援軍
児玉らが絶望しかけたその時、期待していた『援軍』がやって来た。静岡日報の田嶋である。田嶋は密かに警視庁や村田周辺を当たり、その後急な社用もあって静岡の本社に戻っていた。丸山は田嶋が仕入れた情報をもらう。が、しかし残念ながらそれはさしたる内容ではなかった。丸山は内心『やっぱり俺らが直接当たらないとダメだな…』と思った。
そこで丸山は児玉とも相談して、捜査を大きく前進させるべく「ぜひ警視庁の捜査関係者に秘密裏に直接連絡を取りたい」と田嶋に申し出た。すると、田嶋の知り合いで警視庁捜査二課に『青田善助』という刑事がいることを教えてくれた。かなりの名物刑事らしく、長年、村田孝一を追っている執念の塊のような人間だという。すぐに丸山は田嶋にアポイントを依頼する。
ただ、児玉には不安があった…。いくら別件とはいえ村田関連の捜査は前に村山が指摘したようにかねてから警視庁にも圧力がかかっていると思われ、接触できたとしても実際の捜査協力は容易ではあるまい。しかも捜査本部から離れた児玉らに『隠密で』というのだからなおさらな感がある。だが、児玉らには村田の真相供述という目標に向け前進するしか道は残っていない。後退や躊躇は言うまでもなく『死』を意味する。児玉と丸山はもとより背水の陣で臨んでいた。そして藁にもすがる思いで朗報を待った。
田嶋から連絡がきた。幸いにも悪い予想を裏切り青田が会ってくれるという。
「やった!」と言って児玉と丸山の二人は小躍りした。そして青田の携帯電話の番号を教えてもらい、「直接会う段取りを決めるように」と田嶋から言われた。さっそく児玉は青田の携帯に電話をかける。2、3回呼び出し音が鳴った後、「はい」というしわがれた男の声が響いた。
児玉は、緊張した面持ちで「初めまして。静岡日報の田嶋さんからご紹介頂いた静岡県警伊豆東署、刑事の児玉といいます」と挨拶する。
「うん?。あっ、あーこれはどうも。警視庁捜査二課の青田です。一応のお話は田嶋君から伺っております。私も微力ながらそちらのお手伝いができればと思っておりますよ」
「そ、そうですか、それはありがとうございます!。私どもは伊豆高原殺人事件の捜査に当たっておりまして、その捜査の過程で本件のガイシャである水谷一郎さんの友人で現在、経済産業大臣を務めている村田孝一代議士がキーマンだと睨みました。そこで長きに亙り村田孝一氏周辺を捜査されている青田さんにぜひお話を伺いたいと思いまして今回お電話させていただきました。ただ、お恥ずかしい話、こちらの捜査は政治家が絡んでいるということで上から圧力がかかっているようでして思うように動くことができません。申し訳ありませんが、そのことを踏んだ上でというか乗り越えた上でご協力願いたいのですが…」
「うん…、つまりはそちらの捜査本部とは離れて、秘密裏でということですね?」
「ええ、そうです。申し訳ありませんが…」
「いえ…。そうですか分かりました。あなたがたも大変ですね。ええ、ただ、お立場というかお気持ちは分かります。私も何回もそういう目に遭わされてきましたから。現に今がそうだとも言えますしね…。まあ、それにしてもそうですか、やはりそちらにも圧力がかかっていますか。これはいよいよ村田周辺を捜査している我々警視庁もそちらと同様、警察庁を通じて本格的に圧力がかかっていると解した方がよさそうですな。どうりで最近孤独を感じると思いましたわ。いつの間にか村田周辺を捜査しているのが実質私だけになっているんで変だなと思っていたんです。なにぶん下っぱですとそういう圧力情報も届きにくいもので…。アハハお笑いです。
ま、それはともかく、うん…、その圧力の出元は村田というより実質的には官邸と見た方がいいでしょうな」
「官邸…、総理官邸ですか!?」と児玉は言い、思わず息を呑む。
ところが青田は平然と「ええ、そうです。この分だと特捜部もやられてますよ」と言い、「詳しくはお会いしたときにお話しましょう」と続けた。
後日、青田と待ち合わせたのは、東京駅に程近い喫茶店だった。青田は一番奥の隅の席に座っていた。気難しい顔をしてコーヒーをすすり、一見近寄り難い雰囲気を醸し出している。季節は春3月。少し肌寒かったが、それでももうマフラーをする季節ではない。季節外れのマフラーをして青田は待っていた。そのマフラーを目印にと言われていた児玉と丸山は迷わずにその男に声をかけることができた。
「青田さんですね?」と児玉が尋ねる。
「ええ、そうです」と表情を変えることなく、薄暗い店内でぬっと顔を上げて青田は答えた。
「初めてお目にかかります。静岡県警伊豆東署、刑事の児玉です」
「同じく丸山です」と言った後、二人は丁寧に深々と頭を下げる。
「どうも」と青田は相変わらず表情を変えることなくコクッと少しだけ首を傾け、その後キッと児玉らを正視して「警視庁捜査二課の青田です」と短く自己紹介した。
児玉らは、青田と向かい合う形で席に座り「田嶋さんから伺いましたが、青田さんはスーパーゼネコン汚職事件からずっと村田大臣を追いかけて…?」といきなり本題を切り出した。このことは、それだけ児玉らが切羽詰っていることを示していた。青田はそれを気にかけることもなく
「ええ、そうです。あれは村田が主犯です。同じような事件である国交省事件もそうです。もう少しで逮捕できそうなところでいつも上から邪魔が入ってしまって…」と悔しそうに話した。
青田は来年定年の59歳であった。庁内でも歯に衣着せぬ物言いで怖いもの知らずで有名だった。しかも定年が迫りその勢いは増すばかりである。それでも、村田逮捕という悲願が、定年が迫り達せられるか微妙になってきて青田はかなり焦りも感じているのだった。
「そうですか…。では、我々が追っている伊豆高原殺人事件についてもある程度事情を知っていらっしゃる?」
「ええ、知っているつもりです。決して自慢するわけではありませんが私は長年村田とその周辺を追いかけていますからね、その事件の背景についても…、まあ少し失礼な物言いで恐縮ですがあなた方よりは詳しいと思いますよ」
「おお、それは頼もしい!。実はそのことを期待してここへやって来たのです。あと…、ズバリお訊きしますが警視庁は村田孝一経産大臣を逮捕できそうですか?」と児玉は唐突な問いを発した。
「うん…」と青田は一瞬戸惑う。
「すみませんいきなりこんなこと。私たちは伊豆高原殺人事件の背後に小林園社長の小林玄太郎や村田大臣がいるということを確信しています。そして、恐らく村田大臣は殺人の動機に関わる核心部分に絡んでいると思われます。彼は本件の被疑者ではありませんが、彼が裏で画策したことが引き金でこの事件が起きたと私どもは睨んでいます。そうであるならば事件の背景を解明するためには村田氏の証言がどうしても必要です。しかし、その証言をすれば彼の政治家としての経歴に傷をつけることにもなると我々は思っています。だとすれば、彼がすんなり真実を話すとは到底思えません。一方で村田氏は黒い噂が絶えない政治家としても有名です。暴力団とも繋がりがあると言われています。ならば、本当に彼が犯罪を犯し、この国の行方を危うくさせているのならばぜひとも管轄の捜査機関は敢然と彼を逮捕し、そしてしっかり起訴をしていただきたい。そうすれば、汚職や談合といった我が国に巣食っているこの種の犯罪の撲滅に大きく貢献することになるはずです。
そして…、村田が逮捕されれば別件ではありますがこの殺人事件についても彼をじっくり事情聴取することができるでしょう。しかも逮捕によって村田が全てを失い、もう失うもの、守るものが何も無くなれば…、それだけ彼が『完落ち』になる可能性も高くなる。『村田孝一の逮捕』今これこそが偽らざる私たちの最高の望みです」
「うん。ご主旨はよく分かりました。私もズバリお答えします。村田孝一の逮捕は可能です」
「おお!」と児玉と丸山は思わず歓声を上げた。
「ただし条件があります。それは我々捜査機関がやる気になればということです」
「うん…?。どういうことでしょうか?」
「つまり、我々、村田孝一を捜査している捜査機関、具体的には警視庁捜査二課と、あと政界捜査の第一人者を自認する東京地検特捜部は現在、村田大臣とそれを含めた官邸から強いプレッシャー、圧力を受けています。この圧力を撥ね退け捜査を進めるというのは並大抵のことじゃない。警視庁内でも村田のことを調べているのは、今は実質私だけとなってしまった。あとの者は上から少しでも圧力がかかると恐ろしくて何もできない…。まあ、情けない話ですが、これが偽らざる政界捜査の現実です。恐らく特捜部も似たようなものでしょう。下っぱはともかく上は萎縮してしまうことが多いですから…。まあ、ことはその二ヶ所に留まらずどこも同じようなものだとは思いますがね…」と青田は言い、ちらっと児玉らに目をやった。
「ええ、まあ、それはうちもそうですが…」と児玉は恥ずかしそうに言い、続けて「それでは、警視庁の上層部を動かすことができれば光は見えてくると?」と気を取り直して尋ねた。
「ええ…、まあそうですが、実際には我々警視庁だけでは手に負えないかもしれない…」
「え?」
「つまりもう一つの捜査機関、つまり政界捜査の大御所と目される東京地検特捜部の力を借りないとこの事件の全容解明は難しいかもしれません。というか悔しいですが現実的には無理ですね…」
「では、特捜部と警視庁の合同捜査、これが理想形ということになりますか?」
「まあ、そうなったらベストでしょうな。あちらも村田についてはいろいろ調べているでしょうから力を合わせられれば強力な捜査態勢を敷けるはずです。ただ、特捜とうちら捜査二課とは永遠のライバルです。しかも長年のいきさつで捜査対象も向こうは国会議員以上もしくは各省庁の局長以上、で、うちらは地方の首長に議員と公務員、それと各省庁の課長以下という何となくの棲み分けもできている。もっとも私はそんなものはどうでもいいと思っていますがね。まっ、とにかくそんなこともあってそう簡単にうちと特捜がうまく組めるかというのは分からないところがあるのです」
「そうですか…、いろいろ難しいんですね」と児玉が言った。
「ええ、まあ、いろいろあります…」と青田は言って、渋い顔をしてコーヒーをすする。
「でも、難しいとは思いますが何とか特捜と警視庁の合同捜査、ここを目指していただけないでしょうか?」と児玉は敢えて頼んでみる。
「うん…。まあ、今回は人が二人も殺された事件にも発展してしまったわけですしね…。いいでしょうそこを目指しましょう!。ただ、特捜がなんというか…な。こうなったら向こう次第ということになりますな」
「分かりました。私たちも出来る限りのことはさせていただきます。一緒に考え、頑張っていきましょう」
「ええ。それともう一つ条件があります。それは、小林玄太郎がこの事件に関与しているという証拠を挙げていただくことです。これはあなた方にとっては言わずもがなの捜査の一丁目一番地なんでしょうが、そのことは我々、村田捜査の関係者にも言えることです。つまり小林玄太郎がこの殺人事件に関与しているということが証明されればさらにその背後で蠢いていた村田の姿を垣間見ることができます。少なくともある程度事情を知っている捜査関係者や報道関係者には想像できるものです。そうなれば一気に山が動く可能性がある。あなた方が希望している形にもなるかもしれませんよ」
「そうですか。分かりました。その証拠の件は必ず我々が掴んでみせます」
「ええ、どうかよろしくお願いします。うちらにとってもそこが大きな突破口になると考えていますので」
「分かりました。ところで、事件についてもう少し伺いたいのですが、青田さんは村田と水谷の関係についても詳しいですか?」
「ええ。水谷は村田の舎弟のようなもので、ずっと一緒にやってきました」
「汚職事件もですか?」
「はい。水谷もかなり事情は知っていたとは思います。ですがご存知のように彼はアパレル企業です。建設業界には疎いこともあって、実際、泥臭いことにはあまり役立たなかったようです。彼は過去の事件では完全な脇役で終わっています。結果として立件には至りませんでした。そもそも村田をパクれなかったのですからどうしようもありません」
「最近、その水谷と村田が頻繁に接触していたようですが…」
「ええ、知っています。まだ調べる余地はありますがカネ絡みであることは間違いないでしょう。村田は次回の民友党総裁選に出るつもりですのでその多数派工作のために相当な資金が必要なはずです。しかし、村田の家業であり、強力な支援業界である建設業界は近年の公共工事の増大で最近多少は良くなってきているとはいえこれまでの長期不況の影響で莫大な総裁選への資金援助などはまだとても賄いきれないのが現実です。このため村田には新たな資金源が必要となっていました。端的に結論を言えば、二人が最近頻繁に接触していたのは村田が水谷を小林園の社長に据え、新たに水谷が率いる小林園をその必要に迫られていた新たな資金源にしようとしたからです。以来、村田は水谷を社長にさせるべく支援に乗り出します」
「やはりそこですか…」
「ええ。また最近村田は株の投資にも手を出しています。得体の知れないネットトレーダーなる者とも付き合いがあるようです」
「ではそれで一儲けしようと?」
「ええ。その件には水谷も絡んでいました。おそらく仕事絡みというよりは個人の野望を叶えるためでしょう」
「水谷がカネを集めているとなると…、やはり小林園の乗っ取りを視野に入れてということになるのでしょうか?」と今度は丸山が尋ねる。
「ええ、そうだと思います。小林園は非上場企業なので主には水谷を社長に就かせるための役員の買収資金でしょうな」
「けっ、カネで釣るつもりか…」と丸山が少し声を荒げて呟く。
「ま、そういうことでしょう。それから何と言っても次期総理・総裁候補の村田の支援があったのは水谷にとって心強かったと思います。うん…、これはまだ言ってはいけないのかもしれませんが…、危険な橋を敢えて渡っているあなた方を信用してお話しましょう。実は国交省からタレこみがありまして国の景気対策で村田の地元である東北海道の開発プロジェクト、『東北海道総合開発計画』、通称『道東プロジェクト』での高速道路建設工事に係る入札において村田が主導した談合があったというんです」
「なんですって!?」と児玉と丸山が同時に驚きの声を上げる。
「今回建設される高速道路は『新直轄方式』といわれる国が直接建設するものでその費用は国費だけではありませんが、とにかく全額税金で賄われます。民間企業である高速道路会社では造れない不採算道路(将来にわたって利用台数が見込めないために利用料による十分な収益が見込めない道路)をこの新直轄方式で建設することが多いのですが、この高速道路…、名を『遠東自動車道』といいますが、これもその不採算道路とされて最後は地元代議士である村田のごり押しで結局国が造らされる羽目になったものです。そして全額税金で建設されるものですから開通後は全線が無料となります。勿論地元住民にとっては喜ばしいものでしょうが造らされる国の負担は大変なものです。この高速道には地元自治体もいくらか建設費を出していますが、それも結局形だけのものになりそうです。国から地方に渡される地方交付税交付金、出資自治体はこれに今回の建設費を上乗せしてこの交付金を渡されることになっています。元財務官僚で財務省に顔が利く村田の差し金であることは言うまでもないことだと思います。
そして、今回の入札は表向き競争入札ですが、これも村田の差し金で工事予定価格が予め意中の企業に伝えられ、そして他の企業は実質的に入札を辞退することを迫られました。つまり競争入札を骨抜きにしたということです。村田の声は建設業界にとっては『天の声』ですから、発せられれば皆が従ったと思います。入札方法も当初案では一般競争入札だったものが最終案では談合のしやすい指名競争入札に変更されています。これに関して、もっともらしい理由付けをして国会の国土交通委員会という公の場で質問というか主張をし、政府見解を質したのが他ならぬこの村田孝一です。その結果、この道東プロジェクトにおいては全般的に指名競争入札が導入されることが決定されました。この委員会での質問に関しても見返りとして業者側から莫大な賄賂・献金が村田側に渡ったという情報があります」
「そうなんですか⁉︎。そ、それで、その意中の企業とは…?」と児玉がやや興奮して尋ねる。
「建設業界最大手のスーパーゼネコン、『列島建設』です」
「列島建設…」と児玉が呟く。
「おそらくそこから村田に莫大なカネが渡っていると思われます。それも政治資金収支報告書に記載のない裏献金で…。また、その列島建設株をめぐっても黒い噂があります。列島建設の株価はここ数年300円台で低迷していましたが、今回のプロジェクトを受注したことで株価が大幅に上がっています。昨日の時点で1000円を超えました。また、この値上がりを見越して事前に株を買い増しておいて、それを最近、一気に売りさばいて村田は大儲けしたとも言われています。そして水谷も…」
「何か証拠はありますか?」
「まだ、こちらではしかとは掴んでいませんが、証取委(証券取引等監視委員会)が詳しく掴んでいます。証取委にも圧力がかかっていて表立って告発等はできないようですが、株式市場の動きは常に細心の注意を払っているとのことです」
「そうですか。でもこれは明らかなインサイダー取引ですよね?」
「ええ。それも不正の上に築きあげた…」
「実際に株を動かしているのが例の得体の知れないというネットトレーダー?」
「ええ、おそらく。ただ最近は動きが止まっています」
「止まっている?。それはどういうことですか?」
「分かりません。ただ…、これはまだ私の推測の域を出ませんが、水谷と一緒に殺されたのは…、あなたがたは意外だと思われるかもしれませんが、案外このネットトレーダーではないかと思っているのです」
「え!?、そのトレーダーは女性なのですか?」
「そうです。しかも中国からの密航者で、水谷の愛人である可能性が高い…」
「なんですって?」と児玉と丸山は声をそろえて驚く。
『殺された女性が得体の知れないネットトレーダーで中国からの密航者…。それも水谷の愛人だった可能性が高い…』唐突とも言える青田の情報提供に当惑しつつも児玉は、田嶋の話を思い出し、「私たちも水谷にあてがわれた女の話は少しですが聞いたことがあります。ただ、それは村田の私設秘書だったという話でしたが…」
「うん、なかなか調べてありますね。確かにそういう時期もありましたが、すぐに水谷の元に差し向けられたのです」
「そうだったんですか…。それで先程の女は中国からの密航者だとおっしゃいましたが、青田さんは何か痕跡を掴んでいらっしゃるんですよね?」
「ええ。村田は長年付き合いのある指定暴力団の幹部から中国人の密航者を紹介されました。それがこのネットトレーダーだったのです。まあ、村田の総裁選等の資金稼ぎのために使ってくれというものだと思います」
「その暴力団の名前は何というのですか?」
「新宿に本部を置く東○会です」
「東○会!。あそこか…」
「うん?」
「あ、いえ。でもなぜ、暴力団がネットトレーダーなんかを紹介するのですか?」
「最近の暴力団は暴対法(暴力団対策法)による締め付けなどで身かじめ料などの従来のシノギ(収入)が減っていることもあって、大変な資金不足に陥っています。そのことから近頃、暴力団の間ではこの資金不足を補うためにネットトレーダーを使って、株式市場で資金を獲得しようという動きが広がっています。また、最近はいろいろ問題があるにしても日本よりは遥かに経済力がある中国にも暴力団は積極的に進出を図っています。中国での資金稼ぎの一つが密入国の受け手です。特に今の中国では公安当局が最近盛んに行なっている汚職追放キャンペーンのあおりでその当局に睨まれたり手配されたりしている者の日本への密入国希望が引きも切らない状況なのです。その女トレーダーも中国公安当局に汚職容疑で摘発された地方政府幹部の元愛人で、彼女自身も多くの不正や犯罪に手を染めていました。その愛人だった時期に相手の男であった汚職に手を染めた地方幹部の潤沢な資金の運用を図ろうとネットトレードも覚えたらしいのです。何でも中国にいたときには天才トレーダーと言われていたとか…。また容姿も端麗で愛人時代には栄華を極めたということです。それが一転、その地方幹部が当局に摘発されて、その女、名を陳麗華と言いますが、その麗華も公安当局から指名手配されて追われる身となり、密航を生業とする上海のブローカーを頼って、さらにその暴力団の手を借りてこの日本に来たというわけです。そしてしばらくは受け手である暴力団のトレーダーとして活動していましたが、いつの間にか村田孝一のトレーダーになっていました。このことは先程も述べましたが村田が総裁選の資金不足を憂えているのをその暴力団幹部が聞きつけて手を差し伸べたものだと思われます。まあ、まさか暴力団として村田に献金するわけにもいかず、その者をカネの代わりに寄越したというのが内実なのでしょう。いわば暴力団なりの政治献金であり贈賄ですな。陳麗華を村田に譲った後もその暴力団は違法行為に当たるインサイダー情報等を彼女に提供し続けて村田の資金稼ぎを手助けしています」
「そうですか…、分かりました。しかし、なぜ暴力団が村田に近づくのでしょう?」と、児玉はこの事件の裏に隠されているかもしれないとてつもない闇に戸惑いながらも努めて冷静に尋ねた。
「うん、それは…、まず官公庁が行なう入札には反社会的勢力である暴力団やそれに連なるフロント企業は当然のことながらその入札には参加できません。ですから最近ではフロント企業も体裁を一新させて暴力団関係者を一切表に出さない、つまり見た目は堅気の会社にして公共事業の入札等に参加させています。それでも一定規模以上の工事になると入札に参加するにもその企業の規模や過去の工事実績等の条件が付されることが少なくありません。実際、多くの企業がそこでふるい落とされます。よってそういう条件をクリアできないフロント企業が大きな公共事業に食い込もうとするならば、手っ取り早くは元請け企業の下請けをしてそのおこぼれに預かることです。それも当局の目を逃れるため大体は三次か四次下請けということですから奴らも必死です。もうそのくらい下になると工事価格は相当低くなりますから…。建設・土木業界、特に官公庁等の入札を基本とする土木業界は下請けを泣かせてなんぼのところがあります。ですから工事価格を少しでも高くするためには村田のような『天の声』を発することができる公共事業に強い影響力を持つ政治家と懇意となり、発注元の企業に口利きしてもらう必要があるのです。そのため暴力団にとっても実力のある政治家との関係は重要だというわけです。村田もスマートなイメージがある財務省出身の元エリート官僚とはいえ元を辿れば代々の家業は土建屋です。その家業の土建屋である村田建設と暴力団とは昔からの腐れ縁です。というのも建設業にはトラブルがつきもので例えば土地の買収、それに伴う立ち退き、工事の騒音と挙げればきりがない感じです。そんなときに常人に扱えるものではないが上手く使うことができれば暴力団というのは様々なトラブルを解決してくれる便利な存在でもあります。もちろんほとんどの建設業者は暴力団などに頼ることなく真面目に仕事をしていますが…、でも少なくとも村田一族は暴力団を便利な存在と考えているようです」
「そうですか…。お話よく分かりました」と児玉が青田の事件についての博識さに感心して言う。そこへ…、
「村田孝一とはどのような人物なのですか?」と丸山が今さらというような、それでいて重要な質問をした。
青田は「私の知っている限りでお答えします」と前置きして、
「村田孝一は、北海道東部に位置する遠東市出身の代議士で、そちらの方を選挙区にしています。孝一はその地域を地盤とする政治家一家に生まれ、将来を嘱望されて育ちました。また家業として建設業を営んでいて村田家はこの地域の名士でもあります。そして裏の世界でも威光を放ちます。代々村田家はこの地域の建設・土木業界の談合組織を仕切り、最終的な決定である『天の声』を発する立場にあります。それは彼の祖父である孝太郎が戦前に代議士になったあたりからのものだと言われています。
孝一は高校卒業までは地元北海道で育ちますが、その後東京にある我が国トップの国立大学である王京大学、それも法学部に入学し、それを機に上京します。孝一は幼少の頃から神童の呼び声高く、周囲からは当然のように『末は博士か大臣か』と言われて育ちました。ちなみに大学在学中には難関の司法試験にも合格しています。大学卒業後は代議士だった父・孝蔵氏の勧めで財務省に入りました。そして政界の実力者である父親の計らいもあり主流の主計局に入り、以来主計畑を歩み続け、主計官、主計局次長、主計局長と順調に昇進を遂げて省内では将来の事務次官候補ナンバーワンと目されていました。
全ての政策予算の殺生与奪の権限を握り、官庁の中の官庁と言われる財務省のしかも主流の主計局を押さえることによって、将来の政界進出の布石を打つという村田一族の目算があったことは言うまでもないことだと思っています。
そして主計局長を務めていた時に父である孝蔵氏が思いがけず急逝し、孝一は急遽、父の地盤を引き継ぎ、孝蔵氏死去を受け行なわれた衆議院の補欠選挙に出馬します。弔い合戦ということもあって選挙結果は村田陣営の圧勝に終わり、以来、連続当選7回を数え、その間に財務省政務次官、北海道開発担当大臣、国土交通大臣等を歴任し、現在、経済産業大臣の要職を務めています。そして、いよいよ与党・民友党の総裁へとその歩みを進めようとしているのです。まあ村田孝一というのは、言うなれば政界のスーパースター、いや、日本のモンスターですよ」と言った。
「に、日本のモンスターですか…。で、そのモンスターは、警察や検察も押さえることができてしまうということなんですか?」と児玉は畏怖の念を抱いて尋ねた。
「少し信じ難いかもしれませんが、残念ながら今のところ押さえることができてしまっています。村田は政権にいるという強みがあり、それだけでも力的には十分なのですが、しかし村田もずっと政権中枢にいられるとは限りませんので、それだけでは警察・検察を押さえ続けるのは難しい面があります。奴の本当の強みは財務省です。あいつは先程も述べましたが財務省の出身です。しかもずっと主流の主計局だったのです。そこを押さえている限り奴は不死身です」
「そ、そんなに財務省主計局というところは力があるのですか?」
「あります !。財務省の力の源泉はなんといっても予算編成の権限を一手に握っていることです。その予算編成をする部局が主計局です。財務省の本丸です。日本の本丸と言ってもいいかもしれません。検察庁、警察庁の予算も例外ではなく、ここでその予算も決められます。よって、検察、警察といえども自らの予算要求を通すためには財務省の顔色をうかがう必要があるということです。それともう一つ、これは検察、特に特捜部にとっては財務省傘下の国税庁の存在が大きいと言われています。というのも、国税庁の告発・摘発が巨悪を追及する端緒になることが多いからです。地検の特捜部と財務省の国税庁はタッグを組んでいるいわば同志ですので、その同志を裏切って財務省に捜査の矛先を向けるというのはやはり難しいというのが実情なのです」
「では、財務省というだけで、免罪符になってしまっているということですか?」
「ええ…、残念ですが今はそうなっているのが実状です。しかし、私たち、警視庁捜査二課や東京地検特捜部は巨悪を眠らせず摘発するというのが使命です。そして、検挙するホシは大物であればあるほどいいというのがこの商売に携わっている者の偽らざる本音です。これは私だけでなく、村田のような大物の悪徳政治家を挙げたいというのは警視庁二課の全捜査員はもちろん、特捜の検事たちの大多数も同じだと思います。検察内にも財務省恐るるに足らずの気概がなくもありません。実際、以前には東京地検特捜部が財務省を相手に大掛かりな捜査を展開したこともあり、その時には財務省キャリア官僚の逮捕にも至りました。このことは検察部内、特に上層部では特捜部の暴走だと捉える向きもあったようですが…、まあ、検察もやるときはやるということです」
「では、村田が特捜部に逮捕される可能性はあるということですか?」
「ええ、もちろん可能性としてはあります。しかし、今まではうちらと同様、特捜部も全て事件を潰されてきました。現場の捜査員ではなく検察・警察の上層部がいい顔をせず、土壇場になって捜査を止めさせるからです」
「そうですか…。まあ、分かります。うちらがまさに今そういう状況でしょうからね…。それでズバリお訊ねしますが今回の伊豆高原での殺人事件、青田さんはどのように筋読みされますか?」と児玉は尋ねた。
「うん…。長年、村田とその周辺を追いかけていますからな、水谷や小林園、それに陳麗華について誰よりも知っているという自負はあります。当然この殺人事件についてもある程度の筋読みはしています。私の想像も交えたお話でよければ…」
「ええ、ぜひお願いします」と真剣な表情で児玉は言い、青田の発言を促す。
「では、お話しましょう。私が考えるにこの殺人事件は村田の総裁選出馬の準備活動の一環により生じたものと見ています。村田はこの秋に行なわれる与党・民友党の総裁選に出馬することを決意しています。村田率いる村田派こと国振会(国家振興研究会)は党内第2位の勢力を得ていて、衆院議員52名、参院議員33名の衆参合わせて85名を擁する大派閥です。しかし悲しいかなこれだけの大勢力をもってしても自派閥だけでは村田の総裁選での当選はおぼつきません。ここがポイントで、当選するにはつまり他派閥から支援が必要だということになります。これには言うまでもなくカネが要ります。総裁になるには今では30億円以上のカネが必要だとも言われています。このカネは主には票集めのため、つまり議員などを買収するために使われるカネです。この買収に使われるカネをどれだけ集められるかが総裁選の勝敗を大きく左右します。問題はこのカネをどう集めるかです。政治献金、つまり政治資金収支報告書に載る表のカネだけでは政治資金規正法の総量規制の壁がありますので、とてもそれだけのカネを合法的に集めることはできません。ではどうするか、答えは簡単、非合法な手段である収支報告書に載せない裏献金を募るのです。それは往々にして自分の権限などの力を誇示してカネを集めるのですが、村田の場合は財務省出身という強みを生かし、建設族という自分の立場を利用してカネを集めています。つまり建設業者に対し、採算の取れる工事を持ってきてやることで関係する業界・業者に多くの献金を促そうというものです。具体的には村田がまず国交省に働きかけて開発計画を作らせ、そのできた計画に今度は古巣の財務省にかけ合って予算を付けさせる。必要ならば法律も作って国会を通す。こうすることによって『プロジェクト』が動き出す。今回の道東プロジェクトもこうした経緯でできたものです。
村田は、家業が建設業ということで地元、道東地域の談合組織はもちろん、今では中央というか全国レベルの談合組織も仕切っています。村田はその中央においても『天の声』を発する立場です。よってその建設業界から表と裏の両方から莫大な献金が寄せられています。が、しかし、莫大といっても彼の父親が受け取った過去のようなものではありません。最近ではその献金も長い不況で以前に比べれば大きく落ち込んだと言われています。今でこそ建設業界は東日本大震災の復興需要等でだいぶ上向いてきていますが、それでもバブルの頃の勢いとまではいきません。そこで危険ではあるが長年付き合いのある暴力団の幹部から紹介されたネットトレーダーという金のなる木も受け取ったのです。ただ、暴力団との付き合いがあると言っても実際の折衝は村田の実弟と秘書が行なっていますが…、そして、そのネットトレーダーは密入国により日本に入ってきた非合法な者です。露見すれば村田のイメージも大きく傷つくでしょう。しかもその女が中国当局から指名手配されている犯罪者となれば日中関係にも影響が出かねません。何より反社会的勢力との付き合いが公になれば彼の政治生命は終わりです。それだけのリスクを冒してまでその女トレーダーを手元に置いたということは…、カネ欲しさということも勿論あるでしょうが、基本的にはその女に村田が魅かれたからということでしょうな。とにかくそれがベースになっているということは一つ言えるかと思います。それと、村田が彼女に関心を持ったのは容姿といった女としての魅力だけではなく彼女自身の能力によるところが大きいと私は見ています。陳麗華は何と言っても中国国内の修羅場をかいくぐってきた海千山千、百戦錬磨の猛者です。危険な駆け引きも華麗にこなせるという能力も持ち合わせていたようで、現に村田は彼女を小林園社長就任の工作員として水谷の元に差し向けています。そしてタイミングよくその頃、旧友の水谷一郎が小林園社内で地歩を固め台頭してきていました。小林園は今や飲料業界5位の一大メーカーです。この飲料メーカーに水谷を社長に据え、再びダイヤスタイルのように献金させれば村田にとっては大きな資金源になります。なので村田は水谷を社長にすべく動き出します。そこで数々の修羅場をくぐり抜け、闇の仕事も華麗にこなしてきた中国人女トレーダー、陳麗華、日本での偽名、水嶋麗子を優秀な工作員と見込んで水谷のもとに差し向けたのです。言うなれば陳麗華の登場と水谷の小林園社内での台頭という二つのことが重なったからこそ村田が水谷支援に踏み切るという決断を下すことができたのだと思います。そして水谷も自分を社長にしてくれるために動いてくれる村田や陳麗華のことをありがたく思わないわけがありません。当然のことながら大変感謝し、特に陳麗華とはその女としての魅力も相まってほどなく愛人関係にも発展していきました。そんな気の合った二人は、暴力団と村田孝一の支援をバックに陳麗華がネットトレードでつくりだすカネと彼女が醸し出す妖艶さを武器に瞬く間に小林園中枢に迫ってゆき、役員連中などの会社幹部を次々に買収、籠絡していきました。その電撃的とも言える水谷側の攻勢に社長の小林玄太郎は大いに狼狽します。元々小林園は約300年続いた老舗の茶舗です。今でこそ総合飲料メーカーの体を成していますが事業の核心は製茶です。小林玄太郎はそのお茶の心も知らないアパレルメーカー上がりの水谷が社長に就くなどということは伝統と格式を重んじる小林園にとってはあってはならないことだと考えたのでしょう。しかも義弟であるその水谷は妻である自分の妹の香を騙し、暴力団とも繋がっている得体の知れない女トレーダーを愛人にして、あろうことかその愛人と共に自分に矛先を向けてくる。会社が潰れて窮していたのを救ってやった恩も忘れて…。小林玄太郎は水谷一郎と陳麗華に対する深い憎しみ、そして大きな怖れを抱いたのだと思います。さらに相手はこれから総理・総裁になろうかという実力者をバックにつけて攻勢を仕掛けてきている。窮した玄太郎は一計を案じます。自らと会社を守るために水谷と陳麗華を殺してしまおうと…。
おそらく小林玄太郎は、この時ほとんど全ての事情を知っていたのだと思います。彼は今も小林園社内に絶対の情報網を張り巡らしていると言われています。だから一つの確信があったのです。殺人事件が起きて、事件の背景が明るみに出れば一番困るのは村田孝一であり、よってこの捜査は村田が閣僚として参加している現政権から圧力がかかって迷宮入りになると…。事実そういう方向に動いていますよね。よってこの事件は、小林玄太郎が巧妙に仕掛けた殺人事件だというのが、私の結論です」
「やはりホシは小林玄太郎だと?」と児玉は尋ねる。
「ええ、私はそう見ています」
「そして殺された女は…社長就任の請け負い役」
「そう、女トレーダーの陳麗華」
「そうですか…、分かりました。それで、その女トレーダー、陳麗華の私物というか、DNAを鑑定できるモノはありませんか?」
「うん…、残念ながら、それは現時点ではありません。彼女は正体を隠していましたので、陳麗華と証明できるものがないのです」
「では、偽名である水嶋麗子としてはどうでしょう?」
「うん、こちらは、出てくるかもしれませんね。彼女が使っていた名刺には『村田孝一代議士 秘書 水嶋麗子』と記されていましたから」
「では、彼女の名刺を複数枚集めてそこに共通の指紋があり、なおかつ遺体の指紋と照合して合致すれば、事件の被害者が水嶋麗子ということは証明できますね?」
「ええ、そして、陳麗華である水嶋麗子と村田孝一とが暴力団の仲介のもとに知り合ったことが証明できれば村田はもう終わりです。うん、考えてみればおもしろい…。あなた方は水嶋の名刺を集めてください。私は麗華と暴力団、そして村田との関係を証明してみせる」
「分かりました!。捜査に全力を挙げます!」
「うん。あと言っておきますが、被害女性の件は小林玄太郎によって巧妙に仕組まれたトリックだと思っています。そのトリックを暴くのもあなたたちの仕事です」
「はい。ただ、今回の事件の背景と犯人の動機を解明できなければ、捜査は前に進みません。本件の被疑者ではないにしても村田孝一の証言は絶対に必要です」
「そうですね。しかし…、任意で事情を聴いても村田は今回の事件とは無関係を装うでしょう。絶対に口を割らないと思いますね。だが、あなた方の言う通り村田をパクってすべてを失わせれば奴は吐くかもしれない。ただ、村田本人はもちろん、関係者を自殺させないという大前提がつきますが…」
「ええ…。それで村田を逮捕できそうですか?」
「うん…。実際のところは正直分かりません。過去の失敗もありますから…。ただ、この国の将来のためにも奴を絶対に逮捕というか検挙しなきゃならんとは思っています。とにかく今、談合事件とインサイダー事件の裏付けを急いでいて警視庁も近く動くつもりです」
「ガサ入れ(家宅捜索)ですか?」
「そうです」
「しかし…、警視庁も上からの圧力があるのでは…?」と思わず丸山が問う。
「まあ、確かにあるとは思います。往々にして捜査への圧力は土壇場になって強くかかってくるものです。ですからまだこちらの下の方にまでしっかりとは届いていません。とにかく今回は人が殺されるという重大事件にまで発展してしまった。事件の背景がある程度表沙汰になり騒ぎが大きくなれば、捜査機関としては動かざるを得ないでしょう。どうしても動けないのなら…、奥の手を使うまでですよ」
「奥の手…とは?」と児玉が問う。
「マスコミです。マスコミに捜査情報の一部をリークするんです。それで世論に火を点ける。そうなれば情けない話ですが国民世論にケツを叩かれる形で捜査を進ませることができます」
「なるほど。しかしマスコミが我々の意図に沿ってうまく報道してくれるでしょうか?」
「それは、長年の経験と付き合いがものを言います。私も曲がりなりにも40年以上警察官をしていますからね。だてに歳は取っていないつもりです。全国紙の一紙や二紙、ある程度は思い通りに動かしてみせる自信はあります。それくらいできなきゃ警視庁捜査二課の刑事は務まりません」と青田は言って笑った。
「分かりました。頼もしい限りです。しかし村田は国会議員です。うまく令状が取れるでしょうか?。不逮捕特権もありますよね」と児玉は少しくどいとも思ったが、政界捜査の素人の率直な疑問が口に出る。
だが青田は、そんな児玉の気持ちを知ってか知らずか、これまでの表情を変えることなく、「まあ確かに一般人よりは少し困難ではありますな。まあ、なるべくなら不逮捕特権のある国会開会期間中の家宅捜索と逮捕は避けたいとは思います。でもね児玉さん、その辺は餅は餅屋だ。不正を働く政治家や役人の逮捕状を取ってくるのがうちらの仕事です。政治の動向には常に細心の注意を払ってやっているつもりですのでご安心ください。でもこれだけは言っておきますよ。私らはやるときはやります。うちはそういうところですから」と青田は真剣な眼差しで言った。そして、
「国交省からの通報者によれば公正取引委員会にもこの談合の話は伝わっていて既に調査を始めているとのことですし、特捜部も今回の件ではその公取(公正取引委員会)と協力して内偵という形で動いていると聞いています。特捜も上からというか法務省の上層部である『赤レンガ組』(法務省の庁舎が赤レンガでできていることからこの名がついた)からの圧力がかかっているとは思いますが、特捜の最前線もこれまでの恨みつらみがありますからね。特に現場の若い検事らの捜査への情熱は熱いものがあると聞いています。うん、彼らがしっかり裏を固めれば大丈夫です。そうなれば絶対に特捜は動きます。それだけに我々もうかうかしていられないのですが…。出し抜かれて全部特捜に持っていかれたら我々のこれまでの努力が水の泡ですからね。その辺は何でも競争です。ただ…、我々は特捜に比べ立場が弱い。基本的にこういう捜査は最終局面で検察に相談に行きます。ですからある程度の段階になるとこちらの捜査状況と捜査情報が検察に行きます。検察と捜査がバッティングしている場合、抜け駆けされたりして結果的に警察が譲らされる場合が少なくありませんのでね…」
「そうなんですか…、警視庁の二課も大変ですね。うちらは切った張ったの捜査一課というか強行犯担当ですからそういうことは想像もできません。同じ警察にいながらお恥ずかしい限りですが、知能犯の捜査は全くと言っていいほど分かりません」
「まあそれはこっちも同じです。私も一課の仕事は分かりません。児玉さん、とにかく世論も村田には批判的ですからそれを支えに頑張っていきましょう」
「ええ。村田も味方は自分の選挙区だけですかね」
「ほとんどの与党議員がそうですよ」と丸山が横から口を挟む。
「それと、青田さんは今回の殺人事件とインサイダー事件を含めたこの汚職事件は何か関係があると思いますか?」と児玉が尋ねた。
「直接的には関係があるとは思いませんが、村田の資金獲得活動の一環として繋がりがあると思っています」
「あと、村田がこれだけ大掛かりに資金獲得活動をしていて、村田の対抗馬を出す他派閥は焦りを感じているんじゃないでしょうか?。そこが今回の殺人事件に一枚噛んでいるということは考えられませんか?」
「可能性としては、ゼロではないとは思います。水谷は昔から村田のシンパです。旗幟を鮮明にしている分、敵も多かった」
「となると、まずは村田の政敵となりますか?」
「ええ、関係している可能性としては…、ないことはないですかな」と青田は自分の筋読みとは違うと感じているらしく少し気のない返事を寄越した。
「村田の政敵となると?」
「まあ、筆頭は最大派閥である大谷派の総理・総裁候補、星川誠司前外務大臣。あるとすればそれ絡みかと。第三派閥の宮坂派は次回の総裁選には候補者の擁立を見送るということですから、総裁選は事実上、星川と村田の一騎打ちです」
「それでは民友党大谷派と京都の小林一族が結託したということはないでしょうか?」
「無いとは言い切れませんが、元々小林園は政治とは一線を画してきました。独立独歩を基調としていてそれが急に近づくとは俄かには考えにくいところはあります」
「しかし、小林一族にしてみれば危急存亡の時です。なりふり構っていられないのでは…」
「う~ん、そう言われればまあ考えられはしますか…。大谷派にとっても小林園を味方につけておくことは決して悪いことではありませんからね。ただ大谷派にしてみても村田の失脚は両刃の剣です。現在の宮坂政権は最大派閥の大谷派と第二派閥の村田派の支援をバックに成り立っています。大谷派と村田派は現在は協調関係にあります。民友党内には大谷派、村田派、宮坂派と大きくはこの三つの派閥があり党内で主流派を形成しています。時には例外もありますが今までの結果としてはだいたいこの三つの派閥が順番に政権を担当してきました。ここからは少し余談になりますが、この総裁選に際しては候補者は皆当初は自己の主張を押し立てて激しく争います。まずここで、というかここに至る前の工作で賄賂である『実弾』(現金)が激しく飛び交います。しかし大派閥同士が争うこの一回目で決まることはまずありません。これは皆が知っていることで、次の決選投票が本番です。ではなぜ勝負が決まらないと分かっている一回目の投票で『実弾』が飛び交う激しい争いをするのかといえば、一回目の投票で多数を獲得した者が総裁になる可能性が一番高く、たとえそうならなくてもその多数を取った派閥がその後の様々な交渉を有利に運ぶことができるからです。
そして、次の段階である決選投票においてはこの主流三派の協調関係がものを言って、最後には落ち着くところに落ち着いていきます。その決選投票の前に派閥間で各政策やそれに伴う法案や予算配分、それと党役員や閣僚などの人事の擦り合わせ・折衝が行なわれます。そこで一回目の投票結果が大きくものを言って、その一回目で多数を取った派閥が大きな発言権を持つことができるようになっています。ただ、その決選投票前の折衝でもなるべく各派閥が自分らの意見を通そうと『実弾』を乱射することが常となってはいますが。ですから総裁選に際しては総裁候補を出していない派閥でも自らの主張を政策に反映したければ多くのカネが要るということになります。もっとも候補を出していない派閥は票の草刈り場になりますから入ってくるカネも相当な額になるとは思いますが…。とにかく総裁選に関しては各派、大変な量のカネが要るというのは確かなことです。
まあ、それは余談として、結局のところこの三つの派閥のどこが政権を取っても主流派である限りは自分たちの意見がある程度反映される政権を作ることができます。しかし、村田派が潰れてしまえばこの主流三派による安心・安全のシステムも無くなってしまうかもしれない。そのリスクを負ってまで犯行に走るとは…、やはり、私にはちょっと考えられない…。
村田派は党内ナンバーツーの存在で近年急速に力を伸ばしつつあり、ここらで一つ村田派を挫いておきたいという願望は大谷派内にもあるかとは思いますが、それでもそのことをもって村田のスキャンダルが表沙汰になることも狙ってというか覚悟して凶行に走るとはやはり考えにくいですね。確かに村田が失脚して村田派所属の議員がそっくり大谷派に流れれば村田の失脚は益あるものです。しかしそんなことはないだろうし、そもそもそれは民友党が来たる選挙に勝ち抜き、あくまで政権・与党が安泰であることが大前提の話です。もっと大きな視野で政権・与党と見るならば、現内閣の閣僚である村田のスキャンダルは言うまでもなく現在の宮坂内閣・民友党のスキャンダルです。政権が、党が吹っ飛んでしまうかもしれないようなそんな危険な橋を渡るとは…、う〜ん、やはり私には到底考えられません。
それに、第一、大谷派がその犯行に乗るには、実行犯が絶対に殺人をしくじらないという条件が付いてくる。そこもリスクだ。万が一、実行犯の小林玄太郎が殺人に失敗し、大谷派との関係も洗いざらい話されたら大谷派どころか民友党もおしまいですよ」
「やはり、考えにくいか…」
「ええ、やはり小林玄太郎サイドの単独犯行というのが私の一貫した見方です。ただ、事後においては両者が接触している可能性は否定できないとは思います。現に政権サイドから圧力がかかっていますからね。それによって結果的に小林玄太郎は守られている格好です。大谷派としては村田孝一だけを守っても益はありません。捜査圧力で小林玄太郎に恩を売り、小林園からの支援を引き出す。そして村田には、政権としてその捜査に圧力を加えてやる代わりに、総裁選辞退を促す。そうなれば大谷派にとっては一番いい結果です」
「なるほど、まさに一石二鳥ですね。しかし、今の政権は党内第三勢力の宮坂派が総理を出して主導しています。すんなり大谷派の要求が通るのでしょうか?」
「まだ本当のところは分かりませんが、一般論でいけばそこは持ちつ持たれつというやつでしょうな。貸しが多い分見返りも大きいと考えればやる気も起きます。それになんだかんだ言って宮坂政権の死命は最大派閥の大谷派が握っていると言っても過言ではありません。宮坂としては『大谷から頼まれれば断れない』これが実情だと思いますよ。でもしかし、いつまでもそういう状態ではダメだという思いもあるでしょうな。もし宮坂派と村田派がまともに組めば大谷派を凌駕することができますからうまくやれば宮坂もトップ派閥の長になることができます。ただ、我々としてはそういう政治力学がどう作用しているか残念ですがまだ把握し切れていません」
「そうですか…。それにしても政権・与党として捜査に圧力を加えたなんてのがもし露見したら大変なことになりますね」
「うん…、まあそうですな。そのリスクを考慮して接触は敢えて避けているということも十分考えられところです」
「ええ」
「でもね、児玉さん、その実際のところは必ず暴いてみせますよ。必ずね」と青田は言って真剣な眼差しになる。
「そうですよね」と児玉も思わず力がこもる。
「今日は本当にいろいろお話ありがとうございました。なかなか表沙汰にはできない状況ですが、また捜査協力をお願いするかと思います。その時はどうか、どうかよろしくお願いいたします」と児玉は最後には悲壮な表情になって青田に懇願し、丸山とともに深く頭を下げた。
「分かりました。事件解決のため、私にできることでしたら何でも喜んでいたします」と青田も意を決した表情でその言葉に応えてくれた。