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バラバラ女  作者: ノコギリマン
バラバラ女
33/42

32

 その夜。


 慎吾は、ビルの隙間に身を潜めながら、バラバラ女をぢっと見守っていた。


 正直、驚かせすぎているような気もする。

 慎吾が来れなかったあいだにもこのイタズラをやっていたのだから、その人数は相当なものになっているのではないだろうか?


 それにバラバラ女を演じているときの奈緒子は怖すぎた。

 昼には見せないほどの冷たい表情もたまに作るし、その声は、まるで本当の『バラバラ女』なのではないかと思わせるほど真に迫っていた。


「ねえ、もういいんじゃない? 十時だよ」


 預けられた目羅博士の腕時計で確認しながら言うと、


「まだまだ。もっともっと頑張んなきゃ溶かせないよ」


 と、刺すように冷たいバラバラ女の声が応えた。


「でも、もう帰らなきゃ」

「まだ十時でしょ?」

「もう十時だよ」


 今日はもう本当にやめた方がいいのではないだろうか、と冷や汗をかく。


 いくら奈緒子でもさすがにこんなにやり続ければボロを出すにちがいないのだ。


「ホントに、もう帰ろうよ」

「……そうしたいの?」

「うん」

「分かった」


 いやにあっさりと承諾した奈緒子が着替えるのを、外に出て待ちながら、夜だというのにうるさく鳴き続けるセミの声をなんとはなしに聞いていると、


「お待たせ」


 と、肩を優しく叩かれた。


 振り向くといつもの奈緒子がそこにいて、ようやく不安感から解放された。


「帰ろう」

「うん、でもわたしは荷物を病院に置いてから帰るから、チャーは、さきに帰ってていいよ」

「いつもみたいに、家に持って帰ればいいじゃん」

「うん、でもコレ、あのヒトに見つかりそうになっちゃてさ。最低なんだけど、あのヒトってば、わたしの机の引き出しとか見てたみたい。それで《都市伝説コレクション》のあの聴診器を持って、『ナオちゃんは、お医者さんごっことかするのかな?』って、キモチワルク言われちゃってさ。箪笥(たんす)に隠してたからなんとか《バラバラ女セット》は見つからずにすんだんだけど、ほら、やっぱりコレとかは没収されちゃうでしょ」


 奈緒子が包丁を取りだし、冗談めかして慎吾にその切っ先を向けた。


「や、やめてよ」

「アハハ、ごめん。でもホントにね、病院に置いてくのが、いちばんいいと思うの」

「じゃ、じゃあ、ぼくも一緒に行くよ」

「いいよ、来なくて」

「ダメ、絶対に行くよ。ひとりだと危ないし」


 奈緒子が驚いたように、視線を向けてきた。

 夜であまり顔も分からないせいか、このとき、はじめて慎吾は目を逸らさなかった。


 するとすぐに奈緒子が視線を逸らして、


「分かった。じゃあ、一緒に行こ」


 と、うしろ手に提げた紙袋を揺らしながら言った。


「うん」


 これからさき、奈緒子が今より不幸になることは絶対にあってはいけない。

 その不安の芽は摘み取っていけばいい。


 そう胸に誓い、並んだ奈緒子の横顔をそっと窺うと、蛍の光よりも淡い笑みが浮かんでいた。


◆◆◆


「じゃあ、ベッドの下に隠しとくね」

「うん」


 紙袋を隠した奈緒子が、満足げにワンピースについた埃を払う。

 その、懐中電灯に照らされて眩しそうにする顔が、眩しかった。


「じゃあ、帰ろ」


 促して部屋を出ようとすると、不意に階下から足音が聞こえた。

「だれかな?」

「さ、さあ。まさか直人かワチコじゃないよね」

「でも、ひとりとかの足音じゃないよ」


 たしかに奈緒子の言うとおり、かすかに聞こえてくる足音は、何人かのそれが重なりあったもののようだった。


「――ええ、でも怖いよ」

「――大丈夫だって」


 静まりかえる構内に響き渡る声。

 その声は明らかに若者のものだった。

 階段を上がるいくつかの足音が、リズムよく近づいてくる。


「だ、だれだろう?」

「そんなことより隠れなきゃ」


 奈緒子がベッドの下に潜り込んで、猫みたいに手招きした。


「肝試しに来た人たちだよ、きっと」

「こんな時間に?」

「いい時間じゃん。あ、そうだ、驚かそうか、あの人たち」

「え? でもやめといた方がいいよ」

「大丈夫」


 新しいオモチャを買ってもらった子どものような笑みを浮かべながら、奈緒子は《血みどろワンピース》を紙袋から取りだして、右の袖に腕をとおした。


 一緒に紙袋から転がり出た生首人形を、慌てて手元に寄せる慎吾。


「どうするの?」

「ここに近づいてきたら、この右手で足を掴むの」

「そんなことで騙されるかな?」

「チャーだって、おんなじこと直人君にやられてビビってたじゃん」

「それは、そうだけど」


 そうやって、たまに無鉄砲になれる奈緒子が羨ましかった。

 だがやはり成功する保証はどこにもない。


「――入ってみようぜ」


 声が聞こえ、入り口にいくつかの足が見えた。

 先頭の男が、懐中電灯で207号室を照らしながら足を踏み入れる。

 そのあとをゆっくりと追う四つの人影。

 全部で五人だ。


 慎吾は少し不安になりながら、息を殺してその光景を見つめていた。


「――誰もいないね」


 女の声が響き、いくつかの安堵の吐息が漏れる。


 と、その時、機を窺っていた奈緒子が、ベッドの近くの左足を力いっぱいに握りしめた。


「――え、ぎゃ、ぎゃあ!」


 男の叫び声が響きわたり、室内がパニックに陥った。


 すでに男の足から手を離していた奈緒子は、その手の平を下に返し、狂気的なリズムで床を叩きつけながら、バラバラ女の声色で、


「カエレカエレカエレカエレ……」


 と、狂気的に重く、そして氷のように冷たく喚き立てた。


 阿鼻叫喚の室内を、男の手の内で踊り狂う懐中電灯があちらこちらと照らしまわり、浮かび上がるいくつもの影が、大きく小さく変わりながら狂乱の雄叫びを上げ続けていた。


 やってはいけないことだと分かりながらも、その滑稽な光景を胸の空く思いで見ていた慎吾は、ふと胸に抱えた生首人形を思い出し、それを狂乱の渦の真ん中へと放り投げた。


「――に、逃げろおおおおおおおおお!」


 207号室を転げるように飛び出ていく若者たちの姿が、たまらなくおかしくて、慎吾はついに笑い声を上げた。

 となりの奈緒子も、あおむけになって腹を抱えながら笑っている。


 中庭で涼んでいたタローたちが、その大騒ぎに腹を立てたのか、ここにまで聞こえてくる叫び声に向けて、いつまでも吠え続けていた。


 笑い疲れた慎吾はベッドから這い出て、奈緒子に手を差し伸べた。


「ありがと」


 その手を掴んだ奈緒子は、ベッドから這い出して、また笑った。


「あの人たち、大丈夫かなあ」

「大丈夫でしょ、ウソなんだから」

「そうだね。でも、おかしかったあ」

「ホント、おっかしかったあ」


 また笑いがこみ上げてきて、慎吾は腹を抱えた。


 こんなに笑ったのは久しぶりだった。

 奈緒子が心の底から笑うのを見るのも、久しぶりだ。


「あーあ、ワチコちゃんたちもいればよかったのに」

「そうだね」


 二人に聞かせてやったら、(うらや)むにちがいない。


 そう思っていると、不意に入り口の方から視線を感じた。

 だれか、戻ってきたのかな? 

 と思って、目をやると、血よりも赤いナニカが揺らめいて、廊下を横切っていった。


「え、いまの……」

「なに?」

「あ、赤いのが、とおり過ぎたんだけど」

「ちょっと……やめてよ」

「で、でもホントに」

「だからやめてってば」


 さっきまでの空気が一変して、にわかに恐怖が二人を包み込んでいた。

 見間違いのような気もするけれど、たしかにナニカが横切った。


「血塗れナース、かな……?」


 つぶやく奈緒子の顔が、恐怖で青ざめていた。


「や、やめてよ」


 タローたちのけたたましい咆哮が、遠くに聞こえる。


 気づくと、慎吾は走り出していた。

 奈緒子の手を引いて。


 絡みつく闇の中を必死に走り続ける慎吾の脳裡には、「握り返してくる、この柔らかく壊れそうな手だけは、絶対に離さない」という、目羅博士の台詞が、壊れたレコードのように何度も何度も鳴り響いていた。


「ハア……ハア……でも、なんだったんだろ……?」


 息も絶え絶えに膝へ手をつく奈緒子の言葉が、暗闇に力なく響いて消えた。


 慎吾は振り返り、息を切らしながら廃病院を見上げた。

 天を()くのではないかというほどの不気味な威容(いよう)


 笑う膝をごまかしながら、声もなくかぶりを振ることしかできなかった。


「ホントに見たの?」

「たぶん」


 自信なんてないけれど、あの、刺すように冷たい視線は、たしかに本物だった。

「やっぱり、血塗れナースかな?」

「そこまでは分からないけど、でも赤いナニカはとおっていったと思うんだ」

「でも、今日が見るの初めてだよね。いままでは、なんで出てこなかったんだろ?」


 その疑問に答えを出せず眉間にシワを寄せると、


「チャーってば、なんか変な顔になってるよ」


 と、春風よりも暖かい笑い声に頬を撫でられた。


「でも、よかった」

「なにが?」

「チャーが一緒に来てくれて」

「え?」

「ひとりだったら、どうなってたか分からないもん」

「あ……そ、そうだね」


 右手に残る感触に頬を赤らめ、不器用に笑みを返すことしかできなかった。


「帰ろ」

「う、うん」


 夜空は曇りで、星は一つも見えない。


 だけど、今は星なんていらなかった。


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