新米女子はまだ知らない の 5
2016年11月17日 ストーリーに修正を加えました
2017年10月27日 加筆しました
放課後、みんなが帰るか部活に向かい誰もいなくなった教室で、湊は健二を待っていた。もちろん、教室に誰か残っていたら、どこかへ移動するつもりでいた。
「来てもらって悪いね。で話って何?」
「中学の同窓会の話があって、それでお前の現状がわかるやつがいたら教えて欲しいって連絡が回っていて、どう答えたらいいかなって」
健二は悩みを打ち明けた。
「僕を同窓会に誘うってこと?」
「できればそうしたいって思ってるんだろうな。ただ誘っていい状況かどうか、特に精神面的な状況が分からないから、直接連絡取るのは恐いんだろうな。同窓会に誘って傷を深めないかって」
健二は湊の様子を窺いながらしゃべる。
「てことは、健二は僕の心の傷が深まっても平気だから、直接聞いたんだ」
真剣な表情の健二を、湊はからかってみる。自分が香織の言葉に傷つけられたと、卒業式にいた誰かから健二は聞いているだろうと思ったからだ。
事故後、湊がみんなと会ったのは彼らの卒業式の一回だけだ。
湊はみんなに残ったその時の“浩太郎”の印象を想像してみる。
身体的にはすぐに普通の生活が送れるような状態ではない。歩けるようになるまで数年掛かると思ってるかもしれない。或いはもう歩けないと感じた人も多いかもしれない。
精神的な面では、夫婦とからかわれるくらいの相手を亡くし、さらに一生残るような障害を負って苦しんでいる。
そしてさらにそのときの出来事。“浩太郎”がみんなを避けている決定的な理由が、曽根香織のやるせない心が発した“あの言葉”だと信じている。
退院後、香織から家に謝罪と思われる電話が数回あったが、湊は不在だったため出ていないし、折り返しの電話もしていない。そのことが避けていると決定付けている。
そんな風に思われているような気がした。
はじめはわだかまりがあったのは間違いない。体調不良で入退院を繰り返していたのも理由のひとつだ。しかし体調が安定しても誰にも連絡を取らなかったのは、女になることを知られたくなくて、嘘をつかなければならないことが嫌だったからだ。
卒業式にいなかった健二も、香織の言葉のことは聞いていたが、本当の理由が今の姿にあることはもう分かっていた。
「……そ、そんなつもりじゃないって。高校に入ってからの様子からして聞くくらいは大丈夫だと思ったからだよ」
しかし本当に傷つけてしまったのかと思い、慌てて弁明する健二。
「分かってるよ。冗談だって。でも今はまだ同窓会には行けないよ」
笑った後、「行けない」と言った顔は寂しそうだった
「話すつもりはまだないんだな」
「やっぱ話さないといけないかな」
その答えは湊の心の中にもあった。
「二度と会うつもりがないなら、話す必要はないと思うけど、そんなの寂しいじゃないか。あんなに仲のよかったクラスなのに」
「仲がよかったからこそ、怖いんだ。失いそうで、仲のよかったときの思い出までも」
「そうだよな」
健二は弱気な言葉で相槌を打つ。そこで、「大丈夫だ」と胸を張ってくれれば、今回はダメでも、次の同窓会には出られるように、心の整理をつけていけたのにと湊は思った。話さなけらばいけないことは分かっていた。
「今のクラスも話したほうがいいと思う?」
「それは、どうだろうな。今の関係を潰したくなかったら、黙ってるほうがいいかもな」
「さっきと言ってることが違うじゃないか。僕にとっては、どちらも仲のいい大切な友達で、違いはないよ」
健二の言葉に納得できずに湊は言い返した。
「出来上がった関係と、作りかけの関係は違うだろ。お前が男だったって知ったら、普通の女子なら避けようとするんじゃないか」
「けど、嘘で作った関係は、一番壊れやすいと思う」
つぶやいた。そう思っている。話さないといけないと思っている。ただ、きっかけと後押しがまだないだけなのだ。
そして、このときの湊は、この会話がきっかけのひとつになることをまだ知らなかった。
▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲
「そろそろ一般病棟へ移すべきだと思いまして」
呼ばれて来た母親に主治医はそう切り出した。
無菌状態に近いこの病棟では免疫が鍛えられないし、この病棟からの出入りの面倒な手続きのせいで、次の段階のリハビリに進めないということらしい。
体調を崩す可能性も説明され不安になったが、この一歩を踏み出さなければ、普通の生活には戻れないのだ.
それで浩太郎はすぐにでも移りたいと告げたのだ。
今までお世話になった看護師たちに別れを告げ、迎えにきた主治医と一般病棟の看護師長ともうひとりの看護師にベッドのままカルテと共に引き渡された。
荷物は明美と母親とが片付けて、遅れて向かう。
一般病棟五階のナースステーション。
「『院長先生の娘さん』がいらっしゃるわよ。だからミスのないようにね」
先輩看護師の言葉に、澤井は緊張する。
大学病院というところが合わずに十一月からこの病院へ転勤してきたのだ。
転勤早々、院長の娘相手にポカをしては、この病院にもいられなくなると思ったのだ。
せっかく、看護師の仲間や医師の先生方ともうまくなじめたのに、そんなことにはなりたくなかった。
いよいよ、浩太郎がベッドと共に到着した。
ベッドの患者の顔を見て男の子みたいだと澤井は思い、院長の娘にそんなことを思ってはダメだと打ち消した。
澤井は、看護師長から渡されたカルテのバーコードを読み取り、続いて浩太郎の手首のバンドのバーコードを読み取る。患者の取り違えがなくこの病棟に移ったことを病院のシステムに登録するためだ。
「ではここからはわたしがご案内しますね。えー……」
名前で呼びかけようとして、そこでようやくカルテの名前に目をやる。
“三沢浩太郎”と言う名前を見てドキリとする。
今まで『院長の娘』と思っていたのに、男の名前。取り違えがあったのかと慌ててしまったのだ。
「『院長の娘さん』のお名前が……」
澤井は先輩に尋ねる。
「僕は娘じゃありません」
会話を聞いて浩太郎がムッとしながら告げる。前の病棟でも時々言われて抗議していた。
澤井は、先輩に騙されていたのだと気付く。
「その言い方は、ミスに繋がるからダメだと言ったでしょ」
看護師長に注意された看護師が頭を下げる。
「到着早々申し訳ないんですが、オムツを換えてもらえますか」
我慢できずにしてしまい、浩太郎が頼む。
「澤井さん。急いで病室に案内して、オムツ交換お願いね。543号室よ」
看護師長が命じた。
ベッドを病室に運ぶと、ドアを閉めて、カーテンを引く。
慣れたとはいえ、浩太郎はやはり恥ずかしい。特に今回は初めての看護師にしてもらうのだから。
そんな男の子を見て、澤井は声を掛ける。
「恥ずかしがらなくても、大丈夫よ。見慣れてるから」
浩太郎にとっては、解決にならない言葉だった。
澤井は浩太郎のパジャマのズボンを下ろし、オムツを下げた。
「……」
見慣れた男の子のものでなく、言葉を失った。
「浩太郎さん。女の子だったんですか?」
「先にオムツ穿かせて下さい」
浩太郎は自分の股間を凝視する看護師にそう頼んだ。
翌日、浩太郎の「だるい」と言う言葉に、念のために採血検査が行われた。
一般病棟へ移ったことにより、何らかの感染症を発症したのかもしれないと浩太郎は考えた。
軽い吐き気のようなものも感じていて、浩太郎は吐血をしたときのことを思い出し、不安が募る。
そんな状態で、その日のリハビリは全く身が入らなかった。