新米女子に恋の話 の 4
たいへんお待たせしました
これからもよろしくお願いします
五分前の予鈴が鳴り、昼休みもまもなく終わる。
“希世子とのお昼”を済ませて、戻ってきた湊。
湊の教室の前では、他のクラスの女子たちが、いつもよりたくさんたむろしている。
うんざりしながら彼女たちの間をすり抜け教室へ入ろうとするその時、湊は躓いて、倒れてしまった。
教室前の女子たちは誰一人として、手を貸さないが、気付いた理沙たちが、教室の中から飛び出してくる。
理沙と聡美の手を借りて、湊が立ち上がる。
「ありがとう」
「怪我はない?」
「大丈夫みたい…… あっ!」
自分が倒れていた場所に落ちている封筒を見つけ、湊がそれに手を伸ばすが、断然早く他のクラスの女子が拾い上げる。
それは、一志が湊に手渡した封筒だ。
「あっ、ダメだって!」
湊が叫ぶが、彼女たちは無視をする。
封は既に切られていた。
ひとりが手紙を取り出し、読み上げる。
「前略。
昨日は大変失礼なことをして、申し訳ございませんでした。
休んだりするのには当然事情があるものと容易に想像が付くにも関らず、誰もが自分と同じ健常者と思い込み、三沢様の事情を考えていませんでした。
加えて、僕の恥ずべき言葉に対し、自分にも非があったと頭を下げられたことに、僕は自分の小ささを感じてしまいました。
これからは、人間としての勉強もして参りますので、それに免じて昨日の非礼をどうぞお許しください。
草々。
尊敬すべき三沢湊様。一年一組 宮田一志」
手紙の朗読は終わった。
全員、期待外れに黙り込む。
「高校生とは思えない立派な謝罪文ね」
聡美が呆気にとられながらも、感心してつぶやいた。
「それだけ?」
誰かの問いかけに、封筒を覗き込むも、他には何もなかった。
「これだけ…… なぁんだ、もう、怒って損しちゃった。はい、尊敬すべき三沢湊様」
彼女はそう言うと、封筒に戻さないまま、手紙を湊につき返した。
「ほんとに人騒がせなんだから。あのボクッ娘は」
「良かった。わたしもまだチャンスあるかな」
「でも良く考えたら、あんな女っ気のない子が、コクられる訳ないわよね」
他にもさんざんな捨て台詞を残して、女子たちは離れていった。
午後の授業が始まるチャイムがなる。
「湊……」
「……」
理沙の呼びかけに、湊はうつむいたまま何も言わず、黙って教室へと入って行った。
自分の机に着くと、両腕を枕に突っ伏した。
クラスメイトには、湊のそれは理不尽な女子の言葉に傷ついたように見えた。
しかし、実際には西林希世子から命じられた芝居がうまくいったことに安堵してのことだった。
▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲
「お兄ぃさーん」
三度目の登校をした日、休憩時間中の浩太郎に廊下から声を掛ける女子がいた。彼女の後ろには明美もいる。
真新しいセーラー服が一年生だと主張し、彼女たちの表情からは三年生の教室を訪れることに少し緊張していることも窺われる。
「あ、美優ちゃん。女の子らしくなったね」
「あーセクハラぁ。でもお兄さんだから許しちゃいます」
浩太郎がよく知る女の子は明美の幼稚園からの友達で、三沢家にもよく遊びに来ていた。
明美と部屋にこもって遊ぶことはあまりなく、浩太郎も一緒に話をしたり、遊びにつき合わされたりもしていた。
浩太郎が知る彼女の姿は、いつも男の子っぽい恰好で、スカートを穿いているところなど見たことがなかった。
それで浩太郎はそう言って、美優も冗談で返したところだ。
「どうしたの? 何か用?」
「美優がお祝いを言いたいからって。それだけ」
兄の質問に明美が、心配そうに言う。彼女の心配は美優のテンションの高さが、浩太郎を疲れさせるのではということもひとつだ。
「ご退院おめでとうございまーす」
「退院はもう少し先だけどね。ありがとう」
「明美から聞きました。十回くらい心臓止まったって」
一転辛そうな表情を見せる美優。
その情報源の明美に、浩太郎は視線を向けるのを留まった。
明美が美優に嘘を言ったとは思わない。
「お医者さんからは三回って聞いてるけど……」
雑談の中で聞かされたそのことが正しいかはわからない。しかし事故直後に手術室に運び込まれたときには、心肺停止状態だったし、危篤を告げられて家族が呼ばれ、明美も見守る前で、心停止となり心臓マッサージで蘇生したことは、明美からも聞いていて間違いのないことだ。それ以外でも心臓が止まりそうだということを聞いて、不安の底に落ちていた明美が心臓が止まってしまったと勘違いしていても、嘘をついたとか、大袈裟に言ったとか責めることは出来ない。
そう責めているととられる行動はしないでおこうと、浩太郎は気遣ったのだ。
「事故から一週間して明美に会ったときは、死にそうなくらい憔悴してて、大変だったんですよ」
「明美を支えてくれたんだね。ありがとう」
「わたし、何も出来なかったんです。無責任に大丈夫だよって言えなくて」
誰もが助かるはずがないと言っている状態で、「大丈夫だよ。きっと助かるから」など虚しい言葉は、むしろ傷つける言葉だと美優は思ったのだ。
それでもだまって寄り添ってくれたことで、明美の支えになったことは間違いないと、浩太郎には思えた。
「二学期が始まってからの一週間の間に危篤の呼び出しが三回あって、その後も鳴ってないのに鳴ったと思って慌ててケータイを取り出すのを見てたら、もうハギュッてしてあげるしかなくて」
美優はそのときの再現とばかりに、明美をハグする。
「そんな妹不幸をしたんだから、元気になったらしっかり妹孝行してあげてくださいね。ケンカしちゃダメですよ」
ころころと表情を変える彼女の眼は、真剣にまっすぐと浩太郎を見ていた。
浩太郎が女性になるという意志表明したときに反発した明美の変化に気付いて、美優は二人の間に何かあったと心配していたのだ。
お見舞いを言うよりもこのことが本当の目的かと思うと、明美が心配そうな顔をしていた理由が、ここにあったことに浩太郎は思い至る。
「明美が悪い」と親友の前で言われたくはないだろうし、ケンカの原因の話などに及ぶことは避けたかったのだろう。
「ケンカって言うほどのことはしてないよ。大丈夫、もう元通りだから」
「ホントだよ。ケンカなんて全然してないんだから」
安心させるための言葉に浩太郎は取り繕うウソは入れなかった。
しかし、ケンカと言うほどではない何かを追求されたくなくて、明美は全否定する。
「わかったわかった。そうだよね。お兄さんも言ってるからケンカはなかったんだよね。うんうん」
明美に対して、そう納得してみせる。今は追求することが目的ではなかったのだから。
「じゃあ戻ろっか。あんまりお話してるとお兄さん疲れるかもしれないからね」
「美優がそれ言う!?」
納得いかない様子だが、兄を疲れさせてはいけないことは分かっていたので、美優に続いて短く別れを言って、その場を後にした。
その日の放課後だ。
浩太郎は、病院の介護送迎用の車が迎えに来る時間までを教室で過ごしていた。
クラスメイトたちは、既に帰宅したりクラブ活動に行って、残っているのは僅かだ。
そこへ再び美優がやって来た。
「やっぱり」
美優が浩太郎を見て、そうつぶやいた。
「!…… 美優ちゃん。どうしたの?」
美優のつぶやきの意味に気付き絶句し、そして誤魔化すように尋ねた。
「明美とまだ仲直りしてないんじゃないですか?」
責めるような口ぶりではなかった。
しかし言い訳せずにはいられなかった。
「本当にケンカなんてしてないし、ちゃんと仲直りしたし…・・・」
「それ矛盾してます。ケンカしてないなら、なんで仲直りするんですか?」
「ケンカはしてないよ、本当に。ただ、んー、退院後の生活のことを明美が受け入れてくれなくて、明美に口を利いてもらえなかっただけだよ。でもちゃんと仲直りしてるから」
僅かな間、美優は黙り込み、次に言う言葉を整えていた。
「以前の明美なら、きっと休み時間のたびにお兄さんのお世話をしてたと思う。放課後もきっと付き添ってたと思う。ひょっとしてわたしと一緒だから、お兄さんのお世話が出来ないんじゃないかと思った。だから今日は用事があるからって、先に出てから戻って来たんです。そしたらやっぱり、明美ったら来てないじゃない。こんなお兄さんを置いてひとりで帰るなんて明美らしくない。きっとまだわだかまりがあるか、仲直りしたふりなんじゃ…… 明美って根に持つタイプでしょ。お兄さんが思っているようには明美のほうは考えてないかもしれませんよ」
「仲直りは間違いないと思うよ。でも確かにまだ何かわだかまりのようなものがあるのかもしれないね。あ! そろそろ行かなきゃ」
迎えの時間が近づいていた。
「じゃあわたしが押します」
「ありがとう」
美優は車椅子の後ろに回りこみ、笑顔で押し始めた。




