東報新聞社会部
翌日、倉橋真理子は有楽町にある東報新聞東京本社に出社した。朝一番に
社会部デスクである松尾の席に歩み寄り、真理子は昨日の件で、ある提案をする。
「デスク、ちょっといいですか?」
「うん?」
「私、今度、『政治とカネ』について特集を組みたいと思ってるんですが」
「政治とカネ…?。そうか…、でもどうして?」
「私、昨日ある情報を掴みまして、さる大物政治家に捜査の手が及びそうなんです」
「ほう!。で、さる大物政治家とは?」と松尾は言って身を乗り出す。
「経産大臣の村田孝一です。現在、東京地検特捜部が公取とも協力して内偵を進めています。近く強制捜査があるかもしれません」
「村田大臣に特捜のガサがね。で容疑は何だ?」
「村田大臣を頂点とする談合が行なわれたらしく、それにまつわる数々の容疑です」
「うん…、まっ、村田は建設族の大物だからな。談合くらいはやってるだろうよ。で、その捜査情報、ネタ元はしっかりしているんだろうな」
「はい」
「まあ、お得意の倉橋情報か、おまえには検察にコネがあるからな。でもその一つだけじゃダメだぞ。もっと上の確認もとってこい。最低でも二つのネタ元から確認が取れなければ記事にはできん。我が社というか新聞社の鉄則だ。そのことはおまえも知っているよな?」
「はい…。ただ難しいことが…」
「うん?」
「実は、特捜部はほとんどの事件関係者からの事情聴取を既に終えており、ほぼ証拠も揃え捜査の外堀は埋めたと判断しています。あとは本丸である村田孝一とその周辺の調べを待つばかりです。しかし、ここにきてガサ入れの申請許可が上層部から出ない状態が続いています」
「つまり、上から捜査に圧力がかかっていると?」
「そうです。不当な圧力がかかっていて…。ですから検察上層部から裏を取ることはかなり難しく…」と言いかけたところで松尾が真理子の言葉を遮る。
「それじゃブン屋は務まらんぞ倉橋。結局下っぱだけの証言じゃ本当に特捜がガサ入れしてちゃんと立件するかどうか分からんじゃないか。こういう時こそ憶測でなく確実な情報がいるんだ。特に今回の圧力の出所は村田が閣僚として参加している現政権からと見てまず間違いないだろう。それだけに慎重を要する。今回の件では最低でも特捜部長の証言が得られなければ話にならん!」
「分かりました…。記事化するにあたっては必ず上層部の証言はとってきます。ただ、取材はさせてもらえませんか?。特捜部が村田を追いつめていることは事実です。今回うちだけがスクープを打てる可能性もあります」
「う~ん、せっかく掴んだ鉱脈だからな。フイにすることはないか…。よし、いいだろう。取材は許可する」
「ありがとうございます」
「ただ…、事の次第を詳しく聞かせてくれないか?」
「はい…?」
「まず第一にそのネタ元は誰だ?」
「私の学生時代からの知り合いで現在特捜部にいる検事です…」
「ふ~ん、ま、おまえの彼氏だよな?」
「ええ、まあ…」と真理子は言って少し顔を赤らめる。
「その彼氏から、情報を得たわけだが、それは偶然、話の中から出たものなのかそれともその彼氏というか検察側に何か思惑があって打ち明けられたものなのか、どっちだ?」
「えっ!?」と言って真理子は答えに迷う。
「だいたい少しおかしいと思ってな。いくら付き合っている女とはいえ検察官が理由もなく、いわば検察官の命とも言える捜査情報を洩らすとは思えない。もしそんな奴がいたら検察官失格だ。しかも洩らした相手は普通だったら検察官が絶対に洩らしてはならない新聞記者だ。内偵中の捜査情報が洩れて新聞に載ったら、まずその事件は立件できないからな。おまえの彼氏が相当なバカじゃなければ何か思惑があってリークがあったんだろうと考えるのが普通だ。どうなんだその辺?」と松尾は言い、真理子を厳しい顔つきで睨みつける。
真理子は少し狼狽し答えに迷ったが、やがて観念したようにしゃべり始める。でないと前に進めないと思ったからだ。
「えっ、ええ、デスクのおっしゃる通りです。検察側というかその検事自身の思惑があってのリークです。現在、捜査が不当な圧力によって止まっているということは先程申し上げました。その不当な圧力を撥ね退けるために力を貸してほしいとその彼から頼まれました」
「うん…?。どういうことだ?」
「村田をめぐる捜査は警視庁も追っている模様でこの件については主に捜査二課が内偵しているようです。そして特捜部は捜査が止められています。そこで警視庁の内偵状況を私が取材で調べて彼に伝え、その彼がそれを特捜部長に伝えます。もし警視庁の捜査が進んでいれば対抗関係にあるその特捜部長を突き上げられ、結果、特捜部も重い腰を上げるだろうという目論見です。もし、警視庁に出し抜かれれば政界捜査の第一人者を自認する東京地検特捜部の名声は地に堕ちます。そしてみすみす警視庁に先を越されればその特捜部長の責任も厳しく問われることになるでしょう。そうなるくらいならその特捜部長は捜査を進める判断をするのではないか…と、その検事は睨んでいるのです」
「なるほど…、警視庁と競わせる形で捜査を前に進めようというのか」
「はい、そういうことです」
「まあ、新聞社的には面白い企画ではあるな。しかし、相当うまくやらないと死を見るぞ。まず、政権の意向に反して取材をするわけだし、しかも特捜のスパイとして動いているとなればなおさらだ。それに取材先の警視庁を裏切るような行為をしていることがバレれば、下手すりゃ警視庁の記者クラブを追い出されかねん。世間に知られれば特捜のイヌとさげすまされ、その結果、当然我が社も窮地に陥る…。そして万が一、そのような事態になったら十中八九ここでのおまえの居場所はなくなる。倉橋!、おまえそこまでの覚悟はできているのか?」
「はい!、もちろんです」
「う~ん。その覚悟を持たせたのは彼氏への愛か?」
「えっ?。あ、まあ、それは否定しませんが…、それ以上にあるのが特捜の捜査をスクープしたいというブン屋としての野心です」と真理子は敢えて松尾の歓心を買う発言をする。
「ブン屋としての野心か…。ま、その心意気は買うがね。だが今回は相手が悪すぎる気もするな…。相手は政界のモンスターとも言われる超実力者だ。俺としても正直怖い…。普通だったらそんな冒険は許可しないところなんだが…、うん、倉橋、取材はまあ許すとして、結果として、もし記事の掲載を許可しなかったとしたらどうする?」
「デスク、もし本当に特捜部が村田をやればこれは大スクープです。そのスクープをうちが打てれば一気にこの社会部が東報の主流になりますよ。ここは絶対に、このチャンスを逃すべきではないと思います。あと、彼の捜査にかける情熱は相当なものです。今の彼なら我が社でなくてもどこか他の社を使ってでも仕掛けるんじゃないかと思います。もしそうなったら私と彼との関係もここで終わるかもしれません。そうなれば少なくとも特捜の情報はこれまでのようにうちには入ってきません。それどころか、かえって検察がこちらに恨みを抱く可能性もあり、下手をすれば近い将来特オチなんて事態にもなるかもしれません」
「う~ん…」と松尾は唸る。
「私は入社以来、自らを犠牲にしてこの社に尽くしてきたつもりです。30を過ぎても結婚もせず頑張ってきました。新聞記者なら当然だと言われるかもしれませんが、夜討ち朝駆けは当たり前、一度出社したら終電で帰れればいい方でまずこの社に泊まり込みです。彼とデートできるなんて日も年に何回かです。そんな毎日でこの10年あまりを過ごしてきました。ここは私を信用していただけませんか?」
「うん…。まあ信用はしている。だがな少しは相手を考えろ。政界のモンスターだぞ。どんな仕返しが待っているか…、あぁ、およそ知れたものではないわ。それにおまえは検察官である恋人のために動こうとしていることも事実だ。新聞は読者の為にあり、故に不偏不党、客観報道を旨としている。完全に検察側についているおまえのその姿勢は新聞社としてはずいぶん危うさを感じるんだがな…」
「デスク、村田は悪い奴です!。政治家でありながら国家・国民全体の福利を顧みず地元選挙区と自己の支持団体への利益誘導、そして自身の栄達ばかりを追いかけている。その為ならば談合でも選挙違反でも何でもやる。裏では暴力団とも繋がっているという話も聞きます。確かに相手は強敵で…、思わず怯んでしまうデスクのお気持ちも分かります。村田は我が国トップの王京大学卒で財務省主計局長を経て政界入りし、その強力な財務省の力をバックに君臨を続けています。また彼は政治家一家の三代目で父親は元建設大臣、家業も建設業で、そしてその建設業界に隠然たる力を有し談合においては常に『天の声』を発する立場です。ただ、これらのことはデスクもよくご存知のことと思います。そのような有力かつ悪徳な人物に対し、法務省・検察庁上層部の意向に反してでも果敢に立ち向かっていく彼、いや上川敦という一検事に私は尊敬の念を禁じえません。そういう彼と知り合うことができ、そして付き合うことができた自分を誇りにも思います。新聞記者も人間です。そういう勇気を奮って不正に対峙する人の側に立つなというならば、私はこの新聞社を迷わず辞める覚悟です。新聞記事も熱い血が流れる人間が書いています。そしてその記事を同じく熱い血が流れる読者という人間が読んでいます。私のいる東報新聞はそういう不正と対峙し闘い抜ける新聞社であってほしい…。いや、私はそれができる新聞社だと確信しています!」
「うん…。よし!、分かった。おまえの熱意には負けた。ただ、くれぐれも新聞記者としての本分を忘れず行動し、必ず、いいか必ずうまくやれよ」
「はい、心に誓って。私もブン屋のはしくれです。必ずうまくやってみせます。デスクや会社には絶対に迷惑はかけません」
「うん、よし、分かった。じゃあ思う存分やってこい!」
「はい!。あ、ありがとうございます‼︎」
真理子は礼を言って松尾のもとを離れた。その後自身の机で警視庁関係の資料を読み漁る。その中で数々の村田孝一が関係しているとみられる汚職事件の捜査に捜査二課の青田善助刑事が携わっていることを確認した。なんとか接触したいと思うが、そう簡単に捜査員と話ができるものでもない。ここは何かコネが欲しいと思った。真理子は『とにかく警視庁に行ってみよう』と心に決める。
真理子は有楽町の本社を出て、歩いて桜田門にある警視庁に向かった。途中の日比谷公園で頭の中を整理する。木立が並ぶ静寂の中でゆっくりと思考を巡らす。だが…、その努力の甲斐もなく結局ありきたりの方法しか思い浮かばないまま、足先は空しく警視庁の敷地を踏みつけた。
『とりあえず自社の記者クラブの連中に当たってみよう』そう真理子は思った。
警視庁記者クラブ、そこの東報新聞のブースに真理子は「お疲れ様です」と言いながら入り、すぐさま「ねえ、誰か、捜査二課の青田さんっていう刑事と知り合いの人いない?」とそこにいる誰にでも聞こえるはっきりした声で尋ねた。
そこに居合わせていたのは主に入社5年以下の若手で、新人恒例のサツ回りにきていた記者達であった。彼らは突然の本社社会部のベテラン記者のお出ましに少々驚いた様子だったが、一人の記者が我に帰って、
「ああ、僕話したことありますよ。といっても取材でですけどね」と入社3年目の杉田という記者が答えた。
「あ、そう!。なんとかその人に取材できないかな?」
「まあ、やっぱり刑事ってなると忙しいですからどうですかね。何か事件ですか?」
「う~ん、まだ準備段階なんだけど『政治とカネ』について特集組もうかなって思ってるのよ」
「そうなんですか。まあ確かに庁内で政界捜査といえばあの人が一番でしょうからね。じゃ、あと検察の方も取材するんですね?。特捜部にいる彼氏にも取材するんですか?」と少し茶化すような表情で杉田は尋ねた。
ここにいる記者達は初対面ではない。真理子にとっては可愛い後輩たちであり、気心は知れていた。もちろん真理子が特捜部の検事と付き合っていることも彼らは知っている。
「え、ま、まあ、そうなるかもしれないけど、その時はあくまで仕事でね仕事」と真理子は気恥ずかしさから少し大げさに『仕事』という言葉を強調してみせる。
「へえ、でもなんか楽しそうですね。じゃ、企画が決まったらぜひ僕も混ぜてくださいね」
「楽しいかどうかは分からないけど、デスクには話しておくわ」
「ええ、どうかよろしくお願いします。じゃあ、とりあえずアポ取りますか?」
「うん、お願いできる?」
「で、いつがいいですか?」
「ああ、あちらが都合つけばいつでも」
「分かりました」と杉田は言って、携帯電話を取り出し、コールする。
3回目のコールで青田が出た。
「あ、お世話になっております。東報の杉田ですが」
「ああ、どうも」と青田は無機質な声で返事をする。
「うちの倉橋という記者が今回、弊社の企画で『政治とカネ』について特集を組みたいと言っておりまして…」
「政治とカネ…」
「あ、はい、それで長年政治家の汚職について捜査していらっしゃる青田さんのお話をぜひお聞きしたいと申しているんですが…」
「うん…、取材か…」
「ええ、そこで、お忙しいとは思いますがひとつお時間のほう作っていただけないかと思いまして今回お電話させて頂いたんですが…」
「うん…。政治とカネがテーマだということは….、じゃ、その記者は地検の特捜部も取材するのか?」と無機質だった声音が途中で変わり青田は少し興奮気味に問いかけてきた。
「え、ええ、そうなると思います。特にその記者は特捜部に強力なコネがありますので」と杉田は少し調子に乗って言った。
「強力なコネ?」とすかさず青田が反応する。
「ええ…」杉田はちょっと口が滑ったと後悔したが遅かった…。
すぐに真理子が「余計なことは言わなくていいの」と電話機越しに小声でたしなめる。
その小声を聞いた青田が「その記者は、そこにいるのか?」と尋ねてきた。
「えっ、ええ、おりますが、代わりましょうか?」
「ああ、ちょっと話を聞きたい」
杉田が真理子に電話を渡して代わる。
「あ、初めまして東報新聞社会部の倉橋真理子といいます」と真理子は努めて明るく自己紹介した。
「どうも二課の青田です」と対する青田は硬い声で短く言う。
「あの、今回『政治とカネ』についての特集記事を企画しておりまして、それでぜひ政界捜査にお詳しい青田さんのお話をぜひお聞きしたいと思いましてお電話させて頂いたのですが」
「うん…」
「ええ、それで、あの…、ご都合の方はいかがでしょうか?」
「あんたは東京地検特捜部にコネがあるのか?」と青田はその問いには答えず、ぶしつけに質問する。
「あ、はい、あの、まあコネと言いましても私の学生時代の友人が特捜部のヒラなんですが、一応検事をしておりまして…」
「ほう、そりゃすごいね」と言うなり青田の眼の奥が鋭く光る。
「いえ、まだ特捜部では2年目、いや3年目が始まったばかりという段階で…、とにかくそれほど大したことはないんです…」と真理子は言って必死に謙遜する。
「うん、取材か…、まあ、あまりやったことはないがね。いいよなんとか時間をつくろうじゃないか」と青田はろくに話を詰めないまま真理子の申し出を受け入れた。
「本当ですか、ありがとうございます」
「それで、いつがいい?」
「あ、いつでも。青田さんの都合のいいお時間で」
「じゃ、明日の夜9時でどうだ?」
「あ、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃ、明日の夜9時に赤坂の喫茶店アルテミスで…」
「はい、明日夜9時に赤坂、喫茶店アルテミスですね?」
「ああ。で、場所は分かるか?」
「あ、はい大丈夫です。何回か行ったことがありますので」
「そうか、じゃ明日な」
「はい、あ、取材のほう引き受けていただいて本当にありがとうございます。それでは明日お待ちしております。失礼いたします」と言って真理子は向こうが切るのを待って電話を切った。
「うまくいきましたね」と杉田が貸していた携帯を受け取りながら言う。
「ええ、お蔭様で。ありがとう杉田君。今度何か御馳走するね」
「いえいえ、このくらい。敬愛する倉橋先輩の為でしたらなんてことないですよ」
「まったくうまいんだから。でも本当ありがとう。それから、あと何か、政治家の汚職で知ってることないかな?」
「う〜ん…。汚職と言われても難しいですね。ここ最近は切った張ったの捜査一課の事件ばかりですから…」
「そうか…」
「また、何か情報が入ったら連絡しますよ」
「本当?。助かる~」
「真理子さんの携帯でいいですか?」
「うん。あっ、何時でもいいからね」
真理子は杉田に礼を言い警視庁を後にした。
歩きながら携帯を取り出し上川に電話する。
「あ、敦、いま大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
「いまね、捜査二課の青田刑事と会えることになったの」
「おお、そうか!、やったな」と上川の声が弾む。
「でも、あんまりすんなりいき過ぎちゃったんでなんか調子抜けしちゃった」
「へえ、そうなのか」
「うん。あなたのことが話に出たら食いついてきて、それでトントン拍子にね…」
「ふ~ん。俺のこと話したのか?」
「うん…。成り行きでね。まずかった?」
「いや、いいんだけどさ…」と上川は言ったが、それでも多少戸惑いは隠せない。
「でも、それで青田さんと会えることになったんだから、結果的に良かったんじゃない?」
「まあ、そうだな」と上川は言って気を取り直す。
「それでね、あなたのこと話したら乗ってきたってことはよ、警視庁も何か捜査していて検察の動きが気になってるってことじゃないかしら?」
「そうだな、それは考えられるな」とやや興奮した声で上川は言った。
「でしょ?。だから警察も検察の動きが知りたいのよ」
「ああ、そういうことだ」
「あなたのこと絶対訊かれるわ…」
「だろうな。で、会うのはいつだ?」
「明日の夜9時、赤坂で」
「そうか、じゃあ明日のための作戦会議がいるな。まあ電話だと何だから、今日にでも会えないか?」
「うん、大丈夫。夜10時以降なら」
「そうか。じゃ、夜の10時に有楽町のスタバでいいか?」
「うん、分かった」
有楽町のスターバックスで上川は真理子を待っていた。やがて仕事帰りの真理子がせわしなくやってくる。時間は約束の10時を15分ばかり過ぎていた。
「あ〜ごめん。待った?」と席につくなり真理子は言う。
「大丈夫、このくらいは許容範囲さ」と上川は片手にコーヒーカップを持ちながら言った。
「急いできたから喉かわいちゃった。何か買ってくるね」と言って真理子はカウンターに向かう。真理子がコーヒーを持って戻ってくると、すぐに上川が本題を切り出した。
「ところで、いまどんな感じ?。詳しく聞かせてくれるかな」
「うん。電話でも少し話したけど、青田さん、ぶっきらぼうで愛想はなかったんだけど、あなたの話というか特捜部に知り合いがいるって話が出てきたらそっちに強い興味を持ち始めて、そしたら二つ返事で会おうって言ってくれて…」
「そうか、じゃ、警視庁も村田の内偵が進んでいるのかもしれないな。向こうもバカじゃないだろうから今回の伊豆高原の事件、村田絡みだということは察しがついているだろうし、もしかしたらおまえの電話が向こうの捜査を刺激したかもしれんな」
「でも、あなたのところみたいに警視庁も上から圧力がかかってるんじゃないの?」
「う~ん、それは考えられるけど青田さんは執念の刑事って言われてるんだろ?。それぐらいでへこたれるとは思えないな。まあ、もしかしたら俺達と同じことを考えているのかもしれないな…」
「ふ~ん、てことは、特捜部をダシにして警視庁のお偉いさんを突き上げようってこと?」
「ああ、そうだ。まあなんにしても明日真理子が青田さんに会えば俺たち特捜部のことは訊かれるだろう」
「そうね。で、どこまで話していい?」と真理子は言い、一転真剣な顔つきで上川を見つめる。
「そうだな…、ここで向こうに何か土産をやらないと次はなさそうだし。俺も行ったほうがいいのかもしれんが露骨に俺とおまえが組んでるってことがバレると後々支障が出ることも考えられる…」
「そうね、明日は私一人で行ったほうがいいと思う」
「ああ、俺もそう思う。う~ん、で話す内容か…。そうだなとりあえず特捜部は今回の伊豆高原殺人事件とは村田大臣と民友党総裁選と繋がりがあるとみて内偵中である。こんなところか。おそらく警視庁もこのくらいのことは押さえてあるんだろうけどな。で、ここからはちょっと賭けだが特捜部はいま検察上層部から圧力がかかっていて捜査の進展が見られない…。ここまでは言っていい」
「いいのね?」と真理子が慎重に念を押す。
「ああ。恐らく警視庁の青田さんにも村田の件では警察上層部から圧力がかかっているだろう。警視庁に先は越されたくはないが、ここはできるなら協力し合いたい。村田を逮捕したいという思いは俺達と一緒だろうからな。あとは、うまくお互い棲み分けができればいいんだが…」
「そうよね」
「うん、まあ、こんな感じでどうかな?。うまくやれそう?」
「ええ、なんとかやってみるわ」
「さすが、真理子ちゃん頼りになる〜」
「そう?、それはありがとう。それじゃ、次のお店はあなたのおごりね!。私まだ食べてないんだ。おなかすいちゃった〜」
「あ、やられた。給料日前だから痛いんだよな。でもまあ、これも正義のためか。今日は大いに食って飲んで明日の英気を養おう!ってね」
「まったく調子いいんだから。お金なくなっても知らないわよ」
その頃、青田は少し逡巡していた。新聞社の取材のことを上司に話すかどうかをである。しかし話したらおそらく取材は受けるなと言われるだろう。だったら言えない…。それが青田の答えだった。
だが、静岡県警の児玉らには話してもいいと思った。なぜなら彼らが自分を裏切らないという自信があるからだ。児玉らはいま荒野を彷徨う獣ののようなものだ。捜査本部の支援を受けられず孤独に捜査を続けている…。青田なしでは生きていけない、そんな感じに思えた。また、同じような境遇にある青田は微かながら彼らに言い知れぬ連帯感を覚えていた…。
青田は携帯に手をかけた。住所録から児玉の番号を選びそこをタップする。少し間をおいて呼び出し音が鳴る。児玉が出た。
「はい、もしもし児玉ですが」
「青田です」と相変わらずの硬い声。
「あ、どうもお世話になっております」
「いや、こちらこそ。突然ですまないが今日か、明日会えないか?」
「えっ、ええ、いいですけど何かあったんですか?」
「実は、全国紙の東報新聞から取材の申し込みがあってな」
「取材…、ですか?」
「ああ、いい話だと思って受けることにした」
「いい話…?。と言いますと?」
「うん。取材のテーマは『政治とカネ』つまり政治家の汚職ということらしいが取材するのは我々警視庁だけでなく東京地検特捜部も取材するということだ。しかも取材する記者は特捜部にコネもあるというんだ。まあコネと言ってもその記者の学生時代の友人で、そいつの役職はなし。つまりヒラの検事だということだ。だからそいつが俺たちの捜査にどこまで使えるかは分からん。でも、とにかくその記者に一度会ってみようと思うんだ。特捜の動きが何か分かるかもしれんしな」
「ええ、それはいいですね」と児玉も俄かに鼻息を荒くして言う。
「そこでだ、君らとその取材のための打ち合わせをしたい」
「分かりました!。もしなんだったら今すぐにでも行けますが。それにしても青田さん、よく連絡してくださいました。感謝します‼︎」
「うん、まあ礼には及ばんよ。自分の為でもあるからな。そうか、すぐに来れそうか。じゃ善は急げというからな、今からでもいいか?」
「ええ、望むところです。こちらはあと丸山と…、静岡日報の田嶋もいいですか?」
「ああ、もちろん構わんよ」
「分かりました。田嶋は来れるかどうか分かりませんが、とにかく声はかけてみます」
「ああ、よろしく頼む」
時間は夜の10時を過ぎていた。二人は警視庁近くの喫茶店で落ち合うことを確認して電話を切った。
夜11時近く、警視庁近くの深夜まで営業している喫茶店で青田は店の奥の席でコーヒーをすすり新聞を読みながら待っていた。新聞は庁内から持ってきた今朝の東報新聞である。そこへ3人の男がドロドロとやってきた。児玉と丸山それに静岡日報の田嶋である。
「ようこそ、みなさん」と言って青田は座ったまま、その3人を出迎える。
「お疲れさまです」と児玉は言い軽く頭を下げた。続けて「田嶋も都合がついたので連れてきました」と言った。
「うん。田嶋君、急ですまんな。それと丸山さんも」
「いえ、とんでもないです」と二人は声をそろえて言う。
「悪いが夜も遅いのでいきなり本題に入らせてもらう。児玉さんには電話で話したが、今日、東報新聞の記者から電話があって『政治とカネ』についての特集を組むから政治家の汚職事件を長年捜査してきた俺に取材させてほしいと言ってきた。それだけならまあどうってことはない話なんだが…、まあ当然と言えば当然だが、その特集は政界捜査のエキスパートである東京地検特捜部も取材するということだ。しかもその記者には特捜部に学生時代からの友人がいる。もしかしたら恋人なのかもしれんな。ちなみにその新聞記者は女だった。明日の夜、赤坂の喫茶店でその女記者と会うことになっている。分かっているのは以上だ」
「うん…。純粋にそれは新聞の取材なんでしょうか?。その女性記者が特捜部の回し者とも考えられるんじゃありませんか…?」と児玉が疑問を呈する。
「まあ、その可能性はあるだろうな」と青田はあっさり認めた。
「確かに、その可能性は大いにありますね。新聞記者が関係機関の意を受けて動くということはままよくあることですから」と新聞記者の田嶋も言う。
「う~ん、じゃ目的は何なんだ?」と丸山が呟く。
「まあしかとは分からんが、一般に警視庁捜査二課と東京地検特捜部とは長年ライバル関係にある。その辺が絡んでいるのかもしれないな」と田嶋が答えた。
「つまりはうちの捜査情報が欲しいと?」と少し身を乗り出して青田が訊いた。
「ええ、そうだと思います」と田嶋。
「ってことは、特捜部は何か汚職の大きなヤマを追っていて、警視庁の捜査情報が欲しくなった…。青田さんを指名してきたってことはおそらく村田絡みの事件なんじゃないでしょうか?」と丸山が言った。
「うん。そう考えるのが自然だろうな。おそらく特捜部も警視庁と同様村田の内偵を行なっていてその中で今回の殺人事件が起きた…。それで一気に捜査を進ませなければと考えた」と児玉が言う。
「それで何かの壁にぶち当たって、それで警視庁に…」と丸山。
「おそらく上から圧力がかかって捜査を進ませられないんだろうな。警視庁と同じだ。それで、俺に近づくということは…、特捜部は警視庁をダシにして捜査を進ませたいんだろう。まあ前にも使った手だ。つまり今回は警視庁が先に捜査が進みそうだと検察上層部に脅しをかける。それで特捜部の捜査にゴーサインを出させて捜査を進ませる」と青田が言った。
「考えますね…」と児玉が呟く。
「ああ…。でも、それなら、まさに渡りに船だ!」と言って青田の眼が強く光る。
「で、取材はどう受けるつもりなんです?」と児玉が体を転じて真剣な眼差しで青田に訊いた。
「うん?。そうだなまずは向こうがそういう意図があるのかどうかを確認する。その上で話を進める。そこでだ、君らのことも必要ならば話そうと思うんだが…どうだろう?」
急に話を振られた児玉は瞑目して「う~ん…」と暫し考え込んだ。だが、すぐに意を決して「分かりました。青田さんにすべてお任せします。必要ならばお話しください」と言った。
「うん、ありがとう。君らには絶対、不利益が生じないようにするから」と青田も真剣な表情で言った。
「それでな、もし時間があったら明日その喫茶店に一緒に行ってみないか?。といってもまずは近くの席で待機してもらうんだが」
「いいんですか?」
「ああ、話の展開によってはお出まし願うかもしれん」
「分かりました!。喜んで行かせていただきます!」
「私もいいですか?」と勢い込んで田嶋が尋ねる。
「ああ、もちろんだ」と言って青田は快諾した。
翌日、午後8時ぐらいに有楽町の東報新聞本社を出た真理子はまっすぐ赤坂にある喫茶店アルテミスに向かった。待ち合わせ場所の喫茶店は地下鉄千代田線、赤坂駅のすぐ近くにある。真理子は有楽町の本社から程近い日比谷駅から地下鉄に乗り赤坂駅で降りた。早めに着いて席を取り青田を待とうと思った。予定通り早めに着いた真理子は人目に付きにくい店内の奥の席を選んで座った。おもむろに携帯を取り出しラインやメールをチェックする。もはや座るとやってしまう彼女の習慣だ。
しばらくするとそこへ年配の地味な風体の男が一人で入ってきた。直感的に真理子は青田だと思った。男も店内を見渡している。真理子はすかさず席を立ってその男に近づき「青田さんですか?」と小声で尋ねた。
「ええ、青田です」と男は硬い声で答える。
「お待ちしておりました。東報新聞社会部の倉橋真理子です」と言って真理子は持っていた名刺を青田に差し出した。
「どうも」と青田は言ってそれを受け取る。
「ではどうぞこちらへ」と言って真理子は少し緊張した面持ちで青田を導いた。
青田が席に着く。
「青田さん、コーヒーでよろしいですか?」
「ああ」とぶっきらぼうに青田は答える。
お冷をもってきたウエイトレスに真理子はレギュラーコーヒーを二つ注文した。
真理子は改めて青田に向き直り
「本日は弊社の取材に応じていただき誠にありがとうございます。今回、『政治とカネ』をテーマにした特集記事を出したいと思っておりまして、それで警視庁捜査二課で長年に亙り政官界の汚職事件を捜査していらっしゃる青田刑事にぜひお話を伺いたいと思いましてお越し頂いた次第です」
「その特集はおまえさん一人で書くのか?」と青田は真理子の言葉を遮るように尋ねた。
「はい、今のところはそうです」
「そうか…、じゃ、とにかく秘密は守れるな?」
「はい、それは必ず」と真理子は言って真一文字に口を結ぶ。
「単刀直入に訊くが、あんたは東京地検特捜部の意向を受けているのか?」
「えっ!?」と青田の意表を衝く質問に真理子は思わず絶句した。
それに構わず、青田は「正直に答えてもらいたい。そうすればこっちも正直に話す」と続けた。
真理子は暫し顔を下に向け答えに迷っていたが、やがて意を決してキッと顔を上げ、
「そうですか、隠していてもいつかは分かることでしょうから正直にお話します。ご想像の通り私は特捜部にいる友人、いや恋人の依頼を受けて動いております」
「ふ~ん。で、その恋人の狙いは何だ?」
「そ、それは…」
躊躇する真理子を見て青田は「では、こちらの想像を言いましょうか?」と静かな語り口で切り出し始める。そこへ、
「いえ、結構です。こちらからお話します」と突然二人の頭上から声がした。
見上げれば長身の男が立っている。上川だった。
「敦!」と真理子は驚いて叫ぶ。
「やっぱり、気になって来ちゃったんだ。真理子、ここは俺に任せろ」と言って上川は半ば強引に真理子の隣に腰掛けた。