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暑い。
もう八月も終わるというのに、ウソのような暑さ。
腕をグルグルと回しながら、慎吾は、となりで腕を回す寝ぼけまなこの直人を見た。
「昨日も《バラバラ女のイタズラ》ってやったのか?」
「え、あ、ううん。昨日はやってないよ」
「じゃあ、昨日はなんにもやってないのか?」
「う、うん」
「……チャーって、分かりやすいな」
「え、なにが?」
「なんでもない」
直人が久しぶりに、あのイヤな笑みを浮かべた。
奈緒子と線香花火をやったことを黙っている気なんてなかったのに、なぜウソなんか吐いてしまったのだろう?
そしてきっと、直人はウソを吐かれたことに気づいている。
「今日がみんなで遊べる最後の日だからさ、早めに行こうぜ」
「ちょっと待って。明日まで夏休みだよ。明日は遊ばないの?」
「忘れたのかよ。明日は、チャーの十五日目だから家にいろって、奈緒子とワチコに言われてたじゃねえか」
「あ、うん、そうだったね。でもあれだね、最後の日に『失恋大樹』の罰を怖がって外に出ないなんて、なんかおかしいね」
「まあ、そうだけど、それであの二人の気がすむんだったら、それでいいじゃん」
「犯人は分かったの?」
「ごめん、宿題にコロサレかけてたからぜんぜん考えてない。それにたぶん大丈夫だよ、家にいれば」
「そうだね。明日はずっと家にいる」
ラジオ体操が終わり、スタンプカードに判子を押してもらい、今年の夏休みはけっこう頑張ってかよったな、と感慨にふけりながら、並ぶ赤い丸印を眺めていると、
「二十分後に集合な」
と言って、直人がさっさと空き地を出ていった。
◆◆◆
二十分後、直人と連れだって廃病院に向かっていると、ちょうどたそがれ坂の辺りで、前を行くワチコを発見した。どうやらワチコもおなじ考えで早めに、向かっているらしかった。
「おおい、ワチコー!」
直人の大声で振り向いたワチコが、ニッと不気味に笑って立ち止まった。
「早いな、ワチコ。病院に行こうとしてたんだろ、一緒に行こうぜ」
「うん、でもナオちゃんラジオ体操に来てなかったぞ。今日はナオちゃんが来ないかもしれないよ」
「だ、大丈夫だと思うよ。奈緒子はもう病院にいるんじゃないかな」
「なんでそんなこと分かるんだよ? デブのくせに」
「もう、いい加減にデブって言うのやめてよ」
「まあ、どうでもいいじゃん。いるならいるでいいし」
直人がつれなく言って歩き出した。なぜだか今日は少し機嫌が悪いように見える。
不意に寒気がして、慎吾は大きなクシャミをした。
「大丈夫かよ? やっぱり風邪治ってなかったんじゃないか? おれにうつすなよ」
「う、うん。少し鼻がムズムズしちゃってさ」
「鼻からなんか食べたんだろ、デブだから」
「どういう意味か分かんないよ」
「鼻水が出てるぞ」
ワチコがポケットティッシュを取りだして、慎吾に手渡した。
「あ、ありがとう」
「前に借りたのだよ。返すの忘れてたからな」
「あ、ああ、あのとき貸したヤツだ」
「学校のみんなには、あたしが泣いたこと言うなよ」
「分かってるよ」
「おれは言うけど」
「直人が言うことなんて、誰も信じねえよ」
「あ、ひっでえ。そのティッシュっておれのだぜ。おれにも感謝しろよ」
ワチコが笑い、それにつられて慎吾も笑った。
直人も顔を綻ばせている。
幸せな日常に浸っていると、不意にこういう会話も今日で最後かもしれない、と言いようのない不安に駆られた。
なぜだろう?
さっきからおかしい。ナニカが胸の奥をチクチクと刺しているような不安感。
朝からずっとだ。
自分なりにその不安感に答えを出すのならば、きっとあの『失恋大樹』のことでだ。
正次の身に起き、直人にも起きかけた不幸を思うと、やはり気が気でないのだろう。気にしていないつもりでも、明日が十五日目かと思うと、少しだけ怖かった。
廃病院に近づくにつれて段々と大きくなる、その不安感に軽い頭痛を覚えながら、ワチコと直人の他愛のないおしゃべりに相づちを打っているあいだに、気がつくと、眼前に赤錆びた鉄扉が立ちふさがっていた。
改めて見ても、その威容に圧倒される。
いつの間にか忘れていたが、ここはこの町でもいちばん怖い『血塗れナース』の都市伝説にまつわる場所なのだ。
それに不確かではあるが、そのバケモノを見ている。
鉄扉の隙間から見える朽ちた廃病院が、朝だというのに、闇夜に沈んでいるようにさえ見えた。
「ナオちゃん、ホントに来てるのかな?」
「寝坊だよ、絶対。こんなに早くから来てるわけねえよ」
「賭けるか?」
「いいよ」
二人の賭けが成立して207号室へ入ると、派手な紫色のパジャマを着た奈緒子が、ベッドの上で寝息をたてている姿が見えた。
「来てるじゃん、あたしの勝ちだな」
「でもこれって、寝坊じゃねえの?」
二人の不毛な言い争いを背に聞きながら、奈緒子に近寄った慎吾は、
「奈緒子、おはよう」
と、優しく声をかけた。
「う、ううん……」
寝ぼけまなこの奈緒子が、三人に気づきすぐに体を起こした。寝姿を見られた恥ずかしさからバツの悪い顔を作る奈緒子の髪は、寝癖で鳥の巣みたいになっていた。
「ちょっと、来るの早すぎない?」
「今日で最後だからね。それよりナオちゃん、髪がすごいことになってるぞ」
「え…… あ、ホントだ。ちょっと待ってよ、すごい恥ずかしいじゃん!」
なぜか怒鳴られた慎吾は、困ってうしろの二人を見やった。
「もう、しょうがないなあ」
そう言うと、ワチコが奈緒子の手を引いて207号室を出ていった。
「どうするんだろう、あれ?」
「さあ?」
肩をすくめた直人が、マットに腰を下ろしてアグラをかいた。
「奈緒子って、昨日から家出でもしてるの?」
「え、あ、なんで?」
「だってパジャマだったし、それにほら、ベッドの下に大きいカバンがあるじゃん。しかもパンパンだぜ。一日だけ泊まる量じゃないよ、あれは」
「うん、今日も泊まるとか言ってたかな」
「なんで…… まあ、でも、家出もしたくなるのかな」
「でも、奈緒子は血塗れナースを見たいからって言ってたよ」
「チャーって、ホント、素直だな」
「ど、どういう意味?」
「そういう意味。暇だからキャッチボールでもする?」
「うん、でも今日はみんなでできる遊びの方がいいんじゃない?」
「たとえば?」
「それはまだ分からないけど」
ワチコと、髪を直した奈緒子が戻ってきた。ワチコがベッドに座り、奈緒子はバッグを抱えてまた外へと出て行った。
「なあ、奈緒子が着替えたらどっかに行かねえか?」
直人がワチコに言う。
「どこにだよ?」
「チャーってもう、都市伝説のある場所とか知らねえの?」
「もう知らないよ」
「なんだよ、行くとこないじゃん。デブ、使えねえなあ」
「ワチコは行きたいとことかないの?」
「あるような、ないような。すぐには思い浮かばねえよ」
「なになに、どこか行くの?」
いつもの白いワンピース姿の奈緒子が部屋に戻り、そのまま話の輪に入ってきた。
「どこかに行こうかってなってるんだけど、どこに行くか決まらないんだよ。奈緒子はどこか行きたいところとかないの?」
「うーん、わたしもべつに行きたいとことかないかなあ」
「じゃあさ、誰かの家に行こうぜ」
急な直人の提案に、サッと奈緒子の顔が強ばった。
「……わたしの家は、イヤだよ」
「分かってるよ。そうじゃなくて、この三人で決めようぜ」
「ぼく、ワチコの家に行ったことないよ」
「なんで、あたしの家になるんだよ?」
「ああ、でもチャーの家には、みんなで行ったしな。それに興味あるよ、ワチコの家」
「わたしも、ワチコちゃんの家に行ってみたいな」
「多数決とか卑怯だぞ!」
「いいじゃん。つまらなかったらすぐ帰るから、なあ、チャー?」
「う、うん」
「つまらなくねえよ。そう言われるのは、それでムカつくな」
八つ当たりの拳が肩にヒット。
久々のそれはけっこうな痛さで、慎吾は肩をさすりながら笑った。




