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湊がみんなと奏でるストーリー  作者: 輝晒 正流
第九話 新米女子と死の記憶
40/73

新米女子と死の記憶 の 1

 ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ 


 事故以来初めて、浩太郎は病院の建物の外に出る許可をもらった。

 と言っても、敷地から出る許可ではないので、家に帰ったりはできない。

 ただ、外気を吸うだけだ。

 浩太郎は車椅子に乗り、看護師が押してくれる。

 すぐ横を明美が付いて歩く。

 一月末の空気は冷たく、浩太郎はかなりの厚着をしている。

 最初は中庭に出て、そこでゆっくりとする。

 「どう? お兄ちゃん」

 「空気が冷たいね。でも気持ちいい」

 空は青く、時々流れていく雲の白さ、常緑の植え込み、雑草や土の色、そして街の騒音さえも新鮮に感じていた。

 直射日光に当たるのも、事故以来だ。あの時は真夏で、猛暑だったのを思い出す。

 「気持ちいい」

 しばらくしてから浩太郎は、その言葉を繰り返した。

 看護師に押されて、車椅子が進み始める。

 中庭を出て、駐車場に出る。

 そこは一般用ではなく、回診や介護の送迎などの業務用駐車場だ。

 排気ガスのせいかどうかは分からないが、浩太郎はそこを気分がいいとは思えなかった。

 ゆっくりと進む車椅子が、次の角を曲がると、見覚えのある景色が見えてきた。

 病院の正面だ。

 救急搬送用の入り口があり、その向こうが夜間外来。業務用の小さな出入り口があり、そして正面玄関がある。

 あの日、その正面玄関から院長と別れ、門を出たところで、事故にあったのだ。

 「寒い」

 浩太郎は両肩を抱く。

 気温が下がったわけでも、風が吹き付けたわけでもない。浩太郎が感じる温度だけが変わっていた。

 「じゃあ、病室へ戻りますね」

 看護師が言う。

 そこから近い入り口は、正面玄関なのでそちらへ向かう。少し急ぎ気味だ。

 正面玄関が近付くにつれ、浩太郎は身体がさらに冷えていくのを感じた。

 震えているのが、看護師と明美にも分かる。

 「大丈夫? お兄ちゃん」

 明美が声を掛ける。しかしそれには答えられなかった。

 まるで、冷凍室に閉じ込められたかのような、恐怖を覚える寒さだ。

 浩太郎の異常さに、看護師は急ごうとするが、正面玄関は混み合っていて、急ぐことはできない。

 ・・・

 浩太郎は、いま自分が病室まで戻ってきていることは分かっていた。

 「大丈夫ですか?」

 看護師のその問いかけにも答えられず、うつむいたままでいた。

 どのようにして病室まで戻ったのか、憶えていない。

 時間もどれほど掛かったか分からない。

 主治医の先生をはじめ何人かが、何も応えられないでいる浩太郎の様子を心配そうに窺っている。

 「浩太郎君」

 「は、はい」

 上ずったような声がようやく出る。

 「大丈夫だよ。ゆっくりと深呼吸しよう。もう恐くないから。大丈夫」

 優しく語りかける言葉に、浩太郎は少しずつ落ち着きを取り戻していった。


 丸一日掛けて様々な検査を受け、その後出された診断は、PTSD・心的外傷後ストレス障害というものだった。無意識のうちに、事故現場に恐怖を感じているのだろうとのことだ。

 「治りますか?」

 という浩太郎の問いかけに、心療内科の先生は「治るよ。大丈夫。一緒にがんばろう」と励ます。

 早急に治療方針が立てられ、治療が始まった。

 翌日からのスケジュールは、浩太郎にとって、これが入院生活? と思うほどハードなスケジュールになった。

 リハビリがあり、車椅子やトイレの訓練があり、PTSDの治療が始まった。

 PTSDの治療というのは、事故のことを、心療内科の先生やカウンセラーと話すというものだ。そのとき何があって、何を考え感じたか。そして、それが過去の出来事であると、心の整理を付けていくものだった。

 浩太郎は話をするたびに、苦しくなったり、涙が止まらなくなったり、号泣したりした。

 その治療の間は明美は入ることはできないのだが、病室の前で待っていて、終わると入ってくる。

 その時の明美の顔は、浩太郎と同じで、いつも涙でぐちゃぐちゃだった。

 「もう少し遅く来てよ」

 浩太郎は自分のそんな姿を見られることが恥ずかしかったし、明美のことを泣かせたくはなかったから、そうお願いした。

 「いいの。廊下でお兄ちゃんのことを応援したいから」

 明美はそう答えた。

 治療が進み、浩太郎は事故の状況を思い出して、発作に苦しくなるようなことはなくなっていた。

 そして、浩太郎は明美に頼みごとをした。


 車いすの訓練を兼ねて浩太郎は、病院の正面玄関に向かう。

 明美がそこで花を用意して浩太郎を待っていた。

 「お兄ちゃん大丈夫?」

 心配そうな明美に、浩太郎は頷いてみせた。

 車椅子を進めて、浩太郎は玄関の扉を抜け外に出る。

 以前のような異常な寒さや、苦しさを感じることはなく安心する。

 浩太郎は自分で車いすを操作して進める。

 そして門の外へと出た。

 以前そこにあったコンクリートの塀はなくなっていて、今は花壇が造られていた。

 浩太郎は花壇の片隅に持ってきた花を供える。

 涙があふれてきた。

 「奏…… ごめん。それと、ありがとう」

 しばらくの間、その花壇を眺めていた。

 そして涙を拭うと、浩太郎は明美に頼んで、車いすを押してもらい、病室へと戻った。


 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 

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