をこう説明した。
「陳麗華はその密入国を仲介した暴力団の金融系フロント企業に属し、いわゆる『共生者』になっていきました。彼女は日本の株式市場等でかなり派手にカネを動かしていましたので証取委の目にも留まり、またその証取委から通報を受けたソタイ四課(警視庁組織犯罪対策第四課)が捜査に乗り出しましたが、程なく陳麗華は現在、経済産業大臣をしている村田孝一の私設秘書に納まります。実態は村田のネットトレーダーです。やっていることは今までと基本的に変わらず株式投資による資金稼ぎです。変わったのは暴力団のためではなく村田のために資金を稼ぐことになったということぐらいです。また、その陳麗華、なかなかの美人だったらしく程なく村田の愛人にもなっていきました。こうなると捜査はもうお手上げでした。かねてからあなたがた上層部より『閣僚には手を出すな』というお達しがあったこともあり、ソタイ四課の課長も相手が悪いと捜査から手を引き立件を諦めました。証取委も村田の息がかかった財務省と関係が深い金融庁の所属ですのでそこも上級庁からの圧力で手を引きました。残ったのは私だけというわけです」
「ふん…。それは災難だったな」と橋本は少し笑いながら他人事のように言って、続けて「じゃあ、それまでソタイ四課とあんたとは共同で捜査していたのか?」と尋ねた。
「結果的にはそういうことになります。私も一人でできることはタカが知れています。情報を出し合って持ちつ持たれつってやつですよ」
「二課の課長、沢田には話さなかったのか?」
「ええ…、ただ、私が村田を追っていたことは知っていたと思います。しかし、村田捜査について話をしたことはありません。総監もよくご存知なようにうちの課長ポストはキャリアの指定席です。捜査が政権中枢にも及ぶようなそんな危険な橋を渡る話をしたって、腰掛けの貴族のお坊ちゃまには捜査を指揮することはおろか捜査を始めることもできなかったでしょう。しかも今や漫然となっているとはいえ、上からの圧力もかかっているとなればなおさらです。だいたい警視庁の仕事ときたら国なら省庁の課長以下の木っ端役人の汚職を摘発することと昔から相場が決まっていて、間違っても国会議員の先生方には手を出すなって感じですからね。そうですよね?」
「…」橋本は無言で渋い顔になる。
「ところでだ、なんで特捜が単独捜査のあんたのことを知っているんだ?」と橋本がそもそもの質問をした。
「…!」青田は一瞬答えに窮する。共同戦線のことは児玉らの立場もあり、今はまだ大っぴらにはできない。
「そ、それは類は友を呼ぶとでも申しましょうか…、村田捜査にかける情熱が、ある特捜検事とめぐり逢わせてくれました」
「うん?。つまり捜査上のいきさつで知り合ったということか?」
「えぇ…、まぁ、そうですね」と言って青田は口を濁す。
「まあ、それはいいとしてだ。あんたが単独・独断で警視庁代表の面をして、その時点ではとてもできそうにない村田捜査の相談をしに地検に行ったということはどういうことだ?」と橋本は尋ねた。
青田は動じることなく「それについては正直に申し上げましょう。あれは特捜部をけしかけるための一種のパフォーマンスです」と言った。
「特捜をけしかけるためのパフォーマンスだと?」
「はい、特捜部がガサ入れの準備が整ったと聞き及びましたので、それのきっかけになればと思いまして」
「うん?。よく分からんが敵に塩を送ったということか?」
「ええ、まあ、こちらの活躍の場を提供してくれることを条件に…」
「なるほど。まあ何となく分かるよ。つまり腰の重い特捜部長を動かすためにあんたが相談しに行くことによってライバルの警視庁の二課が先にやっちまうぞと脅しをかけて特捜部を煽ったとこういうことか?」
「ええ、そうです。そういうことです」
「ふん、考えたな。相手に火を焚きつけたからにはこちらも逃げるに逃げれなくなった」
「ええ、総監、もうやるしかありません。悪を葬る絶好のチャンスです。これを逃したら村田をやる機会は永久に失われます」
「ああ、分かっている。村田をやろう!。こうなったらもうやるしかない。そして、やるからには徹底的にだ。ところで肝心のソタイはどうなんだ、ちゃんとやる気はあるのか?」
「ええ、それはもちろんあります。今回の特捜の依頼に驚いてはいましたが、ソタイも泣く泣く捜査から撤退した経緯がありますので今度は捲土重来とばかりに息巻いています」
「そうか、よし!」
「しかし、総監…」
「うん?」
「今回のヤマ、表向きはソタイに譲るとして実質的には私に仕切らせてもらえませんか?。村田のことでしたら、この庁内なら誰よりも知っているという自負があります。これまでの村田をめぐる一連の動きも誰よりも分かっているつもりです!」
「そうか…。ところであんたとソタイとは十分な信頼関係は築けているのか?」
「はい、それはもう。実質、私がいなければソタイの捜査は進まないものと思われます」
「うん…。そうか分かった。では公式に指揮権限を与えることはできんがソタイへの応援要員として君を出そう。オブザーバー(一般的な意味として、特に権限はないが発言や提案はできる者)としての役割も与えてな」
「あ、ありがとうごいざます」と青田は言って深く頭を下げた。
そして、警視総監の橋本は姿勢を正して青田に向き直り、「起立、気をつけ!」と大声で号令した。青田は弾かれたようにスクッと立ち上がりすぐに気をつけの姿勢をとる。
続いて橋本が「命令を言い渡す。本庁は東京地検特捜部の応援要請に基づき明日午前9時をもって新宿区歌舞伎町××にある広域指定暴力団東○会東京本部事務所への強制家宅捜索を行なう。本庁捜査二課の青田善助警部補は本日中に捜索準備を整え本件捜査を担当する同庁組織犯罪対策部第四課の応援に加わり全力をもってその職責を全うせよ。以上!」と声高らかに言い、青田に命令を下した。
「はっ、承知いたしました」と青田は応え、同時にキッと凛々しく敬礼する。
「うん、頼むぞ。こうなったら必ず村田の息の根を止めるんだ!」
「はっ」と青田は直立したまま言い、再び厳粛に敬礼した。