第三章 家族と港街.03
「随分と離れたところにあるんだね」
ジーウィルの後ろを歩くオーシャは
物珍しそうに周囲を見回す。
二人が歩いているのは島の内陸部、
沿岸部の賑わいだ繁華街からは
打って変わって畑だらけの場所。
炎光炉を使った街灯なんて勿論ないから、
手元に持ったランタンの灯かりだけだ。
都会の屋敷でずっと使用人をしていたオーシャは
こんな暗い道を歩いたことがない。
だからなんどもつまづいたりして、
その度にジーウィルに支ええられている。
海では鳥目に負けないくらい遠くを見通す視力は持っていても、
目の前の暗い道はさすがに慣れないようだった。
「嫁が畑を持ちたいって聞かなくてなぁ。結局こんな場所に住むことになったんだ」
ジーウィルはオーシャとは改めて育ちが違うなと笑う。
彼女はその度にムキになって
一人で歩こうとするのだが、
やっぱりつまづいてこけそうになるので、
仕方なくジーウィルにしがみついて歩くことになった。
頭をポンポンと叩く姿は、まさに父親の姿そのものだった。
「ふーん。昔、凄腕の剣士だったっていう人? なんか想像できないなぁ。特に船長の奥さんっていうところが。なんか見栄張って嘘ついてるんじゃない?」
「君ね、なんでそんな悲しい嘘をワシはつかなきゃいかんのだ。まあ、確かに……ワシに勿体無いくらいの美人だから、会ったら疑いたくなるのもわかるけど」
遠くに家の光が見えてきた。
暗闇にポツンと1軒だけあるので、迷いようがない。
質素な木造の平屋であり、
周囲の花壇には色とりどりの花が咲いているのが、
ランタンの灯りだけでもすぐにわかった。
「予定の日程よりちょっと遅くなったから、怒ってなければいいけれど」
家の前に到着する。
ジーウィルは扉を開けて入り、オーシャを手招きした。
「ただいま」
「……お邪魔します」
堂々と入るジーウィルと、
恐る恐るついていくオーシャ。
「お父さん、遅い」
出迎えたのは淡々とした少女の声。
ジーウィルは思わず笑みを浮かべていた。
「おお、スピカ。学園から帰ってきてたのか」
「そうよ。お父さんが帰ってくるからって帰省したのに、全然帰ってこないんだもの」
そこにいたのはまるで宝石かのように
美しい銀髪おさげの少女。
椅子に座って本を読む姿はとても様になっていて、
その様は貴族が優雅に読書をしている姿のよう。
とても聡明そうな雰囲気が、
ただそこにいるだけで伝わってくる。
オーシャと近い年齢のはずだが、
明らかに一回り以上は大人っぽい少女だ。
話の流れからジーウィルの娘だというのはわかるのだが、
まるで似てない。
強いてジーウィルっぽいところをあげろというなら、
女性にしては長身というところくらいか。
「ほわあー……」
言葉にならずオーシャが見つめていると、
少女がやっと気付いたらしく顔を上げた。
「あら、お客様なの? ごめんなさい、気付かなかったわ。すぐに紅茶をご用意するから」
彼女は本を置いて立ち上がろうとするが、
「スピカ、座ったままでいいのよ。私が用意したから」
「あっ、お母さん」
奥から出てきたエプロン姿の女性が止めた。
「わあ……」
スピカと同じ銀髪だから母親だと一目でわかった。
娘よりも小柄であり、あまりにも若い容姿は
むしろスピカの妹だと言われても信じてしまいかねない。
でもやはり彼女は子供を生んだ母親であるというのは、
落ち着いた物腰と、自然な柔らかいその微笑みでわかる。
どことなく、レイチェルと似た雰囲気を持っていた。
きっと彼女の血縁なのだろう。
「レイン、ただいま。ワシが帰ってくるのによく気付いたね」
ジーウィルがよっこいせと椅子に座る。
すると彼女は「ふふ」と笑い、
「あなたが帰ってくるのくらい、すぐにわかりますから。それに」
視線がオーシャに向く。
「その子を連れてくるのも、当然わかっていましたよ」
レインは椅子を引いて、「こちらに座りなさい」と優しく声をかけてくれた。
「あの……ありがとう」
傍若無人を絵に書いたようなオーシャも、
さすがに借りてきた猫のように大人しくしていた。
トンッと紅茶が出される。
ジーウィルが一口に飲みきるのを見て、
オーシャも恐る恐る口をつけると、
「あっ……美味しい」
とても暖かく、落ち着く優しい香りの紅茶だった。
「そう、口にあったようで良かったわ」
嬉しそうにレインが微笑む。
そこでオーシャはふと思う。
どことなく、ヨウコやイクルのような、
なんというのだろうか……
隙がない、とでも言えばいいのか、
それとも一つ一つの動きがどれも綺麗というのか。
とりあえず、
そんな感じの言葉にし辛い感覚をこの人から覚える。
何ともいえない表情をしているオーシャに、
ジーウィルは笑って妻に言う。
「レイン、子供の前ではもっと自然にすればいいのに」
「ごめんなさいね、昔の癖がやっぱり抜けなくて。あなたみたいに堂々としたいのだけれども、どうしても中々……ね?」
舌を出してそう答える。
そしてその場でくるっとターンをした。
ふわっとエプロンが舞う以外には、
まるで気配を感じず音も立てずに着地をする。
そういえば彼女は言った。
ジーウィルとオーシャが来るのがわかっていたと。
この紅茶は二人のために用意されたのだとしたら、
彼女はどうして気付いたのだろう。
(……やっぱり、この人が凄腕の剣士だからなのかな)
戦う人にはとても見えず、素直に綺麗な人だなぁと思ってしまう。
「それでお父さん、その子は?」
スピカが尋ねてきた。
「ああ、オーシャといってな。海で拾ったんだが、親がいないだけでなく帰る家もないらしいから、ひとまず連れて帰ってきたんだけど」
ジーウィルはそう言って、レインに視線で「駄目?」と尋ねた。
すると彼女はニッコリと笑う。
「いいえ、私はとても歓迎よ。むしろこの子を酒場にでも置いて帰ってきていたら……あなたは今頃とても酷い目にあっていたかもしれないわ。本当に良かったですね」
何気ない言葉に、
ジーウィルがぶるっと背筋を振るわせた。
「ははっ……」と乾いた笑みで
「そ、そうかぁ」とかくかくと頷いていた。
どうやらジーウィル船長は、家でも立場が低いらしい。
「あの……船長には助けてもらって、その成り行きで」
「いいのよ。この人がお人良しなのは私が一番知っているから。スピカはどう?」
娘は特に迷うこともなく頷く。
「当然、構わないわ。またしばらくしたら学園に戻らないといけないから。私の部屋を使ってもらえばいいと思うし」
船長と同じで優しい人たちばかりで
良かったとしみじみとオーシャは思った。
「それでオーシャはこれからどうしたいの?」
「あっ、その。これからもオールド号に乗せてもらうと思ってるんだけど」
何気ない言葉に、突然にピシっと空気が凍りついた。
オーシャは何かまずいことを言っただろうかと焦るが、
スピカは「大丈夫」と頷いた。
「あなた……」
ゆらりとまるで音を立てずに、レインがジーウィルに近づく。
「えっ、その、何かな? レイン、顔が怖いんだけど」
「ねえ……こんな小さな女の子を、しかもスピカと同じ年齢くらいなのに、あなたは海賊にするつもりなのですか? 返答次第では、今から二人だけの怖い家族会議が始まるわ」
「いやいやいやいやいや待って! 落ち着いてくれ、な! それにレインはむしろもっと幼い頃から海賊だったろう? ワシが会った時にはもう『ブラッティレイン』って……!」
あわあわと慌てる夫と、静かに迫る妻。
浮気がバレたとしても、
見ているだけで関係ないオーシャとスピカが
ここまで身の危険を感じるシーンにはならないだろう。
「あの!」
オーシャが、ジーウィルが殺される前に立ち上がって叫ぶ。
「私が、海賊になりたいって船長にお願いしたの!」
するとピタッとレインは止まり、
少しだけ驚いた表情でオーシャを見つめる。
「もっと色んなモノを見たいから。船長にまだまだ教えて欲しいことがあるから。だから私は、あの船に乗っていたの!」
ありのままに、伝える。
するとレインは、少し考える仕草をする。
そしてちらっとジーウィルを見ると、夫は静かに頷いた。
彼女はオーシャに近づき、
「オーシャ」
そっと抱きしめた。
「えっ……」
戸惑うオーシャだったが
「そう、それがあなたの望みなのね」
穏やかな声色が、彼女を優しく包んだ。
「スピカは勉強をしたいって言ったから、今は大陸で学園に通わせているわ。もしオーシャさえ良ければ、あなたの学費を用意してあげることもできる」
突然の提案に、思わず娘は叫ぶ。
「お母さん、何を言っているの!?」
けれど母親は「いいから聞きなさい」と、首を振った。
「勿論、この港街エシアで働きたいというのなら、仕事は探してあげるわ。どうかしら」
包み込むように、子供をあやすように頭を撫でる。
「……ううん。私は、船長についていきたいから、ここまで来たの」
「そう……あなたはそう決めているのね」
少女の言葉に頷く。
そして彼女は耳元でささやくように、その言葉を告げた。
「オーシャ、私たちの子供になりなさい」
「え……?」
「海賊ジーウィル=ポラリスの船にはね、帰る場所のある海賊しか乗ってはいけない。だから、娘のあなたの帰る場所はここになるのよ」
オーシャは抱きしめられたまま、見上げる。
まるで海のように穏やかな瞳が、
少女を慈しむように見つめている。
「それにね、私たちが結婚する時にね、ある人はこう言ったの。『海に祝福された夫婦』って。だから私たちの娘なら、きっと海はあなたを護ってくれる。そしてこの人も、しっかりと守ってくれるわ。この人、とっても親ばかだから」
彼女は優しく「どうかしら?」と尋ねてくる。
「私は……」
横目でジーウィルを見ると、髭面の船長は静かに頷いていた。
「うん」
オーシャは決めた。
「私、船長とレインさんの娘になりたい」
そう告げると、レインは首を振る。
「レインさんじゃなくて、お母さん……でしょう?」
「……お母さん」
物心ついた頃には既に親がいなかったオーシャにとって、
それは初めての響き。
親なんて別にいらないと思っていた。
けれど、その言葉はこんなにも暖かいと知ってしまった。
妻は夫に向き直り、
「あなた。最初からこのつもりで連れてきたのでしょう?」
「いやぁ、家族の反応がよろしくなかったら、誰かの家に預けるつもりだったよ」
そ知らぬ顔で、髭をじょりじょりと撫でていた。
「あっ、オーシャ。ちなみにワシはお父さんな。呼んでみて」
照れ隠しに新しくできた娘にお願いするが、
あっさりと首を振った。
「えー、船長は船長だよ。なんか呼び辛い」
「……そんな風に言われると思ったよ」
露骨にがっかりするジーウィル。
「ねえ、オーシャ」
そして、二人の本当の娘であるスピカがオーシャに近づく。
「スピカ……」
娘はレインに抱かれたままの新しい娘を覗き込み、
「歳は?」
一言尋ねた。
「15、だけど」
すると彼女は頷き、
「私は16だから、お姉さんね」
自分を指差し、「ほらっ」と呼んでみてと言う。
「ふふっ……お姉さん、よろしくね」
「ええ、オーシャ。今日からあなたは私の妹よ」
二人の様子にレインは笑う。
「あらあら、二人とも仲良くするのよ。喧嘩なんかしたら――」
少しだけ声のトーンが変わった母親に、
二人はぶんぶんと首を振った。
「今日は遅いから、二人とももう寝なさい。明日から、新しい家族を入れて家族会議をしましょう」
「あれ、お母さん。まだ寝るには早いと思うけど」
スピカの問いかけに、母親はニッコリといい笑顔で、
「これからお母さんはね、禁酒をしていたはずなのに少しお酒の臭いがするこの人と、今日はゆっくりとお話がしたい気分なの」
楽しそうに告げた。
ビクッと露骨に、怯えるジーウィル。
平然と船では毎日呑んでいた姿をオーシャは見ていたが、
今ここでは言わない方が良いだろう。
船長、いや父親は諦めたようにため息をつく。
そして、
「オーシャ、今日からはここがお前の家だ」
深く頷く。
「……うん、ありがとう」
オーシャは、気がつけば泣いていた。
彼女は、今日という日を決して忘れないだろう。




