新米女子は男子と女子に戸惑う の 1
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事故から三ヶ月ほどが過ぎた頃、看護師に車椅子を押されてリハビリから戻ると、病室で妹の明美が小さなクリスマスツリーを用意していた。
「やあ」
と短く声を掛けるのが、浩太郎には精一杯だった。
動かない筋肉を、無理やり動かされて、全身が痛かった。
でも痛みを感じるということは、神経がつながったということで、回復している証拠なんだと言われた。
しかし、浩太郎には拷問のようにしか感じられず、精神までへとへとに疲れ切っていた。
とにかく早く横になって、休みたかった。
看護師が浩太郎をベッドに寝かせる。
「疲れたみたいだから、そっとしてあげてね」
明美にそう言って看護師は出て行った。
「もう十二月だからツリーを持って来たの」
ガサガサと袋から飾りを取り出す音が、やけに耳について、浩太郎は頭まで布団をかぶる。
「お花はカビが発生するから持ってきちゃいけないって言われたから。この部屋殺風景だし」
楽しそうに話す明美の声も耳につく。
「うるさいな。休ませてくれよ」
「ごめんなさい。静かにするね」
「そんなのいらないから、もう帰ってくれよ」
いつもの優しい兄とは違う言葉に、明美は全身を強張らせる。
「じゃ、じゃあ今日は帰るね」
そう言った明美の声は、少しばかり震えていた。
やりかけていたツリーの飾りをそのままにして、明美はすぐに病室を後にした。
怯えたような顔を思い出して、きりきりと心が痛んだ。
明美は悪くないのに、どうしてあんな言い方をしてしまったんだ。
ひとりになった病室で、浩太郎は悔やむしかなかった。
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ある日の朝。
湊はもう少しで学校というところを急いでいた。
松葉杖を支えにして振り子のように身体を使う。
松葉杖の徒競走があれば優勝するのでは、という勢いだった。
それを遅刻しないように急いでいた恵が見つけて、すぐに追いつく。
「……湊、湊ってば」
恵の数度目の呼びかけにようやく気付いた。
「わっ! め、恵…… おはよう」
歩くスピードを湊はそれほど変えることはしない。
「どうしちゃったの? 何度も呼んだのに」
恵が何度も声を掛けていたのに気づかなかったのは、急いでいたからということもあるが、『湊』という名前にまだ慣れていないということのためだ。
十六年間使い続けていた名前を捨てて、新しく『湊』と名乗り始めてまだひと月ほどなのだ。
「ごめん。緊急事態なんだ」
湊は返事をしなかった理由を、そう誤魔化した。
しかし、事実緊急事態なのだ。
「そりゃ、たいへん。なにか手伝おうか?」
「いや、その……」
男だったときにはなかったこの事態を、女の子たちがどのように話しているのかなど、知る由もない。
「急な生理で……」
そんな言い方でヘンに思われていないか、湊は恵の表情を窺う。
「たーいへん!」
その恵の表情は、それまでの詮索モードから緊急事態モードになった。
「いるものは持ってる?」
「うん」
生理用品はカバンに入っている。
「ショーツ汚れてそう?」
「たぶん、汚れてる」
「ショーツの替えは?」
「それもある」
「じゃ、トイレ直行で。校庭のトイレが一番近いよ」
「あそこは狭いから。いつもの保健室近くへ行くよ。使い慣れてるし」
車椅子でも使える広いトイレをいつも使っている。
家では普通に洋式トイレを使ってるので、学校の普通の女子トイレも使うことは出来るはずだ。
しかし、やましさと恥ずかしさのために、湊は女子トイレを使うことを躊躇っていた。
戸籍の氏名と性別変更の手続きが終わったのが三月。
それでようやく、堂々と女子トイレに入れる権利を得たわけだが、権利を行使する機会はなく、行使するつもりもなかった。
知らないおばさんばかりが入るトイレならまだしも、顔見知りの女子高生が隣に入っているとなると、正気を保てるかどうか今の湊には自信がなかった。
「同じタイプのトイレは昇降口近くにもあるよ」
「そうなの?」
湊は恵の案内でそのトイレに急ぐ。
それは、昇降口から上級生が使う隣の校舎に渡ってすぐのところにあった。
「ありがとう。助かったよ」
「何言ってるの。助けるのはこれからじゃない」
中に入り扉を閉めようとするのを遮って、恵が一緒に入ってきた。
「ちょっと……」
「スカート汚れてないか見てあげる。脱いで」
湊の制止を無視して、強引にスカートに手を掛けている。
両脇に松葉杖を持つ湊には、その行動を止めるのは簡単ではなかった。
血が染み出した白いショーツと、細い足に膝上までの白い靴下があらわになる。
あっさりと下ろされたスカートを、湊は恵に任せるしかなかった。
「汚れてないみたい」
恵は汚れを調べると、トイレ内にある台の上に置いた。
「後は大丈夫? じゃあ外で待ってるから。何かあったら呼んでね」
外から覗かれないように、様子を窺いながら、恵はトイレから出て行った。
湊はとても恥ずかしかったが、恵がいてくれて助かったと感じていた。
ひとりだったら、少し遠いトイレまでにもっと大変なことになっていたかもしれないし、スカートを穿いたまま経血の処理をして、汚していたかもしれない。そうならなかったのは、恵がいてくれたからだ。
恵が外で待っている。
湊は急いで経血を処理して、履き替えたショーツにナプキンをつける。
スカートを穿いて、制服の乱れがないかを確認してから、トイレを出た。
「ありがとう。助かったよ」
視線をそらしながら、恵にお礼を言う。
「気にしないで。それに誰にも言わないから安心して。困ったときはお互い様よ」
恵が笑顔で、湊の顔を覗き込む。
辺りにはもう誰もいない。
「ホームルーム始まっちゃったね」
「いいじゃん。理由があって遅れるんだから」
言いながらゆっくり歩く湊と並んで歩く恵。
本来なら「始まってるから先に行って」と言いたい湊だが、助けてもらったので、今日は言わないことにした。
「湊って、脚、細くてきれいだね。ニーソなんかやめて、なま脚をバーンと見せ付ければいいのに」
「ありがとう。でも、これじゃなきゃダメなんだ」
その言葉に恵は見せられないのだと気付いた。
半年も寝たきりになる事故なら、身体には見られたくない傷がいくつもあるかもしれない。
恵のその考えは、原因は不正解ながらも、脚の傷のために膝上まで隠しているのは正解だった。
「湊は生理痛は軽い方なの? 始まるまで気付かないなんて」
恵は話題を変えたつもりだった。
「そういうのじゃなくて。……僕の下半身の神経は全部切れたのを繋ぎ直したから、感覚が鈍いんだ。押しピン踏んでもすぐには気付かないかも」
今では快復して、さすがにそこまで鈍くない。が普通の人よりはるかに鈍いのは確かだ。
「あ、あの、いろいろ聞いて、ゴメン」
「なんで謝るの。本当はもっと話さなきゃならないこともあるんだけど、言いづらくて。訊いてくれた方が話しやすいよ」
湊は自分の勇気のなさに肩を落とした。
「じゃあ、湊の最大の秘密を教えて」
もちろん、それは恵の冗談だ。好きな人のこととか、恥ずかしいクセとかそういうことを考えていた。
しかし、湊は真に受けてしまう。
最大の秘密は、『男だった』ということ。
「そんなの今は言えないよ」
「じゃあ、いつか教えてくれる?」
「衝撃的な内容だから、やめといた方がいいと思うよ」
そう聞いて、恵は事故の関係を連想する。そこはあまり聞かない方がいいと思っているところだ。
「秘密がある方が、女は魅力的になるっていうから、そこは秘密にしておこう」
勝手にそう結論付けた。




