ドキドキ☆新入生
僕は学校の初日となる今日、クラスの真ん中付近の席に着席していた。
朝のホームルームまではまだ時間があるが、初日から遅刻していては薔薇色の学園生活に支障が出ると考えて、二時間ほど早く登校していた。しかしそろそろクラスメイトが登校してきてもおかしくない。これからが肝心だぞ、僕。
僕はクラスの入り口をじっと見つめた。
その時だ。ドアがそろそろと開いて、一人の女子生徒が、顔を出した。
セミロングで切り揃えた髪は栗色に輝いて、大きな瞳は吸い込まれそうな輝きを湛えている。制服は改造されておらず、控えめな膨らみを包み込んだ上着と、美しいラインを描いた脚を見せるスカートを見て、この学校の制服って可愛いんだなと初めて思えた。
不良じゃない。と言うか、普通に、可愛い。
僕は思わず彼女に見とれてしまった。
彼女はゆっくりと教室を見渡している。やがて、僕と、目が合った。
あわわわ。どうすれば。思わず慌ててしまう。何と声をかければいいんだろう。僕はママ以外の異性と会話したことなんて数える位しかないのに、こんな可愛い子といきなりですか。
しかしここで怖じ気付いては薔薇色の学園生活は始まらない。
僕は勇気を総動員して声をかけた。
「あの…」
「きゃあああああああああああああ!!!」
僕のか細い声など完全に粉砕する勢いで、甲高い絶叫が響き渡った。彼女はこの世のものと思えない恐ろしいものでも見たかの様に、恐怖に顔を歪めて叫び続けた。
そしてそのまま、回れ右して廊下を凄まじい勢いで駆けて行ってしまった。
「あの…良い天気ですね」
独り残された僕の言葉が宙に吸い込まれた。あいにくと外は曇りであるが、会話の最初は天気の話から入るって、定番なんじゃないのかなあ。何故あの子は去ってしまったのだろう。
僕の心は落ち込んだまま、ホームルームの時間を迎えた。
「えー皆さん、私は三年間皆さんの担任をすることになりました、猪丸と言います。よろしくお願いいたします」
教壇に立つ教師が黒板に名前を書きながら自己紹介をしている。眼鏡の生真面目そうな先生。あの、入学式の時に話した先生だ。
入学式の時に僕を見捨てた人。少しでも良い人だと思った僕が馬鹿だった。先生のとりとめもない自己紹介は続く。
段々腹が立ってきた。思わず舌打ちしてしまった。
その時だった。僕の周りの席にいた生徒達が一斉に立ち上がって身を仰け反らせた。突然の事に僕も驚いて辺りを見渡す。
立ち上がったのは、不良だけでなく真面目そうな生徒も混じっている。女子もいた。そのうちの一人の女子と目が合った。ピンク色の髪にきつめのメイクをしていて、不良っぽいけど見た目は悪くない。
またもドキドキしちゃう僕の心臓。
目が合ったまま僕達は、しばらく固まってしまった。
どうしよう。
とりあえず、ペコリと頭を下げてみる。
すると彼女は、凄い勢いで頭を振ってみせた。会釈に見えなくもないけど、どっちかって言うとヘッドバンキングじゃないかな、それ。それによく見ると、涙目になっている。必死に涙をこらえているようだ。
何か悲しい事でもあったのだろうか。
残念ながら僕のコミュニケーションスキルではこれ以上の詮索は無理だ。僕は視線を先生に戻した。まだブンブンいってる気がするのは気のせいだろう。
ちょうど先生の自己紹介も一段落ついたようだ。
「はい、じゃあ先生の話はこれくらいにして。次は皆さんで自己紹介をして下さいね」
え。自己紹介だって。僕の苦手とするものナンバー5に入るぞそれは。嫌だなあ。と、思っていたら、次の出来事に僕は心を奪われた。
「はい、じゃあ安藤さんからお願いしますね」
「はい」
先生に安藤と呼ばれて立ち上がったのは、今朝ホームルーム前に出会ったあの栗色の髪の乙女だったのだ。
すっと背筋を伸ばして立つ彼女の姿は、それだけでこの世の美を集結したものの様に僕には思えた。
「皆さん、初めまして。安藤美咲といいます。火般山二中出身です。中学の時はテニスをやってました。趣味は料理をすることです。これから三年間、よろしくお願いします」
彼女は明るくはきはきとした口調で自己紹介を終えた。
安藤さんていうのか。名前も可愛いなあ。
彼女がペコリとお辞儀して着席すると、猪丸先生が拍手をした。僕も間髪入れずに拍手する。しかし、教室に響く音は少なかった。
辺りを見渡すと、いかにもこんなのはかったりーと思ってそうな不良達からは当然拍手が有るわけは無く、他の真面目そうな生徒達がぽつりぽつりと拍手するのみだった。
当の安藤さんはと言うと、これを予想していたのか特に気にした様子は見られない。
これじゃあ安藤さんがかわいそうだ。僕は精一杯の拍手を送り続けた。浮いたって構うものか。て言うか皆も拍手してくれないかなあ。僕独りじゃ厳しいよ。
そう思って周りを見渡すと、またも目が合った。例のピンクの髪の女子だ。彼女は僕と目が合うと、ぎょっとした表情を浮かべた。どうして驚くんだろう。しかし彼女は拍手を始めた。大きな拍手だ。
彼女に釣られるようにして、一人、また一人と、拍手の輪は広がり、最終的にはクラスのほとんどの人が拍手をしていた。僕も驚いたけど、一番驚いたのは安藤さんかもしれない。彼女は驚いた表情を見せた後、恥ずかしそうに笑って皆の拍手に応えた。
ふう、これで一安心だな。
僕は満足すると、自分の自己紹介を考えるために、脳ミソをフル回転させ始めた。しかしなかなか良いものが浮かばない。そもそも自己紹介なんて本当に苦手だ。出来ればやりたくない。名前だけ言って終わりにしたいけど、さすがにそれは不味いよな。何か付け足さなきゃ。うーん、どうするどうする。
果て無き思考の螺旋に突入しかけていた僕は、先生が僕を呼んでいるのになかなか気がつかなかったようだ。名前を呼ばれているのに気付いた僕は、反射的に返事をして立ち上がっていた。でも自己紹介の内容は全く思い付かない。頭の中は真っ白になった。
とにかく名前だけでも、と口を動かす。
「あ、と。えっと。相馬和彦、です。」
教室はしんと静まりかえっている。皆の顔を見ることが出来ない。
僕の事なんか誰も見やしないのは分かってる。自意識過剰って分かっていても、顔面が真っ赤になっているのが分かる。
あああ、死んでしまいたい。
その時だ。安藤さんの自己紹介を不意に思い出したのだ。確か彼女は出身とクラブと趣味を言っていたはず。
僕は勇気を貰った気持ちになり、幾分楽に言葉を発する事が出来た。
「えっと。一中の、出身、です。クラブとかは、特にしてない、です。帰宅部って言うか、帰りがけに色々、やったりしてました。あ、趣味は、日曜、大工っていうか。色々切ったり、くっつけたりして…楽しいです。…あ、す、好きな食べ物は、え、えっと。おにぎりです。お、終わりです」
言い終わると、そのまま席に座り込みうつむいた。ああ、駄目だ畜生。もう終わった。
そこに割れんばかりの拍手が響いて、僕はびっくりした。
皆、今の自己紹介ちゃんと聞いてくれてたんだ。良かった。
ちゃんと言えたかな?本当は帰宅部で学校終わったら自宅直行だったけど…まあいいよね。
日曜大工の趣味は本当にやってて良かったな。自己紹介に使えるじゃないか。
後、最後に好きな食べ物を入れたのは、恥ずかしいけど、安藤さんが料理好きって言ってたし。パッと好きなもの思い付かなかったからおにぎりって言っちゃったけど、まあ、アピールとしては悪くないはずだ。うん。
僕は自分でも思いがけない勇気と行動に興奮しながら、続く自己紹介を聞いていた。
しかし段々お腹が痛くなってきた。うう…昔から緊張するとこうなるんだよな。早く終わってくれないかなあ。
終業のチャイムが鳴るとほぼ同時に、相馬君は教室を慌てた様子で出ていった。私の席は入り口のすぐそばだから彼が目の前を通る時に恐怖から顔を合わせないようにした。
彼が教室から出ていくのを待ってたかのようにあちらこちらで声が上がる。やがて教室の後ろの方から、女子生徒二人が駆け寄ってきた。
「みさき!大丈夫?」
「怖かったねぇー、あたしもう泣きそうだったよ」
口々に思いを吐き出しているのは、中学から一緒のユキとトモエだ。
「みさき、あんなのと朝イチでかち合うなんて、ついてないよね」
「う、うん」
確かに私は今朝早めに登校して、新しい教室をゆっくり見ようと教室に入った所で、彼と出くわした。正確にはほんの少し目が合っただけなのだけれど、一瞬で入学式の事を思い出して叫び声を上げて逃げてしまった。
まさか彼ほどの有名な不良が、あんなに朝早くにいるなんて思いもしなかったし。
しかも、同じクラスだなんて。
でも悪い事をしちゃったな。思わず逃げちゃったけど、と言うか逃げるしかなかった気もするけど。
「それにあの自己紹介!チョー怖かったんですけど!」
「だよねぇ、帰りがけに色々、ヤッてたって!」
「ヤルって、殺る!?だよねー!」
噂好きな友人達は、本人がいないことを良いことに言いたい放題だった。
「それに、趣味が日曜大工って!ヤバすぎでしょ!」
「切ったり、くっつけたりしてって…あのチェーンソーで…うわあ、気分悪くなってきた!」
「ブラックジョークっつーか、もう洒落になんないよね!」
「それに好きな食べ物って…おにぎり」
「うん…おにぎり」
おにぎり?おにぎりが好きなのは普通じゃないかな。
私はそう思って伝えると、ユキはチッチッと指を振った。
「みさき、おにぎりって言うのはね…」
「オヤジ狩りの隠語なんだよ!」
トモエが興奮しながらユキの言葉を継いだ。
いや、それは普通にライスボールの方ではないかと思ったが、胸に秘めておく事にする。
「ヤバいーヤバすぎるー!後三年間もアイツと一緒なんて信じられない!なんでこの学校クラス替えがないの!」
ユキが今にも泣きそうな声で叫んだのを、私は慌てて止めた。
「二人ともそれくらいに。彼に聞こえたら大変だよ」
私の警告を聞いて、二人ともハッと青ざめた表情になった。
そして黙ってうつむいてしまった。
私だって怖い。朝の一件で目をつけられてないとも限らないのだ。
人殺しが珍しくないこの街でだって、私は人が死ぬのを初めて見た。しかもあんなに残酷で無惨に。そして、彼は、多分平然とそれをやってのけたのだ。
「大丈夫…きっと大丈夫」
私は自分に言い聞かせるようにそう囁いた。