新米女子は新しい生活をスタートする の 2
始業時間ギリギリだったこともあって、ほとんどの生徒はすでに登校していて、カバンを自分の席に置き、中学の友達同士と思われるグループを作って騒いでいる。
入り口に立つ杖をついた湊の姿に、一斉に視線が集まった。
緊張と恥ずかしさのために身体が硬直するのを感じていた。
しかし集まった視線は、ほとんどがすぐに元の方へと戻った。
席順が黒板に張られているのを見つけて、湊は自分の席を確認する。
基本男女混合の名前順だったが、それとは関係なく湊は前の出入口の一番近くの席だった。
足の不自由な湊への配慮と同時に、遅れてきたときに授業の邪魔となるのを最小限に抑えるためとも言える。
湊が黒板の前から自分の席に向かったとき、隣の席の男子が自分の机を動かし、通り道を広げてくれた。
「ありがとう」
湊のお礼の言葉には、シャイな男子が女子にするように、彼は照れくさそうに会釈だけを返した。
「どうしたの? 骨折?」
席に着いたばかりの湊は背後から声を掛けられた。まるで以前からの友達に声をかけるように、心配そうな様子だ。
もちろん知ってる子ではない。なぜなら、このクラスに湊と同じ中学出身者はいない。というよりこの学年にはいない。そうなるように中学の先生と相談し、少し遠いこの学校を選んだからだ。
初日から声をかけられるとは思ってもいなかった湊は、彼女の方を振り返ってみたものの、どういう風に説明しようかまだ考えてなかったから、すぐには言葉が出なかった
「いつでも手を貸すから、遠慮なく声を掛けてね。私、木村理沙」
戸惑い気味の湊に、ボブヘアの似合う少しふくよかな彼女は優しい笑顔を向ける。
「あ、ありがとう。僕は三沢湊です。中三の夏休みに事故で……」
マスク越しに小声で応える。
「それからずっと半年も松葉杖生活なの!」
「事故に遭ったのは一昨年で、しばらく寝たきりだったんだ。それで一年遅れなんだ」
一年半以上前、中学三年夏休みにのとき事故に遭い、そのために出席日数が足りず、翌春から二度目の中学三年生をしていた。
「えっ! そんなに大変な事故だったの。ホントかまわないから、必要なことがあったら言ってね。あ、言ってくださいね」
年上だと気付いて彼女は言い直す。
クラスメイトに敬語でずっと話されては、友達になんかなれない。ずっと浮いた存在でいるのに耐えることは、湊には無理だと分かっていた。
「敬語なんていらないよ」
そう言う湊に、理沙は笑顔で頷いた。
直後におどおどとした様子で、かわいいというより美少女というべき女の子が教室に入ってきた。男子の目が彼女に釘付けになり、彼女はそれが嫌そうな様子で伏目がちに男子の視線に背を向ける。
まだ自分の席が分からない彼女に、理沙が黒板に貼られた席順を教えてあげる。
「ありがとう」という彼女の笑顔を、湊は下心などなく、かわいいなと感じていた。
「遅刻、遅刻!」
と騒ぎながら、教室へ突入してきたのは、赤い縁のメガネをかけたセミロングの髪型の女子だ。
前方不注意の突入の結果、入り口付近にいた理沙にぶつかり、理沙は美少女にぶつかり、美少女は近くにいた男子にぶつかり、男子の背中にその豊かな胸を押し付けることになったのだ。
美少女は過剰な反応で男子から跳んで離れる。
教室に駆け込んできた女子は、あまり悪気がなく、「ゴメーン」とおどけている。
理沙もその様子に、笑いながら「危ないでしょ」と返す。
男子もぶつかってきたのが美少女で、むしろ喜んでいた。
入学式の朝の出来事を、湊は緊張ためのふわふわした頭で眺めていた。
その後入学式の為に担任の若い男性の池川先生の引率で体育館に移動する。
そこは湊の教室からは遠い場所だ。
「あ!」
湊が声を発した。
「どうしよう」
すぐ横にいてくれた理沙が、湊が声を発した理由にすぐに気付く。
行列が階段を降りているからだ。
「手すりにつかまってゆっくりと降りるよ」
「先生! 三沢さんは階段を降りれません」
理沙が階段の下に向かって訴えた。
「そうか、すまん。誰か手を貸してやってくれ。それかエレベータを使ってもいいぞ」
無責任な発言だ。
体育館は南北に伸びる校舎の南側で、今降りようとしている階段は校舎の南の端だ。一般生徒が使用禁止のエレベータは校舎の北側の端にある。
エレベーターの方を回って行くのと、階段をゆっくり下りるのとはそれほど時間に差はないかもしれない。そう湊は考えた。
「持って」
階段の手すりを掴むと、湊は松葉杖を理沙に預けた。
「危ないって」
理沙が心配する。
「俺が背負ってやるよ」
湊たちの様子を踊り場から見ていた男子が、再び階段を昇って声を掛けてきた。
「悪いし、大丈夫だから」
「どう見ても、大丈夫じゃないって」
言うと、湊に背を向けてしゃがみこむ。
「じゃあ、頼むよ。ありがとう」
その男子の背中に湊は身体を預けた。
湊を背負った男子は、軽い動きで立ち上がった。
「軽いね」
きっと彼は褒め言葉のつもりで言ったのだろうが、湊は黙り込んだ。
小学校のときからずっと、クラスの中でだいたいいつも一番小さかったから、そう言われることには少なからずコンプレックスがあったからだ。
湊を背負った男子は、クラスの集団に少し遅れて階段を下り始めた。が、軽快に下りていく彼は、一階につく時には、もう追いついていた。
「キャッ!」とか「わあ」とか女子たちの甲高い声がする。
この状況が女子たちには好奇の対象なのだと、湊は気付いた。
「このまま体育館まで行こうか?」
そうなれば、注目を浴び続けるかもしれない。湊はそうはなりたくはなかった。
「もうここで大丈夫だから。ありがとう。和田君」
「どういたしまして」
と答えながら、彼、和田肇はなぜ自分の名前を知っていたのかと怪訝な表情をした。
湊は、肇のその表情を察して、自分の胸の名札に触れて揺らした。
疑問が解けた肇は、元の明るい表情になって先に歩いていった。