新米女子と死の記憶 の 5
まもなく車で到着した阪元は、湊たちを乗せて車を走らせた。
ケータイを取り出して、助手席の聡美に渡し、指図して高塚の病院へ掛けさせる。
はじめ、聡美がケータイを運転する阪元の耳に当て、阪元が受け入れの要請をする。
その後は聡美が代わり、発作の起きた状況や、現在の様子を伝える。
「先生。湊に何が起きたんですか?」
理沙が湊を抱きしめて支えながら尋ねる。
「おそらく事故の時のことを思い出して、精神的な発作が起きたんだろうな」
それだけ言うと、阪元は運転に集中する。
湊のうわごとと、聡美の状況を報告する声だけが、車内に聞こえる。
やがて湊の声がしなくなり、眠っているように静かになった。
「もうすぐ着くぞ」
阪元の声に、湊が目を開く。
「先生、僕は……」
湊は今の状況が分からず尋ねる。
「三沢。分かるようになったか?」
「湊。大丈夫? 分かる?」
理沙が尋ねる。
「今、正気に戻ったようです。もうすぐ着きます」
助手席の聡美が報告する。
湊が左を見ると、心配そうにしている恵がいる。
「三沢、今は何も考えるな。そうだな……木村の顔でも見ていろ」
阪元先生に言われて、右を向くと、抱きついている理沙の顔はすぐそこにあり、唇が重なりそうなくらいの距離だ。
顔が真っ赤になるのを湊は感じて、他に何も考えられなくなった。
まもなく車は病院に到着する。
玄関では受け入れ態勢が整っていて、数名の医師や看護師たちによって出迎えられた。
恵に続いて湊は車を降りようとするが、足が前に出ない。何かに挟まったり引っかかったりということではない。まるで、そこには自分の足がないかのように、動かそうとしても全く動かないのだ。
「足が……」
それを見て看護師が、湊を車から抱きかかえるように引き出した。
そのままコマ付きのストレッチャーに乗せる。
「車を置いたら向かうから、ついて行ってやれ」
阪元先生が車を発進させる。と同時にストレッチャーが動き始める。
湊はいつもと同じ個室に運び込まれた。
湊の診察と、理沙たちからの状況の聞き取りが終わる。
「PTSD・心的外傷後ストレス障害、或いはASD・急性ストレス障害ですね。フラッシュバックが起きたと思われます」
「PTSDの治療は受けました」
湊は訴える。
「申し訳ない。完全には治療ができてなかったようです」
心療内科の先生によると、事故の場所に対しての治療はできていたけど、事故の相手つまり黄色い車に対する心の治療ができていなかったというのだ。
今日まで起きなかったのは、事故のときと類似した状況がなかったからで、今日になって、事故以来初めて黄色い車が自分に向かって来るという事故に似た状況に遭遇しフラッシュバックを発症し、それによる事故の追体験が事故直後の足の動かない状態の自己暗示のようなものを掛けたのだろうということだった。
「足はまた動くようになりますか?」
さっき飲んだ精神安定剤が効いてきたのか、眠気が押し寄せてきた中尋ねる。
「もちろんだとも」
「わたしは学校に帰る。女は顔だ。笑顔を忘れるな。じゃあ、ゆっくり休め」
「迷惑を掛けてすみません」
「わたしの仕事だ。気にするな」
言うと、阪元は病室を出て行った。
病室の外では理沙と恵と聡美が待ち構えていた。
「湊はどういう状況なんですか?」
「薬を飲んで眠るところだ。送っていこう」
理沙の問いかけに短く答えた。
「先生!」
聞きたい答えを理沙は促すが、応えず車へと急ぐ。
全員が乗ったにもかかわらず、エンジンをかけず、阪元はしばらくハンドルにもたれかかっていた。
「わたしも医者だ。守秘義務ってやつがあるんだよ。カルテの内容は話せない」
三人は残念そうなため息を漏らす。
「しかし、これだけのことを見ていて、何も教えないというわけにもいかないだろうな。
三沢はな、この病院の前で事故に遭ったんだ。助かったのは奇跡だ。私が事故現場を見ていたらたぶん即死だと診断していたと思う。
事故直後に救命措置を受けられ、手の着けようがないと判断されるような状態にもかかわらず助けようという決断があり、緊急にも対応できる助けられる救命技術があり、各部の緊急手術に必要なそれぞれの専門医がその瞬間に揃っていて、緊急にも係わらずドナーがいた。二十四時間を越える大手術をしても尚、何度も再手術をして、ひと月以上危篤が続いていたそうだ。
三沢は事故の直後しばらくは意識があったと聞いている。自分の身体がどういう状態かを見て、死に直面した三沢が、どれほどの恐怖を感じたかは想像するに難くない。
それだけの恐怖を受けた心は、そう簡単には癒されない。何かの拍子に、そのときのことを思い出して、存在しない恐怖を感じるんだ」
「そんな、それじゃ、湊はこれからもずっと今日みたいなことに怯えながら過ごさないといけないんですか?」
理沙が涙を流す。
「治療の成果を期待するしかないな」
「先生。そのとき誰か亡くなったんじゃないですか?」
恵が恐る恐る尋ねる。
「どうしてそう思う」
「湊が事故直前に行った旅行を思い出して泣いたから」
「それに奏って呼んでました」
恵と聡美が伝えた。
「……あいつの大切な人だ。いいな。わたしから聞いたと言うなよ。それに今のことは誰にも言うな」
阪元は目を閉じ、深く深呼吸をする。
奏の名を呼び続けていたという姿が、過去の自分に重なる。
その過去を振り払うように、左右に首を振ってから、阪元はエンジンを掛けた。




