最終章 オーシャとロラ.01
「ほらよ。これが頼まれた品だ」
不満そうな表情を隠しもせず、
セイヌは汗を流しながら
真水の入った樽を持ってきた。
「くそっ、なんで俺がこんなことを……」
「雇ってもらえているだけありがたく思いな、坊ちゃん」
後ろから樽を二つを
軽々と担いできたテムスが呆れていた。
「こら、そこっ! 新入りがぶちぶちと女々しいことを言わない!」
「いてっ!」
セイヌの頭に果物をぶつけたのは、
トーラ商会の娘であるミトラ=トーラ。
どう見ても10歳くらいにしか見えない子ではあるが、
今年で15歳、幼いながらも立派な口利き屋だ。
生まれてからずっと父親と
共にこのエシアで商売している。
デイエンの従妹でトーラ商会は彼の母の実家である。
商会とは言っても5人程度しかおらず、
彼女たちは必要な物の
斡旋や手配を一括でしてくれる存在だ。
仲介手数料を含めても、
商人でない海賊たちが
バラバラに買い揃えるよりかは安いしなにより早い。
船乗りたちにとっては重要なパートナーである。
「ほら、それ食べていいから! まだ荷はあるんだからね!」
行く先のなくなったセイヌとテムスは、
ジーウィルの紹介により
トーラ商会でとりあえず働くことになった。
トーラ商会とは昔からの付き合いなので信頼できる。
まあ仮にも商家の息子である
セイヌ=レーゼンにはちょうどいいだろう。
自分よりも小さな女の子に
顎で使われているセイヌは
オールド号を見上げて、
「俺も連れていってくれないかなぁ」
とぼやく。
「坊ちゃん、悪いことは言わん。あのオーシャっていう子だけはやめときぃな。坊ちゃんの手には余るぜ。あんな跳ねっ返り、どごぞの王様でもない限り手綱を握れんぞ」
「なっ、俺は別にあの子と一緒にいたいわけじゃ……!」
そんな二人のところに
ジーウィルとオーシャが歩いてきた。
「ワシの娘を悪く言わんといてくれ。一番手を焼いているのはワシなんだぞ?」
苦笑いする父親のすねを
思い切り蹴飛ばしてオーシャは向き直る。
「テムスなら乗ってくれてもいいんだけどねー。ほらっ、前は誘えなかったし」
暢気な言葉に露骨にがっかりするセイヌ。
「ははっ、言葉はありがたいがね。坊ちゃんのお守りが俺の仕事だ」
テムスはサボっているのを
怖い顔で睨んでいるミトラを見て、
「今まで軍人や傭兵としてきたが、商人というのは初めてだ。これはこれで、良い経験になりそうだ」
陽気に笑っていた。
彼も縛るモノがなくなって自由になり、
なんだかんだで楽しんでいるのかもしれない。
そんな二人の見送りを受けて、
オーシャとジーウィルはオールド号に乗り込む。
昨日は「ついてきたい奴だけ乗れ」と船長は言ったが、
見た感じ全員が船には揃っていた。
「あれ?」
いや、よく見ると全員ではない。
いつもは当然のごとく立っているモノだから、
一瞬気付かなかったが、
「メイツェンは?」
いつもいまいち何をしているかわからない副長がいなかった。
「ああ、あいつには昨日話した例のアレ、任せているから。サボりじゃないよ?」
「なんだ、てっきり今日航海があるのを忘れて寝坊しているのかと思った。そっか、間に合うといいね。メイツェン、凄い寝起きが悪いし」
船が繋いでいたロープを外し、
少しずつ港から離れていく。
「お前たち!」
ジーウィルは船員たち全員に叫ぶ。
「ワシの娘の晴れ舞台だ! 気合入れていくぞ!」
「「応っ!」」
力強い返事が返ってくる。
ジーウィルはオーシャに頷く。
これから始まるのは、
客観的に見れば勝ち目など最初からない
……そう、絶望的な戦い。
だというのに海賊たちはまるで悲観していなかった。
船長と、その娘が大丈夫だと言うのだ。
ならば船員は信じるだけ。
オーシャは海賊帽子を被りなおし、
「最高の舞台、か」
満面の笑みで眼前に広がる海を見つめた。
◇
報告を受けた時、
ロラ=ミストレルは自分の予感が正しかったのだと理解した。
「将軍、いかがされますか? エシアからの使者を名乗ってはいますが、どう見ても商船ではありません。あれはむしろ……」
「海賊船、だろう?」
「……はい、その通りございます」
エシアへの降伏勧告に対する返答を
一隻の船が持ってきたらしい。
それを持ってきた船名がオールド号。
そして船長であるジーウィル=ポラリスと
副長のオーシャという者が話し合いを要求しているらしい。
話し合いという割に、
海賊船を送ってくること自体が馬鹿げている。
だが、
「入港を許可しろ」
「はっ?」
「聞こえなかったか? その者たちをここまで案内しろと言っている。丁重にな」
「……了解しました」
兵士が走っていく姿を見送ってから、
ロラを窓の外を見る。
アンバス国の主要軍港であるガンゾス港……
ロラが今いるのはその軍港にある
アンバス軍の海軍司令室があった場所である。
見渡しが良いのでそのまま使わせてもらっていた。
ここを押さえたことで
レイジェ王国は大陸のルドニス洋に面する陸地の
北から中部までを掌握したことになる。
南東部にあるラダエスタには軍もいないはずなので、
実質的にはもっと広いエリアの
制海権は奪ったと言ってもいいだろう。
アンバスとの戦争もそろそろ終わる頃だ。
陸と、ここガンゾス港から
上陸した部隊による挟撃により
アンバスの首都が陥落するのはもう時間の問題。
あちらには猛虎と名高い
ライン=リングル将軍が率いる陸軍がいる。
負けるはずもないだろう。
これからロラ将軍の率いる海軍は、
陸の部隊の侵攻状況に応じて
海を制圧していくことになる。
だが、連合軍を破った今、
現状ではほとんど敵らしい敵はいない。
大陸の南側、
フラン洋に接する国々へ攻め入る時までは、
ルドニス洋での補給などが主な任務となる。
「無傷で勝利……にはほど遠かったからな」
連合は想像以上に数が多く、
想定していた200隻を大幅に超える
250隻もの艦隊を率いて
宣戦布告をしたレイジェに差し向けてきた。
対するこちらは60隻の『ノーブル』。
レイジェ国が開発した
新型の炎光炉を搭載した軍艦が
高い性能を持つとは言え、多勢に無勢。
250隻を全滅させた代償に
その数を40にまで減らしてしまった。
残った船のうち炎光炉に異常をきたした
20隻は本国に一度戻し、
15隻はここアンバスのドックで修理中だ。
現在動けるのはロラの乗る旗艦『ウィズダム』を含む5隻だけ。
かなり手薄に思えるが、
もうルドニス洋には戦える国などいない。
もし商船や海賊船が襲い掛かってきても、
ウィズダムとノーブル4隻があれば十分勝てる。
フラン洋には艦隊はいるにいるが、
わざわざ自国を手薄にまでして
海軍だけ遠路はるばる攻めに来る馬鹿な国もないだろう。
ルドニス洋のはるか向こう側にある
シカザ大陸には戦える国々はいるが、
この戦いの情報が届くのは2月は最低かかる。
つまり軍備を整えて侵略を考えたとしても、
最低で4ヶ月はかかる距離なのだ。
それまでにはレイジェ王国の海軍は
今まで強力になっているから問題にはならない。
「オールド号、か」
ボロい海賊船が港に入るのがここからは見えた。
普通に考えれば、
降伏勧告の承諾に来たのだと考える。
ちっぽけな貿易港でしかないエシアに
断ることなどできはしないからだ。
力ずくで制圧した方が本来なら早いのだが、
現在戦える艦が5隻しかないことと、
王が「従うならば攻めない」という
方針の下に侵攻しているため、
わざわざこうして勧告を出している。
無論、拒否または回答を先延ばしにすれば、
修理を終えた部隊を率いて制圧するまで。
「……」
エシアに軍を駐屯させられれば、
フラン洋の国々に睨みを効かせられる。
あの貿易港は後々の戦いを踏まえた戦略の上で、
非常に重要な要所なのだ。
最も厳しい難所であった、連合艦隊との海戦での勝利。
これでしばらくの間、
ロラには何も障害はない……そのはずだ。
「彼女が、来るのか」
けれど、ロラはまるで安心などできなかった。
何故なら彼女の前に
再びあのオールド号が姿を現したのだから。
軍を率いる将軍の懸念事項は一つだけ。
「オーシャ、きっと君も来るのだろうな」
それは燃えるような赤い髪の少女、ただ一人。
それだけがロラにとって唯一、先の読めない存在だった。




