第四章 少女と戦争.04
エシアに戻ったのは3日後だった。
港街にはレイジェがアンバス率いる
連合軍を破った情報が既に届いていた。
争いから逃げてきた商船が情報を持って来ていたのだ。
オールド号の面子は
レイチェルの母が経営する酒場に集まっている。
そしてそこには、海賊以外の人物も混じっていた。
「海だけでなく、陸でもレイジェは連合軍を押しているという情報が来ています。海戦で破れ、港を押さえられたことも含めて、レイジェがアンバスの首都を落とすのは時間の問題でしょう。このままアンバスを併合すれば一気に領土が拡大……同盟国であるラダエスタ、ロムセナ、ハバキリもすぐに取り込まれるかと」
状況を説明しているのは、エシア長老会の者だった。
エシア長老会というのは、
エシアを本拠地とする商会の連合組織であり、
港街を取り仕切っている実質上の統治組織だ。
有力な商人の中から5人選ばれて運営されている。
5人の長老となった者は出自を問わず
いかなる商会にも組みせず、
ただエシアの繁栄のためだけに働くこととなる。
港街にその身を捧げたという意味で、
彼ら5人は死ぬまでエシアという姓を名乗るのだ。
「今は各国も軍備を整えて、隣接する国々は緊張状態が続いています。レイジェに仕掛けるのは簡単ですが、その際に違う国から背中を狙われたらたまりませんからね。どこも迂闊には攻め入ることができないようです」
説明している彼女、
フィジン=エシアも長老の一人である。
長老といってもまだ30にはなっていない、
商会の有力者にしては若い女性だ。
まるで男のように短い髪で、
神経質そうにいつもメガネを弄っている。
パッと見た感じではどこかの商家の秘書かと思うが、
彼女はこれで商才だけでなく
政治においても
非常に優れた手腕を持っていると評判が高い。
「事情はわかったけれど、エシアはどうするつもりなのかな?」
ジーウィルは彼女とも面識がある。
彼女の父もまた長老であり、
その時からの付き合いなのだ。
だから彼女はわざわざこうやって、
海賊であるジーウィルにも会いに来る。
「エシアは中立都市。いかなる事情があれど、一つだけの国に協力することもなく、また従うこともよしとしません。これだけは絶対なのです。中立でなくなれば、港街エシアはその大きな価値を失ってしまうのですから」
そして彼女が来るときには、
大体は「長老会が表立って動けないこと」を頼みに来る時だ。
中立と宣言している都市ではあるが、
長老会はエシアのためなら何でもする。
それこそ他国の軍艦だろうが身内の商船だろうが、
都合の悪い存在を潰すことを何とも思わない。
「それで、フィジンはワシらに何をしてほしい」
けれどそのようなことを
エシアが『所有している船』で行うのはさすがにまずい。
そこでジーウィルたちのように、
勝手に『潜伏している海賊』たちに依頼するのだ。
協力することでエシアにいることを黙認されるし、
色々と融通を利かせてくれる。
両者は持ちつ持たれずの関係であり、
海賊にとっても報酬も十分に用意してくれるため
商売の相手としても申し分ない。
「……それを相談したくてこちらに参りました」
いつもなら簡潔に依頼をしてくるフィジンだが、
今回に限っては悩んでいる様子だった。
「ふむ。レイジェ王国はなにか言ってきたのか」
「律儀にも降伏勧告を。レイジェは我々に、王国の領土となることと、あわせて全面的な協力を要求しています。水や食料を正当な価格で売ることには構いませんが、エシアが王国の一部になるのだけは……我々は頷けません」
エシアは貿易港として、
各国から絶妙に「都合の良い」位置にある。
それは裏を返せば、
エシアを押さえればアロガン大陸において
かなり有利に戦争を進めることができるということ。
「しかし、今の我々ではこの要求を跳ね除けることができる立場にはありません。どのようにしてアンバスが敗れたか詳細は不明ですが、あの連合軍の海軍がたった二日で全滅したという事実から他国は尻込みしており、戦力を割いてまで私たちに協力してもらうなんてことは期待できないでしょう。こういう時に、中立というのは案外脆いモノなのですね」
そこまで説明し
「我々もお手上げなのです」と疲れたように言った。
長老会でも随分と議論したが結局、
答えは出なかったのだろう。
「元王国民の俺からすれば、レイジェは不当な税を要求はしないので傘下に入っても良いのではないかと思うが……難しいものだな」
「イクル=リタース、でしたか。我々は昔から大陸の国々に蝙蝠野郎と罵しられてきました。けれどまともな産業を持たない我々にとって貿易こそが生きる術だったのです。甘い蜜をただ吸っていたなんて大きな口を叩ける言えるほど、裕福ではないのですよ」
酒場には重い空気が漂っていた。
これはエシアにとっても重要な問題だが、
海賊たちには文字通り死活問題。
国の統治下に置かれれば当然、
海賊だなんて認められるわけもなく彼らは良くて牢獄、
悪ければ見せしめで全員公開処刑にでもされるだろう。
「みんな、暗い気持ちなのはわかるけれど、元気出して!」
レイチェルが大皿で料理を持ってくる。
後ろからはナッツとセレンも料理を運んできた。
「お腹が空いていては、良い考えも出て来ないでしょう? だからまずは、ご飯にしましょう。今日は私のご馳走だから、好きなだけ食べてくださいね」
彼女の穏やかな声に、
沈んでいた面々は笑顔になる。
そして肉や魚、高価な果物など
色取り取りの料理にこぞって奪い合いを始めた。
「やれやれ、こんな時でも食い意地だけは立派だな」
「申し訳ありません、このような面倒ごとを持って来てしまい。我々も、もう万策尽きた状態なのですよ。今日ここに来たのはジーウィル船長に何とかして欲しい、というよりは愚痴を聞いて欲しかったのです」
「構わんさ。ワシらにとっても関係することだからな」
髭をジョリジョリとしながら、
「しかしどうしたものか」と困ったようにぼやく。
そこへ、料理を食べながらオーシャ歩いてきた。
「ほぇんちょう」
娘の行儀の悪さに、
呆れたように父親はため息をつく。
「口に物を入れたまま喋らない。というか君、こんな時でも芋料理って本当に好きだな」
「もふん。芋料理、というよりレイチェルさんの料理が好きなの」
そう言ってから、
彼女はまるで天気の話をするように、
「うちらはアンタらの下になんかならないってはっきり言っちゃえば?」
平然とそんなことを言い出した。
「それが出来たら苦労せんから、今、みんな頭を悩ませているんだろう……」
頭を抱えて言うジーウィルだったが、
オーシャは料理を近くのテーブルに置いて、
取っておきの名案を披露するように
両手を広げてその言葉を告げた。
「戦って、勝っちゃえばいいんだよ」
「は?」
「だから、勝てばいいの。そうしたら、相手も言うこと聞くでしょ?」
「……」
あんぐり、
というのは今のジーウィルのための言葉である。
誰もが少女の言葉に、呆気に取られていた。
それは勿論、フィジンも例外ではない。
「だってさ……」
少女は海賊たちを見回しして、言葉を続ける。
「このままだったら、結局負けちゃうんでしょう? なら戦うしかないじゃん。何をそんなに悩むことがあるのか私には分からないよ。大体、相手が戦争の後でどんな状況かもわからないのに、最初から勝てないなんて、どうして言えるの?」
言葉だけ聞くと、全く説得力なんて欠片もない。
けれど彼女は力強く、
酒場全体に聞こえるよう言葉が紡いでいく。
「私たちは海賊……なら遠慮することなんて何もない。自分たちの場所は自分たちで決める……そうだよね?」
少女は誘っているのだ、
暗がりで沈んでいる大人たちに手を差し伸ばして。
「ここにいるのは、無鉄砲でどうしようもなく暴れ者の海賊、ジーウィル=ポラリスについてきた人ばかりなんでしょ? 海賊は自由がモットー……相手の一方的な言い分を大人しく聞くような臆病者なんてここにはいないに決まってる!」
相手は大艦隊を打ち破ったという王国の海軍。
その言葉を他の誰が言っても、
ただの戯言と一蹴されていただろう。
けれど、オーシャはただの少女ではない。
ジーウィル=ポラリスとブラッティレインの娘なのだ。
二人が認めた子供の言葉は荒唐無稽ゆえに図々しく、
何にも負けないくらい力強い。
「私たちは一回、勝ってるんだから、心配かることなんて何もないよ!」
そして彼女は、
たった一発の砲撃でレイジェの軍艦を打ち破っている。
「ジーウィル船長……一度勝ったとは、どういうことです?」
フィジンの言葉に、「嘘ではない」と船長は肯定する。
「オーシャよ」
ジーウィルは少女に頷き、
「勝てるのに、戦わない理由なんて最初からなかったの。すまん、忘れてた」
そして豪快に笑った。
「船長、しっかりしてよね。ナナイでは格好良かったのに」
「すまんすまん、ワシは寝ぼけていたようだ。だが娘に起こされるというのは悪くない」
ジーウィルは酒場に集まった仲間たちに向かって、
大きな声で叫んだ。
「用意出来次第、出航するぞ! 来たい奴だけ来ればいい! だから今日は好きなだけ呑んで食って騒げ! 遠慮なんていらん! レイチェルの奢りだ!」
力強い言葉。
まるで全盛期のジーウィル=ポラリスが
帰ってきたような錯覚をうける。
「「応っ!」」
船長の言葉に、
全員が腹の底から声を出して応えた。
真っ先に酒樽に飛びついたのはヨウコ、
それに続くように酒に海賊たちは料理に群がっていった。
イクルはまた酒を飲まされたらたまらんと離れて食事をしている。
「伯父さん。格好良かったですよ。レインさんがいつも惚気る理由もわかりますね」
姪のレイチェルがニコニコ笑って歩いてきた。
「ふふん。まあ、たまにはな。娘に叱咤されては黙っていてはおれん」
「そんな伯父さんは、懐も大きいって知ってます。ですから奢りはなしで、後で全額の請求書を伯母さんに渡しておきますね」
「え?」
愕然とした顔をするジーウィルに、
姪はニッコリと笑う。
「だって、今日で店じまいしようかと、さっきまでは本気で思っていましたもん。でも、船長が大丈夫って言うなら、母もこの店を続けれますし……ね?」
「ちょ、ちょっと待った! ワシのせいって言いたいのか? あとレインに請求書送るとか嫌がらせ以外の何でもないんだけど!」
本気で怯える伯父に、
「だから、帰ってきたら伯母さんに怒られてください。だってこれから、娘を連れて無茶をするんですから。絶対、絶対……みんなで帰ってこないと駄目なんです」
涙を堪えるように、
言葉を詰まらせながら抱きついてきた。
泣き顔を見られないように、彼女は胸かに顔を埋める。
「レイチェルさん。そんな顔しないでよ。船長が言ってるじゃん。勝てる戦いだって。だからさ、次の航海でも美味しい料理作ってね!」
「オーシャ……うん、そうよね」
明るい従妹の言葉に頷いて、
彼女はこぼれる涙を見られないように離れて、
早足で厨房に帰っていった。
「しかし、実際問題……どうするつもりです?」
呆れたようなフィジンの言葉に、
ジーウィルはオーシャを見て言った。
「この子がいれば、勝てるかもしれん」
「……はっ?」
「いや、ワシ本気。今回の海戦……オーシャにしかできないことがある。かなり運任せの要素も強いが、ひょっとしたら勝てる可能性のある博打な方法を思いついた」
まるで取っておきの悪戯を
思いついたような子供のような表情。
その姿を見て、
フィジンは「やれやれ」と苦笑いする。
「あなたたち親子は、そういう表情が本当にそっくりですよ。血が繋がってないなんて嘘なんでしょう? まあ、わかりました。どうやら私にも協力ができることがあるようですし、今日一日、煮詰めましょう」
彼女も開き直ったようだ。
これはジーウィルたちの戦いというより、
エシアとレイジェの戦いになる。
ならばこの海賊親子に全力で協力することに決めた。
オーシャは船長の肩を叩く。
「で、どうするもりなの?」
ジーウィルは笑い、
「相手がロラであるならいけると思うんだが……」
と前振りを一言つけてから、こう告げた。
「ロラなら、オーシャに負けたままというのは我慢できんだろう?」
第四章 少女と戦争 ~完~
最終話 オーシャとロラへ続く




