25
八月二十日。登校日。
ウソみたいな青空を見上げながら通学路を歩いていると、うしろから呼び止める声が聞こえ、振り向く間もなく直人が横に並んできた。
気もそぞろに無言で頷き、慎吾はふたたび重い足取りで歩き出した。「失恋大樹に《宮瀨慎吾》と書いた犯人は一体誰なのだろうか?」と推理を展開させる直人の言葉が、まるで耳に入らない。
そんなことよりも今はただ、奈緒子のことだけが気がかりだった。
「おい、聞いてるのか?」
「え、あ、うん。なんだっけ?」
「聞いてないじゃないかよ。まあ、いいや。だからさ、チャーの名前を書いたヤツと瀬戸の名前を書いたヤツは、たぶんおんなじヤツだと思うんだよ」
「なんでさ?」
「きのう病院で、ワチコとずっと考えてたんだけど、もうワケが分かんなくなっちゃってさ。それでまた神社に行って、名前を見ていて、気づいたことがあるんだよ」
「へえ、なに?」
「チャーの名前、宮瀨慎吾だろ。そんで瀬戸は瀬戸正次。分かる?」
「分かんないよ」
「だからさ、二人とも《瀬》の漢字が一緒なんだよ。それに気づいてよく見たらさ、漢字の感じがおんなじだったんだ」
「おんなじって、どういうこと?」
「だからさ、探偵モノとかであるだろ、筆跡ってのが。だから上から紙でなぞって、二つを合わせてみたんだよ。大きさはちがうけど、サンズイとかの跳ね方がすっげえ似てたんだ」
「そんなの偶然でしょ。釘で彫ったんだから、書きにくいところがたまたま似てたのかもしれないよ。それに犯人が一緒ならさ、書いた理由はなに?」
「そこが分かんないんだよなあ」
「女か男かも分かんないんでしょ。セト君のことが好きな女子はいっぱいただろうけど、ぼくのことが好きな女子なんているわけないし、それにもし書いたのが男子だったら、たぶんセト君の名前を書いたのは、紀子のことが好きで、それで恨みを持ったヤツなんだろうけど、ぼくの名前を書いたのはなんで? ぼくは、紀子とそんなに仲良くないよ」
「むかしは紀子のことが好きだったけど、いまは奈緒子のことが好きなヤツなのかもしれないじゃん。あ、きっとそうだよ」
「うーん、でもそうだったとしてもさ、ぼくの名前が書かれたのって十七日の、ワチコが神社に行くまでのあいだのことでしょ。塾は、もう夏期講習が終わって、普通のに戻ってるから、そのときに塾で授業を受けてた、純平とか、まあ紀子とかはちがうでしょ。ってことはさ、いまは塾に行ってなくて、ぼくと奈緒子が、夏休み中も一緒に遊んでるのを知ってたヤツになるよね」
「そうなんだよな。だからさ、学たちは、あの日はずっとゲームをしてて一緒だったみたいだからちがうだろ。太一かな、とも思ったんだけど、あいつはきっと紀子のことが好きだから、チャーの名前を書く理由がないんだよ」
「それ以外の人は? 誰かいないの?」
「だからそれが分からないんだよ。考えたら考えただけ色んなことがおかしくなって来ちゃうんだよ」
「難しいね」
「難しいよ。でも面白くなってきたから、もうちょっと考えてみる」
直人が楽しそうに笑う。これで直人がそこにだけ集中してくれれば、犯人もすぐに分かるにちがいない。でも、心のどこかで、なにかを見落としてるのではないかという不安もあった。
◆◆◆
学校に着いていそいそと教室へ入ると、すでにほとんどのクラスメイトがそこかしかで久しぶりのおしゃべりに花を咲かせていた。
「おはよう」
二人を見つけた紀子が近寄って挨拶をしてきた。直人はそっぽを向いて小声で挨拶を返し、そそくさと逃げるように自分の席に行ってしまった。それを少し悲しそうに目で追った紀子も、慎吾の挨拶が耳に入らない様子で席に戻った。
席について一息吐いていると、うしろの純平が、
「おはよう」
と、声をかけてきた。イヤに陽気な声が背筋をヒヤリと撫でた。
純平にはあの《バラバラ女のイタズラ》を見られている。純平が誰かにそういうことをしゃべるヤツではないのは、なんとなく分かっているが、それでもやはりビクビクとしてしまう。
「お、おはよう」
振り返ると、笑みを浮かべた純平が、鼻のホクロを掻いていた。
「ど、どうしたの?」
「チャーさ、知ってる? ミオカさんが捕まったんだってさ」
「え、ホントに?」
「ホントだよ。お母さんが言ってた。あのオジサン、変質者だったんだって。裏の廃材置き場で逮捕されたらしいんだけど、なんかそこに家みたいの建てて住んでたんだってさ」
「ふ、ふーん、そうなんだ」
「でさ、なんかミオカさんさ、子どもにイタズラしてたらしいんだ。この学校にもヒガイシャがいるらしいよ」
「そ、そうなの?」
「そうだよ。おれだったらもう外に出るの怖くなっちゃうな。チャーもそう思わない?」
純平がなぜそんなことを嬉々と話すのかが分からず、曖昧にうなずいて姿勢を元に戻した。とにかく今ホッとするのは、純平があの夜のことを気にもしていないらしいということだけだった。
ふと教室の入り口を見ると、奈緒子が沈んだ顔で入ってきた。にわかに教室に緊張が走る。だがそれはいつもの羨望や嫉妬といったものとはちがう、重いもののようだった。皆が一様に奈緒子から目を逸らしている。あの紀子でさえも席でうつむいてやり過ごしていた。
席に着いた奈緒子に、そんなことはお構いなしに直人が話しかけてイヤな笑顔でこっちを指さした。
奈緒子と視線のぶつかった慎吾は、それが妙に気恥ずかしくなって目を逸らし、取るものもないのにランドセルを不自然に開いた。




