新米女子に恋の話 の 5
浩太郎が四回目の登校をした日の休憩時間、美優はひとりで浩太郎の教室を訪れた。
「ご用事はないですか?」
妹ではなく一年女子を小間使いにしているのは、浩太郎的にはあまりよろしくないことだったが、親しく見知っている間柄なので、それだけで浩太郎は強く断ったり咎めることはできなかった。
うれしそうに尋ねる美優に、浩太郎は少し困った顔で「別に」と応える。
わざとつれなくしているわけではなく、移動することもなく頼める用事がなかっただけのことだ。
一、二分浩太郎のそばにいて、再度本当に用事がないのを確かめると、帰っていった。
次に来たのは昼休み、ほとんどの生徒が弁当を食べ終えた頃だ。
浩太郎も小さなパンをゆっくりと食べ終えるところだった。
「また来ました」
「じゃあ、ごみ捨ててもらっていいかな」
パンの袋等を、手渡した。
「はい」
美優はその僅かな仕事に喜んだ。拒絶はされていないと確認できたからだ。
五秒ほどでその仕事を終えた美優に、浩太郎は「ありがとう」と笑顔を見せる。
次に浩太郎は、薬を取り出して、机の上に並べる。
十種類ほどのそれを、ペットボトルの水で、順番に飲んでゆく。
「そんなに飲むんですね」
「うん。朝と夜はもっと多いよ。日常生活をするためには、どれも欠かせないんだ」
薬を飲み終えると、カバンからポーチを取り出す。
少しの間考えて、浩太郎は告げる。
「今日はもういいよ」
車椅子を動かし始める。
「どっか行くなら、お手伝いしますよ」
「トイレだから、ひとりで行きたいんだ」
「一緒に中までは入りませんよ。だから前までは押させてください」
少し恥ずかしそうに言う浩太郎を、美優は笑う。
しかし、彼女の勢いなら、入ってこないとも限らないと感じる。
既に美優は、車椅子を押し始めていた。
「そっちじゃないんだ」
美優が向かい始めていた、一番近いトイレを浩太郎は否定する。
そこの男子トイレにも車椅子で使える個室はある。しかし、そこではできない理由があった。
浩太郎は美優に目的のトイレを指示する。
保健室近くのバリアフリーのトイレ。ここが他と違うのは、男女共用ということだ。
「もういいよ。ありがとう」
トイレ前まで押してきてもらった浩太郎がお礼を言う。
「帰りも送っていきますよ」
「時間掛かるかもしれないし、待ってもらうの悪いから」
はにかみながらトイレ内に入ると、浩太郎は鍵を掛けた。
便座の上に身体を移してから、制服の代わりに着ている指定のジャージのズボンと、身体を冷やさないためのタイツを下ろす。
ブリーフを下ろして確認する。
朝、下腹部に違和感を感じて念のためにつけておいたナプキンに、予想どおり経血が着いていた。
下半身の感覚はまだ鈍い。
ひょっとすると、と思っていたが、漏れていなくて安心することが出来た。パンツを穿き替えなくても済んだ。替えのパンツは、母親が入れてくれた生理用のショーツしか持ってきてない。出来れば穿きたくはない。しかも学校でなんて。
ナプキンを汚物入れに捨て、お尻を洗う。
浩太郎は下腹部に手を当てる。そこに奏の存在を感じる。
男の自分にはありえない姿。たとえ恋人であったとしても見せることはない姿。
もし奏の意識が存在していたなら、どんなにか恥ずかしがっていることだろうと、浩太郎は申し訳なく思う。
トイレの用も済ませると、ぎこちない手つきでナプキンを取り付け、パンツを引き上げる。
男のものがない股間に触れるナプキンのゴワゴワ感には慣れそうもないなと、ため息をついた。
ズボンをあげて、服装を整える。
車椅子を進めて、トイレを出た。
「わぁ!」
美優の姿を見て、思わず声が出た。
今までしていたことを見られていたわけはないけれども、急に恥ずかしさが倍増する。
「ほんと長かったですね。大ですか?」
「違うよ!」
付き合いの長い美優は、遠慮なく言う。
浩太郎はそれを強く否定した。
「でも、小さい方にしては、時間掛かりすぎだから、中だったりして」
「なんだよ、中って?」
“トイレの中”がなんだか分からず、聞き返す。
「大っきい方と小さい方の間から出るのだよって、男の人はしないですよね」
その冗談に、「当たり前だ」とか「女の子がそんな冗談言うな」と笑って返されると美優は想定していた。
しかし、図星だった浩太郎は何も言えず、ただ恥ずかしそうに黙り込んでしまった。
何も言ってもらえず、美優も気恥ずかしくなる。
咳払いをして気を取り直す。
「じゃあ、教室に戻りますね」
「どうして、ここまでしてくれるの?」
動き始めてすぐ、浩太郎は尋ねる。
妹の友達。ただそれだけの関係だ。普通ならここまではしないだろう。するにしても、妹の明美に付き合ってとか、明美が出来ないときに頼まれての代理でだろう。
ただその返事には、およその察しがついていた。
もしそうなら言わなければならないことがある。
美優はしばし黙り込む。
「…… わたし、明美が羨ましかったんです。優しいお兄さんが欲しかったんです。でもそれが恋心だって気付いたときには、お兄さんに恋人が出来てて…… んー反対かな。お兄さんと奏さんが付き合うのを見て、わたしは恋してたんだって気付いたんです。超ラブラブだって聞いて諦めました。でも今なら……」
もし美優の告白が奏との出会いの前なら、恋人同士になっていたかもしれない。
浩太郎も美優のことが好きだった。ただ、そのときは男としては幼くて恋愛感情といえるものではなかったが、いずれ恋人同士になるかもと軽い妄想をしていたのは事実だ。
しかし今の浩太郎にとって、美優と恋人同士になることは考えられなかった。奏の下半身を移植されて、事故の前より強い絆を感じている。
おそらく奏も白血病の死の縁にあって、浩太郎の骨髄を移植されたとき、運命の絆を感じていたのだろう。今の浩太郎にはそれが良く分かった。
ただ、奏が浩太郎に告白したときと違うのは、その思いを伝えることがもう出来ないということだ。
「ごめんなさい。不謹慎ですよね」
美優は「恋人に」という言葉を飲み込み謝った。
大好きだった人の死からまだ一年も経ってない。恋人の死を受け入れていないときに、告白などするべきではないと思い直したのだ。
「僕は美優ちゃんが好きだよ。でも、たとえ二年、三年経っても、僕は美優ちゃんと恋人にはならないよ」
「どうして……」
好きだと言われて、身体が熱くなるのを感じ、恋人になれないと言われて、苦しさを感じた。
好きだから言わなければと思った。
「奏は、いまでも、これからも、一生僕の大切な、大好きな人なんだ。それなのに、そんな気持ちで美優ちゃんとは付き合えないよ。それに……僕の身体じゃ、美優ちゃんの恋人になれない」
身体のことだけは、そうはぐらかした。美優はきっと障害のことだと捉えただろう。
「それでも、そばにいたいんです」
美優は強く訴えた。
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