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狼の生贄 -伊豆高原殺人事件-  作者: 青木 地平
14/32

証拠

 児玉と丸山は青田と別れ、自らの車に乗り込み暫し話し合う。

「ここで情報を整理しよう。青田さんの話から、もうダイヤスタイルは完全に捜査線上から消えたと言っていいだろうな」と児玉は言った。

「ええ、それは言えますね」と丸山も同意する。

「それにしてもやはり女が曲者だったな。女は小林園で水谷の社長就任という陰謀を成し遂げるべく動いていた。そしてその能力もあった。まあ、少なくとも村田からはそれがあると見込まれていた。明らかに玄太郎にとっては邪魔な存在であり、憎みて余りあるかたきだ。うん、これで今のところは証拠に基づかない仮説だが話がつながったな」

「はい」

「水谷一郎は村田孝一から支援を受け、その村田から差し向けられた陳麗華と共に小林園社長の座を奪うべく工作活動を推し進めていた。対する小林玄太郎は自分にとって邪魔なこの二人を消すべく殺害を計画する。それには、まず女のガイシャを一条幸恵に見立てるためにトリックを施した。その後玄太郎は言葉巧みに被害者二人を誘い出し、まんまと伊豆高原の保養所跡地におびき出して、そこで彼らを殺害した。事件の筋としてはこんなところか」

「ええ、私もそう思います」


 次の日から、かねて申し合わせた通り児玉と丸山は『水嶋麗子』の名刺を集めるべく動き始めた。しかし、議員会館に出入りは難しい…。それから、指紋を照合するためには現在は静岡県警の科捜研が保管している陳麗華の指紋情報を得る必要がある。計画は難航が予想されたが児玉と丸山は各方面に支援を要請した。その一方は静岡日報の田嶋、そしてもう一方は鑑識係の源田である。

 田嶋と源田は精力的に動いてくれた。田嶋は知り合いのつてを頼り二、三の代議士の秘書に接触して『水嶋麗子』の名刺をもらい受けることに成功した。しかし、源田の方は遅々としてその『ミッション(任務)』が進まなかった。というのも県警本部が遺体の身元を覆されるのを恐れて女性被害者である陳麗華(水嶋麗子)に関する資料等を全て科捜研に集中させ、厳重管理にしてしまったからだ。陳麗華の遺体はもちろん彼女のものとされる数々の検体や指紋情報を含む資料全ての保管が現在科捜研で行なわれている。ここは通常でも管理が厳重であるのに加え、今回の捜査への圧力でさらに管理が厳しくなっていた。もはや所轄署の一鑑識員が手を出せる範疇を完全に超えてしまっていた。それでも源田は科捜研に在籍している何人かの過去に所轄署で一緒に仕事をした元上司などとの接触を試みた。だが、今ここで所轄署捜査員の為に危ない橋を渡ろうとする者は誰一人としていなかった。源田のミッションはここに完全に破綻したのだった。

 結果、水嶋麗子が事件の被害者であることを証明することはできなかった。児玉らは事件が一条幸恵などのダイヤスタイル関係者から離れ、小林園ひいてはその背後に蠢く村田孝一と関係があることを証明する新たな証拠を得ることを迫られることになった。


 児玉と丸山は都内のビジネスホテルを拠点に表向きはダイヤスタイル関係者の捜査を装って隠密の独自捜査を続けていた。幸い捜査本部にいる刑事課長の松平からはあまりうるさいことは言ってこない。松平は相変わらず『動かざること山の如し』と余計なことは一切せずにじっとしていた。児玉らは磯崎たちからもたらされる捜査情報をもとに適当に作った経過報告を定期的に上げていた。今はそれで十分事足りていた。

 一日の捜査を終え、ホテルまでの帰りの車中で「捜査本部は表向き、ホシは小林玄太郎以外、つまりダイヤスタイル関係者と踏んでいるが、玄太郎の線が濃くなっている以上いよいよそれを調べないわけにはいかないな。青田さんからも強く言われているし」と児玉は隣で車を運転する丸山に神妙な面持ちで話した。

「ええ、そうですね。やはり実行犯は小林玄太郎ってことになりますかね」と丸山も言う。

「うん。まずそれで間違いないだろうな。性格的にも水谷とは合わなそうだし、青田さんが言っていたことが本当なら動機も十分だ。とにかく、犯人は小林玄太郎サイドだな。村田と水谷の連携した動きを知ったならば少なくとも玄太郎はかなり動揺したはずだ」

「ええ。しかし…、株式は小林一族で押さえてあるのですから、とりあえず乗っ取りは大丈夫なのではないでしょうか?」

「うん…。ただ、次期総理・総裁候補で暴力団とも繋がりがある村田がバックにいるとなるとただ事ではないと思ったはずだ」

「確かにそうですね」

「それから話は飛ぶが、村田の政敵である大谷派の星川誠司前外務大臣、事前に関与していたとは思えないが、青田さんが言っていた通り、事後である今だったら玄太郎と接触している可能性はあるかな…。しかし、クリーンなイメージで売っている星川が危ない橋を渡るとはちょっと思えんところもあるが…」

「ええ、でも、腹黒の大谷栄二おおたにえいじ元首相がバックにいますからね…」

「うーん。それにしても政治家が組織ぐるみで犯罪者をかくまうというのはちょっと考えにくいところではある…。しかし予断は禁物だ。そこいらが何か一枚噛んでいるという可能性は現時点では否定できんな」

「ええ、とにかくこれまでで一つ言えることは実行犯は絶対に水谷とは顔見知りだということですね」

「そうだな」

「捜査本部の見立てでは表向きホシはダイヤスタイル関係者と見ています」

「いや、ホシはダイヤスタイルなんかじゃない。かつては目下だった者たちだ…、それから呼び出されてあんな所にしかも前の会社とは何の関係もない陳麗華を連れてくるわけがない。ダイヤスタイル捜査は我々を本筋の捜査から遠ざけるためにうちの上層部が考えた口実と考えるのが適当だ」

「そうですね。ただ、田辺さんからの情報ですと玄太郎には一応のアリバイがあるそうですが…」

「俺も聞いたがあんなのはアリバイとは言えんな。まあ、容疑者の供述を突き崩して真相を掴むのがうちらの仕事だ」

「ええ」

その後二人は押し黙り沈黙の時間がしばらく続いた。エンジン音だけが鳴り響く車中で児玉は事件の背後にあるストーリーを想像していた。気になるのが水谷が主張していたという海外進出計画についてである。児玉は会社経営についてはズブの素人だったが、55年の人生経験で少しは想像できるつもりだった。いや敢えてでも想像してみようと思った。

 海外進出には言うまでもなく海外に拠点がいる。それは新しく建設するものと今ある既存の拠点を買収する方法の大きく二つがあると児玉は考えた。新規建設は莫大な資金がいるので、普通ならば後者の拠点の買収を選ぶのではないかと思った。そしてそれは大消費地でなければならない。やはり最大の新規マーケットはアメリカ合衆国であろうか。だとすればアメリカの小売業との提携もしくはそれを買収することを図るだろう。そして、できれば現地生産を視野に入れて現地の飲料メーカーもターゲットに入れたのではないか。

 以上が大体の海外進出計画に必要なものではないかと児玉は考えた。それを実現するにはまずは潤沢な資金、それと現地に精通した人材と交渉を有利にするための現地の実力者、特に政治的な実力者が必要だと思われた。その時、児玉の脳裏をスーッと村田孝一の名がよぎる。政界の実力者である村田は与党・民友党内でナンバー2の勢力を誇る村田派の会長である。その村田派には外務省出身でアメリカ通の神田かんだ元外相も存在する。児玉は仕事柄、新聞やニュースをよく見聞きする。村田派の神田元外相の存在は児玉も知っていた。村田が水谷の小林園での社長就任を願っていたのであれば、水谷の海外進出の事業計画を支援したことは当然の成り行きとして考えられる。村田-神田の人脈を使えれば水谷も願ってもないことだったろう。それら村田支援のもとで水谷が社長に就任できれば、水谷も村田に深い恩義を感じ、水谷率いる新たな小林園は村田の大きな『支援者ならぬ支援社』となっただろう。

 そして、その会社乗っ取り計画が成功して一番困るのは…、やはり京都の小林一族であり、その中心は現社長の小林玄太郎であることは想像に難くない。そして玄太郎がその東京の不穏な計画を察知したとしても決しておかしくはなかった。玄太郎は社内に万全の情報網を敷いているということだし、元々彼は義弟の水谷一郎を警戒していた節があった。社長の座を取られるのは誰であれ嫌だし、小林一族が長年築いてきた小林園の社風を壊されるのも嫌だろう。その社風を壊されることを嫌がる者は、小林一族に限らず、従業員の中にも少なからずいたはずである。とかく保守的といわれる小林園だが、そういう社風でも、いやそういう社風だからこそ大事にしている社員が東京支店にいたとしても決しておかしくなはい。むしろ長い社歴を考えれば当然のことだ。そういったいわば水谷の『不埒』な計画に反感を抱いた者が京都の小林一族に『密告』をした。そこから小林一族の反抗が開始され、今回の殺人事件が起きた。会社内の改革派と保守派の争いといえば単純だが、販路拡大を目指し、社風や理念など関係ない、売上の増大こそが良いことだと考える拡大至上主義の勢力と、会社の歴史や伝統、お茶という商品とそこに根付く職人たちの想いに合わせた商売をと考える勢力のぶつかり合いだと言えなくもない…。

 児玉は自分が想像できるストーリーをこう思い描いてみせた。そして、そのストーリーの中にあるであろう小林玄太郎が水谷一郎らを恨み伊豆高原に連れ出して殺害したという事実の裏付けを早く取らなければならないと思った。そのカギは…、児玉は小林園東京支店にあると踏んだ。


 翌日から児玉と丸山は密かに東京支店の社員を片っぱしから当たった。事情を知っている者は思いのほか少なかったが、その証言からほぼ児玉が思い描いた通りの構図が見えてきた。『よし、いける』児玉は内心そう思った。


 児玉と丸山は、小林園内部にエス(協力者・内通者)が欲しいと思った。東京支店の何人かの社員は児玉ら捜査員に協力的な態度をとっていた。それは水谷に期待していた社員達であった。しかし今や水谷と共に思い描 いた彼らの『夢想』は儚く消え去り、主導権は完全に京都の経営陣に移っていた。いま水谷についていた社員達はその京都経営陣から『旧水谷派』と目されて社内でも浮いた存在になっているのだという。多くの旧水谷派の社員が人事異動により本人が希望していない部署に追いやられていた。いずれはリストラされるのではないか、そんな不安な空気が社内、ことに東京支店内には濃密に漂っているのだという。彼ら多くの社員もまた知っていた。水谷殺害の背景が、水谷が以前経営していた会社の過去のしがらみからなどというものではなく、今現在も不気味に蠢く社内抗争に起因しているということを…。


 児玉は捜査に協力的な社員の中で特に信頼できそうな榊原さかきばらという男性社員と接触した。彼をエスにさせるためである。榊原はその場でエスになることを快諾する。児玉らはこれまでの捜査情報のほとんどを榊原に伝えた。だが意外にも榊原はその大部分のことを既に知っており、水嶋麗子を名乗っていた陳麗華についても支店内、ことに当時の水谷派の間ではよく知られた存在だったという。彼の年齢は27歳。新進気鋭の若手係長として将来を嘱望されていたが、水谷亡き後の人事異動で入社以来配属されていた営業部から彼自身希望していない総務部へと異動されていた。こういった本人が希望しない人事は今や旧水谷派のほぼ全員に適用されているのだという。社内の誰もがこれは一種の懲罰人事と見ていた。そのことから旧水谷派の京都経営陣への憎悪は凄まじく、有り体に言えば榊原は小林玄太郎の逮捕を望み、そして京都経営陣が崩壊することを願っていた。児玉は榊原がそう思うのも無理もないと納得できるところがあった。なぜならそうでもならなければ彼の将来はないと思え、そのことは自分らの境遇にも重なるものがあると感じるからだった。

 捜査に予断は禁物だが、児玉は小林玄太郎犯人説には自信があったし、また小林園社内という『敵地』でエスとして動いてもらうには、それぐらいの強い志というか『』が必要だとも感じた。

 そして、何と言っても児玉らが一番知りたいのは、事件当夜、水谷は誰を連れて誰と会ったかである。推測からすれば、陳麗華を連れて小林玄太郎と会ったということなのだが、証拠が何一つない。榊原も心証としてはその通りだと話すが、これも現時点では証拠に基づかない単なる憶測でしかない。社内メールや個人の携帯電話の受信記録などの目ぼしい証拠品はいち早く県警捜査一課に押収されている。その中に決定的な証拠があるかもしれないが、現時点ではそれらに児玉らが接するのは不可能であった。ただ、榊原が言うには捜査一課が押収した資料に重要な証拠となるようなものは恐らく無いだろうとのことだった。というのも社内ことに東京支店内には玄太郎派のスパイが数多く存在していて、当時の水谷派としてはそれを警戒して通常の方法では連絡を取り合っていなかったというのである。つまり、盗聴や情報収集のためのコンピュータウイルスなどを警戒して携帯電話やメールではやりとりをしていなかったというのだ。水谷と玄太郎の直接の連絡でも公の仕事以外のことは通常の方法では取り得ない。小林・水谷双方の諜報網が発達しており、その諜報網に引っ掛かればたちどころに社内に広まってしまう。それは同時に社外にも知られる恐れがあった。

 榊原によれば、水谷側の連絡方法で一番よく使われたのが、公衆電話を利用する方法だったという。社内の電話機には、その全てに盗聴器が仕掛けられていると思っていいということだ…。


 この、証拠はおろか手がかりさえつかめそうにない状況で、手詰まり感がじわじわと児玉らを包み込んでいく。3人は暫し考え込む。そして、とりあえず水谷の元部下の供述を中心に事件前日に当たる2月5日金曜日の水谷の行動を確認することにした。何か動きがあったとすればこの日だと思うからだ。

 当日の水谷は午前8時に出社。特に変わった様子はなく、午前中は会議と彼自身の業務をこなし、午後からは銀行回りに出て午後5時に支店に戻って、その後残務整理を行なって午後7時10分に会社を出ている。いつもと変わり映えしない、普通の日だったという。

 しかし、その普段通りの日に何か痕跡があるはずだと児玉は睨んだ。なんと言っても翌日の未明には水谷は殺されているのだ。『何も無いわけがない』そう確信して児玉と丸山はとりあえず当日の水谷の足取りを追ってみることにした。もしかしたら、午後の銀行回りの時に公衆電話で誰かと連絡を取り合ったかもしれない。当日水谷と一緒だった小林園の社員と榊原を彼らの休日に連れ出し街を歩く。

 しかし…、当日、水谷と一緒に大手町で銀行を回った沖田おきたという社員は「水谷支店長は公衆電話には寄りませんでした。携帯電話も持っていましたしね…」と証言した。児玉らの表情に焦りの色が濃くなる。だがとにかく、その沖田らと当日と同じ時刻に銀行を回った。一つ目の銀行が終わって、二つ目の銀行に向かおうとしたその時、突然沖田が声を上げた。

「あ、そういえば、この角を曲がったところにコンビニがあって、支店長がそこで『煙草を買ってくる』と言って、私はここで待っていました」

 児玉の目が鋭く光る。すぐにそこの角を曲がり、コンビニを見た。児玉の予想通り店の前には公衆電話が置いてある。そして上を見上げるとそこには都合よく防犯カメラが設置されていた。児玉は「よし」と小さく叫び、店に入る。そして、警察の身分証を店員に見せ、防犯カメラの映像の視聴を要求した。

 店員はすぐに対応してくれた。児玉らをバックヤードにある事務所に連れていき、防犯カメラの映像を探す。無言の事務所に「あった」という店員の小さな声が響き、すぐにモニターに映し出された。公衆電話もしっかりと映っている。

 「来た!」と今度は児玉が叫ぶ。画面に水谷一郎が現れたのだ。水谷に煙草を買うそぶりはなく、まっすぐ公衆電話に向かっている。そしておもむろに番号をプッシュしている仕草が見え、しばらくして口が動いた。防犯カメラからは、どこに電話したか電話番号までは分からない。また店内のBGM等で音声も聞き取れない。しかし、口の動きは割合しっかりと映っていた。

 児玉の脳裏に『読唇術』の言葉がよぎる。確かにこのままでは証拠にも何もなりはしない。しかし、読唇術で何を言っているのかが分かれば有力な証拠になり得る。児玉は僅かな望みを胸に秘め、コンビニからその映像を借りて店を出た。その後は水谷が辿った残りの経路を一応歩いてみたが、これ以外はさしたる収穫はなかった。児玉は沖田と榊原に礼を言い、別れるとすぐさま鑑識の源田の携帯に電話を入れた。

「はい、源田です」ワンコール目で素早く出た源田は、「タマさん何か出たんだね?」と察しよく言葉を繋ぐ。

「ああ、まだ証拠になるか分からんがな。今ちょっといいか?」

「ああ、大丈夫だ。周りには誰もいない」

「ゲンさん、読唇術って分かるかい?」

「ドクシンジュツ?」

「唇の動きを読むっていう」

「ああ、あれか。俺は、できないが、知り合いでできる奴がいる」

「そ、そうか!、で、その人は…その…」

「ああ、大丈夫。昔からの鑑識仲間で信頼できる奴だ。秘密は守る男だ」

「そうか、よかった」と児玉は言って胸をなでおろす。

「で、何を仕入れた?」

「うん、実は事件前日の昼に水谷がコンビニの公衆電話から誰かに電話している映像が手に入ったんだ。防犯カメラの映像で水谷の声は入っていないんだが唇の動きは割合はっきりと分かるんだ」それだけ言えば源田には十分だった。

「なるほど、分かった。その知り合いに頼んでみるから期待して待っててくれ」

「ああ、ありがとう。よろしく頼む」と児玉は言って一旦電話を切った。

「これで一歩前進ですね」と丸山が満足そうに声をかける。

「ああ、そうだな。ただ、まだ安心はできんがな」

「ええ…。読唇術がうまくいってくれればいいんですが」

「うん…」

しばらくして児玉の携帯が鳴った。源田からだ。彼の反応は早い。

「読唇術のできる奴、そいつは山中やまなかというんだが、その山中と連絡が取れた。明日休みだから解読してくれるそうだ。それで、そいつは静岡に住んでるんだが、明日静岡まで来れそうか?」

「ああ、大丈夫だ。ゲンさんありがとう」

「いやいや」

「で、ゲンさんは、明日は?」

「ああ、なんとかして抜け出すよ」

「悪いな」

「いいってことよ。これも犯人逮捕のためだ。俺の仕事でもある。まあ、あいつの自宅じゃ何だから、適当に場所を選んでおく。また決まったら連絡するから」

「ああ、すまんがよろしく頼む」と児玉は言って電話を切った。そして踵を返して、「よし、すぐに資料をまとめて、静岡に向かおう」と児玉は勇躍して丸山に言った。

 すぐさま防犯カメラの映像を収めたUSBメモリーを持って車に乗り込み、丸山がエンジンを吹かす。車は勢いよく発進し、すぐに首都高に入った。東名に繋がる3号渋谷線を目指して車を快調に走らせる。都心の環状線は夕暮れに差し掛かかり混雑が始まっていたが、それでもなんとか流れてくれていた。早春のやわらかな夕陽が児玉の少し下がった頬をほのかに照らす。しかし、その顔つきには期待感と少しの満足感、そしてかつてない高揚感が漲っている。

 やがて3号渋谷線に入りさらに道路が空いてきた。ますます快調に車を飛ばす。やがて前方に東名高速の入口である東京料金所の大きなゲートが見えてきた。車は少し減速するがスーッとスムーズにそのゲートをくぐり抜け、同時に車内に装着してあるETCの装置からピッという機械音が鳴る。車は東名高速道路に入った。静岡までは東名一本で行ける。距離にして約160キロ、所要時間は約2時間である。今は午後5時を少し過ぎたあたりだから休憩無しで行けば午後7時半ぐらいには着くことになる。しかし、会うのは明日である。ただ、車は事故や渋滞、道路の通行止めなど不測の事態も考えられる。なるべく今日のうちに距離を稼いでおきたいという思いが児玉らにはあった。で、とりあえず静岡県富士市内の富士川サービスエリアまで歩を進め、そこで仮眠をとることにした。


 目を車窓に転じると東名川崎インターチェンジが風のように通り過ぎていく。ふと児玉の脳裏に事件のことがよぎる。『水谷もあの夜この道を通ったのだろうか…』と。

 伊豆高原は静岡県伊東市内にある。東京から車を使って最短で行くにはこの東名高速道路を使うのが最善だ。東名で大井・松田インターまで行き国道255線で小田原に出るか、東名の厚木インターで降りて接続する小田原厚木道路で小田原まで行くか、普通には有料道路である小田原厚木道路を使う方が小田原には早く行ける。いずれにしてもこの東名川崎インターチェンジは通らなければならない。

 高速道路の道幅は片側3車線と広く、中央の車線を走っていると思わず空港の滑走路でも走っているようなそんな感覚になる。水谷が当時辿った進行ルートを児玉がいくら気にしても、車は無情にもその思いをかなぐり捨てるかのようにひたすら前へ進んでいく。何かを発見できないかと目を凝らす児玉の視線の先の景色が瞬く間に後方に通り過ぎていき、やがて横浜・町田インターも通過した。そして…、いつしか心地よい疲労感が児玉を包みこんでいく。隣で運転する丸山にはすまないと思いつつも睡魔には抗えず、やがて児玉は深い眠りに落ちていった…。


 富士川サービスエリアに到着した。車が停まって児玉はハッとして目が覚めた。

「あ、すまん。寝てしまったんだね」

「だいぶ、お疲れのようでした」

「いや、面目ない。疲れているのは君も同じだろう。途中で運転を交代しようと思っていたんだが…」と児玉はバツが悪い。

「いえ、気にしなくていいですよ。これからたっぷり休めますし」と丸山はあっさりした態度で言った。


 二人はとりあえず、夕食をとることにし、歩いてサービスエリアのレストランに向かう。最近のサービスエリアは進化が著しく、ちょっとしたショッピングモールのようになっていた。少し場違いな感じを抱きつつも二人の中年の男が建物の中に入っていく。それでも華やいだ雰囲気に一瞬で包まれ、何やら楽しげな気持ちになる。

 二人はレストランに入り席に着くと

「いよいよ明日ですね」と少し興奮気味に丸山が言った。

「ああ、明日だな。飯を食ったらゲンさんに連絡してみる。明日の確認だ。まあ、うまいこと会話の内容が分かればいいんだが」

「ええ。でも絶対に何かありますよ。携帯電話を持っていながらあんな隠れるようにして公衆電話から電話するなんて、まあ普通の電話…、というか会話ではないでしょう」と期待を込めて丸山が言う。


 食事を終えた二人は、ゆっくりとサービスエリア内を歩いた。人目の付かないところに来ると児玉はおもむろに携帯電話を取り出し、その場で源田に電話をかけ、明日の行動を確認した。その時に一通り捜査の経過と流れを源田には話した。察しのよい源田はすぐに事件の背後に蠢いているとみられるものや児玉達の置かれた状況を理解した。


 明日の午前10時に東名・静岡インターチェンジ近くのカラオケボックスに集合することになった。カラオケボックスに決めたのは密室で音が漏れず秘密が保持できて都合が良いからだ。防犯カメラの映像はUSBメモリーに収めてあり、当日は源田がUSBメモリーから映像を再生できるパソコンを持ってきてくれることになっている。そして、二人は捜査の疲れからだろう。瞬く間に車の中で深い眠りに落ちていった…。


朝がきた。昨日の罪滅ぼしにと今度は児玉がハンドルを握る。富士川サービスエリアから静岡インターまでは約30分ほどの行程である。それでも少し余裕を持って、午前9時に出発した。目的地のカラオケボックスへは午前9時半過ぎに到着した。もう店は開いていたが、駐車場に車を停めて車内で源田らの到着を待つ。無言の時間がゆっくりと過ぎていく…。何分か経った頃、その静寂を一台の車のエンジン音が破った。源田の車である。中には山中と思わしき男性も乗っている。児玉らはすぐに車から降りて出迎えた。

「おはようございます」と車から降りた源田は心地よい挨拶を児玉らに寄越してくる。

「おはようございます」と児玉も丸山と声を合わせて愛想良く応える。

「こちらが山中さんで?」と児玉は源田の傍らに立っている男性に右手を差し出しながら尋ねた。

「そうです。静岡西署の鑑識係にいる山中正一やまなかしょういちさんです」と彼を連れてきた源田が紹介する。

「山中です。お初にお目にかかります」と山中は丁寧にお辞儀をして挨拶した。

「こちらこそ初めまして、伊豆東署の児玉といいます」と児玉も丁重に頭を下げる。続いて、「同じく伊豆東署の丸山です。どうかよろしくお願いいたします」と言って丸山も深く頭を下げた。

「今日はお休みのところお呼びだてしてしまって申し訳ありません」とまずは児玉が礼を言う。

「いえいえ、犯人逮捕に貢献できるのであれば、警察官冥利に尽きるというものです」と山中は穏やかな表情をたたえながら言った。

「いや、そう言って頂けると助かります。今度の資料は事件の重要なキーポイントになり得るものです。ぜひ、山中さんのお力をお借りしたい」

「私でできることでしたら喜んで」

「ありがとうございます。では中に入りましょう」と児玉は言って山中らを誘う。

 4人は店の中に入り、比較的大きな部屋をリクエストした。平日の昼間ということもあって他に客はいなかった。店員も午前中からスーツ姿も混じった中年男性ばかり4人が入ってきて少し驚いた様子だったが、それでも愛想よく彼らを案内した。

 カラオケボックスの部屋に入った4人は、とりあえず飲み物を注文する。そして、何も歌わないのも変だということで、まずは一人一曲ずつ歌うことにした。まずは丸山が景気づけに歌い、児玉も次に歌った。児玉はあまり歌いつけていなかったが、それでも大好きな森進一の歌を一曲披露した。

 ひとしきり歌うのが終わり、源田がバッグから一台のパソコンを取り出して、電源を点けた。丸山が鞄の中から防犯カメラの映像が収められたUSBメモリーを取り出し源田に渡す。源田はすぐさまそのUSBメモリーをパソコンに挿した。パソコンの前に山中が陣取り、映像が映し出されるのを待つ。映像が映った。コンビニの公衆電話がよく映っていた。画像も割合鮮明である。児玉は最近の犯罪の増加に対応してコンビニのオーナーが画質のいい防犯カメラに変えたばかりだと言っていたのを思い出した。そして山中がそれまでの柔和な顔つきを一変させ、厳しい顔つきで映像を食い入るように見つめる。少しコマを進ませては戻りもう一回というように一進一退を繰り返して解読が進められた。そして、解読開始から30分ほど経った頃、決定的な言葉を拾うことに成功する。「ゲンタロウニイサンハ、ナンジゴロイズコウゲンニコレマスカ」その言葉の少し後に「ヨクジツノゴゼンイチジグライデスネ」と水谷が復唱しているような言葉を取り出すことに成功したのだ。

 やはり、その日に小林玄太郎は伊豆高原に来ていた。少なくとも来る予定ではあった。何のために?。言わずもがな水谷一郎らを殺害するためである。だが、『呼び出した口実は何だったのか?』という疑問が児玉に沸いた。しかしすぐに『おそらく次期社長について思わせぶりなことを言って誘い出したのだろう』と察しがついた。


 解読を終えて児玉らは山中と源田に礼を言い、そのカラオケボックスを後にした。車に戻った児玉は丸山に声をかける。

「出てきたな!」と言ってニッと笑う。

「ええ、決定的な証拠ですよ」と丸山も興奮した面持ちで言った。

「うん…。でこれから、どうするか…」と児玉が呟く。

「とりあえず…、警視庁の青田さんに連絡してみてはどうでしょう?。うちらだけではこの事件ヤマ、手に負えそうにありませんから…」

「うん…。そうだな。そうするか」


 児玉は青田の携帯に電話をかける。

「そうか、それは強力な証拠になるな。よし!、それで捜査を動かせるかもしれんぞ。うちの上層部を震わせてくれるわ」としらせを受けた青田は興奮しながら話す。

「でも、どうやってですか?」と即座に児玉が尋ねた。

「俺に考えがある。どうだ近いうちに東京に来れるか?。俺もその映像を見てみたい」

「分かりました。では明日東京に向かいます」

「うん、分かった。待っているぞ」と青田は言って電話を切った。


「静岡日報の田嶋にも一言言っておいたほうがいいでしょうか?」と丸山が少し神妙な面持ちで児玉に尋ねた。

「う~ん…。いや、あまり言ってしまうと情報が拡散する怖れがある。おまえの友人を悪く言いたくはないが、所詮、田嶋はブン屋だ。もし特ダネか何かでスクープを打たれたら…、それこそ取り返しがつかん。また何かあれば協力願うかもしれんが今はまだ時期尚早だと思う…」

「分かりました…」と言った丸山だったが理屈では理解してもやはり友人を悪く言われたような気がしてどこか腑に落ちない。

「とりあえず、今日のところは伊東の自宅に戻ってゆっくり休もう」と児玉が疲れた表情で言った。児玉と丸山は久しぶりに家族のいる伊東市内のそれぞれの自宅に戻っていった。


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