最終章 オーシャとロラ.05
――4日後。
「海賊船が来ました! 数は一隻のみ! 周辺海域には他の船は全く見えません!」
昼手前に、ついにオールド号は姿を現した。
「随分とゆっくりと寝てから来たのだな」
てっきり日が変わった瞬間や、
霧で視界の悪い早朝などを
狙ってくるのではないかと警戒していたが、
それはどうやら杞憂に終わったようだ。
「しかし、何故この時間なのでしょう?」
ナインスの疑問ももっともだった。
「わからない。が、こちらとしては好都合だ。迎え撃つぞ!」
晴れ渡った空と穏やかな波で視界も良好。
少しだけ波が高いが、気にするほどではない。
奇襲など勿論できない。
軍港に対して北側……
風上からオールド号はこちらに向かってくる。
対するレイジェ軍は北から順に
『ノーブル』一番艦から四番艦まで
距離をあけて並んでいる。
ロラの乗る旗艦『ウィズダム』は
二番艦と三番艦の間だ。
疑問は思考の片隅においておき、
ロラは指示を出す。
「一番艦と二番艦は左右から挟み込むように伝令。迂闊に距離は詰めすぎるな。炎柱槍で300バートの距離でも平然と撃ち抜いてくるぞ。三番艦と四番艦はウィズダムに続け!」
オールド号にわざと撃たせて
炎光炉を空にさせるということも考えたが、
もしレイジェの炎光炉の性能を十分に発揮してくるなら、
船を一隻無駄にするだけの可能性もある。
ノーブルは機動力こそ圧倒的だが、
反面装甲が薄いため砲撃を一発くらうだけで危険だ。
「将軍! どうやら炎柱槍は左前方に向けて固定しているようです!」
「なんだと……?」
姿がはっきりと視認できる距離になり、
ロラにもその様子が見えた。
船の左に突き出している筒は、
炎柱槍の砲身なのだろう。
あんな状態で炎柱砲を
高出力で撃てば船のバランスを崩して、
下手をすれば転覆する。
勿論、簡単に砲身を回頭できるような軽い物でもない。
「二番艦へ伝令! 400バートの距離から炎光炉を40%の出力で推進力にまわし、狙いをつけさせないようにしながら近づけと。無駄弾を撃たせろ!」
「了解!」
真っ直ぐ進んでくるオールド号に対して、
一番艦が右舷から、二番艦が左舷から近づいていく。
このまま進めば一番艦と二番艦の間を
オールド号が通過することになり、
二番艦が蛇行運転をするために少し遅れるが、
左右から鉄弾砲による
砲撃の雨を降らすことができる。
それを避けるために
どちらにオールド号は舵を切ってくるか……。
「海賊船、転舵! 一番艦へ向かいます」
見張りの報告に、ナインスは
「一番艦が取り舵を切りつつ砲撃をすれば、避けられないでしょう。もし二番艦の方へ向き直ったとしても、転舵した一番艦との挟み撃ちで終わり。我らが艦の砲門の射程は通常の鉄弾砲よりも50バートは長いのですから、撃ち合いになれば、我らの勝ちです」
「そうなれば、良いがな……本艦はこのまま直進、三番艦と四番艦は左右に分かれつつ何が起きても対応できるように離れて囲むように進ませろ」
これは一昔前の純帆船同士の戦いではない。
炎光炉が普及して砲撃戦が基本となった今、
いかに先に砲撃を当てるか、
避けられない形に追い込むかが戦術の基本だ。
速力も砲台の射程距離も短い
たった一隻の海賊船が勝てる道理などない
……そのはずだ。
「一番艦、斉射します!」
だから、これで終わり。
転舵して避けたとしても、
すぐに取り囲まれて終わりだ。
だというのに、ロラは全く安心などしていなかった。
「……さあ、どうする。オーシャ」
そして彼女は次の報告に驚くことになる。
「海賊船……ありえない蛇行航行で砲撃を避けて……一番艦に突っ込んでいきます!」
「なんだと!」
甲板にいた軍人たちが、
遠くに見えるオールド号の姿に騒然とする。
船は馬とは違い、そうそう簡単に
左右に振るような機敏な動きが出来るモノではない。
だというのに、
まるで出来の悪い操り人形のように、
左に、右に、動いては砲弾を避けている。
それはあたかも砲弾が発射されるのを見て、
避けているようにも見える。
もしそうだとすれば、完全に神業、
もしくは未来予知でもしているとでも言うのか。
いや、あれは……
「落ち着いて狙え! 意図的に回避できているわけではない!」
ただ無軌道に動いているから
狙いが定まらないだけだ。
あまりのことに砲撃手たちとも動揺しているから、
落ち着いて狙えず、そのせいで当たらない。
「……そうか」
左右にあれだけ振るには、炎光炉の力が必要だ。
とはいえあそこまでの航行ができる可能性を考えると……
「無理やり、我らの炎光炉を積んだのか」
にわかには信じ難いが、
あの船は炎光炉を2基搭載している可能性が高い。
2基で別々にスクリューを強引に回しているのだ。
そうでなければ
あのような無茶苦茶な航行は説明できない。
しかし、そんな無茶に炎光炉が
耐えられるとは考えられないので、
一時的な奇策にしか過ぎないだろう。
「あちらの炎光炉の限界はすぐだ!」
やはり、
戦いはそう簡単には終わらないようだ。
◇
「振り落とされちゃ駄目っすよ!」
モヤシの叫び声に、
誰もが歯を食いしばって
安全綱を持って揺れに耐えていた。
オールド号はまるで暴れ馬のごとき、
左右に無茶苦茶な動きをしながら進んでいる。
遠心力で全員が飛ばされないように
必死に綱に掴まっていた。
「左……右……両方……右」
正面には軍艦が右舷にある砲門を
こちら向けて砲撃を繰り返している。
デイエンはそれを睨みつけながら、
機関室にいるセレンに指示を出していた。
ロラが予想した通り、
2基の炎光炉で左右のスクリューを
バラバラに動かしているのだ。
普通の船はそんなことはできない、
オールド号だけの荒業だった。
勿論、
そんな無茶が何の問題もなくできるはずがない。
無理な機動が
古いオールド号の船体をミシミシ震わせていた。
「帆、開け!」
それだけでなく、帆を開いたり、
舵を切ったりとこれでもかというくらいに
操船作業を色々と行っている。
どのように動くは舵を握っているモヤシですらわからない。
「船長! マストを動かしていたアラーナと、鳥目が振り落とされて海に落ちた!」
「放っておけ! もう内海だ、自力で岸まで泳げるだろう!」
一番艦が慌ててオールド号を回避しようと、
砲撃に回していた動力を推進力として逃げようとするが、
「突っ込むぞ!」
構わずオールド号は右舷から、
軍艦の右舷へとぶつけた。
メキメキメキッ………
ボロいのオールドが軋みを上げて
ところところが衝撃で吹き飛ぶ。
対する軍艦はいくら装甲が薄いとはいえさすがに新造艦、
衝突の衝撃でも目立った損傷は見当たらない。
というよりオールド号が脆かったので、
勝手にぶつかって壊れていく感じだ。
ジーウィルは叫ぶ。
「ヨウコ、イクル! 3分だ!」
けれど、目的は衝突で船を壊すことではない。
「了解した」
「またそのタイムリミットなの!? もう……ちょっと人使いが荒いんじゃないかしら!」
ぶつかる瞬間、
勢いを利用して二人は敵艦に跳んでいた。
「相手は三人、怯むな!」
まさか白兵戦を挑んでくるとは
思ってもいなかった王国軍は
慌てて乗り込んできた二人を取り押さえようとするが、
「遅い」
乗り込んだ勢いを殺すことなく突っ込むイクルが、
双月剣で吹き飛ばしていく。
艦長が狙いかと、兵士たちは甲板の上で守るように陣を構えるが
「どこを見ているのかしら!」
ヨウコが狙ったのは、別の方向。
ドカッ!
鈍い音を立てて、彼女の剣が突き刺さる。
「イクル、下がるわよ!」
彼女が切ったのは舵輪。
操作する舵を叩き潰したのだ。
「よし、弓、射ぇっ!」
ジーウィルの指示、船に残っていたメンバーが矢を放つ。
ただ、弓の名手など一人もいないオールド号が
精密射撃を行うことはできない。
だから狙うのは、帆やそれを繋ぐロープ。
相手は矢の雨を警戒して、
全員が盾を構えて動きを止めてしまったのが仇になった。
「デイエン、セレンに右の炎光炉を起動させろ! モヤシ、遅れるなよ!」
「了解っす!」
そしてジーウィルは既に軍艦から
離れるように指示を出していた。
船はミシミシッという嫌な音を立てながら離れていく。
「ヨウコ、イクル! 急いで!」
オーシャの叫び。
「もう、全然3分もないじゃないのよ!」
二人はオールド号に跳んで戻ってきた。
ヨウコはジーウィルを睨むが、
イクルは平然と「3分きっかりだ」と、
息一つ乱さずに剣を背中に戻していた。
船が向きを変える。
その方向には回避航行を取っていたために
一番艦から遅れてしまった二番艦。
オールド号が一番艦を白兵戦で
制圧するのだと思って不用意に近づきすぎていた。
一番艦から離れる反動も利用して回頭するオールド号、
その炎柱槍が二番艦を捉えている。
距離は150バート。
「絶対に外さない!」
ドゴンッ!
オーシャが砲撃を行う。
反動で船が右に大きく傾くが
一番艦にぶつかって転覆しない。
弾は正確に二番艦の炎光炉を狙えていたが、
敵艦がすぐさま回避行動を取ったために、
炎光炉の少し前方の当たり、
動力炉に直撃とは至らなかった。
「あっ……」
しまったという顔をするオーシャ。
「構わん、アレでいい! あと炎柱砲はもういらん! 海にすぐに捨てろ!」
ジーウィルは「大丈夫」と頷き、
男たちはもう重荷にしかならない砲門を捨てる。
「突破するぞ!」
一時的に舵が取れなくなった一番艦と、
炎柱槍を避けるために回避した
二番館の間をオールド号は抜けた。
放った砲弾が直撃したのは炎光炉の前方。
炉から砲弾へと力を供給する部分だ。
賭けではあったが、
二番館に砲撃されることはなかった。
二隻を突破したオールド号の甲板で船員たちの歓声が上がる。
「まだ戦いは終わったわけではないぞ! 気を抜くな!」
船長は叱咤する。
風が吹いてきた。
そして、波も内海だというのに高くなっていく。
「本当に、こうなるとはな」
先ほどまでは快晴だったというのに、
既に空は雲で暗くなってきて雨が降ってきた。
「なに? 私の言うこと信じてなかったの?」
オーシャが不満そうに言うが、
ジーウィルは肩を竦めた。
「ワシも、航海士のケイズもしばらくは晴れが続くと思っていたからな」
船長が「なあ?」とケイズを振り返るが、
「ごめんなさい、船長。ケイズなら軍艦にぶつけた時に向こうの船に飛ばされて、そのまま取り押さえられているのを見たわ。時間がないから助けずに来てしまったけれど」
ヨウコが「まずかったかしら?」と尋ねてきた。
「ああ、それであの軍人『相手は三人だ』って言ってたんだ。ワシそれが不思議だったのよ。いいよ、あいつどうせ泳ぎ下手だから海に落ちてたら、この波では溺れたろうし」
「殺されはしないだろう。丸腰の相手を切るほど帝国軍人も落ちぶれていない」
イクルも頷いていた。
損傷を与えることはできたが、
それは向こうからすれば大したモノではない。
だが完全に無効化しようと時間をかければ、
他の船に囲まれて終わりだ。
イクルとヨウコが凄腕といっても、
相手も手練れの海兵。
数の差もあり、
正面から戦えば3分などでは済まない。
オールド号ではこの程度が限界。
もう奇襲も効かないだろうし、
なにより船が持たない。
「全く……ロラも手加減してほしいよね」
意表を突けたとはいえこの程度の被害しか
与えられないとは考えていなかった。
彼女の率いる海軍は優秀だ。
うまくいけば簡単に勝てるのではないかと思っていたが、
とてもそんなこと言える状況ではない。
オーシャは「よし」と一度伸びをしてから、
正面から近づいてくるのはレンドゼル級の旗艦を見る。
きっとロラが乗っている船なのだろう。
「さあロラ……そろそろ気付きなよ、私たちの作戦に」
絶望的な状況。
だというのに少女は、不敵に笑っていた。




