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バラバラ女  作者: ノコギリマン
バラバラ女
25/42

24

 自室で寝転がりながら慎吾は、モヤモヤとした感情を振り払うようにため息を吐いた。


 直人の名前に×印をつけた次郎をふたたび学の家に送り届けたあと、廃病院に戻った三人は、さらなる謎について話し合ったが、答えが出るはずもなかった。


 ワチコは縁日のあとも『失恋大樹』の名前を見に行っていたらしいが、その前日には《宮瀨慎吾》の名前は無かったらしく、ということは、十七日の、ワチコが神社に松葉杖を持ってやって来るわずかな時間に書かれたものではないか、ということになった。


 誰が?

 なぜ?


 そんな不毛な疑問が昨日からずっとグルグル脳裏に渦巻いていた。


 直人は、次郎が名前を書いた理由を聞かなかった。聞かなくても大体分かるし、それに「紀子が好きなんだろ?」なんてことを次郎に問い詰めるほどには、直人も鬼ではなかったようだ。


 紀子が自分のことを好きなのだろうということに、気づいてないワケもない直人の照れもあったのかもしれない。それにきっと、次郎も軽い気持ちで書いたのにちがいない。

 ワチコから『失恋大樹』にまつわる正次の顛末(てんまつ)を聞かされている慎吾でさえも、いまだに心の底からはその効力を信じてはいなかった。


 直人がミオカさんにイタズラをされそうになったことも、きっとただの偶然にちがいないと思う。第一、アレがワチコの言う罰だとしたら、あそこから直人は逃げ出せなかったはずだし、慎吾の攻撃でミオカさんが昏倒してしまうなんてこともなかったはずだ。


 ただの偶然。

 だが、それにしてはできすぎだ。


 まるで導かれるように廃材置き場に行ったのは、なぜだろう? そして、絶対に怪しさ満点のミオカさんに促されるまま、あの小屋に入ってしまったのも不思議だった。

 普段なら、絶対にそんな危ないことをするわけがない。

 だがあの時はそうすべきだと、なぜだか思っていた。

 やっぱり『失恋大樹』に導かれたのだろうか? 


 分からない…… 


 とにもかくにも、そういったわけで、慎吾は二十日の登校日まで自宅にいるよう、ワチコに命令された。


 そして今日は十九日。


 仕事が休みのお父さんが、茶の間で転がって、甲子園で爽やかな汗をかきながら青春のすべてを白球に込める高校球児たちの姿を、テレビ越しに応援する声が部屋まで聞こえてくる。

 慎吾は起き上がり、勉強机の上の開いたままの宿題に目をやった。苦手な算数の数式がバカにして踊っているようにしか見えない。


 しばらく宿題と不毛なにらめっこをしていると、玄関から来客を告げるチャイムが鳴り響いた。


 居間の(ふすま)が開く音が聞こえ、廊下をドタドタと踏みならすお父さんの足音が響き、続いて、玄関の引き戸をガラガラと開く音が聞こえた。そして、玄関からすぐの所にある慎吾の部屋に、なにを言っているのかまでは分からないが、女性のものであるのはたしかな声が聞こえてきた。


 お父さんがその声に応えて、なにかを話している。

 その言葉も不明瞭で、慎吾はなんとはなしに耳をそばだてた。


「……いや、そ……のは……ませんから……」


 お父さんの声が少しだけ分かったが、やはりその全体を捉えることはできなかった。もともと宿題に身が入らない上に、部屋のそばでそんなことをやられていては集中できない、と胸の裡で言い訳をして、慎吾はそっと部屋のドアまで近寄り、耳を押し当てた。


「いい加減にして下さい! わたしは、そんなものに興味はないんだよ!」


 急にがなり立てたお父さんの大声に驚いて、慎吾はすぐに、ドアから身をのけ反らせた。


「わたしは地域の皆さんに不幸になってほしくないだけです!」


 女性のヒステリックな怒鳴り声が、お父さんを攻撃する。


 不安や恐怖を覚えながらも、それらより数倍も大きな好奇心に負けて、ドアを開いて玄関をのぞき見た。


 仁王立ちするお父さんの背中越しに、熱心に何事かを言い続ける女性の姿が見えた。


 白いブラウスに白いスラックス。

 奈緒子のお母さんだった。


 そしてそのとなりには、プリントの束を胸に抱えた、白いワンピースに身を包んだ麦わら帽子の少女の姿。

 うつむいて麦わら帽子に隠れたその表情は、分からなかった。


「あら、あなたは」


 ドアから顔をのぞかせた慎吾を目敏く見つけた奈緒子のお母さんが、不気味に笑んだ。振り向いたお父さんの顔が紅潮している。その怒りの形相が大の苦手で、思わず胸の奥から大きなゲップが漏れた。


 それに気づいて顔を上げた奈緒子の、か細い腕から力が抜け、舞い落ちたプリントの束が三和土(たたき)のタイルを覆い隠した。


 思わず駆け寄って、それらを拾いはじめた慎吾の背に、


「慎吾、なにをやっているんだ?」


 と、お父さんの地獄の鬼のような声が浴びせかけられた。


 かまわずに無言でプリントを拾い集めていると、奈緒子がそのそばにしゃがみ、


「ごめんね」


 と、耳元で囁いたが、それがなに対する「ごめんね」なのかは分からなかった。


「やっぱり、慎吾君ね」


 無思慮に放たれた奈緒子のお母さんの声が、心に突き刺さる。


「あんた、慎吾を知ってるのか?」

「ええ、この娘のクラスメイトなんです。それに友だちだそうでよく一緒に遊んでいるようですよ。自由研究なんかも、一緒にやってくれてるみたいですし」

「本当、なのか?」


 マグマよりも熱く煮えたぎるお父さんの怒りに、返す言葉がなかった。


 こんなことがあっていいのだろうか。

 自分が怒られるだけならばそれに越したことはないが、その怒りの矛先が奈緒子に向けられるのだけは、どうしてもイヤだった。


 そっと見やった奈緒子の瞳からこぼれ落ちる大粒の涙が、文字どおりの水玉模様をプリントに滲ませていた。


 慎吾は意を決して立ち上がり、


「と、友だちだよ」


 と、明日死ぬとしても譲れない誓いを、お父さんに告げた。


「こ、こんなところの娘と……お前は……」


 握りしめた拳をワナワナと震わせながら、お父さんが言葉を失う。


「こんなところのって、あなたそんなこと」

「うるさい、あんたは黙っててくれ!」


 抗弁しようとした奈緒子のお母さんを一喝したお父さんが、慎吾を睨みつけた。

 もう何度となく見てきた怒りの顔を遙かに凌駕する、赤鬼みたいな形相に、股間が縮み上がっていた。


「な……奈緒子はいい子だよ」


 刹那、怒りの込もる平手に頬をぶたれ、乾いた音が鼓膜を揺らした。

 ぼやける視界の隅に映る、水槽の中の金魚たちが、いつもより赤く揺らめいていた。


「な、なにをするんですか、あなた!」

「うるさい! あんたには関係ないことだ!」

「でも、でもですね」

「出て行け! 二度と来るな!」


 頬を押さえて呆然とする慎吾を押しのけたお父さんが、無理矢理に奈緒子と奈緒子のお母さんを家から追い出した。背にガラガラという引き戸の閉まる音を聞きながら、三和土に散らばるプリントに目を落とすと、そこにはいつの日にか見た、奈緒子の机にあったのとおなじ不気味な文章が書かれていた。


 ――奈緒子は大丈夫だろうか?


 こんな時だというのに、それだけが心配でしょうがなかった。


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