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駄菓子屋の前のガードレールに腰掛け、アイスを頬張りながらとなりをそれとなく見ると、垂れるしずくをハンカチで拭いながら、おいしそうにアイスを頬張る奈緒子が、
「そういえば、花火ってまだやってないよね」
ふと思い出したように、慎吾に言った。
「そういえばそうだね。じゃあ、今日やろうか?」
「え、マジで? でも夜からじゃないと意味なくないか?」
ワチコが至極まっとうなことを言って、不安顔になる。
「だからさ、また《バラバラ女のイタズラ》をやったときみたく、こっそりと抜け出せばいいんじゃないかな」
その提案に自分でも驚きながら、きっと、これはお父さんに対する反発心なんじゃないだろうか、と慎吾は思った。
「じゃあ、花火を買わなきゃね。スーパーに売ってるのかな?」
「まあ、行ってみようぜ」
直人がまた一人で勝手に歩き出し、三人もそれに続いた。
◆◆◆
スーパーで花火セットを買って外へ出ると、店先のベンチに、腰掛けた太一の姿があった。その横に、おなじクラスの横山邦夫や、となりのクラスの田中俊治と中山隼人といった、学校でも有名な不良生徒たちも座っている。
「お、チャーじゃん、なにやってんだ?」
「え、あ、うん、花火をやろうと思って」
「ふうん、お前らって、ずっと暇なんだな」
チラと奈緒子を見ながら言った太一が、口の端を上げて笑った。
「なんだよ、お前らだって、暇そうにしてるじゃないか」
ワチコは、本当に太一のことを嫌っているらしい。
「まあ、暇なんだけどな。でもほら、家にいたら、だれが来るか分かんねえじゃん」
その言葉に、うつむいていた奈緒子が小さく身を震わせたのが分かった。慎吾には太一の言葉の意味がすぐに分かったが、それを言いとがめる勇気が湧かなかった。
「どういう意味だよ、変なのが来るわけ?」
直人が太一の言葉尻をとらえて、いつものように興味津々にたずねた。
「さあ、どうだったかな。山下に聞いてみれば?」
太一とその取り巻きが、奈緒子を見ながらイヤな笑みを浮かべた。
「ちょっとやめてよ、そ、そういうこと言うの」
思わず口をついて出たその言葉に驚きながらも、傍らでうつむく奈緒子のことが、気が気でならなかった。
「なんだよ、その言い方? チャーも意味が分かってるのかよ?」
敏感なくせに鈍感な、直人の呆けた顔まで腹立たしかった。
「ちょっと直人は黙っててよ」
「え、なんだよそれ」
「ちょっとお、直人は黙っててよお」
慎吾の声色をまねて、太一が小バカにするように言った。
「やめてよ」
「やめてよお」
「だからやめてってば」
「だからやめてってばあ」
完全にバカにされている。
だがそんなことはどうでもよかった。
奈緒子は、縁日のあとからずっと、ああやってお母さんの手伝いをしていたのだろう。五日も方々を訪ねていれば、何人かのクラスメイトの家に当たるのも当然のことだ。
慎吾はそのずっと前から奈緒子の家庭の事情を知っていたから、そこまでの驚きはなかったが、ほかのクラスメイトの反応は、推して知るべしだ。
そこまでを考えて、ふと今日のクラスメイトの、奈緒子への妙な対応が脳裡をよぎった。
きっと、もうみんなには奈緒子の家庭の事情がバレてしまっている。
「どうせあれだろ、お前らももう、その変なシューキョーのシンジャなんだろ?」
心ない太一の言葉に激高した慎吾は、気づくと自身のケンカ慣れしていない拳を、その顔面を目がけて突き出していた。それが浅黒い左頬にめり込んで、少しのけ反った太一が、痛みに顔をしかめながら、赤いものが混じったツバを吐き捨てた。
「痛ってえ」
頬を何度かさすった太一が、とつぜん慎吾の太ももを思うさま蹴りつけてきた。激痛が走りうずくまった慎吾は、それでも目に宿した怒りの炎を絶やすことなく太一を睨みつけた。
「なんだよ、お前よお!」
握った拳を、慎吾の顔面へ目がけて振り下ろす太一。それが顎に当たり、頭がクラクラとする気持ちの悪い浮遊感が襲う。
「ちょっと、なにやってるんだよ」
しばらくその光景を呆けて見ていた直人が割って入ったが、その事情がわかっていないせいで、どちらを庇えばいいのか分からなくなっているようだった。
「うるせえ、お前も一緒なんだよ!」
怒りの矛先を直人へと変えた太一が、怒鳴りながら殴りかかった。
それをすんでのところでかわした直人が、
「ちょ、ちょっと待てよ、落ち着けよ」
と言いながら、太一のうしろの取り巻きに、この状況をなんとかしろと目顔で伝えた。
「太一、もうやめた方がいいんじゃないかな」
邦夫が、太一の肩を叩いて宥めた。
未だ怒りに肩を震わせる太一が、ツバを慎吾の顔に目がけて吐きつける。
頬にネットリとしたものを感じながら、それを拭うこともせずに太一を睨みつけていると、今までうつむいていた奈緒子が、太一の前に歩み出て、その頬を叩いた。
「わたしになんか言いたいことがあるなら、わたしに言えばいいでしょ! でも、チャーと直人君は関係ないじゃん、このクソバカヤロウ!」
怒る奈緒子に気圧された太一が、「ごめん」と言いかけて飲み込み、取り巻きに促されて自転車で逃げるように去っていった。
「なんなんだよ、あいつら……」
まだ事情の掴めていない直人がつぶやいて、すこし拳がかすめていたらしい頬を痛そうに撫でた。
それに気づいた奈緒子が、複雑な表情を浮かべてその光景をぢっと見ていた。
奈緒子になんと言っていいのかも分からずに立ち上がろうとした慎吾は、蹴られた左の太ももに走る激痛に、思わずくぐもった声で呻いてしまった。
「ごめん、大丈夫?」
「奈緒子が悪いわけじゃないから」
「うん、でも、ごめんね」
いつもとは立場が逆転して、奈緒子が謝ることをやめない。それが太ももの痛みよりもさらに強く胸を痛めつけていた。
奈緒子は、なにも悪いことなんかしていない。
それなのに、みんながまるで奈緒子が悪者だと言わんばかりの態度をとっていることが悔しくてしょうがなかった。だけど、本当に悔しいのはそんな奈緒子をちゃんと守ってやることができない、自分自身だった。
悔しくて悔しくて、気づくと涙が溢れ出していた。
「お、おい、デブ大丈夫か?」
ワチコもこの状況が飲み込めていないらしく、ただただ戸惑っていた。
気づくと奈緒子も泣いていて、鼻をすすりながらうつむいていた。
直人とワチコが困惑した表情になってお互いに顔を見合わせ、「とりあえず病院に戻ろう」という直人の提案に、泣きじゃくる慎吾と奈緒子は、ただ首を縦に振ることしかできなかった。
◆◆◆
廃病院にもどり、平静を取り戻した奈緒子と慎吾に、事情を洗いざらい聞いた直人とワチコは、どう言っていいものかも分からずに押し黙っていた。
奈緒子も、本当ならそんなことは言いたくなかったにちがいない。
マットでアグラをかく慎吾は、これから先、自分のように、二人も今までと変わらず奈緒子に接してくれるのか、と不安になっていた。
「まあ、そういうことだから」
すべてを吹っ切ったかのような笑みを浮かべる奈緒子。その微笑みが痛くて、慎吾は顔を伏せ、青いアザを作る太ももをぢっと見つめた。
……無音
……静寂
……永遠にも思える時間が過ぎ去って、ようやく口を開いたのはワチコだった。
「……ナオちゃんさ、そういうのあんまり気にしなくてもいいよ」
「うん、本当は、早く言っておいたほうがよかったんだけど」
「べつにみんな気にしないって。なあ、チャー」
「う、うん。ぼくは気にしたことなんてなかったよ」
たぶん誰ひとりとして本音を言っていない、と慎吾は思う。
目の前の三人の顔に貼りついた笑みが、白々しくも見える。
だけどこれでいいのだ。
もうこの四人は友だちで、ちょっとやそっとのことで、その関係は崩れないに決まっている。
皆が一様にそう自分に言い聞かせているのだ、たぶん。
「これからどうする?」
空元気を出す奈緒子の明るい声が、207号室に響き渡った。
「うん、花火は?」
「花火は夜からでしょ、でも夜までは時間があるし」
「じゃあさ、いっかい家に帰ろうぜ。宿題もやらなきゃいけないし」
直人の提案にワチコも乗り、一度解散することになった。
夜の集合は八時にこの病院で。
先に連れだって帰っていった二人は今夜ここに本当に来てくれるのか、と慎吾は不安だった。よっぽどのことがない限り来てくれるとは思うけれど、心のどこかでもしかしたら来ないかもしれないという懸念もあった。ベッドに腰掛けて足を揺らす奈緒子を見ると、まだ悲しみをまとったまま儚くほほえまれた。
日の陰りにその姿が消えてしまいそうで、慎吾は鼻をすすりながら不器用な笑みを返すことしかできなかった。




