第二章 獅子と黒蛇.01
「俺もジーニアスに帰して欲しいのだが、どうだろうか」
船長室に連れてこられた、
イクル=リタースは疲れたようにそう言った。
「いや、ワシもそうしようと思ってたんだけど……うちの乗組員が、ね?」
ジーウィルは困った表情。
祝勝会の酒がまだ残っている副長メイツェンは
少し酔っているようで何度も「うんうん」と頷いている。
そんな感じの、船長室にはなんとも言いがたい空気が漂っていた。
イクルはジーニアス号に乗っていたレイジェ王国の海兵だ。
海に落ちたチッタ将軍を真っ先に助けに飛び降りた男である。
彼はオーシャの指示でこうして
オールド号に連れて来られているのだった。
「え~、なんか変だった? もふもふ」
男たちが微妙な雰囲気を醸し出している中、
気楽そうに答えたのはオーシャ。
パーティをしている食堂から持ってきた、
芋を蒸した料理をホクホクと食べながらである。
この中で一番年下かつ入りたての新入りだというのに
随分と図々しいことである。
「レイチェルさんの料理、本当に美味しいね。美人だし、もう女神様みたい」
「オーシャ……喋る時くらい、食べるのを止めなさい」
呆れたようにジーウィルは言い、安っぽいぶどう酒をちびちびと飲む。
「将校ですらない俺を連れてきても、人質にもならないぞ。まして身代金なんぞ論外だ」
そんなやりとりを見ていたイクルは仏頂面で答える。
イクルはさすが軍人というべきか、
無駄のない体つきをしている。
短く刈り上げた髪と、浅黒い肌。
一目見ただけで勇ましいと感じると同時に、
質実剛健と言いたくなるような誠実な雰囲気を漂わせている。
「そんな無駄なこと考えてないから。大体さ、ロラを相手に人質とか意味ないよ。絶対あの人なら、撃つ時は関係なく撃ってくるだろうし。『祖国のために死ねるのだ、これ以上に名誉なことはない』とか言いそう」
自分の上司が彼女言うとおりなことを
間違いなく言いそうだと想像してしまい、
ついイクルは苦笑してしまいそうになるが、
さすがにこの状況下では耐えた。
しかし随分とロラ副将のことを
親しげに話すのだなとイクルは思った。
オーシャという少女の素性は聞いている。
自分が乗っていた船が撃沈されてあやうく死にかけたというのに、
その相手に対してよくもまあ
ここまで何ともないように話せるものだ。
「なら、どうして俺を?」
彼女が何を意図してイクルを連れてきたか、
誰も見当がついてなかった。
彼が祖国の情報を話すことも勿論ないのはわかっているはず。
けれど、少女はあっさりとこう言った。
「いやさ、一緒に来ないかって誘おうと思って」
ぶっ!
ジーウィルはぶどう酒を噴いた。
直撃したのは結構な綺麗好きだと
もっぱらの噂の副長メイツェンだった。
「君、酔ってない?」
「酔うもなにも、船長が酒飲むなって言ったから飲んでないよ」
船長はあんぐりと口を開けて、言葉を失った。
イクルは訝しげに尋ねる。
「正気か。そもそも何故、俺を? 理由が全くわからない」
少女は、「うーん」と少し考えていたが、
「あの船さ、ゴリラみたいな将軍って人望なかったでしょ?」
「そんなことは――」
「あるよ。船員たちを見たら、あんなの私でも一目でわかるし。しかも一緒にいるのがロラ=ミストレル。比べるのでもないって」
「……だが我々は軍人。個人の好き嫌いで上官を選ぶなど言語道断。だからチッタ将軍をどうこう言うつもりは毛頭ない」
そこまで話して、ジーウィルはオーシャが言いたいことが大体わかってきた。
「チッタ将軍が足を滑らせて海に落ちた時、あなたは迷うことなく助けに降りた。下手な動きをすれば殺されても不思議でない状況で、ね。私は、そんなあなただから、誘っているんだけどな。これって、そんなにおかしいこと?」
レイジェの軍人ではなくイクル=リタースに興味がある
……そう言っているのだ。
イクルはどう答えれば良いのか、言葉に悩んでいるようだった。
オーシャは気楽そうにジーウィルに「船長」と声をかけた。
船長は「もう好きにしなよ」とひらひらと手を振る。
そんな二人を厳格な軍人はどうしてそこまで
いい加減なのか不思議で仕方がなかった。
「セレン! アレ持って来てよ!」
オーシャは機関室に叫ぶ。
しばらくして、機嫌の悪そうなアネゴが仕方なくやってくる。
「アンタ、新入りなんだから先輩様々を顎で使うのはやめな。まあ、今回はお手柄だから許してやるけどさ。けど私もいい加減、続いたら怒るかんな」
少女はまるで悪びれた様子もなく「ごめんごめん」と笑う。
どこか憎めない陽気な少女に、
「ふんっ」とセレンは持ってきたモノを
ザクッ!
勢いよく床に深く刺した。
「あの……セレン君? 君、ここは一応さ、船長室だからそーいうことはやめてくれない?」
「知りませんよ。そこの新入りが持ってこい言ったんですから、文句はそっちにどーぞ」
素っ気無くそれだけ言って、彼女は宴会に戻っていった。
イクルは、驚いた表情でそれを見つめる。
「これは……俺の剣。どうして」
それは、双剣だった。
といっても二つのバラバラの剣ではない。
中心の持ち手から上下に二本の剣があるタイプの
大陸でも使い手が少ない非常に珍しい剣である。
Sの字になった二本の剣が、
まるで三日月を二つあわせたような形から、
双月剣と呼ばれる重剣だ。
「あなたのでしょ? ちゃんとロラからもらってきたから安心して。返すよ」
ぶっ。
再びジーウィルが噴いた。
同じ失敗はしない副長メイツェンは華麗に避けている。
「ちょっ、オーシャ。さすがにそれはマズくない? というか船長室でその剣振り回されたら避けるスペースないんだから、こんなところで渡さないで欲しいんだけど」
「大丈夫だって。イクルは絶対にここで剣を振るわないから」
実はイクルはジーニアス号……
いやレイジェ王国でも屈指の剣の使い手である。
愛刀があればこのオールド号を一人で制圧できる自信はある。
とはいえジーニアスが襲われた時は
さすがに状況が状況で手出しできなかったから、
今こうして捕虜の身になっているのだけれども。
いくら個人が強くとも、海戦というのは難しいものである。
「この剣があればこの船員を全員に相手をしても勝てる。それでも、返すというのか?」
「大した自信だけど、試してもないのにわかるものなの?」
しかしイクルの腕前を知らないから
オーシャは安易に剣を返した……というわけではない。
イクル=リタースは誇り高きレイジェ王国の軍人だ。
戦いに負け、彼は捕虜になった。
だというのに拘束されることもなく、
更には彼の目の前には愛刀。
そして少女はイクルを仲間にしたいと言い、
「絶対にここで剣を振るわない」などとまで言い切った。
イクルにもプライドがある。
相手の油断を突くならまだしも、
好意に対して裏切るという真似はとてもできない。
もしここで剣を手にとり襲い掛かった瞬間に、
隠れている弓兵にでも撃たれてでもして殺されたら、
死に様としてはあまりにも滑稽で情けなすぎる。
「……俺とてそこまで言われれば、馬鹿な真似はせん」
「じゃあ――」
「だが仲間になるかは全く別だ。港に行くのだろう? そこで降ろしてもらう」
剣をできるだけゆっくりと持ち上げ、そっと背負った。
ジーウィルは「どうすんの?」と視線で問い掛けると、
オーシャはあっさりと頷き「しょうがないんじゃない?」と軽く答える。
「船長、どこの港に向かってるんだっけ。どれくらいで着きそう?」
「エシアだな。風は悪いが、あと10日もすればつくだろう。君も別に降りてもいいよ?」
「もう、冗談言わないでよ。私はもう帰る家はないの」
オーシャは手をヒラヒラさせながら、
芋を食べて部屋から出て行こうとして、振り返る。
「軍人さん、まあそういうことだからしばらくはうちの船旅を満喫していってよ」
「……」
少女は今度こそ出て行った。
それを見送った三人は、
しばらく言葉もなく少女が出ていった扉を見つめる。
「不思議な、少女だな」
ポツリとイクルが呟く。
「何も考えてないだけじゃないかな。まあオーシャが連れてきたわけだし、あなたも好きにするといい。ただ、剣だけは持ち歩いて欲しくはないけれど」
ため息混じりにジーウィルはそれだけ言った。
イクルは頷き、剣を背中から外して床に突き刺した。
双月剣は大型なうえ更に二本分の重さなのため、
大変重たい剣は深々と床にめり込んでいた。
「言われなくても。そもそも部屋から出るつもりはない……しばらく世話になる、船長」
軍人はあの海賊になったばかりの少女が何を考えているか、
少しだけ知りたいと思ってしまっていた。
そんなイクルに船長は苦笑して一言。
「頼むからワシの船長室の床を穴だらけせんといてくれ」




