共同戦線
「申し遅れました。私、東京地検特捜部、検事の上川敦といいます」
「これはこれは、ご本人の登場とは…、お陰で話が早くなりますな。いや失敬、私、警視庁捜査二課の刑事、青田善助と申します」
「この度は大変失礼いたしました。今回、この取材を企画したのは他でもないこの私です。理由はぶっちゃけ青田さんにお会いしたいと思ったからです」
「ほう、特捜の検事さんからのご指名とは光栄ですな。で、何が狙いなんです?」と青田は言ってスッと真顔になる。
「実は、ある事件の捜査が山場を迎えておりまして…」と上川が話し始めたのを
「それは村田孝一経産大臣が絡んだ談合事件のことで…?」という青田の言葉が遮る。
「え、ええ、そうです」と上川は少し動揺した様子で答えた。
「やはり…。私も長年村田を追いかけていますからな。私と接触したいという方は、まず村田絡みです。あっ、話の腰を折りましたかな。失敬。どうぞお続けください」
「あ、はい。それで内輪の恥をさらすようで恐縮なんですが、村田が絡んだ今回の談合事件、証拠はほぼ固め外堀は埋めたのですが、肝心のガサ入れの許可というかその申請の許可が下りないんです。上から圧力がかかっていて、特捜部長が躊躇しているのです」
「あ〜、よくある話ですな。ウチにもありますよ。そういうの…。現に今がそうですから」
「では、青田さんも道東プロジェクトの談合事件を?」
「ええ、調べています。ただ、案の定、上から圧力がかかりまして、いまは一人で密かに内偵中です。寂しいものです…」と言うと青田はコーヒーをぐいっと口に含ませた。
「そうですか…、では、状況はこちらとほぼ一緒ですね」
「ええ…。ふ~む、でもやっぱり特捜部にも圧力がかかっていますか…」
「はい…、それで青田さん、ここはお互い上から虐げられたもの同士、共同戦線を組むというのはどうでしょう?」と上川は提案した。
思わぬ提案に少し不意打ちを食らった格好の青田だったが、「共同戦線?。ほう、それはいいですな。こちらも望むところです。ぜひ組ませていただきたい」とすぐに快諾した。
「ありがとうございます。では話を戻させて頂きますが、私たち現場の特捜検事たちは何とか特捜部長の重い腰を上げさせ、捜査を前に進ませたいと思っています。それで、大変恐縮なのですが、警視庁のお力をお借りできないかと…」
「うん?。警視庁の力とは?」
「ええ、それは…、失礼を承知で率直に言わせていただきますが、今回、警視庁には囮になっていただきたいのです。って言っている意味が分かりませんよね?。つまり警視庁がこの事件で捜査が進んでいることにしていただいて、今日か明日にでも強制捜査に入り、それこそ村田を逮捕する勢いだということにしていただきたいのです。そうすれば警視庁に先を越されてなるものかという特捜魂に火が点き、部長も腹をくくると思うのです」
「フフ…『特捜魂』ですか…。それで我々は囮になって、村田に攻め込む姿勢を見せてくれさえすればいいと?」
「えぇ…、申し訳ありませんが、そうして頂けると大変ありがたいと思っております」
「ん…む。で、今回の取材の目的は何ですか?」
「ええ…、言いにくいことではありますが…、今回はとりあえず警視庁がどの程度捜査が進んでいるのかということを知りたいと思いまして…」
「なるほど…、敵情視察というわけですか?」
「えぇ…、すみません」
「いやいや。いえね私というか私達と言うべきかな、私達も全く同じことを考えていたんですよ」
「えっ!?」と言って上川は驚きの声を上げる。
「というのも警視庁と言っても現在村田の件で動いているのは実質的には私一人だ。立件はおろかガサ入れだってまあ策がないわけではないが現状では遠く及ばないという思いがあります。自前で村田をパクリたいとは勿論思いますが現実的にはとても無理だという感じもする…。今では、ここは特捜部に立ってもらうしかないというふうに最近考えが変わってきましてね。それで私というか警視庁としては特捜の応援でも何でもどこかおこぼれに預かれればそれでいいと考えるようにもなってきたんです。そういう中で少し前ですが彼らと出会い、そして今その彼らと一緒になってもがいているところなんです」
「彼ら…?と言いますと?」
「お~い、出番だ」と青田は高らかに呼びかける。
「はい!」という返事とともに三人の男がドロドロと上川らの目の前にやってきた。
「あなたたちは?」と驚いた表情とともにとっさに上川が尋ねる。
「私は、静岡県警伊豆東署刑事の児玉といいます」
「同じく、刑事の丸山です」
「私は地方紙の静岡日報・記者の田嶋です。こちらの丸山とは高校時代からの友人でして」
「はあ…」と3人の突然の登場に上川と真理子はあっけにとられた表情を浮かべている。
しかし、すぐに上川は我に返って
「静岡県警伊豆東署?。ということは伊豆高原殺人事件の?」と尋ねた。
「そうです。その捜査からなんとかここ村田周辺にまでこぎつけました」と児玉が答える。
「そうですか!、でもよく静岡県警、しかも所轄署の刑事さんがここまで辿り着けましたね。いや失敬。皆さんには大変失礼ですが正直静岡県警ではとても政界までは辿り着けないだろうと思っていましたので…」
「いえいえ、ご指摘はごもっとも。私たちも政界捜査なんてまったくの素人でして正直何をやっていいのか皆目見当がつかない状況だったのです。それでこちらの静岡日報の田嶋さんを介して警視庁の青田さんと知り合うことができましてそれでなんとかここまでやってこれたというのが正直なところで…」
「そうなんですか、では私たちの共同戦線にも加わっていただけるんですか?」
「はい!、ぜひ加えていただきたいと思います」
「そうですか、ありがとうございます!。あっ、ただ児玉さん達はそちらの捜査本部の意向を受けてのことですか?」
「いえ、それは受けてはおりません。表向きの正規の捜査にはやはり上から圧力がかかっておりまして、私たちは現在、捜査本部とはかけ離れて行動しています。表向きは今となってはどうでもいいことを調べる役をあてがわれておりまして…」
「そうですか、それは良かった。でもやはりそちらにも圧力が…。それで、そのどうでもいいこととおっしゃいましたけど、ではそちらと並行して?」
「いえ、仲間がおりますのでそっちはそいつらがうまくやってくれています。ですからこちらにほぼ専念できます」
「おお!、そうですか、それは良かった。あと児玉さん達も大変だと思いますが、よかったら捜査の経過と現状を詳しくご説明願えないでしょうか?。秘密は必ず守ります。あっ、あとこいつは倉橋と言いまして、いま東報新聞の記者をしております。こいつも秘密は必ず守りますのでご安心ください。な」と上川は言って隣にいる真理子に肘でつついて同意を促す。
「あ、はい。秘密は絶対に守ります」と真理子は真剣な顔つきで誓った。
「分かりました。では少し長くなるかと思いますが述べさせていただきます。私達はこの伊豆高原殺人事件を当初、現場周辺に土地勘があり被害男性である水谷一郎と顔見知りの犯行と睨んで捜査を行ない、被害男性が元会社経営者で事件現場もその経営していた会社、社名をダイヤスタイルと言いますが、それが所有していた元保養所であったことからその会社でのことが事件のきっかけではないかということで調べていきました。その中で元経理課長だった高田宏という男が捜査線上に浮かび、捜査本部はその男を任意で取り調べましたが結果的に彼が犯人だという確証は得られませんでした。さらに一緒に殺された女性被害者の身元が捜査本部が発表した者とは違うという確証を得た私たち所轄署捜査員は次第に捜査本部の方針にはついていけなくなりました。
つまり捜査本部は本当はそれが真実ではないと気付いていながら依然として過去のしがらみから来る怨恨の線で捜査を続けています。被害男性の水谷一郎には過去に愛人が二人いました。そのうちの一人は水谷の秘書をしていた一条幸恵という、うちの捜査本部が今回の事件で殺害された女性被害者と断定している人物です。ただ、先程も述べたように私たちが得た情報から彼女が被害者でないことは明らかになっています。しかし、捜査本部はいまだにこの一条幸恵を今事件の被害者だと言い続けているのです。また、当初捜査線上に浮かんだダイヤスタイル元経理課長が容疑者である可能性は現在ではほぼなくなっていると私たちは見ていて、その者に限らずダイヤスタイルの線はもうほとんどないと私どもは考えています。まあ、あなたの考えもそうなのではありませんか?。上川さん」と急に児玉は上川に話を振った。
上川はずっと児玉の話を黙って聞いていたが、実のところ、話されたほとんどのことは既に知っているか想像できていることだった。静岡県警を、児玉らを試すつもりで話をさせていたのである。そのことは薄々気付いていた児玉だったが、相手に認められるためにも敢えて話をしていた。児玉は試されるのはもういいだろうと思い、今度は自分たちよりも村田とその周辺の捜査の歴史が長く、この件についても詳しく事情を知っていると見られる特捜部の推理というかこれまで判明していることを語ってもらいたいと思ったがために振った問いであった。
急に話を振られた上川だったが特に動じることなく落ち着いて話し始める。
「ええ、確かにおっしゃる通りです。伊豆高原での殺人事件は過去の怨恨による犯行などというものではありません。今回の事件は明らかに与党・民友党の代議士・村田孝一に起因するものです。というのもそもそもの発端は村田が次回の民友党総裁選に出馬する意向を固めたことによります。既にご存知かもしれませんが民友党の総裁選には莫大な選挙資金が必要です。その大部分は票集めのための買収資金ということなのですが、これがないと今は当選がおぼつかないというのが実情です。実際に過去には何十億というカネがばらまかれています。これだけのカネをどう工面するか、とても一議員が合法的に工面できる金額ではありません。実際にはその多くは非合法な裏献金によって工面されています。ご存知のように政治資金規正法には年間限度額という総量規制があり、また、種々の合法的ルートを通じた個々の議員サイドへの献金元も自ずとその数が限られることから、この規正法に則り政治資金収支報告書に載せるいわゆる表のカネだけでは実際の政治活動費や選挙費用を賄うことはとてもできないと言われています。ましてや実質的に総理を決める総裁選ともなれば尚更です。とにかく多くの政治家が、殊に総裁候補になろうとしている者なら尚のこと強力なパトロンを必要としています。そして今回、村田のパトロンになろうとした、いやさせられそうになったのが水谷一郎というわけです。村田と水谷は王京大学の先輩後輩の関係にあり、同じボート部に所属していました。大学卒業後は、村田は財務省の官僚に、水谷は自ら事業を興してそれぞれの道を歩み始めます。そんな中にあって村田は創業時の水谷に支援を惜しみませんでした。財務官僚というよりはむしろ当時の与党・民友党代議士で政界の実力者だった村田孝蔵元建設大臣の長男としての立場を利用しての支援です。水谷の会社はアパレル企業で政治的な支援がどれほど有効だったのかは分かりませんが、水谷が村田の支援を非常に心強く、そしてありがたく思ったことは確かなようです。事実、水谷は会社が軌道に乗るとまずは村田の父である孝蔵氏に政治献金を、そして村田が急逝した父孝蔵の跡を継いで衆院議員になってからはこれまで行なっていた政治献金は勿論、後援会長を買って出るなど物心両面に亙って村田を強力に支援しています。その政治献金も政治資金規正法に則った表の献金はもとより、規正法に反した裏献金も相当な額を行なっていたことが今では明らかになっています。しかし、そのような村田支援の急先鋒であった水谷の会社がバブル崩壊後の長い不況のあおりであえなく倒産してしまいます。その結果、村田としては強力な金づるを失うことになりました。
元々村田の実家は北海道東部を地盤に建設業を営んでいてその地域のボス的存在でした。特に村田孝一の祖父に当たる孝太郎が戦前に代議士になった頃からそのことは顕在化してゆき、いつしかその地域の談合組織をとりまとめるまでになりました。特に孝太郎の跡を継いで代議士になった息子の孝蔵が建設大臣になると今度は中央での談合も仕切るようになっていきます。自ずと建設業界からの献金も増大し、孝蔵は権勢を振るうようになります。しかし、バブル崩壊後は建設業界に冬の時代が訪れ、それに従って政治献金も目減りしていきます。その矢先に孝蔵は急逝し、今度は孝一が代を引き継ぎます。今では東日本大震災後の復興需要等でだいぶ良くなってきた建設業界ですが、多くの企業はこれまでの長期不況が今も響いていて多額の政治献金に応じるにはまだ二の足を踏んでいるところがほとんどです。村田はまだ決定的な困窮というわけではありませんが、それでもかつて父親が経験したバブルの頃の勢いは遠のき、また最近は大きくなった自派閥の維持にもより多くの金がかかることから現在、資金が不足がちになっていることは確かです。特に莫大な資金を要する総裁選を戦い抜くには厳しい状況です。
そこで村田が再び水谷一郎に触手を伸ばします。ご存知かと思いますが水谷は会社が倒産した後、水谷の妻の実家が経営している小林園という茶舗に入ります。茶舗といっても今では売上高3700億円以上の一大飲料メーカーに成長していますが…。しかし、一方で江戸時代から続く老舗で伝統や格式を重んじるところがあり、また典型的な同族企業でもあります。特に現社長の小林玄太郎はその伝統や格式を重んじる傾向が強く、事業の拡大には消極的な面が見られます。事業をあくまで家業として捉えている向きがあると感じます。それだけにお茶に対する造詣は深くお茶を文化として捉えている向きが多いと感じます。そんな玄太郎が経営する小林園に13年前に水谷が入社してきます。配属は小林園東京支店。当初の役職は元経営者ということもあり、経理部長に据えられました。水谷も最初の頃は自分の会社を倒産させた後ろめたさもあって静かにコツコツ仕事をしていたようですが、当時の緑茶ブームもあって小林園の売り上げが大きく拡大し、やがて東京支店長に昇進します。しかし、会社の売り上げの順調な拡大という事態を受けてもなお、あまり事業の拡大に熱心でなかった社長の玄太郎に対し俄かに社内の不満が高まっていきます。特に売上の拡大が急だった首都圏を担当する東京支店では玄太郎ら京都の経営陣に対し急激に不満が高まっていきました。水谷自身もかつての経営者の血が騒いだのでしょう。部下たちに海外進出の必要性等、将来、少子高齢化による人口減少で国内市場が大幅に縮小するのに備えるためにも『新しい何かをしなければならない』と精力的に説いて回っていたようです。そのこともあって水谷に京都の経営陣とは一線を画す拡大思考のイメージが付き、姓こそ違えど一応は小林一族という同族で、また倒産はしたけれども一度は隆盛を極めた元経営者ということもあって、ぜひ次期社長にと水谷待望論が東京支店を中心に急速に高まっていきました。そういった動きをどう嗅ぎつけたか定かではありませんが、村田孝一が水谷に近づきます。村田が自ら支援を名乗り出て、水谷を次期社長にと画策したのです。言うまでもなくそれは村田が立候補しようとしている民友党の総裁選に密接に絡むものでした。つまり売上拡大が急な小林園の社長に水谷を据えて自らの総裁選を主に資金面から支援させ、我が野望を達成させようというものです。
しかし、村田は政治家という立場であり表立って水谷を支援することはできません。また会社乗っ取りのノウハウもないとことから、ある者をサポート役として差し向けます。その者の名は陳麗華。中国から来た密航者です。日本に来る前は中国の地方政府幹部の愛人だった女です。その地方幹部はかつて中国国内で汚職を繰り返して私服を肥やし、莫大な富を手にしました。そのおこぼれに預かった麗華は自ら株のネットトレーダーとなり、そのカネを何十倍何百倍にもしていったそうです。そのカネを元手に愛人関係にあったその地方幹部と組んでさらに中国国内で不正を重ね彼女は巨万の富を築いたと言われています。しかし、最近の中国当局による汚職追放キャンペーンにひっかかりその地方幹部は摘発され、陳麗華も指名手配される事態に陥ります。それでも彼女は何とかこの日本に逃れてきました。彼女が日本に来たのは密航だったのですがそれを手助けした日本の暴力団と関係を深め、日本に来てしばらくはそのトレーダーとしての能力を生かし、その世話になった暴力団の資金獲得に手を貸していました。最近は暴力団もシノギが思うように稼げず株のネットトレードにも手を出している状況でしたので優秀なトレーダーである陳麗華の入国は渡りに船だったとも言えるでしょう。しばらく暴力団の世話になっていた陳麗華に転機が訪れたのは、その暴力団が彼女を村田に紹介したことです。元々土建屋の村田一族はあろうことか暴力団を仕事上便利だと考えたらしく以前からその指定暴力団と付き合いがあり、村田孝一はそこの暴力団幹部とも昵懇でした。恐らくその暴力団が何かの見返りに金のなる木の彼女をいわば賄賂として差し出したのだと思います。村田も総裁選を控えカネは喉から手が出るほど欲しかったのでしょう。彼は喜んでその陳麗華を受け取りました。カネは選挙のため派閥を維持するため、総裁選のためいくらあっても足りない状況ですからね。それとその陳麗華、なかなかの美人だったらしいんです。歳は30を超えていましたが、それを感じさせない美貌の持ち主だったということです。村田も男ですからね…、その美貌に魅かれたのかもしれません。実際ほどなくして二人は愛人関係に発展していきました。
その陳麗華、悪いくせに頭は良かったようで、日本に来てからあっという間に日本語を覚え、村田と会った頃にはもうペラペラだったということです。彼女はその美貌と才覚を買われ、すぐに村田の私設秘書に抜擢されました。ただ私設秘書といっても村田の政治家事務所の所属にはならず、家業である村田建設東京支社の配属となります。実質は村田の秘書兼愛人です。
主な仕事はトレーダーの業務で他にも談合の接待や工事用地の買収交渉などでその『容姿』と『能力』を武器に活動していました。村田は時々、箔付けのため彼女に公設秘書の名刺も持たせていたようです。そんな麗華に今度は大役が回ってきます。水谷を小林園の社長に据えるべくそのサポート役を、いやもっと正確に言えば工作員としての役目を村田から仰せつかったのです。村田も彼女に会社乗っ取りを成功させる能力があると踏んだのでしょう。
麗華もその話に乗り気で勇躍して水谷の元へと馳せ参じます。水谷と麗華は会合を重ねるうちに懇意となり、こちらもほどなくして愛人関係に発展していきました。麗華はその溢れる美貌と資金、それらを合わせもった悪知恵の能力をフルに使って次々と小林園幹部を籠絡・買収し、水谷の社長就任まであと一歩というところまで迫ります。そのような状況の中であの忌まわしい事件は起きたのです。水谷らの策略は玄太郎がかねてから社内に張り巡らしていた諜報網に引っ掛かっていました。社内には玄太郎に不満が高まっていたとはいえ、お茶を文化として捉え、職人の集まりとしての小林園を愛していた社員も少なからずいました。ですから玄太郎を支持する勢力も古参の社員を中心として一定程度いたのです。その者達の誰かが水谷らの陰謀を察知し玄太郎に密告したものと見られます。ですから、今事件の容疑者は小林園の小林玄太郎もしくはそれに連なる者であると考えるのが妥当だと私は思っています…。うん…、私からは以上です」と、ここまで言い終えて、上川は話し始める前に注文しておいたコーヒーをグイッと口に含ませる。
「うん!」とそこに居合わせた者たち全員が力強くうなずいた。
「では、事件の概要はこのような認識でよろしいようですね」と上川が念を押す。
「はい、知らないことも多々あり、驚いたこともありましたが、私たちもそのような認識です」と児玉が答えた。
「あとはどうやって捜査を前に進ませるかですね。我々特捜部は捜査に圧力がかかっています…。警視庁も静岡県警もやはり上からの圧力がかかっているんですよね?」と、上川が確認する。
「ああ」とまず青田がつまらなそうにうなずき、その後、児玉が
「ええ、そうです。ただ、県警としては京都にある小林園の捜査も一応はやっています。といっても本部の捜査一課が当たっていて今のところ全く進展がありませんが…。やる気がないとしか思えません」と言った。
「そうですか…。とりあえず、ここで私たちそれぞれの役割を一度整理しておきましょう。ではまずは私から。私たち特捜部はあくまで村田孝一代議士を中心とした談合事件とそれに関する不正を立件することが使命です。そのためには警視庁の存在、働きを切に必要としています」と上川が言い、次に青田が「警視庁としても、特捜部が追っている談合事件をやりたいんだが、悔しいが特捜部ほどには捜査能力はないし、圧力がかかっていてこちらも表立っては捜査を前に進ませることができない。今は特捜さんが動いてもらうのが一番いいんだろうと思っている。だから今後うちら警視庁の活躍の場を一定程度保障してもらえれば特捜さんに協力は惜しまないつもりだ」と言った。
最後に児玉が「我々、静岡県警としては、一義的な使命としては伊豆高原殺人事件の容疑者を逮捕することです。しかし、そのためには事件の背景、犯行の動機の解明が不可欠です。そのためにはどうしても村田孝一経産大臣の証言が必要だと考えています。それを実現するためにも特捜部と警視庁は力を合わせぜひとも重大な不正・犯罪を重ねていると見られる村田孝一の検挙・逮捕に向け邁進していただきたい。情けない話、今は皆さんにおすがりするしか道がないのが実情です…」と言い、苦しい胸のうちを明かした。
それを聞いた青田は「だよな~。児玉さんらにとっちゃ今は何もできんからな。捜査本部の支援もなく孤独な隠密捜査では村田に事情聴取もかけられない。行ったところでけんもほろろに門前払い。そして、それをやれば当然捜査本部には事がバレ、結果、捜査からは外されて挙句に懲戒処分になるのは目に見えている」と言いさらに傷口に塩を塗るように痛いところをズバッと指摘する。
「ええご指摘の通りで…、お恥ずかしい限り何も動けません。もっとも左遷は時間の問題かとも思います。このままいけば今度か次回の定期異動で恐らく閑職に追いやられるでしょう。名目は捜査の実があがらなかったということで…」
「悲しいね~、下っぱ警官は。いつも上の手駒として都合よく使われて用無しになれば『はい、さようなら』でポイだ。まっ、もっともこの俺もその下っぱ警官の一人ではあるがね…」
「まぁ…、私たち特捜部員だってそうですよ。上に逆らえば退官。下手をすれば逮捕される時だってあります」
「そうそう、警察だってそうだよ。下手すりゃ逮捕だ。逮捕。聞いたか、ブン屋さんよ。警察も検察もそんなおっかねえ所なんだよ」と青田は荒れた感じで自嘲気味に声を張り上げる。
「えぇ…、でも私たち新聞記者だって自らが正しいと思って書いても『上』の意向に逆らえば左遷・降格、へたすりゃクビ、そして警察に逆らえばそれこそ逮捕と何でもありです。そうですよね?」と田嶋が真理子に顔を向けて言った。
「ええ、本当その通りです」と真理子は言って厳しい表情で大きくうなずく。
「ま、宮仕えはどこも大変だってことだな」と青田が諦めにも似た言葉を呟いた
「しかし皆さん、この大変な状況の中でも我々は自らの信念に従い、どこまでも正義を貫いて前進しなければなりません。なぜなら私たちは悪事を滅し正義を実現させていく職業を選んだのですから。それは犯罪捜査に関わる者だけでなく新聞記者等の報道に携わる人にも言えるはずです。このようなかかる不当な圧力はなんとしてでも撥ね退け、早急に我が国の社会正義を実現させていく必要があります」と上川はどこまでも勇ましい。
その上川の言葉に元気づけられたのか、皆はそれに呼応して「ああ!」とか「その通り!」とか声を上げる。
しかし、児玉はすぐに弱気の虫が疼きだし「そうは言っても…、これからどうしますか?。情けない話、我々としては政界捜査となればお手上げですし、宮仕えである以上いつまでこの捜査に携われるのかも分かりません。何もできない私が言うのもおこがましいのですが、ここはなるべく速やかに捜査を進めて頂きたいというのが我々の隠しようのない願いです」と悲壮感を持って言った。
「お気持ちはよく分かります。しかしご安心ください。特捜部としては当該談合事件に関する限りはほぼ証拠をそろえ、あとは強制捜査を待つばかりです。もちろん強制捜査が延びれば延びるほど村田の逮捕は遠くなります。そうなれば当然、時効という問題も出てきます。ですので我々もあまり時間はありません。しかし、でも何と言っても最大の希望は私たちが村田逮捕という同じ志を持ってここに集まれたことです!。三人寄れば文殊の知恵。必ずいい方法が見つかるはずです。児玉さんもどうかいい知恵をお貸しください」と若い上川がすぐにネガティブになりがちな年寄りを元気づける。
「分かりました。どこまで有効な手立てが考えつくか分かりませんが精一杯努めさせて頂きます」と児玉は言って上川のそのポジティブな姿勢にもほだされて、焦る気持ちを抑え新たな揚力を身につける。
「ありがとうございます。それから、特捜部の情報は先程来申し上げている通りですので省かせて頂きますが、事ここに至っては立場を超えてこれから我々の前に立ちはだかる関門を突破するため、みなさんが現在どこまで捜査が進んでいるか現状を把握しなければならないと思います。もちろんここで得た情報は他言無用、うちらだけの秘密です。いいですね」と上川がどこまでも仕切る。
「はい!」と一同が悲壮感のもと声をそろえて言った。
「じゃ、まずは俺からいこうか」と青田が切り出す。青田はこれまで持っている主に陳麗華の情報を要約して説明して、「これら陳麗華に関する情報の半分くらいは警視庁のソタイ(組織犯罪対策部)からの情報だ。陳麗華は日本国内では水嶋麗子という偽名を使って潜伏し、当初はネットトレーダーの経験を生かして暴力団の資金獲得の手助けをしていた。主には暴力団から寄せられる裏情報をもとにしたインサイダー取引、または仕手線等を仕かけていた。その痕跡は証取委も掴んでいる。そんな麗華が今度は現在経済産業大臣を務める村田孝一と手を組んだ。それ以降も彼女は相も変わらず違法なネットトレードで村田のために利殖にふけり続けた。暴力団-陳麗華-村田孝一とその繋がる一本の線から本丸である村田を攻められると思っている」と語った。
「うん、さすがですね。暴力団となると特捜部はほとんど経験がありませんからね。警視庁の働きに大いに期待します。それで陳麗華については、中国公安当局はどの程度調べが進んでいるようなんですか?」
「うん、奴らは陳麗華が日本に入ったということは掴んでいて、日本政府に対し中国側から公式に中国国内の指名手配犯だということで陳麗華捜索の依頼があった」
「で、日本政府の反応は?」と上川が尋ねる。
「政府は当該人物が日本に入国した事実が確認できないということで依頼を突っぱねている。まあ、村田としては随分と肝を冷やしたんじゃないか。一連のことが明るみに出れば日中関係にも影響が出るのは必至だ。村田は以前から対中強硬派で鳴らしてきたが、総裁、そして総理を目指すとなればそうもしてられんからな。どうしたって日中関係にも気を配らなきゃならん。これまで通り対中強硬一本槍というわけにはいかんわな。まあ、談合事件は特捜さんの方がずっとうちより先を行ってるよ。我々はまだ関係者、つまり贈賄側の証言も得られていない。ま、俺のところはこんな感じだ」
「そうですか、分かりました」と上川が言う。
「では、今度は私たちの捜査状況をご説明いたします」と今度は児玉が口を開く。
「伊豆高原殺人事件における捜査本部による捜査の進捗状況としては、現在はほぼ手詰まり状態だと言えます。というか本筋の小林園の捜査がほとんど進んでいません。いや圧力をかけられ進められないというのが正しいところです。それで私とここにいる丸山が捜査本部とは離れて独自の捜査を続けているのですが、最近ある重大な情報を手に入れることができました。というのは、水谷一郎は小林園社長の小林玄太郎と殺害現場である伊豆高原の保養所で会う約束をしてそこに行ったということです」
「そうですか!。その証拠も掴んでいるんですね?」と上川が興奮して尋ねてくる。
「ええ、水谷が小林に電話をしている映像が残されていました。水谷の話をしている姿もよく映っていて、その唇の動きを解析した結果判明したものです」
「そうですか!、それは使えそうですね。小林玄太郎犯人説を裏付ける大きな証拠になり得るものですよ。これをうまく世間に報じられれば、あなたがたの捜査本部はもちろん、うちら特捜も動かせるかもしれません」と上川が興奮した状態のまま言った。
「それに警視庁もな」と青田がにやけながら口を挟む。
「ええ、全てを動かせるかもしれない大きな証拠です!」と上川は興奮冷めやらずに言う。
「問題はこれをどう公表し報じるかですね」と児玉は言い、一転して厳しい表情を見せた。
「なあ、真理子どうだ?。うまく記事にできそうか?」と上川は傍にいる真理子に尋ねる。
「う~ん。悪いけどはっきり言ってこれだと難しいわね。というかうちにも内規があって情報は二つ以上のネタ元から証言をとること。そして一つは必ず信頼できる幹部クラスの役職者から得ることとされていて、今回は特にそれを念押しされていて…、悪いけど独自捜査の現場捜査員だけの証言というか情報では難しいと言わざるを得ない…。記事化するなら捜査本部がお墨付きを与えてくれないと…」と真理子は言い、力なくその顔を下に向けた。
「そうか…」と言って上川も落胆の表情を見せる。
「申し訳ありませんが新聞社ではこの手の情報はなかなか難しいと思います…。ただ、雑誌ならいけるかもしれません」と田嶋が言った。
「あっ、うん」と言って真理子がムクッと顔を上げる。
「おう、そうだ、どうだった例の雑誌の件は?」と丸山が勢い込んで訊いてくる。
「一応、例のそいつからはOKをもらえたんだが、ただ前に話した週間リアルタイムスは発行部数があまりない雑誌で、載せたとしても特捜を動かすほどの影響力はもしかしたらないかもしれない…。現実にはどこかが詳しく後追い報道してやらないと世間一般に知らせるのはかなり難しいな…」
「後追い報道…、田嶋それはできそうなのか?」と丸山が尋ねる。
「うん…、五分五分ってところだね。報道が出てすぐに警察当局が捜査本部は確認していない非公認の情報だとか言われてしまうと、基本的にその記事はガセということで実質後追い報道はできない…」
「でも、あまり部数がない雑誌だったら、警察も見落とすんじゃないのか?」と丸山も食い下がる。
「そう、うまくいくかな…。部数が少ないとはいえ、一応全国誌だし…。警察当局も新聞・雑誌はチェックしてますよね?」と田嶋は向きを変えて児玉に尋ねた。
「ああ、県警本部の広報課でやっているはずだ。それから伊東の捜査本部でもやっているかもしれんな。出張ってきている捜査一課やうちの刑事課長なんかは暇なはずだから…」と児玉が落胆気味に答える。
「でも、その雑誌に出たということは載せても大丈夫じゃないかな…。雑誌に載ったということは事実なんだし」と真理子が言う。
「あ、うん、そうだね、その辺ぐらいまではできるかな…。でも扱いはかなり小さいものになると思う…。実際できるのはその辺が精一杯、ですよね…?」と田嶋は真理子に尋ね、同時に顔を曇らせた。
「う~ん。そうですね」と真理子も同意し、すぐに渋い表情になる。
「よし、それでもいいよ」と児玉が言った。
「しかし、後追いとなるとその雑誌記事よりも捜査本部の見解を大きく載せざるを得ないかもしれません」と田嶋が児玉の言葉に追いすがるように叫ぶ。
「どういうことだ?」
「こういう記事が出た場合、警察当局は通常『事実関係を確認中』と言うのが常套句ですが今回ははっきり否定しないまでも上からの圧力がかかっている関係上かなり否定的に出てくる可能性があるかと思います。雑誌が出るのが通常、朝としてその後、各マスコミが現地の捜査本部に事実関係を確認する。後追い報道を夕刊で出すとなると、どうしてもその取材の際に県警本部や捜査本部が主張することを大きく載せざるを得ないということです」
「つまり夕刊だと向こうの思い通りにされてしまうということだな?」と児玉。
「ええ、そういうことです」
「じゃあ、何とか朝刊で出せないのか?」と丸山が言う。
「朝刊だと、後追い報道にならないだろ…」
「あ、そうか…」
「多分夕刊でも大丈夫だと思います」とここで上川が発言した。
「ん?」と言って皆が上川の方を一斉に向く。
「たとえどういう形でも新聞が後追い報道してくれれば捜査開始に弾みがつきます。確かに雑誌記事だけでは心もとないところはありますが、でも、それでも雑誌や新聞にそういう記事が載り、捜査本部がたとえ否定しても特捜部内にはその記事が真実だと思える素地があります。我々も圧力がかかっているので、そちらの捜査本部の気持ちというか置かれている立場が分かりますので…」
「悲しいな~」と青田が茶々を入れる。
「ええ…、確かにその通りですが、我々はもうやる気満々です。それに県警当局も真偽が定かでない、いやむしろ真実だと思えるものを鼻から否定するとは考えにくいところがあります。実際には『事実関係を確認中』と言うのが精一杯なのではないでしょうか。とにかくその一連の記事がきっかけで警視庁が今にも動き出しそうだということが感じられ、特捜部長の腹が『強制捜査開始』で固まれば我々は動き出すことができますので」
「なるほど」と児玉が頷く。
「私たちも後追いすることで急速に報道態勢が整っていきますので、初めこそ捜査本部から否定されてもそれを撥ね返す力を早急に醸成することができると思います」と田嶋も上川に加勢した。
「まあ、警視庁もやる気ぐらいならなんとか見せてやるよ」と青田も思いを同じくしていつになく力を込めて言う。
その言葉を聞いて、児玉が意を決して口を開く。
「よし!、これで決まりましたね。まず雑誌、えーと…」
「週間リアルタイムスです」と田嶋が助言する。
「週間リアルタイムスに記事が掲載される。それから後追いで静岡日報と東報新聞が続き、それを受けて警視庁が動く素振りを見せ、そして、それに焦った特捜部が動き出すと、こういうシナリオでいいですか?」
「はい!」と一同が声をそろえて答える。これで『作戦』が決まった。
「じゃ、田嶋、後でその雑誌の記者さんを紹介してくれ」と児玉は言った。
「分かりました」とそう言った田嶋だったがその心中は複雑だった…。
今回、正直なところ田嶋には、どこからもケチをつけられなければ記事を自分の新聞に載せたいという気持ちはあった。特ダネを引っ提げて得意満面、静岡の本社に戻りたいという願望も当然ある。しかし…、もし捜査本部がその記事を認めず誤報だと反論してそれが確定してしまったらと思うと恐怖で身が凍る。そんなことになれば今いる新聞社にもいられなくなるかもしれないからだ。事実、本当にそうなれば妻子を抱えて路頭に迷うことになる。そんなことは絶対に許されない。これまでも丸山には高校時代からの友人ということもあっていろいろ尽くしてきたが、その分見返りも多かった。今は無理に背伸びをしてこの関係を壊したくない。丸山が警察官、特に刑事でいることが大前提だが関係を保っていれば、少なくとも丸山が関わるところで特オチになることはないし、これからもいろいろとリークという『果実』も期待できるだろう。そういう打算的とも言える考えのもと、やはりこの特ダネをフリーの雑誌記者に譲ろうと思うのだった…。
だが!、その瞬間、『それでいいのか?』と田嶋の良心が自問する。捜査本部が認めない可能性があるとはいえ、それは紛れもない事実だ。事実を報道しないのは新聞記者の本分にもとる。それが不当な圧力によって握りつぶされようとしているのであれば尚更だ。
人は強いものに流される時、生活の為だとか家族の為だとかもっともらしい言い訳をつけて逃げに入る。しかし、そういった逃げに入って正義に背を向けてきた者たちを俺たちマスコミは平然と激しく批判してきた。少なくとも今までの俺はそうだった。田嶋の煩悶が続く…。
今回の後追い記事だって、週刊誌に載ったとしても『こんな女の裸のエロ写真が載るような雑誌の記事を信用するのか』と社内から言われて激しく叩かれるだろう。そんなことになったら果たして後追い報道の許可が出るかどうかも分からない。ここはしっかり初めから新聞報道すべきではないか、そう思った。ここにいる人たちはそれこそ人生をかけて犯人逮捕に全力を挙げているのだ!。恥ずかしくないのか!?、田嶋‼︎。
そう田嶋が迷っているその時、倉橋真理子が突然声を上げた。
「あ、あの、もしよろしければやっぱりその記事、うちで掲載せさせてもらえませんか?。さっきはあんなこと言っちゃたんですけど、よく考えたらそれって紛れもない事実ですよね。事実、真実を載せないって、それは報道倫理に大きく反する行為かなと思いまして…」
「いいんですか?」児玉が真理子の方に身を乗り出して尋ねる。
「ええ、何とかなります。というより何とかします。いざとなれば私が泥をかぶればいいことですから」
「い、いや、ちょ、ちょっと待ってください」と田嶋が必死にそこで声を上げる。
「その危険な役、僕にやらせてもらえませんか?。東報さんは全国紙の大新聞だ。うちのほうが小さいぶん動きやすいってこともあるかもしれない。それにもしここで何かあってあなたが潰れるようなことになればいざという肝心な時に活躍できないなんてことにもなりかねない。今回私たちの目的は特捜部を動かすこと、もっと言えばその特捜部の強制捜査を成功に導くことです。東報新聞が報道すれば、確かに世間の反響は大きいと思います。しかし当然のことながら村田の目にも留まるでしょう。そうなれば村田も証拠隠滅を図ってその強制捜査があまり意味をなさなくなる恐れもある。ここは静岡の地方紙で様子を見てそれから大新聞の東報さんが後追いで報じても遅くはないと思いますがどうですか?」
「う~ん、そうですね。でも、田嶋さん自身は大丈夫なんですか?」
「ええ、あなたが言った通り何とかします。もちろんうちも東報さんと同じような内規はあります。でもあくまでそれは内規です。いざとなれば何とでもなります。いよいよとなれば先程あなたが言われたように自分が泥をかぶればいいことですから。でもそんなことには絶対にならないという自信もあります。なぜなら事実を報道しているのですからね」
「確かにそうですね。田嶋さんがそう仰るのでしたら頼もしいです。では今回はお願いできますか」と真理子は言った。
「ええ、ご理解いただきありがとうございます」
そして、上川も「うん、そうですね。田嶋さんにそうして頂けると助かります。静岡の動きは特捜部でも注目していますので日報さんが報道してくれればその時は必ず特捜部を動かしてみせますよ」と賛意を示し掲載の暁には特捜部による強制捜査を約束した。
「ええ、期待しています」と田嶋は上川の方を向いて言った。
「では田嶋さん、また掲載の日時などが分かりましたらご連絡ください。こちらも色々と準備がありますので」と上川が言う。
「分かりました。目処がつきましたらすぐにご連絡いたします」と田嶋は言って上川と携帯電話の番号やメールアドレスを交換した。
「では、次いつ会えるかは分かりませんが今日のところはこのくらいでよろしいですか?」と上川が皆に問う。
「はい!」と全員が力を込めて言い異論は出なかった。
「それでは、皆さん長い戦いになると思いますがどうかよろしくお願いします。くれぐれも挫けないよう事件解決までしっかり頑張っていきましょう!」と最後に上川が檄を飛ばす。
「ええ、頑張りましょう!」とすかさず他の者たちがその檄に応え声をそろえて叫んだ。
店を出ると皆それぞれに散った。児玉と丸山、それに田嶋が一緒に歩いていく。
児玉が「ちょっと入ろうか」と言って、通りにあるマクドナルドを指さした。田嶋と最終的な打ち合わせをしなければならないからだ。それにちょっと小腹がすいたのも理由だ。丸山がカウンターで買った人数分のコーラとハンバーガーを持って歩き、3人は2階の隅の席に納まる。
「それでは、掲載する内容を確認したいと思います」と田嶋が切り出した。
「うん」と言って児玉が口を開き、水谷が事件前日にかけた電話の解読内容とそれに関連した事件の背景などを改めて説明し、最終的な掲載内容を詰めていく。田嶋は丹念にそれをメモした。打ち合わせを終えた田嶋は「分かりました。では、掲載内容はこれでいいですね?」と最後の確認をする。
「ああ、それでいい。どうだ載せられそうか?」と思わず児玉が問うた。
「なんとか、ねじ込みますよ。掲載の目処がつきましたらまたご連絡します」と田嶋は前途の不安を振り払うように力強く答える。
「分かった。ご苦労だがくれぐれもよろしく頼む」と児玉は神妙な顔つきで言って、そこで田嶋と別れた。
田嶋はその足で東京支社に行き、そこにある社用車を駆って静岡に帰ることにした。明日一番に出社してデスクと掛け合うためである。